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♯1 十五年前の君へ

ロボット物です。


ほぼ初なのでよろしくお願いします。


 無辺の暗闇が広がっている。呼吸と鼓動が、一定のリズムを刻み、暗闇の中にある自分というものを自覚させる。ぽつりと、波紋のように声が響いた。通信網を震わせる事務的な声音だ。

『搭乗者のシグナル正常。キー解除せよ』

 その言葉に従い、彼はグリップを握り締めた。縦に並んだグリップが一対ある。両手でそれを握り、思い切り引いた。

 瞬間、暗闇の中に光が生まれた。前後左右四つの光が回転し、迸り、鈍い駆動音を上げる。四つの光の車輪が回転するにしたがって、前後の景色も暗闇からブロックを引き剥がしたように明瞭になっていく。彼は自身が収まっている操縦席を見渡した。

 前方にヘッドアップディスプレイ、足元にはフットペダル、手元には一対のグリップ。斜めの左右には横倒しになった車輪がさながらディスクのように回転している。それと同じ光景が背後にも存在する。

「キーを解除。確認を要請」

『了解。こちらでもキーの解除を確認』

 その言葉と共にウィンドウが浮かんでは消えていく。ここは機能全てを司る大脳のようなものだ。大脳が機能不全を起こしてはならない。彼は落ち着いてシグナルを一つずつ確認する。浮かび上がったウィンドウの中に、「音声のみ」と示されたウィンドウが見つかり、彼はそれに触れた。低いバリトンの声が聞こえてきた。男の声だ。

『悪いな。急ごしらえな上に君のような若者をパイロットに選んでしまったことを』

「悔いているんですか?」

 問いかけた言葉に声の主は暫時、沈黙を挟んだ。悔いているのかもしれない。しかし、この決断は何も一人だけのものではない。

「冗談ですよ。あなたを責めたって仕方がない」

『そう言ってくれると助かる。対Gスーツの調子はどうか?』

 彼は自分が着ている服を見やった。ライフジャケットのような灰色の上着で、ズボンの部分も同じ材質でできている。

「ヘルメットがないだけマシですね」

 その皮肉に声の主は笑い声を上げた。

『昔ではヘルメットがいると考えていたみたいだからな。それもこれも、ロードの技術のおかげというわけか』

 口にされたその言葉に彼はグリップを握り締める手に力を込める。長袖のライフジャケットは指先まで手袋のようなもので包まれており、少しごわごわした。

「ロードは、彼らは先駆者なんでしょうか?」

 質問しても割に合う答えが返ってこないことは分かっている。それでも問わざるを得なかった。人類に対して恩寵を与えるためにやってきたのか、それとも災厄の導き手なのか。その解答は世界がロードと接触して二十年経っても出すことのできない慎重を要するものだった。

『ロードは、少なくとも警告をしてくれた。恩人ではあるだろう』

「しかし、彼らの居場所は結局、この宇宙のどこにもなくなってしまった」

 彼はコックピット越しに空を仰ぐ。満天の星空を月がかき抱いている。ここから望める視界、地球から見える銀河の中にロードの住処はない。ロードは外宇宙からやってきたからだ。

『地球の中での迫害のことを言っているのか?』

 その声に彼は返さなかった。彼とてロードのことを全面的に肯定しているわけではない。しかし、ロードがいなければ自分が乗っている機体は完成されることはなかった。ロードがいなければ、今日という日を人類は無知なままに過ごそうとしていただろう。ロードは人類全てに対する恩人である。しかし、その恩人を裏切ったのは人類のほうだ。人類は彼らが与えた警告を、「ロードさえ来なければ迎えなかった災厄」として受け止め、ロードの居場所を奪った。母星を失ったロードを受け入れるだけの器の広さを持つ国などなく、最終的には最初にロードと接触した日本政府が全ての責を負うことになった。ロードの技術のおかげで、綻びと争いの渦中にあった地球は平穏の時を迎えられたというのに。だが、それも勝手な思い込みなのかもしれない。ロードさえ来なければ、という主張も間違ってはいない。ただし、その場合は人類同士による緩やかな滅亡が待っていたことだろう。

「僕はね、天月(あまつき)さん。ロードを好意的に迎えるべきだったと考えている」

 通信越しに相対していた声の主――天月は、『そうか』と小さく呟いた。諦観の声だったのか、それとも同意の声だったのかは判然としない。

『今はしかし、作戦前だ。隕石獣の落下の阻止。それこそが君と、その機体に与えられた役目だ』

「分かっていますよ」と返しながら、彼は肩を回した。頭では分かっているつもりだ。ロードがもたらした災厄の種を摘み取るための戦い。ロードが来なければ訪れなかった災厄を人類が処理しようとしている。ロードと人類の叡智を合わせたこの機体で。

 彼はグリップを握る手に汗を掻いていることに気づいた。リラックスはできそうにない。

「天月さん」

 彼はまだ通信がアクティブなのを知って、その名を呼んだ。天月は、『不備でもあったか』と尋ねる。

「いいえ、今のところシステムはオールグリーンです」

『何度か実験を重ねたとはいえ、不安が残るな』

「何でも最後は人の手でやらないといけないんです。いつだってそうでしょう」

 世界を終わらせる核ミサイルの発射も人の手を介さなければならないシークエンスが存在する。世界を存続させる機体も同様だ。どれほど危険でも人の手がなければ信用できない。

 彼の言葉に天月は苦笑を漏らした。

『本当にそうだ。人間が介入しない、それこそ機械仕掛けの神のような存在がいれば、と思うこともあるが……』

「でも、機械仕掛けの神は勝手に幕を下ろす。人間は、幕を下ろさずに続けることができるんですよ」

 寸劇を続けるか否かを全知全能の神に委ねることは簡単だ。しかし、人は古来よりそれをよしとしてこなかった。その方法は悪手だと断じてきた歴史もある。必ずしも人の手が加わることは良好ではないのかもしれない。しかし、誰かに幕引きを任せることに比べればずっとマシだ。

『君は前向きだな。世界が終わるかもしれないという時に』

 天月の声に、彼は微笑みを浮かべた。

「気負っても仕方がないですよ。世界は、終わる時は終わるんですから」

 そう、いくら自分一人が責任を背負い込もうとしても仕方がない。世界がさじを投げたことなのだ。個人でどうにかなるとは思えない。彼は掌の汗を拭って、ふぅと息をついた。

『それは諦観か?』

「いいえ、希望ですよ。終わる時は終わる。でも、終わらないのなら、終わらせたくないでしょう」

『そうか。そうだな。私も娘のためには終わらせたくない』

 その言葉に天月の人情が滲み出していた。この局面で口にする言葉ではないことはお互いに承知している。それでも問うた。少しでも今の日常が存続するようにと。

「娘さんはいくつでしたっけ」

『もう七歳だ。私の言うことなど聞いてくれんよ。君は残してきた家族は……』

 そこまで言いかけて、天月は口を閉ざした。言わんとしていることがタブーに触れていることに気づいたのだろう。彼は何でもないことのように言ってみせた。

「お腹が大きくなっていますよ。もうすぐ生まれるそうです」

 彼の言葉に天月は、『そうか』と短く返した。別に事情に踏み入って欲しくないわけではない。ただ、お互いに線引きをしているだけだ。これ以上は相手の領分だという線引きである。自分が短い人生の中で覚えた処世術でもあった。

 短い、と反芻しかけて彼は、「そうか」と呟く。この作戦で自分の命は燃え尽きることを直感的に分かっているのだ。だから天月と家族の話などをする。自分がうまくやらなければ、家族などという小単位では済まない、世界という単位が消え失せてしまうと言うのに。この双肩に地球の未来は重かった。やはりロードさえやってこなければ、と思いかけて彼は頭を振った。そうは考えないと誓ったはずだったのに。

 迷う頭に差し込むようにアナウンスの声が響く。

『右腕の武装を確認。正常に作動するかのサインをお願いします』

 彼は全方位を映し出すモニターの一画へと視線を向けた。右腕が映っている。白亜の機体の表面に接続された武装である。円筒状の腕に接続されているのは、同じく円筒状のコネクターを持っている武器だったが、先端に行けば行くほどに細く狭まっている。先端は鋭い針のようになっていた。円筒状のコネクター周囲には鈴なりに四角い弾薬がついている。弾薬を武器に装填し、高速振動する針の先端部から射出、目標物を内側から破壊する兵器であり、俗称をソウルブレイカーと呼んでいる。針そのものも相手を切断する格闘武器として使用可能だったが、地球上ではこの機体と同レベルに渡り合える兵器などないために、格闘戦はシミュレーター内での一種のお楽しみと化していた。

 グリップを握って僅かに引く。右腕が上がり、腕を回すように振った。『確認』の声が上がり、彼はホッとする。

『少しでも不安の種はなくしたいからな』

 天月の声に彼はぼやく。

「僕が乗るのがそんなに不安ですか?」

『お前は昔から問題児だからな。上の声は抑えてあるが、それでもお前に動かせることを反対する中年議員は多かったよ』

「ですね。人類の未来ですから、不安の声が上がらないほうがおかしいです」

 彼はフットペダルに軽く足を乗せた。背後で推進剤の噴き上がる気配が伝わり、怒声のようなアナウンスが響き渡る。

『まだ早い。現状を維持せよ』

 彼はフットペダルから足を離した。その通信を聞いていたのか天月が、『だとさ』と言った。彼は、「動かせるのは腕だけですか」と唇を尖らせる。

『仕方がないだろう。カタパルトに接していなければ成層圏へと第一宇宙速度を超えることもできない。そこで止めるか交戦に入らなければ、突入コースを取っている隕石獣を阻止することなど夢のまた夢だ』

 教科書通りのような説明に彼は飽き飽きしながらも、グリップを握ってその時を待った。『そういえば』と天月が思い出したように言った。

『隕石獣という呼称だが、近々M2と呼ぶことになりそうだ。ロードに関することも、近々専門機関が設けられるらしい。仮の案だが、R機関と呼ぶのが通りそうだからな』

「M2のMはメテオモンスターですか。にしても、R機関って」

 フィクションの中の秘密結社があるまいし。そこまでは言わなかったが天月は言外の部分を汲んでくれたようだった。笑い混じりの声が流れる。

『まぁ、そんなところだ。元々、隕石獣という呼び名も日本独自の呼び名だったからな。ロードが日本人に合わせた呼び名を鑑定した結果、導き出されたものだ。国際社会じゃ通用しないってわけさ』

「国際社会って」

 彼は失笑する。自分の行動如何によってその国際社会という綻びのある呼び名は消え去るかもしれないのだ。滅びの時を今まさに迎えているというのに、国際社会の呼び名を気にするのは滑稽に思えた。そのような彼の心情を汲んだのか、天月は、『今の君には最高のジョークかもしれないが』と付け足す。

「まぁ、ブラックジョークですけどね」

 微笑んで、まだ笑えることが不思議に思う。彼は頬へと手をやった。まだ笑える。まだ人間の心を持っている。この日のために機械のように過ごしてきたこととの差異が浮き立った。目的遂行のための部品であり、いっそのこと完全に機械であればどれほど楽かと思われた日々。行き過ぎる感傷が胸を掠め、彼は下唇を噛んだ。残してきた妻の写真をコックピットに貼るほど感情的な自分は、機械になりきれていない。妻の写真を撫でる。システムチェックの時に整備班から見えないよう足元に貼っていた。柔らかい笑顔を向けている女性。額にある逆三角形の印の赤が美しい。

志願したわけでもない。適性があっただけだ。そしてロードと親しかっただけである。

『ロードは君を選んだ。だから乗っているんだ』

「誇りを持てと言いたいんですか?」

『そうじゃないさ。誇りなんて君には似合わないだろう』

 天月の言葉にフッと口元を緩ませる。誇りや義務でやっているわけではない。それはその通りだ。

「僕はただ守りたいだけなんです。そのためなら、ここで朽ちたって――」

諸星(もろぼし)』と自分を呼ぶ名がその先を制する。彼――諸星ダンはようやく一機械の部品から人間に帰れたような気がしてハッとする。

『私は君の名を滅多に呼ばない。それでも呼んだということは分かってくれるな』

「はい」とダンは返す。帰って来いと言っているのだ。片道切符の任務だなんて思うな。必ず帰って来いという意思がその言葉に見て取れた。

「帰ってこなければ、ようやく関係が良好になった義父にどやされますからね」

 ダンは厳しい顔つきをした義父の姿を思い描く。挨拶に行った時に一番驚いていながらも、平然としていた義父は強い意志の言葉でダンに問いかけた。「覚悟はあるのか」と。ダンは強く頷き返した。その覚悟を胸に抱けるのならば、今回の作戦程度大したことはない。

『そういう気持ちでいるんだ。私はそろそろ通信を切らなければならない。地球に住む、なんていうお題目で君に通信しているわけではない』

「分かっていますよ」

 友人としてだ。最後まで見届けてくれる友人として、帰る場所を守ってくれる存在として、ここにいると言ってくれている。それは何よりも心強かった。

『通信を切る。達者でな』

 地球を頼む、などと言われなかっただけマシだな、とダンは思った。

「そちらこそ、お元気で」

 まるで旅路に出る旧友を見送るような心地だろう。ダンはグリップを握り締め、覚悟を腹に据えた。呼吸を深く吸い込み、「音声のみ」のウィンドウが消えるのを確認してから、少しだけこみ上げるものを感じた。目頭が熱くなる。友人との別れがこのような形だったことは誉れと思うべきだろうか。しかし、ダンは望むのならば多くの人間がそうするように寿命が尽きる時に別れを告げたかった。それが人間として正しい別れ方だと思っていた。

『目標、隕石獣を探知。地球へと向かってくるとの報告を監視衛星から入電』

「来たか」

 ダンは伏せていた顔を上げ、グリップを強く握った。その双眸には最早迷いはない。友人との別れをまともにできただけでもありがたいというものだ。置いてきた妻ともうすぐ生まれる子供には申し訳ない。気の利いた別れの言葉も言えないで。必ず帰ってくるなどという楽観的なことも言えなかった。ただ、妻はいつものように、「いってらっしゃい」と言い自分は、「いってきます」と言った。それだけで通じ合える、繋がっているのだ。お腹の中の子供も分かってくれるはずだ。

『射出準備完了。パイロットは最終点検に入れ』

 ダンはいくつものウィンドウを呼び出して、最後のチェックに入った。指で触れ、機体のコンディションを確かめる。

「コンディション、オールグリーン。発信準備完了」

 ダンはもう一度、肺から空気を吐き出して深く吸い込んだ。澱んだコックピットの中の換気は決していいものではない。自分の吐いた空気をまた吸い込んでいるようなものだ。それでも、肺の中に空気を押し込めておくよりかはいい方法に思えた。

『最終シークエンスを開始。カウントダウンに入る』

 ダンは外部カメラが捉えた機体の姿をウィンドウに呼び出す。天へと伸びるレールに、白亜の機体があった。全体として人型に近いが、相違点は首の継ぎ目がないことと、背中から張り出した巨大なロケットエンジンだろう。まるでクジラの身体をそのまま継ぎ接ぎしたようだ。機体そのものは腰の辺りで折り曲げられ、いわゆるお座りに近い状態である。コックピットは首の継ぎ目のない頭部にあった。両腕を突き出した状態で、右腕にはソウルブレイカーがある。これだけで止めろというのだから、ロードも人類も無茶を言う。

「最後の最後には、僕自身が砦ってわけか」

 放った言葉に、カウントダウンのアナウンスが重なる。

『……5、4、3、2、1、点火』

 点火、の声が幾つもの言語が折り重なって聞こえてくる。全人類が見ている、ということを今さらに意識させられた。

 直後、内臓を押し潰しかねない重圧がのしかかってきた。眼球が飛び出そうになる。ダンは対Gスーツが正常に稼動していることを確かめる間もなく、射出させられた。頭の中で何度も反芻した射出シークエンスが呼び出され、ダンは考える前にフットペダルを踏み込んでいた。推進剤が焚かれ、青白い炎の帯を引きながら白亜の機体が天へと昇っていく。

『ミーティア、健闘を祈る』

 機体の名前が呼ばれ、ダンは今さらだなと苦笑した。コックピットの中で四つの車輪が高速回転する。車輪から緑色の光が押し広がり、先ほどまでの闇とは一線を画していた。がたがたと揺れる機体の中で、ダンは思っていたよりも早く第一宇宙速度を突破したことに気づいた。背後へと目を転ずれば、既に緑色の大地は遠い。ダンはミーティアの中で耳を劈くような接近警報を聞いた。グリップを両方同時に引き、フットペダルを押し込んで、ミーティアへと変形を促す。折り畳まれていたミーティアの身体が押し広がり、人型の身体を成層圏に晒した。ロードの技術で飛んでいる静止衛星がミーティアを周回している。バックアップに回ってくれるのだろうか。

「期待するだけ無駄かな」

 呟いてダンはミーティアを前進させた。ミーティアは脚部のサブロケットエンジンと背中から生えているクジラのようなメインロケットエンジンで運行する。身体を開いたミーティアは腹部に円形の結晶体があった。ロードのもたらした技術である中枢機関だ。ミーティアのエネルギーは、結晶体が吸収する太陽光や僅かな光でまかなわれている。ダンが接近警報と望遠映像に目を向ける。こちらへと真っ直ぐに突っ込んでくる青白い光の帯が見えた。

「隕石獣か」

 青白い光を精密分析にかける。すると、隕石獣の構造が模式図で示された。隕石獣はロードの予言通りの姿であるシェルド型と呼ばれる形状だった。シェルド型は扁平な頭部を有しており、下腹部から腕が生えている。眼は一つで、丸まった象牙のような牙を保持している。その様はかつて地球にも存在したとされる古代生物、アノマロカリスに酷似している。背部には推進剤のようなコンパス状の器官を持っている。その部分を何らかの原理で噴かして、推力を得ているようだった。

 隕石獣がカッと目を見開いた。赤く光っている。ダンは身震いを覚えた。

「ぞっとしないね。それそのものが質量兵器である生物なんて。でも、このミーティアで――」

 ダンはグリップを引いた。ミーティアの腕が連動して動き、ソウルブレイカーを有した右腕を引く。

「破壊する!」

 断じた声が迸り、コックピット内を緑色の粒子が満たしていく。ミーティアはメインロケットエンジンから点火させ、脚部サブロケットも用いて前進した。隕石獣との距離が縮まっていく。隕石獣もミーティアを認めたようだった。ミーティアの突き出した左手が隕石獣を受け止めようとする。当然、隕石獣はその程度では止まらない。宇宙空間の中、ミーティアと隕石獣がもつれ合う。ダンは喉の奥から叫びを発して、フットペダルを踏み込んだ。脚部に逆噴射を命じて、ミーティアの機体が逆立ちの状態になる。そのまま機体を回転させ、ミーティアの踵が隕石獣の頭部へとめり込んだ。推進剤を用いた一撃だ。当然、届いた、とダンは感じていた。しかし、隕石獣は怯んだ様子はない。見れば、隕石獣の扁平な頭部はまるで盾のような構造をしていた。積層装甲で衝撃を減衰するつくりになっている。

――頭部への攻撃は意味がない。

そう感じた次の瞬間、コックピットを激震が見舞った。隕石獣の下腹部から伸びた腕がミーティアを捉えようとしていた。ミーティアの足を掴んで引き寄せてくる。丸まっていた牙が開いて、高速で震えた。どうやら隕石獣も高速振動の武器を持っていたらしい。引き寄せられた足が瞬く間に牙の奔流に巻き込まれ、破砕する音が幾重にもコックピットに伝わった。ウィンドウが開き、脚部のコンディションが赤く塗り潰される。サブロケットエンジンが使えないとなれば、ミーティアは機動力をほとんど削がれることになる。

「くそっ。これで!」

 片脚のエンジンを点火させ、牙の攻撃から逃れようとするも引き寄せてくる隕石獣の力のほうが強い。ダンは歯噛みして、グリップを引いて倒した。

 直後、背中のメインロケットエンジンが下方へと折り畳まれた。ダンがフットペダルを限界まで踏み込む。青白い光が焚かれ、隕石獣から逃れる力が働く。隕石獣もエンジンの熱で焼かれることを恐れたのか、その手を離した。ミーティアが隕石獣から逃れ、身体を開くが片脚がほとんどもがれていた。

「こんな状態じゃ……」

 ダンが濁した語尾を断ち切るかのように、接近警報が鳴り響く。隕石獣が青白い炎を纏いながらミーティアへと突進してくる。ダンは咄嗟にグリップを引いてミーティアへと回避運動をとらせた。片脚から推進剤の炎を焚いて、まるでかかしのような不恰好さでミーティアが空間を跳躍する。しかし、隕石獣はミーティアを追おうとはしなかった。そのまま空間を突っ切っていく。その真意にダンは気づき、「しまった!」と声を上げていた。

 隕石獣の目的はあくまで地球なのだ。ミーティアなどただの障害に過ぎない。隕石獣が大気圏へと落ちていく。青白い炎に赤い光が混じり始めた。

「このまま、通すわけにはいかない」

 ミーティアのメインロケットエンジンへと推進を促し、ダンは叫んだ。ミーティアが爆発的に速度を増して隕石獣へと追いすがる。ミーティアの機体を赤い光が覆った。コックピットが小刻みに揺れる。熱反応増大のアラートが鳴り響き、コンディションが赤色光に塗り固められる。それでも隕石獣を落とすわけにはいかなかった。腕を伸ばして、隕石獣を掴もうとする。何度か空を掻いた指先が隕石獣の末端を掴んだ。コンパスの尻尾を捕まれた隕石獣がもがき、下腹部の両手で振り解こうとする。ミーティアはそれを狙っていたかのように、その腕へと取り付いた。人がロッククライミングするように、伸ばされた腕を手がかりにしてミーティアが隕石獣の前へと回る。瞬間、伸ばされた牙が残っていた片足を巻き込んだ。みしりと脚がひしゃげ、推進剤が青白い尾を引いて吹き飛ばされる。片脚は空間の向こう側へと消えていった。ダンは奥歯を噛み締めてグリップを引く。連動して動いたミーティアの右腕が引かれ、ダンの喉から叫びが迸った。ソウルブレイカーの切っ先が隕石獣の身体へと食い込む。隕石獣の眼がぐるりと回転して、ソウルブレイカーを睨んだ。ダンが口元を緩める。

「砕けろ」

 グリップについているトリガーをダンは押し込んだ。瞬間、ソウルブレイカーの切っ先から弾き出された爆薬が隕石獣の体内で炸裂する。隕石獣の身体が膨れ上がった。熱膨張だ。赤く腫れ上がった部分を狙ってソウルブレイカーで皮膚を切り裂こうとするが、隕石獣の表皮は硬い。一度食い込んだ場所以外は裂けそうになかった。トリガーを押す。爆薬が隕石獣の体内で誘爆し、隕石獣の身体が見る見るうちに膨れ上がっていく。しかし、なかなか破壊はできない。

 危険高度に達していることを告げる警報が耳朶を打つ。このままではミーティアごと隕石獣は落下するだろう。それだけは避けねばならなかった。今のミーティアでは質量に比して馬力が低い。フットペダルを限界まで押し込んでも、脚部のサブロケットエンジンを奪われた身では大した出力は期待できない。ダンは舌打ち混じりに、「仕方がない」と口にした。ペダルを現在の位置に固定したまま、もう一つのペダルへと足をかける。それを両足同時に押し込んだ。

 瞬間、ミーティアの胴体部分が青白い光を伴って弾けた。ミーティアの胴体が外れ、ゆっくりと持ち上がっていく。隕石獣の後方へと胴体が吹き飛ばされていく。頭部と両腕を残したミーティアは可変した。頭部が回転し、折り畳まれてまるで猛禽の頭部のように形状を変化させる。

 コックピットの中も変化が訪れていた。コックピット全体が頭部の変化に伴い、一回転した。その回転は一瞬のことで、ダンの対Gスーツがそのストレスと衝撃を減衰していた。僅かにコックピットが傾ぐ。グリップが横倒しになり、新たに掴み直した。

 ミーティアの残された機体はメインロケットエンジンを尻尾のように突き出す。機体そのものも、まるで翼竜のようになっていた。その姿は翼竜とクジラの融合体だ。

「イーグルミーティア。これならば!」

 姿と名前を変えたミーティア――イーグルミーティアがメインの推進剤を噴かす。青白い炎が幾重にも焚かれ、隕石獣を押し出した。隕石獣が出力を上げようとコンパス状の尻尾を折り畳む。ソウルブレイカーの突き刺さった箇所はまだ外れていなかった。赤色光が瞬いて揺れる視界の中、ダンはトリガーを押し込んだ。

 ソウルブレイカーから放たれた爆薬が隕石獣の体内で何倍にも膨れ上がる。薬莢が右腕から遥か地表へと落ちていった。イーグルミーティアが出力を上げる。隕石獣が僅かに押し負けてきたのか、膨れ上がった身体を晒してぎょろぎょろと眼を忙しなく動かす。

「この――」

 イーグルミーティアの左腕が眼球を掴む。隕石獣の腕が伸びて左腕を縛り上げた。左腕を破砕されるよりも早く、両腕で得た膂力によってソウルブレイカーの刃が隕石獣の身体の内側へと突き入れられる。

「とっとと、砕けろ!」

 叫んだ声に呼応するようにソウルブレイカーの弾丸が隕石獣の体内へと撃ち込まれた。隕石獣がさらに膨れ上がって、次の瞬間、表皮がパチンと弾けた。それに連動するように膨張の限界を迎えた表皮が次々と弾けていく。緑色の血潮が迸り、イーグルミーティアの白亜の機体を濡らした。ソウルブレイカーが機能不全を訴える。残弾三、で止まっていた。

 ダンがフットペダルを限界ギリギリまで踏み込む。イーグルミーティアが推力を上げ、隕石獣を押し出した。身体が崩壊の途上にある隕石獣は今にも砕け散りそうだった。しかし、ダンも限界を感じていた。高度計を見やる。既に限界高度を突破している。今からでは宇宙空間に押し出して破壊、というわけにはいかなかった。成層圏で燃え尽きるのを利用し、全力でもって隕石獣を砕かなければ。その後に自分がどうなるのかは分からなかった。

 妻の顔が思い浮かぶ。いつでも笑顔を絶やさなかった、柔らかな物腰の人だ。義父の顔が浮かぶ。厳しい顔立ちの人だったが、心根は優しいことを知っている。天月が敬礼を送っている。天月は信頼できる友人だった。誇ってもいいとさえ思えるほどに。まだ見ぬ我が子の顔が浮かぶ。ぼやけた視界の中に浮かんだ一滴の命の灯火。それを消させるわけにはいかなかった。ダンは武器のセーフティを解除した。点滅するように浮かぶウィンドウを処理して、全ての武器のロックを開く。

「食らえ」

 イーグルミーティアの肩口が開き、ミサイルで埋め尽くされた内部が見える。隕石獣のぎょろりとした眼がそれを認めた時、僅かに見開かれたように見えた。

 イーグルミーティアからミサイルが撃ち出され、煙を棚引かせる前に双方の間で爆発の光輪が広がり、瞬く。隕石獣は細かく砕け、徐々に形状を失いつつあった。コンパスの尻尾が彼方へと飛んでいく。緑色の体液がコックピットのカメラを埋め尽くした。弾け飛んだ隕石獣の身体が遠くの空へと赤い尾を引いて飛んでいく。地表につくまでにそれらは燃え尽きるだろう。地上の人々には数多の流星に見えるかもしれない。

自分もまたその流星の一部として消えていくだろうということに、ダンは恐怖しなかった。むしろ、やり遂げた感慨が胸を満たしていた。

 これで帰れる。イーグルミーティアへと帰投信号を出そうとするが、高度が既に限界だった。ダンは滲む視界の中で、「ああ」と嘆息のような声を出した。イーグルミーティアが真っ逆さまに落ちていく。隕石獣の体液のせいでカメラはまともに作動しなかった。どこへ落ちるのかも分からない。暗闇が広がっていた。

 これが自分の末路か、とダンは目を瞑った。隕石獣を倒したのだ。これで思い残すことはない。

「みんな、僕はやれるだけのことはやった。あとは――」

 君たち次第だ。そう呟く前に、意識は暗闇へと没した。


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