♯18 人類の長
轟、と空気を割る音を響かせて戦闘機が三角形の編隊を組んで飛んでいく。槍の穂先に似たそれに保護されるように、巨大な航空機が腹を晒していた。腹の出っ張ったペリカンを思わせるそれは両翼の下に布袋で包まれた輸送物を備え、肝心の腹には最も重要なものを抱えている。レイカは照りつける太陽に手を翳してそれを見つめていた。ペリカンのような巨大な輸送機――C107は田園へと降り立つための航路に入っていた。広大な田園は階段状になっており、航空機が降り立つには適さないが周囲は山で囲まれているため、降りる場所はそこしかなかった。レイカは、また田園風景が一つ消える、と胸中で寂しさが過ぎったのを覚えた。こうして幾つもの無骨な戦闘機械たちが田園を埋めていくのだろうか。人類の繁栄の象徴が自然に彩られた場所を陵辱するのは、何かしらの不快感を与えた。C107の後ろから一機、小型の輸送機がついてきている。人を運ぶためのものだろう。まるで飛び立ったばかりの雛のようだ。親鳥の後ろを遅まきについてくる。
しかし、レイカたちの近くに降りてきたのはその雛鳥のほうだ。草葉が揺れ、レイカは強風に長い髪をなびかせる。ゆっくりと降りてきたそれは耳障りな轟音を立てて着陸する。イーグルミーティアの横につけるように、その輸送機が少しずつエンジンを緩めていく。レイカは歩み寄った。一体、どのような増援なのだろうか。固唾を呑んで見守っていると、強化スーツに身を包んだ兵に続いて降りてきた影があった。その影を認めた瞬間、レイカは目を見開いた。白いものが混じった髪を撫でつけ、精悍な顔立ちをしている男だ。老練した鋭い眼差しはサングラス越しでも歴戦の兵士を容易に想像させる。長身で黒いコートを身に纏っていた。レイカが呆けていると、男が敬礼をした。レイカは慌てて踵を揃え挙手敬礼を返す。
「お待ちしておりました。天月中将」
自分の父親に対して階級で呼ぶことはレイカを奇妙な感覚にさせた。天月は頷いて、サングラスを外して表情を緩めた。
「少し、痩せたか?」
「いえ。二千グラムプラスです」
真面目ぶった表情でそう返す娘の姿を見て、天月はフッと笑みを浮かべた。
「それは何よりだ。天月少尉。ロードに対しての今回の特務、上は高く評価している。諸君らもだ」
天月が兵たちに目を配る。皆、背筋をピンと伸ばして敬礼をしていた。
「諸君らの働きがなければ、私はこの地に降り立つこともできなかった。何よりの功績だ。それに最も誉れ高いのは、死者が一人も出なかったという事実。ロード相手に、よくやってくれた」
その言葉にレイカは感に堪えなかった。父親が褒めてくれている。他ならぬ自分と、自分の部下たちを。それが何よりも嬉しい。
「ロード側の死者も出ていないと報告を受けた。この極限環境でそれは素晴らしいことだ。お互い、うまくやれたということか」
「いえ。至らぬ部分も多くございます」
レイカの声に天月は、「謙遜するんじゃない」と言った。
「死者が出ないのは純粋に喜ばしい。私も、来た甲斐があった。これほどまで美しい景色を目にすることができるとは」
天月は周囲の田園風景を見渡した。父親の目にそれはどう映っているのだろう。自分と同じように最初は怒りが勝るのだろうか。しかし、天月の表情にはそれらしいものは浮かばなかった。
「まずは長と会わねばな。積もる話もあるがまずはそれからだ」
天月は歩き出した。兵を引き連れている。皆、自分の部下たちよりも訓練された兵だった。天月が肩越しにレイカを見やり、手招いた。
「天月少尉。来たまえ」
「何でしょうか」
敬礼を解いてレイカは天月と並んで歩いた。プライベートでもこのようなことは少ない。兵たちの視線つきとはいえ、父親と久しぶりに並んで歩けたことがレイカの心を躍らせた。
「長のこともあるが、私が確認しておきたいのは諸星の息子のことだ」
ヒビキのことが話題に出て、レイカは気後れしたように、「はい」と顔を伏せた。
「個人的に話がしたい。長との会談の後、話す時間が取れるようにしてくれないか」
「個人的に、ですか」
それは承服しかねる事案だった。ヒビキは天月に対して何をするか分からない。銃口を向けあった昨日を思い出し、レイカは首を横に振った。
「それは少し問題があるかと存じます」
「何故だ? 諸星の息子だろう」
「あれはロードです」
即座に放った言葉に天月は眉をひそめた。
「ロードとはいえ、旧友の息子。私はそのような割り切り方は好きではない」
その言葉にレイカは恥じ入ったように声を詰まらせた。
「す、すいません。出過ぎたことを」
「いや、いい。世間ではそのような風潮だ。世論に流されるな、と言っても難しいだろう。殊にR機関の諜報員となればな。知らないでいいことまで知ることになる」
言葉の表面では許したように聞こえるが、実際にはどうだろうかとレイカは考える。ロードに対して偏見と蔑視を貫いている娘というイメージが定着してしまったのではないかとレイカは不安になった。
「お父さん、私は別にロードに対しては――」
「兵の目がある。ここでは中将と呼べ」
断じて放たれた声に、レイカは恥じのあまりに階級を忘れそうになった自分を顧みた。ここでは親子の関係ではない。中将と少尉の関係だ。レイカは息を深く吸い込み、天月少尉としての自分を呼び覚ました。
「失礼しました、中将」
「ふむ。それで長は?」
「学校施設がありましたので、そこで一時的にロードを疎開させています」
「判断に間違いはないな。しかし、ロードは長命で足腰の立たぬ者もいただろう。どうしたのだ?」
「兵たちに運ばせました」
「随分と無茶をさせる」
天月は笑ったが、心根では冷ややかに見ているのかもしれないと思った。自分の娘が冷酷な機械になってしまうのは気分のいいものではないだろう。
「ではこの足で学校まで向かおう。天月少尉、ついてきてくれるな?」
「もちろんです」と返し、レイカが歩き出そうとすると不意に兵たちが色めき立つ。どうしたのか、と視線を前に配ると、ゲンジロウが立っていた。両腕を組んで仁王立ちになっている。全く近づいてきた気配を感じなかった。それに危機感を抱いた兵たちが武器を構えようとする。天月は立ち止まって、手でそれを制した。レイカもそれに併せる。ゲンジロウが低い声で問うた。
「お主が人類の代表か」
「代表は別にいますが、とりあえずは私がこの地では代表を務めさせていただきます」
「何用で参った」
「今さらでしょう。人類とロードを救う唯一の術、ミーティアに関すること。それに対する人類とロードの見解が一致しているかどうかの確認です」
その言葉にゲンジロウは顎に手を添えて考え込んだ後に、言葉を発する。
「そのための話し合い、というわけか」
「察しが早くて助かります。私は日本政府R機関所属、天月セイジと申します」
それを聞いたゲンジロウが、ほうと声を上げる。
「そこの娘も天月と聞いたが」
「はい。我が娘です」
ゲンジロウはレイカと天月を見比べた。似ていない親子とでも思っているのだろうか。だとしたら心外である。
ゲンジロウはしばらく天月を睨みつけていたが、やがて息をついた。
「天月という名はよく耳にしておる。あの男からな」
「諸星ダン、ですね。私の友人です」
天月がさらりと口にする。天月の言葉にゲンジロウは、「あの男から、どう聞いていた?」と尋ねた。
「厳しい方だと聞いておりました。それと同時にとても優しい方でもあると」
その言葉にゲンジロウは鼻を鳴らした。照れているのかもしれない。
「馬鹿馬鹿しい。それで、会談はどこで行う?」
「学校で行いましょう。人類側としてもそれを望みます」
「よかろう。ついて参れ」
ゲンジロウが身を翻す。天月は歩き出した。「なるほど」と呟いたのが気になったが、追及しなかった。きっと、諸星ダンの友人であった父親でしか分からないものなのだろう。
天月はぬかるんだ道路を気にしなかった。むしろ進んで通りたがったぐらいだ。兵たちは、「うへぇ」と泥で汚れた道路を見て奇声を上げている。積装の下では泥などなかった。全ての道は舗装されており、土木作業員にでもならない限りは一生そういった汚れとは無縁でいられる。天月は高い鼻で泥の匂いを嗅いだ。
「いい匂いだな」
天月の言葉に先ほどまで泥を忌避していた兵たちが頷く。何をやっているのだ、とレイカは思う。ここは上司の機嫌を窺う企業ではない。軍部の特殊機関なのだぞ。そう言いたいのは山々だったが、天月の手前言葉にするのは憚られた。自分も変わりないではないか、と嫌気が差す。
学校が見えてくると天月が、「おお」と声を上げた。
「ライブラリーでしか見たことがないような造りだな」
前を歩くゲンジロウは応じなかった。校舎へと入っていく。天月は職員室へと通された。机が端に集められ、パイプ椅子だけが向かい合うように置かれている。奥の椅子にゲンジロウが座った。その背後にはロードたちが立っている。野次を飛ばすようなことはなく、全員が判で押したように腕を組んでいた。まるでゲンジロウのポーズのコピーが無数にいるかのようだ。その中に自分が撃ってしまった少年を見つける。何故だか真新しい服を着ていた。会談への配慮だろうか。
「では、会談を始めましょうか」
天月がパイプ椅子に座る。レイカは父親をこのような粗末な椅子に座らせたくなかった。人類側ならば特等席が約束されている天月がこのような扱いを受けるのは我慢ならなかった。しかし、当の天月はそれに満足しているようだ。レイカはこの場では娘ではなく仕官だ。口出しするようなことではない。
「お主らの目的はミーティアか」
早速本題を切り出したゲンジロウへと天月は落ち着いて応じた。
「そうです」
「あれを完成させる。そのためのお膳立てが、あの巨大な輸送機というわけだな」
ゲンジロウはどうやらC107の積んでいた荷物の当てがあるようだ。レイカも詳しく聞かされてはいない。ミーティアを完全にするためのボトムパーツと武器。その概要は結局知らされなかった。どのようにして運用するのか、皆目見当がつかない。
「仰るとおり。この十五年、改良を重ねたボトムパーツとイーグルミーティアを合体させ、本来の姿とします。それが我らの目的です」
「そしてその力で何を願う。戦争の道具にするつもりか? それとも日本政府が他国に対する牽制の道具にでも?」
「我々はそのような下等な目的で動いているのではない!」
ゲンジロウの言葉に思わず抗弁が口をついて出ていた。天月が振り返り、「天月少尉」といさめる。レイカは口元に手を当てて顔を伏せた。
「無礼を」
「申し訳ない。教育がなっていなくって」
「いや、娘さんはよく教育なさっている。うちの孫のほうこそ教育がなっていないと言われてもおかしくはない」
ヒビキの顔が思い出される。雨の中銃口を突き合せた相貌。赤い眼、射抜くような眼差し。
ゲンジロウを窺う。似ている、と思う。その点で言えばよく教育されている。ロードの戦士として。あれほど強大な戦力もいないだろう。
「その件だが、確かに一部上層部はそのように考えている者もいる。否定はしない」
「否定しないのかよ」と潜めた声が聞こえた。ロードの中の誰かの声だった。レイカが目を向けると、誰もが視線を逸らした。
「だがね、今はそのような場合ではないのです。地球人類として動かなくては、隕石獣は迎撃できない。隕石獣は二、三メートル前後のものから、十メートル近いものまでいる」
「存じている」
即座に返された声に天月は額に手をやった。
「これは、つまらぬことを言ってしまった。ロードであるあなた方にとってこのような話は今さらだろう」
その言葉にロードのうちの何人かが睨む目を寄越す。天月は息をついた。緊張しているのだろうか。
「後ほどお孫さんにお会いしたい。構いませんか?」
「どうぞ。あのような奴でよければ」
「私はね、楽しみなんですよ」
天月が身を乗り出した。このような父親の姿をレイカは一度として見たことがない。家族にすら見せない姿に目を見開いていると、ゲンジロウが眉間に皺を寄せた。
「楽しみ、とは?」
「旧友の息子に会えることがです。彼がミーティアを唯一動かせる存在ならば、なおさら」
「洗脳でもするつもりか?」
ゲンジロウの強い声音に緊張の糸が張り詰めた。その可能性はレイカも考えなかったわけではない。ミーティアを動かせる唯一の存在など人類のいいように洗脳してしまえば話が早いのではないか。しかし、それではロードとの対立を生んでしまう。M2と戦わなければならない上に、ロードも相手取るとなれば人類は大きな消耗を強いられることとなる。だから、ヒビキの洗脳には踏み込まないのだと考えていた。
ゲンジロウは天月を信用していないのだろう。今までの自分たちの行動から考えればそれも当然と言えた。天月は特に気分を害した様子もなく、笑ってみせた。
「そのようなことは断じて。私は旧友の息子に会いたいだけなのです。確かに彼はミーティアのパイロットだ。洗脳すれば全て人類の思い通りにいくでしょう。しかし、そのようなことをあなた方が許すとは思えない。何らかの防御策は取っているはずだ」
防御策、という言葉にレイカはロードが記憶の共有の技術を持っていることを思い出す。もし、それが脳に何らかの形で組み込まれた仕様だとするのなら、洗脳を防御する術くらいはあったとしてもおかしくはない。ゲンジロウは口元に微かな笑みを浮かべる。
「どうだかな」と発せられた言葉に、結局洗脳を封じる術があるのかどうかははぐらかされた。天月もそれ以上追求しようとはしなかった。
「人類としては、ロードと手を取り、ミーティアを運用。そのためにこの星園村を隕石獣迎撃の拠点としたい」
「村を焼くつもりか?」
ゲンジロウの硬い声音に天月は首を横に振った。
「決して、そうならないように努力いたします。私もこの田園風景に心奪われたクチだ。自然が消えるのは寂しい」
それが果たして心の底から出た言葉だったのか。レイカには判断しようがなかった。ただゲンジロウは相変わらず厳しい眼差しを送っている。
「我々ロードの総意はただ静かに暮らしたい。それだけだ。隕石獣の脅威に怯えない日々を営む」
「存じております。しかし、その平和が人類の犠牲の上にあると考えれば改めてもらえるのではないかと思うのです」
天月は人類を引き合いに出した。事実、ロードの夢想は人類からしてみれば辛い現実を生き抜くことである。ロードさえ、一言頷いてくれればいいのだ。自分たちの平和と引き換えにして地球を守ると。
「……我々は十五年間、背を向けた。お主ら人類に、だ」
ゲンジロウが言葉にする。天月は黙って聞いていた。
「勝手な言い分だろう。四十年前、亡命してきた我々を引き取ってくれた人類からしてみれば、恩を仇で返したと思われても仕方がない。しかし、これだけは分かって欲しい」
ゲンジロウが天月の眼を真っ直ぐに見据える。凄みよりも、哀愁の色を浮かべた眼だった。
「隕石獣も、人類の諍いもない平和が欲しかった。ただ、それだけなのだ。それ以上は望んではいないし、これから先も望むまい」
「しかし、平和を得るためには戦わなくてはならない」
「その通りだ。戦いのない時代を作ろうと思った。しかし、同時に戦わなくては生き残れないことを知っていたから、我らは武術を体得し、技術を磨き、星の剣を造った。隕石獣に対抗する術を人類に与えた。我々の願いは唯一つ、争いたくないのだ」
切実な声に聞こえた。ロードは本心から争いを忌避している。隕石獣との因縁は持って生まれたものだ。消せはしない。それ以上の争いを好んでいないのだ。人類に叡智を与えれば、隕石獣との戦い以上の火種を生むのではないか。それを極端に恐れているように見えた。
「ロードの長よ。あなたの気持ちは分かる。平和を望む気持ちは恐らく人類よりも強い。それはロードとて過ちの歴史を繰り返してきたからなのかもしれない。私は約束しよう。決して、ミーティアを戦争の道具にはしないと。あなたのお孫さん共々、奇妙な因縁で結ばれている。私は決して旧友の意志を無駄にはしない。人類とロード、両方のために戦った彼の意志を、私は引き継ぎたいのです。次の世代へと」
天月が胸元に拳を当てて訴えかける。その様子はどのように映ったのだろう。ゲンジロウは瞑目した。深く息をつき、「なるほどな」と呟く。
「あの男は、思っていたよりも大きなものを残していったらしい」
「色んな人間を巻き込む男でしたからね」
天月が苦笑すると、ゲンジロウは両膝を叩いた。
「人類とロードの見解は、隕石獣打倒で一致したと考えて間違いはないな」
「はい。ご理解いただけて助かります」
天月が頭を下げた。ゲンジロウは立ち上がって声を降りかける。
「星園村には既に、隕石獣に対する備えが各所にある。それを利用するがいい。霧島先生」
呼ばれた細身のロードが歩み出た。
「彼ら人類に、隕石獣に対抗するために造ったものを見ていただく。案内役を頼めるか」
「もちろんです」
霧島というロードが低い物腰で兵たちを誘導しようとする。天月は、「その前に」と口にした。
「お孫さんに、諸星ヒビキ君に会わせてください」
ゲンジロウは逡巡の間を浮かべたが、やがて深く頷いた。
「よかろう」
天月は立ち上がる。レイカが付き従おうとしたが、天月は片手を上げて制した。
「私一人でいい。兵も必要ない」
「そんな。危険です」
「諸星の息子だ。何も危険じゃない」
確信めいたその言葉にレイカは何も言えなかった。ゲンジロウの後を天月がついていく。レイカは胸の前でぎゅっと拳を握った。