♯20 星の獣
「M2を観測、ですか」
硬い声音が喉から漏れて、レイカは咳払いをした。端末越しに林原が重い口調で返す。
『そうだ。天月中将がそちらへと赴いているはず。中将を危険に晒すわけにはいかない』
「しかし、今から呼び戻すにしても時間は……?」
レイカは左手の腕時計を見やった。
『あと六時間。充分に戻れるだろうか、中将が何と言うか』
今は朝の十時だ。決戦は夕方の四時ということになる。与えられた装備があるといっても、未調整のミーティアに不完全なパイロットでは不確定要素が強かった。
『中将は、今は?』
「諸星ヒビキと話を」
「私が、何か」
背後から聞こえてきた声にレイカは心臓が口から飛び出しそうになった。「わっ!」と思わず声に出して振り返る。
「お父さん」
「ここでは中将だ」
断固とした声に、すぐさま挙手敬礼を思い出した。
「失礼しました、中将」
レイカの視界の中に天月の後ろで所在なさげにしている影があった。ヒビキだ。
「中将、どうして彼を?」
「彼はミーティアのパイロットだろう。軟禁のような真似は感心しないな」
釘を刺された気分を味わいつつも、レイカは抗弁の口を返した。
「だからこそです。勝手気ままにされては困る」
「彼はそのような性格ではないよ。私が見て、判断した」
その言葉にレイカは二の句が継げなかった。天月は自分の目で見たものだけを信じる。逆に言えば、一度信じれば決して疑わない。レイカはヒビキへと睨む目を向けた。ヒビキは少しだけ萎縮する。何か、話の中で決定的なことでもあったのか、その姿が縮んで見えた。
「林原君との通話があるだろう」
天月がレイカの手にある端末を指差す。レイカは慌てて思い出して、画面を見た。林原が咳払いして、『中将に話をさせてもらえるか』と言った。
「中将に、ですか」
『説得を試みたい』
説得、と最初から言っているのは天月がてこでも動かないであろうことを予測しているからであろう。ミーティアのパイロットを自身の目で見極めるつもりであることは娘であるレイカも分かっていた。
「中将。林原准将からお電話です」
天月は端末を受け取った。レイカが離れようとすると、「ここにいなさい」と天月が留めた。レイカは仕方なく三歩半下がった位置で立っていた。
『中将、お久しぶりです』
「ああ、林原君。娘が世話になっている」
『落ち着いて聞いてください。M2の落下予測が六時間後についています。目標地点はその星園村だと考えられます』
「ふむ。だろうね。ロードが集まっているとなれば奴らがここを狙わないのはおかしい」
落ち着き払った天月へと林原がいつになく切迫した口調で告げる。
『今すぐに逃げてもらいたい。あなたはそこで失うには惜しい方です』
林原の単刀直入な物言いに天月は、「林原君」と返した。
「失うに惜しくない命などない。ここにいる全ての兵とロードに対して、それは失礼に当たるというものだろう」
天月の言葉に林原は閉口した。顎に手を添えて気後れ気味に、『し、しかし』と口にする。
『あなたはR機関において中枢を務めるお方。あなたの命はあなただけのものではない』
「私はここに残り、M2の破壊を目にしてから帰ろう」
天月の言葉に、声を詰まらせたのはレイカと林原同時だった。
「何を――」
『何を仰っているんですか! 敵は目の前なのですよ!』
激昂した林原が席を立つ。天月は冷ややかな眼差しを向けた。
「どちらにせよ、ミーティアとそのパイロットが失われれば地球は終わる。敵は目の前、と言ったな、林原君」
『……はい。言いました』
幾分か落ち着きを取り戻した林原が額の汗を拭いながら応じる。
「敵は目の前。なればこそ、逃げ出すわけにはいかない。ここにいる人類の代表として、敵に背を向けることは許されない」
『しかし、あなたが矢面に立つ必要は……』
「兵にばかり矢面に立たせられんよ。それに私は見届けたいのだ」
ちらり、と視線がヒビキへと向けられる。レイカには分かる。ヒビキの活躍を期待しているのだ。諸星家の息子が何を成すのか見届けたいのだろう。それは諸星ダンが最後の瞬間にまで友人としていた天月の意地だったのかもしれない。林原が理解に苦しむ、とでも言うように頭を抱えた。
「ミーティア完成を見るまで、現場指揮官としても離れるわけにはいかない。分かってくれるか、林原君」
その言葉に、暫時重い沈黙が降り立った。林原が、『とは言いましても……』と言葉を濁す。自分の判断で上官を死なせたとなれば責任問題となるからだろう。林原とて保身に必死だった。
レイカは思わず踏み出した。胸元に手をやって、「なら」と声を上げる。
「私がミーティアに乗ります。それならば准将も、中将も納得して現場を任せられるでしょう」
その言葉に天月は目を見開いていた。画面越しの林原も額を押さえている。
『馬鹿な。無茶だ、天月少尉』
「無茶ではありません。私は人類の代表としてミーティアの搭乗を希望します」
断固とした口調に林原は手で顔を覆った。天月はレイカを見やり、「本気なのか?」と問いかけてくる。「無論です」と返そうとした瞬間、「待てよ」と低い声が聞こえてきた。
レイカと天月が二人揃って振り返る。ヒビキが双眸に決意の光を湛えて、二人を見返した。
「あんたらだけで話を決めるな。ミーティアには俺が乗る」
その言葉にレイカは、「貴様」と噛みついた。
「今さらのこのこと何を言う。貴様が拒み続けた結果だ。私が乗ります、中将」
急くように言葉を継ぐレイカへと、踏み込んできたヒビキが声を押し被せた。
「あんたじゃ無理だ。ミーティアのほうからお断りだよ」
レイカが睨む目を向けると、天月がレイカを制するように片手を上げた。「中将?」と顔を向けたレイカを、天月は見ないでヒビキへと目を向け続ける。
「諸星ヒビキ君。私は禍根を残したくない」
「はい」
「だから、後悔のない選択を希望している」
それは諸星ダンのことを言っているのだと知れた。果たしてその覚悟があるのか、それを問いかけているのだ。英雄と同じ覚悟を胸に抱けなければ、無理だと天月は判断するつもりだろう。
「それは君の選択か? 現実に押されるんじゃない、君が自分で決めた結果なのか?」
天月の質問に、ヒビキは目を見返して、「はい」と頷いた。その眼に宿っている覚悟を確認するかのように天月が沈黙を投げる。その沈黙が全員の心に染み渡ったと思われた後、天月は、「よし」と微笑んで頷いた。
「林原君。私は帰らない。ミーティアの完成と、新たなる英雄の活躍を見るまでは帰れんよ」
今のやり取りを聞いていたのだろう。林原は苦渋の選択だとでも言うように喉の奥から声を搾り出した。
『……分かりました。上は私が説得しましょう』
「感謝している」と言って天月は端末の通話を切った。レイカへと指示の声を飛ばす。
「M2の質量データ、及び対象の速度を推定したデータが送られてきているはずだ。少尉は解析班と共にバックアップに回れ。直接の現場指揮を任命する」
その言葉にレイカは習い性で、「は」と応じて挙手敬礼を返しかけた。自分の中で言葉を咀嚼し、意味を理解したレイカは、「えっ」と聞き返していた。
「現場の指揮だ。もちろん、総指揮は私が執る。少尉ならば安心して現場を任せられる」
「条件があります」
そう声を発したのはヒビキだった。「何を」と言いかけたレイカを手で制し、「言いたまえ」と天月が促す。
「現場にロードも加えてください。一人でも多いほうがいいですし、彼らのほうがミーティアを知っている」
「馬鹿な。ロードに現場を任せるなど――」
「分かった」
レイカの言葉を遮って天月が了承する。レイカは正気を疑う目を向けた。「しかし」と不服そうな声を上げる。
「ロードが反乱を起こす可能性もあります。そのような芽は早めに摘み取るべきでは――」
「我ら人類とて同じ可能性をはらんでいる。片方だけの視点から見た景色だけで物を言うんじゃない」
天月の断固とした言葉にレイカは何も言えなかった。レイカはヒビキを睨みつける。
「ロードの条件など」
「ロードと人類の見解は一致している。既に長との話し合いも済ませた。これ以上、彼らと諍いを起こす必要はない」
天月の言葉に何を言っても無駄なのだ、とレイカは拳を握り締めた。父親はこうと断じたらそれを貫く。自分が一番よく知っているではないか。
「……了解しました。私は現場の指揮に回ります。諸星ヒビキ、ついてこい」
その言葉と共に身を翻す。ヒビキは、「言われるまでもない」と先を行った。何故だか、レイカはヒビキに前を歩かれるのが癪で早足で歩を進めた。




