♯12 赤い血の持ち主
肩を掴んだせいで血が指先についていた。ロードの血だ。レイカは衛生兵に任せようかとも思ったが、その血が人間と同じ赤い血であったことに驚いていた。
「ロードも、赤い血の持ち主か」
口から発してみても同類とは思えない。思いたくなかった。ハンカチを汚すのも嫌なレイカは兵の一人を呼んだ。
「血がついた。もしものことがある。拭ってほしい」
呼ばれた兵は命令通りにガーゼを取り出して血を拭った。消毒液の臭いが鼻をつく。跡形もなく血の跡は消えていた。
「ご苦労。任務に戻れ」
「は」と短く返礼を寄越して、その兵はレイカとは入れ違いに走って行った。肩越しに振り返って、田園に不時着した機体を見やる。懐から端末を取り出して十五年前の資料と照らし合わせる。
「対M2兵器ミーティア。そのトップパーツか。トップパーツはロードの技術の結晶。我々は手伝いをさせられたに過ぎなかった」
林原が言っていた概要を頭に呼び出してレイカはミーティアを見つめる。先ほどの状況を思い返した。
バイクであの少年が道場に飛び込んできたかと思うと、バイクが可変し、コックピットブロックを形成した。道場ごと崩れ落ち、カタパルトとミーティアが飛び出したのは悪い冗談に思えたが事実だった。ロードの長の声がなかったら、自分たちは道場の下敷きになっていたところだ。
レイカは田園を歩く。風が草いきれの匂いを含んで吹き抜ける。都心部では感じられなかった風だ。これをロードが独占していたと思うと脳髄が焼け爛れるような怒りを感じる。人類を積装の下に追い込んでおいて、自分たちはのうのうと自然を享受していたというわけだ。
わき道を護衛の兵たちと歩きながら、レイカは景色を見やる。どこまでも広がる緑の園。百年以上前の日本の風景だ。ライブラリーでしか見たことのないような風景の中に今、自分が立って歩いていることが半ば現実離れしているように思えた。記録映像の中に不意に映り込んだノイズのようだ。
「すごいですね。この景色」
兵の一人が口笛を吹く。それを咎める気になれなかったのは、レイカとて同じ気持ちだったからだろう。山脈で囲まれた盆地。ぬるい風が地面を這っていく。積装の下では、味わうことのできない感覚だ。
レイカは学校まで歩いた。その学校というものさえ、レイカたちの常識とは違う。特殊炭素素材で作られた、建物全体で太陽光発電をするように設計された建築物ではない。何のてらいもない、鉄筋コンクリートの白い建築物だった。狭いがグラウンドがあり、二階建てである。
「まるで映画のワンシーンにいるみたいだ」
兵の一人がそう発言した。レイカが目を向けると、兵は顔を伏せた。失言だと感じたのだろう。
「その通りだな」
レイカはそう言って、学校へと歩みを進めた。先遣隊は殺されてはいなかった。学校の使われていない教室で縛られて放置されていた。彼らは今、職員室の見張りについている。レイカを認めると挙手敬礼をした。レイカは返礼を投げる。
「どうか」と声をかけると、「は」と男はきびきびとした動きで職員室を示した。
「ロード八十体全員は職員室に収まらなかったため、主要ではないロードは他の教室に収容してあります」
主要ではない、というのはロードの老人のことだった。驚いたことに村のほとんどのロードが老人だった。足腰も立たぬ者から、介助が必要な者まで様々である。無理に動かすこともできなかったが、一箇所に集まらせて管理する必要があった。それに最適だと考えたのが学校だった。今回の特務部隊三十名をフル動員してようやくロードを学校の一箇所に収めることができた。
「では、主要なロードは何体か」
「二十体にも満たないかと。治療を受けているロードもいますが」
先ほど自分が撃ったロードだ。我が身のことながら一時の感情に身を任せてしまったことが悔やまれる。レイカは額に手をやった。その様子を察したのか兵が、「申し訳ありません」と謝った。
「失言でした」
「いい。事実だ。私はロードの長と話がしたい。今、職員室にいるか?」
「武器も持たずに話すのは危険かと存じますが」
「相手とて丸腰だ。もっとも、ロードの戦士はこちらの十人とほぼ同じ戦力と考えれば、足りないくらいだがな」
兵たちが視線を交わし合った。皮肉を言うつもりはなかったのだが、逼迫した状況下で平和ボケした兵の横っ面を叩くにはこれくらいの言葉が上等だ。
「では護衛をいたします」と兵たちがついてきた。「三人程度でいい」とレイカは返した。
兵が扉を開ける。その扉も百年前に主流だった引き戸だ。自動ですらない。レイカは職員室に踏み込んだ。職員の机が固まって並んでおり、ロードたちは机の周囲にいた。その中には先ほど自分が撃ってしまった少年のロードがいる。まだ幼い子供のロードもいた。家族らしい固まりもある。
――異星人が家族ごっこなど。
レイカは胸中で毒づいた。自分たち人類とて家族の存続には必死だというのに、このような農村でのほほんと暮らしていることが許せなかった。
少年のロードが自分を睨む。レイカはその視線を受け止めた。二人ほど先遣隊の兵がアサルトライフルを手に見張っているが、彼らは潜入してやられた人間だ。今さら彼ら程度の存在が脅威になるとは思えなかったが、ロードたちは大人しくしていた。それが逆に不気味にも映る。レイカが歩み寄ると、少年のロードが仲間たちを保護するように前に出る。それを見たレイカが、ほうと声を上げた。
「仲間意識でも」
「人類だって、大切な人を守りたいはずだ」
「ロードと人類の価値観は違う。それに貴様がいては邪魔だ。私はロードの長と話がある」
少年のロードの腕を一人の老人のロードが引かせた。立ち上がり、「会談の続きか?」と尋ねる。
「名を名乗ってもらえますか」
「諸星ゲンジロウという」
「諸星家の苗字を継いでいるのですか」
「そういうお主は天月家の人間だな。あれがよく話に出していた」
ゲンジロウの発した声にレイカは苦い顔をした。天月家と諸星家の話は自分もよく父親から聞かされていた。レイカは似合わぬ感傷が胸を掠めそうになったが、それを断じて言葉を口にする。
「ロードとしての名は?」
「人類と共存する上で捨てた。帰化人と同じだ」
「随分と簡単に誇りを捨てるものですね」
その言葉に少年のロードがいきり立って反発しようとしたが、ゲンジロウが手で制した。
「名前など誇りでも何でもないよ。ワシらは人類にとっては災厄の種を蒔きに来た疫病神だからな」
レイカはゲンジロウの目を見据えた。嘘は言っていない目だ。本当にそう思っているのか。だとすれば、ロードは思っていた以上に人間らしいことになる。しかし、心の奥底ではそれを認めたくなかった。侵略者たるロードが人類以上に人類らしいなど、悪い冗談にも程がある。
ゲンジロウも真っ直ぐにレイカの目を見ていた。その眼差しを深く見つめれば、自身の深淵にある歪みを覗き込んでしまいそうな気がして、レイカは視線を逸らした。
「あなたの孫である諸星ヒビキを拘束しました」
レイカの言葉にゲンジロウは冷静に、「ふむ」と返した。
「それが妥当だろうな。人類からしてみれば、ミーティアを動かせるヒビキは脅威にも映ろう」
「憤らないのですね」
レイカにとってそれは意外なことだったが、ゲンジロウは当たり前のように顎に手を添えて返す。
「当然のことには当然のように対処する。あれはまだ何も知らん。未熟者だ。パニックを起こして何かしでかすよりかは拘束するほうが無難だと感じたまでだ」
レイカは僅かに目を伏せた。やはりロードと人間は違う。人間ならばもっと感情的になる。ロードは合理的だ。少なくともゲンジロウのあり方はそう見える。その時、「だが」とゲンジロウは声を低くした。
「ヨシノちゃんが一緒に乗っておったろう。まさか彼女には何かしたのではあるまいな」
レイカが驚いて目を見開いていると、ゲンジロウはぞっとするような暗い瞳でレイカを射抜いた。
「もし、彼女に何かしたその時には、ロードの戦士としてお主らを殺すことも辞さん」
殺気を帯びたその声が肌を粟立たせる。思わず膝から崩れ落ちそうになる。レイカは身のうちから湧いた動揺を押し殺すように、「もちろん、何も」と応じた。肩に怪我があったが、ロードの治癒力は人間よりも高い。すぐに塞がることだろう。
「ならばいい。それで、ワシに何を望む? この老いぼれができることは少ないぞ」
「まずはステルスフィールドの解除を。そして真実を諸星ヒビキに話してもらいます」
「結界は解除できん。あれがなくなれば隕石獣は真っ先にこの村を捕捉するだろう」
「あなたは日本近辺や周辺各国にどれほどM2が落ちているかご存知ですか?」
その話題にゲンジロウは返事に窮した。この閉鎖的な村にいれば周囲の状況など耳に入ってくるはずがない。
「日本にも三年に一体、落ちてきているのです。この非常事態において最も有効な手段であるミーティアをあなた方は十五年も隠し立てしていた。この罪はそうそう拭えるものではありません」
「贖罪のために、この村を生け贄に捧げろというのか」
ゲンジロウがぎろりと睨む目を向ける。レイカは気圧されまいとその目を見返した。
「この村を対M2の防衛拠点とします。そのためにはステルスフィールドの存在は邪魔なのです。空からこの村を確認できない。物資の輸送もままならない状況ではM2に対抗できません」
「随分と勝手な物言いだな。当たり前のようにワシらの居場所を奪っていく」
「ここは日本の領土です。あなた方こそ、勝手に我が国で十五年も安穏と暮らしていたことを恥じるべきなのでは」
お互いに譲る気のない言葉が飛び交い、ゲンジロウは何度か口を開きかけたが、やがてため息を一つついた。
「水掛け論だな」
「そうですね」
「よかろう。霧島先生」
呼びかけられたロードの青年が腰を浮かせる。額にCの刺青があった。
「大人たちは御神体の移動を頼む」
「しかし結界がなくなれば、星園村は――」
「最早、無関係を決め込める段階ではないということだ」
その言葉に霧島と呼ばれたロードが立ち上がり、二人ほど連れ立って歩き出した。
「三人つけろ」とレイカが命令すると、彼らの後ろに兵がついていった。三人でも不十分かもしれない。
「それでワシか。ヒビキはどこに?」
「ミーティアが出現したあの家に誘導しているはずです。これから向かってもらいます」
「よりによって、家で話さねばならぬというのか」
ゲンジロウが顔を伏せる。後悔の念があるのだろうか。それを読み取る前に、「よかろう」と顔を上げた。
「ここにいる皆の無事の保障は」
「もちろん。傷一つ負わせません」
言外に大人しくしていれば、と付け加えた含みのある口調だった。ゲンジロウはそれを察したのか、ロードの少年へと振り向いて言葉を降りかける。
「ケイイチよ。決して、抵抗してはならん。命は投げ出すものではないのだからな」
その言葉にロードの少年は少し戸惑ったような顔を向けたが、やがて首肯した。
「では、諸星ゲンジロウ殿。来ていただきます」
誘導しようとレイカが兵に命令を出すと、「いらん」とゲンジロウが断ずる声を出した。
「自分の家だ。自分で帰る道くらい分かっておる」
ゲンジロウは歩き出した。兵たちが困惑して不安げな眼差しを交し合う。レイカはその後について行った。
ゲンジロウの背中を見やる。しゃんと背筋を伸ばし、何も恥じ入る事はないとでも言いたげな背中だ。まるで父親のようだとレイカは少しだけ感じたが、すぐにその感想を打ち消した。