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♯15 逃げ道のない戦い


 太陽の香りが違う、とヒビキは感じた。

 今朝と同じだ。

 何かしら、今まで村を覆っていた膜のようなものが綻びを見せたような感覚である。血が滲むように、その感覚は異物としてヒビキの中に染み出した。ヒビキは周囲に目線を配る。兵隊たちに取り囲まれ、居間でじっと正座していた。祖父は学校に行ったらしい。学校にはロード、つまり村人たちが集められているという。祖父だけはロードの中でも一目置かれているようだった。兵隊たちが無駄に交戦しようとはしない。

 祖父の持つ殺気めいたものはヒビキも分かっている。十五年も共にしていればそれが当たり前だった。しかし、彼らからしてみればそれは違うのだ。

 ロード。異星人の長。

 それはどのように映るのだろう。自分はロードと人間、両方の血を継いでいる唯一の存在。それはどのように見えるのだろうか。恐らくは奇異に映るだろうと思う。蔑視するべき対象が同族の英雄の息子であることは、彼らからしてみれば耐え難いことかもしれない。

 ヒビキは考えを巡らせる。隕石獣が落ちてくる。それを阻止できる唯一の方法であるミーティアを動かせる。これは交渉材料にならないだろうか、と考えた。すなわち、自分を犠牲にする代わりに村のみんなを見逃してくれと。だが、とヒビキは頭を振る。

 自分は人類でもあるのだ。ロードのために全てを投げ出せるかといえば、そうではない。今まで村人たちは総出で騙してきたのだ。子供たちは本当に知らなかったのかもしれない。しかし、大人は知っていて隠していたのだ。今まで自分は人間のつもりだった。しかし、実際にはロードでもなければ人間でもない、半端な存在だ。それでもどちらかを選ばなくてはならない。人類のためにミーティアを動かすか。ロードのためにミーティアを動かすか。どちらにせよ、自分の存在意義はミーティアを動かすことしかない。

「……なぁ、あんたら」

 ヒビキは兵隊に向かって言葉を投げていた。見張っていた兵隊が顔を振り向ける。ガスマスクをしているため表情は窺えない。

「隕石獣を止める方法ってミーティアしかないのか」

「何を急に言い出すんだ、こいつ」

「答えろよ」

 ヒビキは静かな口調で詰め寄った。兵隊たちが顔を見合わせ、「お前が話せよ」とたらい回しにする。その中の一人が、肩を落として言った。

「そうだな。少なくともイーグルミーティア以上の兵器は地球上には存在しない。あれは対M2特化型兵器だ。ほとんどがロードの技術でできている。人類じゃ、あと二百年は解読に必要だって話だ。な?」

「俺に聞くなよ」と他の兵隊が困惑したように肩を竦める。兵隊たちはどうやらその手の話題には詳しくないようだった。

「じゃあ、ミーティアがなければ人類はどうなる?」

 その質問に兵隊たちが息をついて、「天月少尉がいればいいんだが……」と愚痴をこぼした。どうやらヒビキの処遇を決めかねているらしい。人類の英雄の息子であると同時にロードならば、それも当然だろう。

「ミーティアがなければ人類はM2に対抗する手段はないな。押し潰されるのを待つくらいか」

「十五年間もずっと運に任せてきたのか?」

 ミーティアが発見されなかった間、人類は隕石獣の脅威に怯えながら何もせずに過ごしていたのだろうか。

 兵隊の一人が、「それはないな」と否定した。

「俺たちには積装があるから」

「積装?」

 聞いたことのない言葉にヒビキが反応すると、他の兵隊がたしなめた。

「馬鹿。余計なことを」

「いいじゃないか。ちょっと人類の叡智って奴を教えてやろうぜ」

「その叡智もロードの技術だがな」

 兵隊がため息を漏らす。ヒビキは「積装」と呼ばれるものに興味を持った。

「それはどんなのなんだ?」

 質問に対して兵隊が身振り手振りで応じる。

「一言で言うならどでかい屋根だ。こんぐらい、いやもっとあってな」

 兵隊が両腕を広げる。ヒビキはそれを眺めていた。

「主要都市はそれで守ってきたってわけだ。M2が落下してきても積装の外側で止められる」

「じゃあ、ミーティアなんてなくたって人類は大丈夫じゃないか」

 ヒビキの声に、「所詮、守りだけだ」と兵隊が返す。

「絶対の防御というわけでもない。観測されてきたM2の中には積装を貫通するだけの質量を持っているものもある」

「まぁ、だからどこに落ちてくるか分からないM2を一点に集中しようって狙いがあるんだがな」

「どうやって?」

 ヒビキが尋ねると兵隊たちが顔を見合わせた。言うべきか、悩んでいるようだった。ヒビキは自嘲の笑みをこぼす。

「俺には何もできない。武器も持っていない、十五歳のガキだ。警戒するだけ無駄だろ」

 ヒビキは顔を伏せた。それを哀れに思ったのか、兵隊の一人が口を開いた。

「この星園村を対M2の拠点にする、ってのは天月少尉が言ったと思うが、それだけじゃない。ロードを囮として使うんだ」

 その言葉にヒビキは伏せた目を慄かせた。顔を上げかけるが、まだその時ではないとぐっと押し留める。

「M2はロードに引かれる性質を持つ。この星園村にロードを一極集中させ、ステルスフィールドを解除させる。今までそれによってロードは人類の目とM2の目を逃れてきたからな。当然、剥き出しの餌場にM2は食らいつこうとする。それをミーティアで迎撃、っていう寸法だ」

 得意げにさえ話す兵隊にヒビキは胸の内から湧いてくるふつふつとした怒りを感じていた。熱が燻り、怒気として発せられようとする。それを直前で抑えて、ヒビキは呟いた。

「……いい作戦だな」

「だろう? ロードなんて異星人なんだ。利用するだけ利用してやる。十五年も人類から逃れ続けた罪は重い。贖罪と思えば安いもんよ」

 兵隊たちはお互いに笑いあった。ヒビキは兵隊たちの装備を目で確認する。アサルトライフルの銃口を下げている。即時射撃モードにはなっていないように見える。すぐに自分に応戦してくる数を視認。恐らくは三人。

「いい作戦だけどさ。あんたら、一つ勘違いしているよ」

 ヒビキがゆらりと立ち上がる。それを兵隊たちは怪訝そうに見ている。警戒はしていない。それを確認して、ヒビキは顔を上げた。

「俺が、馬鹿正直に従うって言う前提が、さっ!」

 呼気と共に畳を蹴りつけ、ヒビキは一番近い兵隊に組み付いた。咄嗟のことに判断の間に合わなかった兵隊の顎へと下段から突き上げた拳を見舞う。もう一人がアサルトライフルを構える前に、ヒビキはバック宙を決めた。足を空中で伸ばし、触手のように兵隊の首に絡みつかせる。着地時の衝撃が手伝って簡単に兵隊の首元を締め付けた。首をひねられた兵隊が倒れ伏す。最後の一人がアサルトライフルを撃ち放つ。ヒビキが弾かれたようにステップを踏む。銃弾が制服を掠め、居間の箪笥に突き刺さる。ヒビキは呼吸を乱さずに蝶のように舞って兵隊へと肉迫した。片腕を突き出し、相手の出方を探る。銃弾の速度など、祖父の拳に比べればほとんど止まっているようなものだった。

 襲い来る銃弾を全てかわし、ヒビキは兵隊の眼前に至った。兵隊がガスマスクの内側から声を漏らす。

「……ば、化け物」

「そりゃ、お互い様だ」

 ヒビキは掌底を叩き込んだ。背骨を割るような一撃だった。機械の服が駆動音を止めるのが聞こえる。兵隊が肺から息を吐き出した。

「奥義、破魂拳。悪い、じィちゃん。免許皆伝じゃねぇけど使わせてもらった」

 もっとも、ヒビキの放った技など祖父に比べれば足元にも及ばない威力だろう。それでも機械の服を停止させるには充分だったようだ。兵隊が膝から崩れ落ちる。これで自分を見張っていた三人を沈黙させられた。ヒビキは兵隊の手からアサルトライフルを取り上げる。しかし、使い方などまるで分からなかった。腰のホルスターに拳銃が収められていたので、それをズボンに挟んでヒビキは家を飛び出した。家の前では二人の兵隊が背中を向けて見張っている。ヒビキはまず右側の兵隊へと飛びかかった。砂利を踏む音が聞こえたのか、兵隊が振り返った瞬間にガスマスクの顔へと膝蹴りを命中させる。倒れ込んだ兵隊の後頭部に先ほど奪った拳銃を押し当てるのと、もう一人がアサルトライフルを構えるのは同時だった。

「穏便にいこうぜ」

 ヒビキは口元に笑みを浮かべて兵隊を立ち上がらせる。膝蹴りが効いているのか、思ったよりも簡単に持ち上がった。ふらつく兵隊を前に突き出して、ヒビキはもう一人の兵隊から距離を取る。

「見張っていた奴らはどうした?」

「のびてるぜ。機械の服を着ているって言っても、大したことはねぇな」

「馬鹿な。腐ってもR機関の戦闘員だぞ」

「何機関だが知らねぇけど、俺はただお前らの言う通りにミーティアを動かすのは御免だってだけだ。こいつの頭に穴が開くのが見たくなけりゃ、大人しく通してくれよ」

 ヒビキは兵隊の後頭部により強く銃口を押しつけた。アサルトライフルを構えた兵隊は舌打ちを漏らす。

「卑怯な。それが異星人のやり方か」

「こっちも似たようなことをやられているんでね。そのお返しだよ、人類」

 ヒビキは兵隊を人質に取ったまま距離を徐々に取っていった。充分に離れたところで、後頭部から銃口を外し、背中を向けて走り出した。アサルトライフルの銃声が鳴り響くが、ヒビキを捉えることはできなかった。ぬかるんだ坂道を駆け降り、目標を目指す。坂道の途中で黒い影が揺らめいた。レイカだった。ぼんやりと空を仰いでいる。ヒビキは取り押さえられることも覚悟で、「退けぇ!」と叫んだ。その言葉でハッと我に帰ったように、レイカが顔を向ける。何かを口に含んでいた。突然ヒビキが現れたことにレイカは狼狽しているようだった。

 好機だ、とヒビキはレイカの前を駆け抜ける。背中に制止の声がかかった。もちろん、従うわけがない。ヒビキは田園の中に不意に浮かんだ異物であるイーグルミーティアを視界に捉える。テントがイーグルミーティアの周りに張られていた。ヒビキはイーグルミーティアへと駆け寄った。背後から追ってきたレイカが、「止まれ!」と声を投げる。それに気づいた兵隊たちがヒビキの存在に気づくもそれは遅かった。ヒビキは地面を蹴りつけ、イーグルミーティアに乗り込んだ。

「コックピットに?」

 レイカが声を上げる。ヒビキはイーグルミーティアの操縦桿を握り、九十度手前に回転させた。すると、コックピットブロックに展開されていた四つの車輪が高速回転し緑色の光を押し広げる。車輪の回転と共に、『キーを解除します』というアナウンスが響いた。重い音が響き、コックピットからイーグル号だけが浮き上がっていく。四輪を展開していたイーグル号が空中で前輪と後輪を成し、バイク形態へと変形を遂げた。ヒビキはフットペダルを踏み込み、アクセルを全開にした。地面に接したイーグル号がいななき声を上げて走り出す。雨のせいで少しスリップしたが、イーグル号の速度は失われなかった。レイカや兵隊たちは呆然とそれを眺めていた。ヒビキにだってコックピットの中で知識を得なければ分からなかっただろう。ロードの技術だ、と祖父は言っていた。走りながら、ヒビキは額を撫でる。まるで烙印のようだった。

 雨の中をイーグル号の赤と銀の車体がすり抜けていく。思い出したように銃声が響いたが、当然届くはずがない。ヒビキとイーグル号は真っ直ぐに学校を目指していた。

「ヨシノがいるんだ。じィちゃんだっている。みんなを助け出すにはそれしかない」

 囮になど使わせるものか。人類の好き勝手になどさせない。今までのように暮らすのだ。星園村でなくともいい。隕石獣に怯えない、穏やかな暮らしができる場所がきっとあるはずだ。ヒビキはせめてヨシノだけでも助け出せればと思っていた。

 校門の前で兵隊が侍っている。エンジン音に気づいて銃口を向けた反応は鈍い。ヒビキは銃弾が撃ち出される前に校門を抜けていた。横滑りになって校舎の前につける。イーグル号から降りてヒビキは真っ先に保健室に向かった。ヨシノは怪我をしているはずだ。当然、治療するのならば保健室にいるはずである。ヒビキは一階の端にある保健室まで廊下を駆け抜けた。保健室の前には兵隊が一人立っていた。ヒビキに気づいて応戦の構えを取ろうとするも、ヒビキが雄叫びを共に突き出した銃口にたじろいだようだった。ヒビキが引き金に指をかける。惑う挙動を見せた相手に、ヒビキは回し蹴りを打ち込んだ。兵隊が廊下に頭を強く打ち付ける。昏倒した兵隊を他所にヒビキは保健室の中に入った。ヨシノはベッドに寝かしつけられていた。

「ヨシノ!」

 ヒビキの声にベッドのヨシノが瞳を開く。

「ヒビ、キ……」

 まだまどろみの中にあると思われる声に、ヒビキはその手を強引に引いた。ヨシノが目を丸くする。

「ここから逃げるぞ」

「逃げるって、どういうこと……?」

 状況を飲み込みきれていないヨシノへと、ヒビキが声を降りかける。

「あいつら、人間たちは俺たちロードを囮に使う気なんだ。この村で今までみたいに暮らすことはできない。だから、逃げよう。じィちゃんたちもイーグルミーティアを使えば逃がしてやれるかもしれない。今は、お前だけでも」

 ヒビキがその手を引いて連れ出そうとするとヨシノが、「待って」と声を上げた。ヒビキは振り返って、「時間がねぇんだ」と言った。

「包囲されればそれまでだし、何とかイーグル号でお前をミーティアまで連れて行かないと」

「だから、待って。ヒビキ」

「どうして! 待ってられねぇよ!」

 駆け出そうとしたヒビキへとヨシノはあくまで冷静な声で、「お願い、よく考えて」と言葉を発した。ヒビキは振り返る。ヨシノはその場から動こうとしなかった。

「どうしたんだよ、ヨシノ。このままじゃ、ヤバイってことくらい……」

「ヒビキ。逃げて、どうするの?」

「どうするって……」

「逃げたって、意味がないんだよ。隕石獣は星園村を標的にしてしまった。ロードであるあたしたちを見つけてしまった。もう安住の地なんてないのに」

「探せばいいだろ。今までだって、十五年も隕石獣や人類の目を誤魔化せたんだ。みんなの力を合わせりゃ――」

「それは間違いだったんだよ、ヒビキ」

 ヨシノの口から放たれた言葉に、ヒビキは硬直した。どういうことなのかと問いかける瞳に、ヨシノは額に手をやって口にする。

「あたしたちは宿命から逃げた。人類に利用されるのが嫌で、何もかもを忘れて理想郷に逃避した。でも、それは結局結論を先延ばしにして、人類も、ロードも苦しめるだけの結果だった。あたしたちはロードなの。故郷を失って、この地を借り受けているに過ぎないんだよ」

「そんなの、人類だって同じだろ。地球が人類の物だって証拠はないじゃねぇか。俺たちが借り受けているのなら、人類だって」

「それでも」

 ヨシノは強い口調で言った。その言葉にヒビキは気圧されるものを感じた。

「それでも、あたしたちは後から来た存在。先にこの星に居ついていた人類を追い出すわけにはいかない。それこそ侵略者だよ」

 侵略者。その言葉に今朝からの人類の行動が反芻される。その時の自分の気持ちも同時に思い出されて、あのようなことを平気な思考で行えるわけがないと思う。ヒビキが目を伏せながら、「でも」と口にする。

「俺らには関係ないだろ。前の世代の因縁だ。星園村で育った俺たちには関係ねぇよ。そうだろ?」

 ヒビキの確認する声に、ヨシノは首を横に振った。ヒビキは声を押し被せる。

「逃げよう、ヨシノ」

「できない。あたしはロードだから」

「そんなのもう、関係ないだろ」

「関係あるよ。ミーティアに乗った時、全部分かった。ヒビキだって分かったでしょう? ロードの宿命」

 隕石獣に狙われ続ける血筋。滅びを免れない種族。そのことを言っているのだろうか。しかし、だからと言って人類に利用されていい道理はない。ヒビキは頭を振った。

「宿命とか、そんなの分かんねぇって! いいから、ヨシノ。俺たちだけでも」

 強く引こうとしたその手をヨシノは振り解いた。ヒビキは空を切った手を彷徨わせる。

「……ヨシノ」

「できない。あたしはロードだから」

「そんな。そんなのってねぇよ」

 ヒビキは今にも倒れそうだった。くらくらとする頭を押さえながら、ヒビキはよろめく。ヨシノの眼を見つめる。自分と同じ、赤い瞳。額には刺青がある。ロードの刻印。その種族のさだめを背負った証。

 ――でも、俺はロードじゃない。

 ヒビキは目元に手をやった。後ずさりながら、ヨシノへと最後の呼びかけをする。

「逃げよう」

「駄目。できないよ」

 ヨシノはシーツを強く握り締めた。それが決定的な隔たりだった。自分には人類という逃げ道が用意されている。しかし、ヨシノにはそれがない。純粋なロードであるヨシノには自分たちの種族に帰属するしかない。その宿命を背負って生きていくしかない。

 ――じゃあ、自分は?

「俺は、どうすりゃいいんだよ。ロードじゃないんだ。俺は……」

 叫び出したいのを必死で堪えて、ヒビキは保健室から駆け出した。それは逃げだった。ヨシノに対するものと、自分に背負わされた宿命に対するものだ。薄暗い校舎の外に出て、ヒビキは雨に濡れたイーグル号に跨ろうとした。しかし、校舎から出て来たヒビキを待っていたのは眩い照明の嵐だった。ガン、と重い音が響いてヒビキの網膜を刺激する。ヒビキは手を翳してその光を遮った。逆光に浮かんだ黒い影が映る。雨合羽を羽織ったレイカだった。

「諸星ヒビキ。貴様は、何をしているのか分かっているのだろうな」

 レイカの周囲には既に兵隊たちが展開していた。アサルトライフルの銃口が一斉にヒビキに向けられる。ヒビキは拳を握り締めた。

「……逃げることも許されないってのかよ」

 レイカがヒビキへと歩み寄ってくる。ヒビキは流連式柔の構えを取った。「少尉、危険です」と兵隊が制そうとするが、その声に片手を上げて返す。

「いらぬ心配だ」

 レイカは片手に拳銃を握っていた。ヒビキも手に拳銃がある。

 ヒビキが銃口を向けると、レイカも銃口を向けた。両手でグリップをしかと握り締めているヒビキに対してレイカは片手ですっと上げただけだった。それだけでも技量の差が歴然としていた。ヒビキは素手での闘いならば機械の服を着込んだ兵隊を相手取れる自信があったが、銃の扱いとなれば素人だ。自分でも安全装置すら解除していないことに気づいていない。引き金を引けば、銃弾が出ると思い込んでいた。

「退けよ」

「断る。貴様は責務を放棄しようとしているのだぞ」

「責務なんて知るかよ。俺はただ平和に暮らしたかっただけだ」

 欠伸が出るほどに平和だった日々が今は輝かしく映る。安穏と日々を過ごしたい。できるならば大切な人と共に。しかし、大切な人とは決定的な隔たりがあることが分かってしまった。今のヒビキは進むことも退くこともできない迷子だった。

「それは人類とて同じだ。貴様は、人類も、ロードも見捨てて平和に暮らしたいと言うのか?」

「そうだよ。何が悪い」

「それは怠慢だ」

 レイカが怒りを宿した口調で言い放つ。逆光で表情がよく見えないが、恐らくは睨みつけているのだろう。

「人類もロードも見捨てて、貴様は何になろうと言うのだ。どちらも救える唯一の身でありながら、それを捨て去って貴様はどうする?」

「どうもしねぇよ。ただ、生きていたいだけだ」

「それが怠慢だと言っている。ただ目的もなく生きることなど、人間にはできない」

「俺は人間じゃない」

「ではロードとしてか? だとしても、貴様の祖父が許すと思うか?」

 その時、背後に気配を感じてヒビキは振り返った。

 そこには祖父が立っていた。厳しい眼差しをヒビキに向けている。

「じィちゃん、俺は、俺は」

 泣きそうな顔でヒビキは声を詰まらせる。祖父は僅かに顔を伏せた後、一言だけ口にした。

「許せ」

 その言葉が耳に届いた時には、祖父の姿が掻き消えて眼前にあった。ヒビキの腹部へと鋭い一撃が放たれる。避けることも、それに備えることもできなかった。よろめいてヒビキは闇に落ちそうな視界の中で呻く。

「……どうして、なん、だよ。俺は……」

 ただ平和に生きたかっただけだ。その言葉が口をついてでる前に、ヒビキは倒れ伏した。雨でぬかるんだ地面がヒビキの身体を受け止める。背中に雨粒が針のように刺さった。まるでヒビキを責め立てるように、無慈悲に降り続いていた。


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