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♯16 禊の雨


 レイカは銃口を下げた。

 ゲンジロウがヒビキを一撃の下に気絶させた。その圧倒的な力に、やはり老いてもロードの戦士かと再確認させられる。ゲンジロウはキーとなっているバイクに触れようとした。しかし、寸前でその手を彷徨わせる。

「どうしたのですか? あなたならばそれを動かすことが」

「できん。もうこのイーグル号は、ヒビキの言うことしか聞かんよ」

 イーグル号という名前なのか、とレイカは思いながら歩み寄った。ヒビキは起き上がる気配はない。彼の背中には雨が打ち付けている。レイカは兵に命じた。

「諸星ヒビキを教室に軟禁しろ。動けぬように手錠をかけさせておけ」

 その言葉に応じた兵たちが手錠を持ってヒビキへと近づいてきた。おっかなびっくりにヒビキに触れてその手に手錠をかける。たかだか十五歳にしてやられたことを悔いているのだろうか。戦闘訓練を経た兵たちが怯えているのは滑稽に見えた。二人の兵がヒビキを担いで校舎の中に連れて行く。ゲンジロウはその後姿を黙って見つめていた。自分の孫が軟禁されようとしているのにゲンジロウは冷静だった。ロードだからだろうか。レイカは声をかけた。

「無礼をお許しください」

「よい。あれも存分に無礼だ。お互い様というところだろう」

 ゲンジロウはヒビキを見送ってから、身を翻した。

「どちらへ?」とその背中に言葉を投げる。

「家へ帰る」

「濡れます。誰か、傘を」

 その声をゲンジロウは片手を上げて制した。

「いらん。禊ぎの雨だ。ワシの罪を洗い流してくれる」

 ゲンジロウは歩き出した。兵が傘を差し出そうとするが一睨みで気圧されてしまったらしい。たじろぐように後ずさった。ゲンジロウの背中が見えなくなってから、兵がレイカへと声をかける。

「少尉。風邪を引きます。傘を」

 差し出された傘をレイカは手に取った。これが自分とゲンジロウとの差か、と考えながら。

 レイカはイーグル号へと近づいた。赤と銀に彩られたオフロード仕様のバイクに見える。このようなものがミーティアという存亡の鍵を握る存在の根本とは到底思えなかった。ミナミはこれに介入することは今の人類にはできないと言っていた。

「そんな馬鹿なことが」

 レイカが手を伸ばしハンドルに触れる。しかし、ハンドルは微動だにしなかった。ブレーキを掴むが全く動かない。フットペダルを踏み込もうとしたが、固定されているかのように動かなかった。イーグル号はまるでこの空間に固定されているかのように雨の中、その身を晒していた。レイカは息をついて、「強情な」と呟いた。機械に対して放った言葉だ。返ってくるはずがなかった。無言を貫く銀色のフレームを見つめ、レイカは片手を上げた。兵が一人歩み寄ってくる。

「ビニールシートでも被せておけ。一応、精密部品だ」

 それに兵が頷いて踵を返す。レイカはイーグル号の表面を撫でた。気性の荒い馬のようだ、と思う。もっとも、今この時代において気性の荒い馬など存在しないが。

 傘を差して校舎を後にする。テントに向かおうと考えていた。レイカはふと、拳銃を握った手が強張っていることに気づき、息を落ち着かせてから懐に収める。ヒビキと相対した時、自らの価値が問われたような気がした。ロードでも人間でもないヒビキの眼が思い出される。赤い眼、ロードの眼だが宿しているのは人間の光だった。どっちつかずの身を持て余しているように見えた。彼自身、混乱の中にいたようだ。学校に来たのは恐らくイーグルミーティアに同乗していたロードの少女を助け出すためだろう。もしかしたら、逃げることでも計画していたのかもしれない。しかし、少女はノーを突きつけた。だから、あれだけ狼狽していたのかもしれない。まるで手負いの獣だった。

平和に暮らしたいだけだと言っていた。それは人類がいくら望もうとこの十五年間得られなかったものだ。積装の下でM2の脅威に怯えて過ごす日々。穴倉民族と罵られ、進化の途上にあるのにまるで原始時代まで退化したような気分の人類。それを打開できる力が手に入ろうとしているのに、みすみす逃すわけにはいかなかった。

だが、それはエゴかと考える自分もいる。ロードを犠牲にして人類の平和を築く。どちらかが割を食わなくてはならない二律背反。ロードの平和は人類の絶え間ない恐怖の下にある。では、人類の平和は? ロードをかつて排斥し、地球人類はその技術だけを吸い出そうとした。それは本当に平和なのだろうか。犠牲の上にある平和を、ただ享受できるのか。それは自分がロードの村に踏み行った時に感じたものと同じではないか。

「……人間は勝手だ」

 呟いてレイカはその思考を打ち切った。ミナミならばどう返してくれるだろうか。「考え過ぎるなよ」と気楽に笑うかもしれない。しかし、考えずにはいられなかった。ロードと人類、どちらも平和な世界を手にしたいがために戦っている。それなのに、譲歩するということを知らない。お互いに相手を傷つけるだけだ。

 空を仰ぐと薄暗くなり始めていた。もうすぐ夜が来る。今日が終わり、明日へと繋がれる。しかし、ロードたちの今日は断絶されてしまっただろう。他ならぬ人類の手によって。無知なままではいられないはずだ。幼子も、大人も関係がない。彼らは非日常に足を踏み入れた。人類にとっては、平和だった星園村の光景そのものが非日常だった。

「どちらに転んでも、どちらかは損をする。損をした気分になる」

 その考えが世界を歪ませ、地球という一単位に属することのできない要因となっている。校門から出る直前、レイカは傘を兵に手渡した。

「少尉。何故、傘を」

「少し頭を冷やしたい。雨合羽があるからいい」

 兵は少したじろいだようだったが、敬礼を返した。ふらふらと歩いていると、端末が鳴った。手にとって通話してきた相手を確かめる。林原だった。秘匿回線である。通話ボタンを押し、画面に表示された林原に対してレイカは敬礼する。

「こちら天月です。准将、何かありましたか?」

『いや。こちらは何も変わりはない。それよりも君が大丈夫かどうか気になってね』

「自分には特に問題はありません」

『そうか? それにしては酷い顔色だぞ』

 レイカは覚えず目の下に手をやっていた。疲れているのかもしれない。その手をすぐさま敬礼の手に変えた。

「いえ。責任ある職務を全うしております」

『気負う必要はない。明日には星園村に増援を寄越すことが決定した』

「明日、でありますか?」

『ステルスフィールドの解除は静止衛星から確認済みだ。早いほうがいいだろうと思ってね』

 だからと言って明日とは。言いさした口を噤んでレイカは、「どのような増援なのですか?」と尋ねた。

『件のミーティアは見つかったそうじゃないか。しかし武器がなければ意味がないだろう。人類とてこの十五年間何もしてこなかったわけではない。残っていたイーグルミーティアのデータを解析し、適した武器は製造している。彼らがソウルブレイカーと呼ぶ破砕武器は我々も開発していた。あとはボトムパーツだ。これは人類の技術が大きいからね。運んで寄越そう』

 これでミーティア本来の力を発揮できるというわけだ。しかし、と懸念事項が頭に浮かんだ。パイロットはどうする?

「准将。パイロットですが……」

『既に解析班から報告を受けている。諸星ヒビキ。因縁だな。天月家がそれに関わるとは』

 林原は苦笑したが、レイカは一笑もしなかった。

「急務です。何とか軍部の人間で適合性のある人間は選べませんか?」

『君は、諸星ヒビキに関しては不満かね』

 林原が両手を組んで聞き返す。不満も何もロードでも人間でもない彼が、進んで戦いに赴くとは思えない。無言を返していると林原は息をついた。

『分かった。こちらでも選別しておこう。ただし期待はしないでくれ。ミーティアを動かせるのは現状、彼一人だ。決して無下には扱わぬよう』

 既に雑な扱いをしている、とは言えずにレイカは返礼をした。

「承知しております」

『しかし、彼はまだ少年だ。心は傷つきやすく脆いだろう。軍人のようにはいかん。まずは彼の意志次第だな』

「既に一度ミーティアを動かしています。操縦技術に関しては問題ないかと」

 レイカの言葉に林原は失笑した。

『私が言っているのはそういうことじゃないよ。ロードとて、長命であることを除けば精神構造は人間と同じだ。当然、その年齢ならばそれなりの問題に突き当たるだろうという当たりだ。君だって十五くらいの時は荒れていただろう』

「私は、荒れてなどいません」

 真面目腐った返答に林原は笑みを浮かべた。

『いや、君の父親は手を焼いたと言っていたぞ。まぁ、反抗期なんてものは本人には自覚がないものだ。そういうものだろう。私が言いたいのはね、天月少尉。決して、彼の機嫌を損ねてはならない、ということだ。彼はロードであると同時に人類の希望なのだから』

 その希望に一縷の望みを繋ごうというのか。だが、レイカは納得できないでいた。

「ロードに対してそのような感情は……」

『ああ、君の言うことも分かる。もっともだ。だけどね、覚えておくといい。英雄と殺戮者は表裏一体だ。どちらにもなり得るのだよ。慎重に事を運ばねば、食いつかれるのは我々人類のほうかもしれない』

 ぞくりとするような言葉にレイカは何も言い返せなかった。あの少年、ヒビキが殺戮者の素質も持っているというのか。確かにミーティアは現代において最も強力な兵器と言ってもいい。不完全体であるとはいえ、イーグルミーティアを動かせるのはヒビキだけだ。もし、完全体を敵に回したとしたら――。

 覚えず背筋に怖気が走り、レイカは硬直した。その様子を見て、林原は破顔一笑する。

『そう心配することでもないだろう。増援は君が思っているよりも心強いと思う。最適の健闘を期待している』

 林原が敬礼をする。レイカは画面に向けて返礼した。通話が途切れ、レイカは雨の中、校舎へと振り返った。

 自分の行動は間違っていたのだろうか。ヒビキを軟禁し、精神的にも追い詰めている。ロードでも人間でもない立場で最も苦しんでいることは想像に難くない。しかし、動いてもらわなくては役に立たない。ただの十五歳のロードなど必要ないのだ。今、必要としているのはミーティアを動かせる特別な人類である。

「……私は、間違っていない」

 自分に言い聞かせるようにそう言って、レイカは端末を懐に仕舞った。テントに向けて歩き出す。ぬかるんだ道が続き、足元をすくおうとする。レイカは足に力を込めて、一歩一歩を着実に進んだ。


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