♯19 水色の風
「ヒビキ。入るぞ」
祖父の声が聞こえ、ヒビキは顔を上げた。祖父はいつもと変わらず厳しい眼差しを向けている。その後ろから長身の男がついてきていた。見たことのない顔だ。黒いコートを着込んでおり、撫で付けている髪に白髪が混じっているところを見ると結構な年齢のようだが、視線が祖父と同じくらいに強かった。猛禽の眼のようだ。
男はヒビキを見ると、薄く微笑んだ。何なのだろうと訝しげな眼差しを向けていると、ゲンジロウが口を開いた。
「この人は天月セイジ。人類側の代表であり、お前の親父の友人だ」
紹介する言葉に天月は、「はじめまして、になるのか」と手を差し出した。しかし、ヒビキは後ろ手に手錠をかけられているため対応できない。それを認めた天月が兵隊を呼びつけた。
「彼の手錠を解いてくれ」
その言葉に兵隊は狼狽したようだった。
「しかし、それでは危険が……」
「何度も言わせるな。彼に危険などない」
断固とした口調に兵隊はヒビキの背中に回って手錠を解いた。「お供いたします」と言った兵隊に、「必要ない」と天月は答える。
「彼と二人きりで話したい。構いませんね?」
祖父へと確認の声を出す。祖父はヒビキを見やり、「粗相のないようにな」とだけ忠告して身を翻した。兵隊と祖父が出て行き、教室の中で天月とヒビキだけが取り残された結果になった。
ヒビキは手の血の巡りを確認しながら、「あんた、天月って」と口にした。
「そう。天月レイカの父親だ。至らぬ娘ですまない。失礼をしただろう」
「あ、いや。俺のほうこそ」
天月が頭を下げたので、ヒビキも思わず頭を下げた。脳裏に昨夜の銃口を向け合った顔が思い描かれる。物腰がよく似ているとヒビキは思った。兵隊に対する対応の仕方、それに言葉遣いが。
「よく似ている」
不意に放たれた言葉に自分の心が読まれたのかと感じた。ヒビキが身を強張らせていると、天月は微笑んだ。
「諸星、君の父親の若い頃に」
ヒビキは鼓動が跳ね上がったのを感じた。そういえば、父親のことを祖父から聞いたこと以外、自分は何一つ知らない。人類の英雄だと言われてもピンと来なかった。
「俺は、親父に似ていますか?」
「言葉遣いは似ていないが、姿はとても。身に纏っている空気はおじいさん譲りだね」
ヒビキは自分が祖父の空気に似ていることなど今まで微塵にも思わなかったためにその評価は意外だった。
「そう、なんですか」
「堅苦しくなくっていい。この場では私は人類の代表というよりも、君の父親の友人として来ている。いわば、おじさんだな」
天月が笑う。ヒビキは笑えずに顔を伏せた。
「俺を、ミーティアに乗せるための説得に来たんですか」
覚悟はしていた。ミーティアに乗せるためならばもしかしたら人格すら消されてしまうのではないかと。しかし、天月は頭を振った。
「そんなつもりはない。乗ってもらえるのならばもちろん助かるが、君の本当の意志じゃないだろう。無理やり乗ってもらう気はない」
その言葉にヒビキは顔を上げた。天月は教室の床に正座をして真っ直ぐにヒビキを見つめていた。
「私は、君の父親の生き様を伝えるためにここに来た。諸星がどのような気持ちで隕石獣との戦いに臨んだのかを」
それは決して祖父が語りたがらないことだろう。人類の誰も知らないことかもしれない。友人である天月だけが知る、父親のこと。ヒビキは今まで誰にも父親のことは教えられなかった。興味もなかった。しかし、英雄と呼ばれ、その父親の遺産であるミーティアを動かす宿命を負った上では無関係は装えなかった。
「親父は、どんな人でしたか?」
「いい加減な奴だった」
即座に返された言葉にヒビキは面食らった。天月は中空に視線を投げながら言葉を継ぐ。
「何かにつけて適当で、あとは妙な名前をつけるのが好きな奴だったな。何でも名前をつけるんだ。それも、当時のセンスですらとてつもなくダサい名前をね」
祖父がイーグル号と名づけたのは父親だったと言っていたのを思い出す。
「適当で、考え込んでしまうことなんてほとんどなかったな。こいつには悩みなんてないんじゃないかと妬んだこともあったよ。君とは、正反対かもしれないな」
天月の目がヒビキに向けられる。ヒビキは自己を顧みた。実のところはよく似ているのかもしれない。考え込むことなんてほとんどなかった。
「だが、熱い男だった」
差し挟まれた声にヒビキはハッとした。天月は掌に視線を落として言葉を発する。
「一度決めたことなら、絶対に他人任せにはしない。自分で決着のつけられる人間だった。ロードとのこと、君の母親とのこともそうだ」
「母さんとの、ことも……」
「そうだ。当時、ロードと関係を結ぶなんてことはありえなかった。だが、あいつにとっては種族の壁など関係なかった。『ただ、好きだから。愛しているから』、だからロードか人類かなんて関係ないんだ。そんなことを臆面もなく言う奴だったよ」
ヒビキは制服のポケットにある写真を意識した。笑顔を向けていた女性、あれが母親だったのだろう。父親はロードである母親との種族の壁を越えて恋に落ちた。
「私も驚いたし、多分、知っている人間は皆、反対した。異星人と恋愛関係にあるなんてありえないと。しかし、諸星は貫き通した。自分というものを」
「それで、俺が……」
自分の胸元に手をやって鼓動を確かめる。生きている。この世に生を受けた肉体。天月は頷いた。
「そう。諸星ヒビキ君。君の父親は信念を貫き通した。誇りに思っていい」
「それは英雄だからですか」
ヒビキの質問に天月は首を横に振った。
「いいや、英雄だからなんて関係ない。私は、一人の人間として諸星を尊敬していた。結果的に、奴は人類史に残る英雄となった。隕石獣の落下から地球を救った唯一の人間へと。だが、だからといって私と奴の間に隔たりが生まれたわけではない。奴と私は、今も昔も同じ関係性だ」
それは親友と呼べる関係だろうか。ヒビキは昨夜のケイイチとの戦いを思い出す。ケイイチは自分に対して嫉妬を持っていた。自分は友人だと思っていたがケイイチの胸中ではそうではなかった。持つ者と持たざる者、その隔たりが三年も前からあったのだ。それに気づけなかった鈍い自分を叱りつけたかった。
「俺にも、友達がいたんです」
ヒビキの言葉に天月は頷いた。
「でも、そいつは俺のことを憎んでいた。ずっと関係性に歪みがあったんです。それに俺は気づけなかった。もう合わせる顔なんてないんです」
「そんなことはないさ」
天月の声にヒビキは、「でも」と声を上げる。天月は穏やかな顔をヒビキに向けていた。
「でも、俺はそいつとは違って、ロードでも人間でもないんですよ。そいつはロードの戦士として立派に戦う意味を持っていて、俺にはそれがなくって……」
戦う意味はこの胸にあるかと問われれば疑問符を浮かべざるを得ない。何のために戦えばいいのか。人類のためか、ロードのためか。ケイイチは自分ならばロードのために戦える、と言っていた。本当にその通りだ。ヒビキは人類のためもロードのためにも必死にはなれない。半端者の我が身を持て余している。
「もっと、単純に考えればいい」
天月の放った言葉にヒビキは目を向けた。
「どうして人類か、ロードか選ばなくっちゃいけない? 君の父親は両方を守ると豪語し、事実、それを実行した。それくらいの気概を持っても罰は当たらないと思うが」
踏み込みすぎかな、と天月は笑った。ヒビキは顔を伏せる。膝の上に置いた拳を硬く握り締めた。
「みんなが俺に期待しているのって、どちらかに与する英雄でしょう? だったら、俺は選ばなくっちゃいけない」
「どちらか、なんていうものは些事だ。もっと大きく視野を持てばいい。君には力がある」
力、という言葉を胸中に繰り返す。人類を救える力。ロードを救える力。隕石獣を倒せる能力。唯一の星の剣、ミーティア。それを動かせるのは自分だけだ。
「力を持てば自然と責任が生まれる。力を振るう責任だ。みんながそう言うだろう。責任ある立場だ、もっと自覚しろ、って。――だがね、そんなものは犬に食わせてしまえばいいと私は思うよ」
不意に放たれた砕けた言葉にヒビキは顔を上げた。天月はヒビキに語りかける。
「責任で雁字搦めになって、小さく纏ってどうする? そんなものは大人の役目だ。少年である君はもっと傲慢でいい。願うのならば、大きく願え」
「大きく、ですか……」
「そうさ。どうしたって世界は終わる時は終わる。諸星ダンの言葉だった」
父親の名前が出てヒビキは身を硬くした。天月は淀みない口調で続ける。
「奴は最後、お元気で、と私に言った。まるでちょっと出かけてくるみたいな口調でね。十五年前の隕石獣襲来で本当に世界が終わるかもしれない局面で言えたんだ。鈍感になれと言っているわけじゃない。分かるな」
「はい」とヒビキは頷いていた。諸星ダンはきっと明日に希望を繋いでいたのだ。自分という名の希望、天月というかけがえのない友人の希望を。自分は希望を繋げるだろうか、とヒビキは片手に視線を落とした。誰を守れるか分からない手。しかし力はあると保障されている。
「力は、振るうべきところを間違わなければ未来を切り拓く力となる。君は未来を切り拓くために戦うのだろう? 絶望を退け、自分の望む未来をしゃにむに掴んで見せろ。君がミーティアのパイロットならば」
最後に笑顔を添えて、天月はそう口にした。未来を切り拓く力、それが本当にこの手にあるのか。今一度、問いかける目をヒビキはその手に向けた。人類を選ぶか、ロードを選ぶかという話ではない。両方の未来を切り拓くために戦えるのか。
「そろそろ私は行こう。話せてよかった。有意義だったよ、ヒビキ君」
天月が立ち上がろうとする。ヒビキは声をかけていた。
「あの」
「うん? どうかしたかね」
言うまいかと躊躇ったが、ヒビキは口にしていた。
「親父は、最期どうなったんですか?」
その言葉が決意して放ったものだと知れたのか、天月はヒビキの目を真っ直ぐに見据えた。誰も語ろうとしない、英雄の最期。それはどのようなものだったのだろうか。
「帰ってこなかった」
一瞬、言われた意味が分からずにヒビキは、「えっ」と聞き返していた。天月は真剣な眼差しで告げる。
「帰ってこなかったんだ。大気圏突入前に、コックピットの中で諸星の信号はロストした。諸星は、あのイーグルミーティアの中で忽然と消えたのだ。宇宙で何が起こったのか、詳しいことは誰にも分からない。隕石獣を倒した瞬間に、諸星は消え失せていた。だから、私はイーグルミーティアに希望を託していたんだ。もしかしたら、死体でもいいから親友と対面できるかもしれないと。そうすれば気持ちの整理がつけられるかもしれない。そう思っていた」
半ば信じられない心地でヒビキはその言葉を聞いていた。ミーティアの中で消えた父親。初めて知ったその事実は重く圧し掛かった。
「一体、どこへ」
尋ねても答えのないことは分かっていたが、聞かずにはいられなかった。案の定、天月は首を横に振った。
「分からない。英雄は消えたままだ」
人類が過度に自分に期待する理由が分かったような気がした。彼らの英雄は不在なのだ。帰ってこなかった英雄に成り代わる存在が必要だった。ミーティアをロードに隠され、英雄も失った彼らはきっと不安に押し潰されそうだったに違いない。
「一つだけ、私も聞いてもいいか?」
天月がヒビキを見やって尋ねる。ヒビキは頷いた。
「コックピットの中に、諸星を感じたか?」
ヒビキはイーグルミーティアの中でのことを思い返す。しかし、写真が貼ってあっただけで、父親の何かを感じられたことはなかった。
ヒビキは顔を伏せて正直に首を振った。
「そうか」と寂しげな声を出して、天月は窓の外を眺めた。その視線の先を追う。突き抜けるような青空が広がっていた。水色の風が見えるようだった。