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♯11 イーグルの鼓動


 ヒビキはいつものように外回りの職務をこなしてから、学校へ向かおうとした。しかし、道中で突然、見たことのない服を着た影に遮られた。

「危ねっ!」と声を跳ね上げさせて、ヒビキはブレーキをかけた。イーグル号が制動のタイヤ痕を舗装されていない道路に刻みつける。砂利が跳ね、土煙が舞った。背中に掴まっているヨシノが短い悲鳴を上げた後、「どうしたのよ!」と抗議の声を上げた。ヒビキは顎でしゃくる。ヨシノは影の存在を認め、息を詰めたようだった。

 影は一人ではなかった。後ろに二人、前に三人だ。全員、妙な服を着込んでいるようだった。ヒビキの鼓膜は服の内側から聞こえる甲高い音に気づいた。まるで蚊の羽音だ。耳障りな音が五人の人間全員から発せられていた。

「お前ら、何だ?」

 尋ねる声に、影たちは言葉を返さなかった。顔はガスマスクのようなもので覆い隠しており、表情は窺えない。黒い機械の服に身を包み、肩からアサルトライフルを提げている様は、どこからどう見ても普通ではなかった。

「どこからそんな玩具を仕入れてきた? 悪ふざけもたいがいにしろよ。大人に叱られるぜ」

 ヒビキは最初、これが何かのショーかと思った。春の祭りを前にしたサプライズだと考えたのだ。笑って誤魔化そうとしたが、誰一人として笑わなかった。アサルトライフルが構えられる。

「ロードが」

 影のうちの一人がそう口走った。ロードとは何だ?

「何言っての? ロードって何? 道のこと? ああ、それなら俺はいつもこの道を通っているけど、誰にも怒られたことはないよ?」

 ヒビキが視線を落として道を示す。タイヤのブレーキ痕が黒く刻み込まれているのを見て、首を傾げた。

「ありゃ、ちょっと傷つけちまったか。でも、お前らの私有地じゃないだろ。こういうのは大人が決めるもんだ」

 腕を組んでそう言うと、影の一人が肩を揺らした。笑っているのだと知れて、ヒビキも笑みを零した。ヨシノも併せるように笑う。奇妙な笑いの空間が場を支配した。

「……ふざけるなよ、異星人」

 喉の奥からの怒りの声が発せられ、ヒビキは身のうちから凍りついたのを覚えた。思わず、フットペダルを踏み込み、アクセルを全開にする。いななき声を上げたイーグル号が反転し、影の集団を突っ切った。アサルトライフルが火を噴く。何かがイーグル号の背後の地面で弾けた音を聞いた。

「何? 何なの?」

「舌噛まねぇようにしろ! あいつら、ヤバイ!」

 ヨシノに大声で返して、イーグル号の速度を上げる。坂道を全力で駆け上っていくイーグル号へと追いすがるように銃弾が掠める。

「いや! 何? あたしの肩に……」

 ヒビキは背後を窺った。ヨシノの肩口に穴が空いていた。黒々とした穴に目が吸い込まれそうになる。その穴から決壊したように血が溢れ出した。赤い血だ。ヨシノの顔から血の気が消える。その手が緩みかけたのを感じてヒビキは呼びかけた。

「ヨシノ! 手ェだけは離すんじゃねぇぞ!」

 その声にヨシノの身体が反応する。ヒビキの背中へとほとんど負ぶさる形でヨシノが掴まっている。このままではまずい。ヒビキは肩越しに視線を向けた。連中は銃弾を撃ってくる。イーグル号が少しでも減速すれば狙い撃ちにされるのは必至だった。

「……分からねぇ。俺にも分からねぇよ」

 ヒビキは小声で呟いた。ヨシノに聞こえれば不安の種を膨らませることになるだろう。

 ――今は逃げなければ。

 その思考にヒビキはさらに速度を強めた。元来た道を戻って、家へと向かう。ヨシノの家は自分の家の隣だ。ようやく自分の家が見えてくる。助かった、という安息に浸る前に、引き裂くような音が鳴り響いた。銃声だ。ヒビキはイーグル号を止める。急ブレーキをかけて、銃声の聞こえてきた道場を見やった。道場から先ほどの連中と同じ、黒い機械の服を身に纏った人間が出て来た。

 ヒビキは即座に祖父のことを心配した。

「じィちゃん!」

 イーグル号へと前進の命令を下す。イーグル号がエンジンの鳴き声を鋭く上げて、道場から出て来た連中を突き飛ばした。猛禽のような車体が滑り、道場の中に目を向ける。

 手前に同じ装備をした人間三人と、その前に立つ女が目に入る。しかし、ヒビキの視界にそれよりも鮮烈に焼きついたのは道場の中央に蹲るケイイチとゲンジロウだった。ケイイチの腹部が赤く濡れ、血が滴っている。女がヒビキへと視線を向けた。拳銃を持っている。女自身も信じられないような顔をしていた。しかし、今はそのことよりも身内が傷つけられた怒りが勝った。ヨシノだけではなく、ケイイチまでも。怒りで思考が沸騰し、ヒビキは喉から叫びを発した。

「てめぇら!」

 アサルトライフルを構えかけた一人へと、ヒビキはイーグル号の前輪を持ち上げて薙ぎ払った。車輪がガスマスクを打ち据える。よろめいた一人を突っ切って、道場の中へとイーグル号に乗ったまま踏み込んだ。ブレーキ痕を道場の床に刻みつける。ケイイチと祖父を守るように横付けにした。

「じィちゃん! ケイイチも大丈夫か?」

「……余計な心配は、するな」

 ケイイチが息も絶え絶えに言葉を発する。ヒビキは、「ヨシノも撃たれてんだ」と祖父に言った。

「早く手当てを。あいつら何なんだ?」

 血の気が引いているヨシノへと目配せして、道場の入り口で固まっている連中に目を向ける。

「人類だ」

 発せられた言葉の意味が分からなかった。ヒビキが振り向くと、祖父は今までにない硬い声で口を開いた。

「ヒビキ。神棚までイーグル号で突っ走れ。そこにお前の手に入れるべきものがある」

 祖父が道場の奥にある神棚を顎で示す。ヒビキは困惑したように口にした。

「でも、神棚は神聖だから触るなって。それにイーグル号で突っ走るなんて」

「いいからやれ。今は人類にも、ロードにも渡してはならん。お前の親父の形見だ。行け」

「親父の……?」

 祖父が立ち上がり、イーグル号の前に立つ。ケイイチも並び立った。二人を守るつもりだったのに、二人は逆にヒビキを守るように前を向いている。

「……じィちゃん。ケイイチ」

「行けよ。僕じゃできない。でも、お前ならできるんだから」

 ケイイチの含んだ声にヒビキは戸惑いながらも頷いた。この二人は何かを託そうとしている。それが分かった。ヒビキは道場の床で反転し、神棚へとイーグル号を走らせた。

「いけない!」と連中の前方にいる女が叫ぶ。

ヒビキは前輪を上げて、神棚へと突っ込もうとした。

その瞬間、妙な浮遊感が襲った。前輪だけではなく、後輪も浮き上がり神棚へとゆっくりと降り立った。降り立つ直前、車輪が拡張したかと思うと、前輪と後輪が割れた。四つに展開した車輪がそれぞれ回転し、緩やかに神棚を押し潰す。ヒビキには何が起こっているのか分からなかった。四つの車輪が神棚の床に接したかと思うと高速回転を始める。神棚の床が砕け、半透明の膜がイーグル号を覆った。ヒビキに向けてアサルトライフルが放たれる。しかし、弾き出された銃弾は半透明の膜を跳ねた。ヒビキは膜の表面に手をついて、呼びかける。

「じィちゃん! これは何なんだよ! イーグル号が変形して――」

言葉尻を裂くように膜の内側が暗くなった。突然の暗闇にヒビキは戸惑った。しかし、その暗闇は五秒も続かず、何かが膜の内側に浮かんだ。映像のようだった。幾つもの文字が忙しなく浮かび上がり消えていく。日本語と知らない文字との混合だった。四つの車輪が回転し、緑色の光を押し広げる。漆黒が薄れ、次第に景色が明瞭になっていく。膜を引き剥がすように視界が開けた。何が起こっているのか、徐々に身体が斜めに固定されていくのを感じる。イーグル号を包んだ膜そのものが移動しているのか、判然としない頭へと不意に情報が吹き込んできた。嵐のような情報が疼痛となって襲いかかる。ヒビキは思わず呻き声を上げた。知らない文字の羅列が羽虫のように這い登り、ヒビキは自分の内側から別のものに作り変えられていくのを感じた。

「……何だ、これ。分からない。知らないはずなのに」

 ヒビキは顔を片手で覆って叫び声を上げる。身体が勝手に動いて浮かんでは消えようとする物体を操作する。「拡張ウィンドウ」だという情報が入ってきて、ヒビキは直接触れて文字の意味を汲み取った。先ほどまで全く知らなかった文字がどうしてだか読めるようになっていた。

「これ、イーグル号が鍵なのか」

 ウィンドウの中に状態を示すウィンドウを呼び出す。ヒビキは翼竜のような模式図を見た。翼竜の尻尾が異常に発達してクジラの下半身のようになっている。それこそが今、自分の搭乗している機体の姿だと理解した。名前が上書きされるように表示される。見たことのない文字だったが、読めた。なぞるように文字列に触れる。

「イーグル、ミーティア……」

 分かる。それがこの機体の名前だと。ヒビキはハンドルを握った。九十度回転させ固定する。前方から赤い光が目元に放射された。ハンドルを握る手にも同じような光が放射される。何かを確認しているようだ、とヒビキは思った。正面ウィンドウに知らない文字で、『認証完了』と表示された。無機質なアナウンスの声が膜の内側で響く。

『遺伝子情報の一致を確認。対象を諸星ダンと認定。対象言語を日本語に固定します』

「諸星、ダンだって……?」

 それは父親の名前のはずだ。そう言おうとするヒビキの言葉を遮るように、重い音が響き渡った。

『隕石獣の接近を確認したため、カタパルトに固定。発進シークエンスを開始。火器管制システム、オールグリーン』

 ウィンドウが浮かんでは消える中で不意に大空が映った。ヒビキが目を細めていると、カウントダウンが開始される。

「どうなってんだ、これ。じィちゃん!」

 ヒビキの脳内で情報が錯綜する。新たに分け入ってきた情報が今までに積み上げてきた情報を圧迫し、存在を主張する。

「イーグルミーティア、発進」

 情報の海の中に浮かんだその言葉をそのまま口にした。瞬間、胃の腑を押し潰さんばかりの重圧が圧し掛かってきた。眼球が飛び出しそうになる。ヒビキは奥歯を噛んでそれに耐えた。その時、背後で悲鳴が響いた。

「ヨシノ!」

 ヨシノを乗せていることをすっかり忘れていたヒビキは振り返る。ヨシノはヒビキの背中に掴まって声を響かせた。

「何なのよ、これ!」

「分からねぇって!」

 叫び出したい衝動に駆られたのはこちらのほうだ。ウィンドウの中に高度計が呼び出される。高度が見る見る間に上がっていく。

「……どこまで行くんだ」

 その声に、不意に重圧がやんだ。ヒビキが落ち着いて周囲を見渡す。しかし、周囲は無辺の闇で包まれていた。故障か、とヒビキが膜を軽く叩くと、いきなり膜の内側が明るくなった。星の輝きが補正された情報として浮かんでいる。

「まさか」とヒビキは背後へと振り向いた。ヨシノも同様に振り返り、息を詰まらせた。ヒビキは喉に唾を飲み下す。

 背後にあったのは地球だった。学校で教わった通り、青い惑星が赤茶けた大地を広げて視界に大写しになっている。

「……綺麗」とヨシノが声を出した。ヒビキは、「うん」と頷いてから、この場所がどこなのか察した。

「ここは宇宙空間なのか?」

 ヒビキの声に応じるようにアナウンスの無機質な声が聞こえる。

『第一宇宙速度を突破しました。隕石獣との交差ポイントに入ります』

「隕石獣ってのは何なんだ? 何のことを言っている?」

 その質問に応じる声はなく、代わりのように情報の津波が脳内に押し寄せてきた。瀑布のように広がった映像が網膜の裏でちらつく。

「今の、何……? あたしの頭の中に急に何かが入り込んできて」

 ヨシノも頭を押さえていた。ヒビキは額に手をやって、「ああ」と呻く。

「どうやら俺たちの頭の中に直接情報を叩き込まれたらしい。隕石獣、シェルド型。それが今近づいている奴なんだな」

 応じる代わりにウィンドウが開き、隕石獣と交差するまでの秒数が刻み込まれた。

「残り百三十秒。決断するには短過ぎる」

 ヒビキは宇宙の常闇の中に青白い光を見た。彗星のように見えたが違う。青白い何かは動いている。ヒビキが目を凝らすと、自動的に拡大化されたウィンドウの中にそれが映し出された。それを見た瞬間ヨシノが、「いや」と目を逸らした。

 それは深海の生物のような威容をしていた。下腹部から腕が伸びており、扁平な頭部を盾のように翳して身を守っているようだ。ぎょろり、と赤い眼がヒビキを捉える。鼓動が大きく脈打ったのを感じた。これは恐怖の感触だ。

「あれが、隕石獣」

 シェルド型、と文字が浮かび上がり、「最適な武器を模索中」という表記に上塗りされる。

「武器? イーグルミーティアには武器が?」

 模式図が浮かび、右側から突き出された腕部が示される。針のように尖っていた。ヒビキは右側を見やる。膜越しに白亜の腕が見えた。接続されている灰色の武器が見える。眼前にウィンドウが表示され、ヒビキは僅かに身を引いた。その言葉を読み取る。

「ソウル、ブレイカー……」

 次にその表示が赤色光で塗り潰された。

「残弾三? たったの三発しかないってのか?」

 ヒビキが戸惑う声を上げている間にも隕石獣との距離が縮まっていく。ヒビキは背後のヨシノを見やった。ヨシノも不安げな眼差しを自分に送っている。押し潰されそうなほどに不安なのは同じだ。しかし、自分には状況を打開できそうな力がある。

「ヨシノ、少しだけ耐えてくれ。目、瞑っていてもいい。これから自分でもよく分からない勝負をする」

 ヒビキはハンドルを握り締めた。フットペダルを踏み込み、イーグルミーティアの機体がそれに従って隕石獣へと猪突する。先ほど流れてきた情報の中に操縦の方法はあった。基本はイーグル号を動かすのと同じだ。

「基本は同じ、基本は同じ」と口中に繰り返して、青い尾を引く隕石獣を視線に据える。隕石獣が腕を広げた。てかてかした赤い眼がヒビキを睨みつける。ヒビキは負けじと喉の奥から雄叫びを発した。

「奥義、破魂拳!」

 祖父が使う流連式柔の技が口をついて出た。ソウルブレイカーの切っ先が隕石獣に突き刺さる。隕石獣の柔らかい横腹へと鋭い刃が刺さった瞬間、ヒビキはフットペダルを限界まで踏み込んだ。

 イーグルミーティアの背部推進剤が焚かれ、隕石獣を押し出す。隕石獣が赤い眼を向け、腕を伸ばす。膜の内側が激震し、ヨシノが悲鳴を上げた。

「こんの――」

 右手のハンドルについているトリガーを引く。瞬間、ソウルブレイカーから何かが撃ち出された。隕石獣が内側から膨れ上がる。扁平な頭部が弾け、緑色の血潮が舞い散った。ヒビキは思わず手を翳す。血液がかかるかと思ったからだ。しかし、緑の血は膜の外側で留まった。どうやら膜の内と外ではしっかりと区分が成されているらしい。隕石獣の腕がイーグルミーティアを掴む。模式図のコンディションが黄色へと変化した。ヒビキは矢継ぎ早に引き金を引いた。

「砕けろォ!」

 ソウルブレイカーから撃ち出された何かの効力か、隕石獣が風船のように膨らんで次の瞬間、一挙に弾け飛んだ。ソウルブレイカーがボロボロと崩れ去る。模式図に示されていたソウルブレイカーの表示が赤に変わり、直後にはグレーに塗り潰された。隕石獣と共にソウルブレイカーは砕け散り、ヒビキは右側に目をやった。灰色の手が見える。巨人の手だ、と意識したヒビキは赤く染まっていく白亜の機体を見て慄然とした。

「推力が、落ちている」

 ヒビキはフットペダルを踏み込んだ。しかし、これ以上推進力が上がってくれる気配もない。隕石獣は倒したというのに、このまま墜ちる。わけも分からぬまま。ヒビキはハンドルを引いてフットペダルを踏んだ。しかし、うまく動いてくれない。

「どうなっているんだよ」

 その声に応じるように、ウィンドウが開いた。「帰投燃料保持のためにセーフモードに移行」と書かれていた。

「つまり、動かないってことかよ」

 ヒビキは赤く包まれていく視界の中で絶望的に呟いた。

「ねぇ、ヒビキ。どうなるの、これ」

「分からねぇよ。俺には、何も……」

 ヨシノを心配させまいとする意思よりも、状況に振り回されてわけが分からないという気持ちが勝ってしまった。

イーグルミーティアが真っ逆さまに落ちていく。赤茶けた大地がすぐさま広がり、イーグルミーティアが大気圏を突破する。ガタガタと膜の内側が激しく揺れて、ヒビキはハンドルを握るので精一杯だった。

その時、視界に大写しになったのは奇妙な光景だった。見た目は山脈に囲まれた緑地だ。しかし、妙なのはその緑地が浮き上がって見える点だった。まるでドームのように映像が囲っている。映像のドームへとイーグルミーティアが突っ込んだ。

――墜落した、と感じたが衝撃は訪れなかった。ヒビキは背後を振り仰ぐ。青空が見えていた。地表まではまだ距離がある。

「今のは……」

 呟いた声に、突然の声が耳朶を打った。

『ヒビキ、聞こえるか?』

「じィちゃん。どうなっているんだよ、これ」

『説明している時間はない。恐らくイーグルミーティアはセーフモードに入っただろう。操縦桿を下に向けて引いてフットペダルを限界まで踏み込め。そうすれば不時着姿勢に入れる』

「待ってくれ、じィちゃん。俺が知りたいのはそういうことじゃなくって――」

その言葉に答える前に通信が途絶えた。ヒビキは間近に迫った地表を見る。轟、と空気の割れる音が響いた。宇宙から戻ってきたのだ。

「やるっきゃ、ないってのかよ」

 ヒビキは祖父の言った通り、ハンドル――操縦桿を引き下げ、思い切りフットペダルを踏み込んだ。

 瞬間、姿勢を崩していたイーグルミーティアが全身から姿勢制御バーニアを噴かして、機首を持ち上げた。クジラのような背部推進剤が直角に折り畳まれ、イーグルミーティアの姿勢を地面から並行に制御する。一度推進剤を焚いただけで、イーグルミーティアの機体は持ち上がった。

 模式図の中で折り畳まれた背部推進剤が元の状態に戻っていくのを確認する。

 田園が視界に大写しになり、ヒビキは思わず、「衝撃が来る。ヨシノ、気をつけろ!」と叫んでいた。

 その言葉が消えぬうちに腹の底に響く激震が膜の内側を見舞った。イーグルミーティアが田園を滑ってガタガタと揺れる。泥が弾け飛び、白亜の機体を汚す前に飛び散っていった。

 永遠とも思われた一瞬、ヒビキは膜の内側に、「不時着完了」という文字が表示されているのを見た。揺れが収まり、ヒビキは背後のヨシノを見やった。ヨシノはどうやら気絶しているようだ。ヒビキにもたれかかっている。ヒビキはしばらくイーグルミーティアの膜の中にいた。その時、視界の片隅に何かが貼り付けてあるのを発見した。ヒビキはそれを剥がして手に取る。それは一枚の写真だった。微笑んでいる女性の写真だ。赤い眼をした女性で黒髪である。額に逆三角形の刺青があるのを見てヒビキは、「まさか」と呟いた。

 その瞬間、二、三度銃声が轟いた。イーグルミーティアの外だ。ヒビキはイーグルミーティアに開くように促した。膜が開け、緑色の風が吹き荒んだ。雨の前の風だ、と思いながら立ち上がると、機械の服を着込んだ連中がイーグルミーティアを包囲していた。その中で歩み寄ってくる一人の影が見える。黒い長髪の女だった。風になびく髪をかき上げ、女は手にした拳銃をヒビキに向けた。

「この機体は我々人類の物だ。返してもらおう、異星人」

 女の声にヒビキはわけも分からず両手を上げた。異星人とは誰のことを言っているのか。隕石獣は倒した。ここには異星人などいないではないか。それらの疑問を解き明かすことはできずに、ヒビキはイーグルミーティアから降ろされた。後頭部に両手を上げられ組まされる。背中には銃口の感触があった。ヨシノを抱えようとする人々に、ヒビキは声を投げる。

「あんたらのせいでヨシノは肩に傷を負っている。治療してやって欲しい」

「それはどういう立場で言っている?」

 女の声にヒビキは真っ直ぐに視線を逸らさずに言った。

「隕石獣を倒した義理ぐらいあるだろ」

「義理、か。本当に貴様らロードは今の人類よりも人間らしいことを言う」

 何のことを言われているのか分からなかった。しかしはぐらかされているという風でもなく、ヒビキは何か重大な見落としがあるのではないかと考えた。

 女がイーグルミーティアを見上げながら口にする。

「貴様らはこの機体を人類から十五年もの間隠してきた。地球を救えた代物を独占してきた罪は重い。覚悟するのはそちらのほうだ」

「あんたの言っていること、よく分からねぇよ」

「そのうち分かる。英雄の息子ともなれば、真実を知ることとなるだろう」

「英雄? 誰のことを言っているんだよ」

 ヒビキの言葉に女は目を丸くしてヒビキに視線を向けた。ヒビキはその目を見返す。女はため息をついた。

「……驚いた。無自覚とは。どうやって動かしたのかも知らないが、自分の出生についても知らないとはな。まぁ、それを教えるのは私の仕事ではない」

 女は身を翻して歩き出した。ヒビキは、「どういう意味だよ!」と声を荒らげたが、後ろから銃口で突かれた。

「大人しくしろ」

 その声には従うしかなかった。女が機械の服を着た連中に指示を出す。

「この機体を厳重に見張っておけ。決してロードの好きにはさせないよう。有事には発砲の許可も与える」

 発砲という言葉にヒビキがささくれ立たせた声を上げる。

「ちょっと待てよ。どうしてあんたにそんなことを許可されなきゃなんねぇんだよ」

 踏み出しかけたヒビキの腕を後ろの人間がひねり上げた。しかし、祖父に比べれば非力だ。ヒビキは逆にねじり返した。機械の服が悲鳴を上げる。ヒビキはその人間を担ぎ上げて、巴投げを決めた。地面に転がってガスマスクがずれる。男だった。

「貴様!」と他の人々が銃口を向ける。ヒビキは構えを取った。包囲されている状態だが、自分の命程度ならば惜しくない。それに不思議と危機感は覚えなかった。連中のプレッシャーなど祖父に比べれば赤子同然だ。綻びが見えるようである。どこをどう突けば瓦解するかが手に取るように分かった。

 女が立ち止まり、ヒビキへと振り返る。ヒビキは呼吸を乱さずに声を発した。

「あんたがやるかい? 大将」

 女は片手を上げた。その行動で機械の服の連中が銃口を下げる。女が歩み出て、ヨシノへと近づいた。ヒビキが固唾を呑んで見守っていると、拳銃が気絶したヨシノのこめかみに当てられた。

「やめろ! てめぇ!」

 声を上げたヒビキへと、「動くな」と冷たい声が差し挟まれる。

「動けばこのロードを殺す」

「……何してんのか、分かってんのか」

「無論だ。その言葉そのまま貴様に返そう。何をしているのか分かっているのか? 私たちはこの無抵抗なロードを殺すことができる」

 女の声にヒビキは歯噛みした。

「誰にそんな権利あるってんだ。大体ロードって何だよ。同じ人間だろうが」

 振り翳した声に女は嘆息のような息をついた。

「本当に知らないのか。そう教え込まれたようだな。ロードの教育方針とは分からないものだ」

「だから、ロードって――」

「詳しいことは、貴様の祖父に聞けばいい」

「じィちゃんに……」

 遮られて放たれた言葉にヒビキは硬直した。祖父は全てを知っていたのか。イーグル号のことも、イーグルミーティアのことも。その疑問が鎌首をもたげ、ヒビキが何も言い返せないでいると、女はせせら笑った。

「無知は罪だな。この星園村はこれから我々R機関が占拠する。貴様らロードに人権はない。人ではないのだから」

「そんな、勝手なことを」

「勝手かどうかは真実を知ってから判断しろ。果たして、身勝手なのはどちらか。貴様には判断するだけの資格は備わっている」

「だから、意味分かんねぇって……」

 ヒビキが二の句を継げないでいると、女はヨシノのこめかみに強く銃口を押し付けた。

「やめろ! ヨシノは」

「この少女の命運は貴様が握っている。賢明ならば分かるはずだ。自分がどう行動すべきか」

 その言葉にヒビキは奥歯を噛み締めながら、頭の後ろで両手を組んだ。アサルトライフルが向けられる。

「よし」と女が拳銃を離し、ヨシノを解放した。ヨシノは機械の服を身に纏った連中に物のように渡される。

「治療してやれ。人間よりも頑丈にできているロードとはいえ、銃創だ。それなりの治療が必要だろう。学校に送れ」

 ヒビキは相変わらず発せられる言葉の意味が分からなかった。しかし、何か見下されているような空気は感じ取っていた。

 一人がヒビキの倒した男を介抱し、ヒビキは別の人間に銃口を向けられて誘導された。どこに向かうのか、それはヒビキには分からなかった。



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