第二話 力の存在
またも急激に話が飛ぶが、既にあれから三年が経過した。
毎度お馴染みの言い訳を長々と語るのも面倒なので、軽くダイジェストでお送りする。
まず、生後一年目。人語を話す、体を固定せずにお座りが出来る、はいはいが可能になる。これのお陰で俺の行動範囲は家中に広まり、果ては庭にまで進出した。また、この年齢にしてしっかりと言葉を発したことで両親が狂喜乱舞した。と言っても、「お……か…あ………さ……」程度の、衛星通信並のブレ方があるので、話すというよりは「口にする」といった方が妥当か。しかし、それも生後五ヶ月程度の頃で、今ではしっかりと「お母さん」と口にする事は可能だ。
今更ではあるが、俺がこの世界の言葉を話せているのかは未だ不明である。
考えられる理由としては、発音形式(あかさたなはまやらわ、で構成されている)が似通ったものだからだと思われる。現に俺はガルドが懲りずにオススメしてくる本に書かれた文字は一切読めない、ただレーゼなどが絵本を読み聞かせする時はしっかりと言葉として認識出来る。
つまり、「あかさたなはまやらわ」で人と会話をして、文字を書く時は「アルファベッド」で「あかさたなはまやらわ」を表記する、といった感じだ。だから、音として認識は出来るけれど、文字としては認識できないのだろう、という勝手な推測である。
ただ、アルファベッドなんて簡単なものじゃなく、甲骨文字を彷彿とさせてはいるが。
閑話休題
次に生後二年目。ここに来てやっと俺は人並みの会話が行えるようになった。また、直立二足歩行が可能となり、一年目よりもより確実に行動範囲を広げている。また、多少ならダッシュする事も可能になり、しかしバランス感覚が未だ微妙な感じなのですぐ転ぶ。
それもこれも、前世の記憶を引き継いだ事による良い意味での反動なのだろう。
そして、三年目。
体も転生当時とは違い、棒きれを握る程度の事は出来る。
ただ、無闇に振り回しても意味が無いので、取り敢えず今はガルドの書斎が定位置になっていた。
庭に出て振りやすそうな小枝を探していると、レーゼが飛んできて厄介で、その上見つけて振り回してもレーゼが没収してしまう。なので、今は予備知識だけでも蓄える必要がある。また、この年になる頃にはガルドから文字の読み書きをレクチャーされたので、大概の書物は読めたりする。
「(ガルドは大分乱読派だな。純文学、恋愛物、剣技系入門書、歴史書………これは絵本、童話か。兎に角詰め込むだけ知識を詰め込んだ、って感じだな。ま、お陰で退屈しないけど…)」
書斎、というだけはあり、本の冊数は数えてもキリがない程だ。
ただ、その中でもここ最近興味があるのは、この世界における「歴史書」だった。
どうやらこの世界も、球体の惑星の上に存在するらしい。五つの巨大な大陸によって、過去何度も戦争が繰り広げられてきたが、突如現れた『悪魔』の存在によって、三つの大陸が乗っ取られる。残る二つの大陸の王は結託し、『悪魔』に対してのレジスタンスを作り上げた。
多少世界地図の内容も混ざったが、気になる点は『悪魔』の存在だ。
突如にして現れた悪魔は人類や亜人類(獣と人間のハーフ)や妖精類(妖霊・精霊と人間のハーフ)以上の知恵と力を持つ。また、悪魔は人に取り憑き、人格を乗っ取る。魔法のような難解な遠距離攻撃用の技をも持ち合わせている。そして、その大部分が未だ明かされないままだ。
「(悪魔っつったら良いイメージはないが………戦争を止めたって部分だけ抜粋すりゃ、ただ単に良いヤツなんだよなぁ。勿論その理論を覆すほどに人を殺してるんだろうが……)」
それから、悪魔の侵攻は止んだのだから、本当は良い種族なのではなかろうか。
実際今まで啀み合っていた亜人類や妖精類との仲も良くなった。ある種「人類連盟」的な感じは否めないが(悪魔差別主義的な思想の事だ)、それでも悪い方向に転がるよりは幾分かマシだろう。わざわざ汚れ役を請け負う慈善精神は、煩悩と欲にまみれた人類も見習うべきだ。
「(………? あれ、そういえば何で俺はこんなに悪魔側の肩を持つんだろうな…)」
ふと、そんな思考が過ぎったとき、俺は右目に疼きに似た痛みを伴った。
目の中を羽虫が駆け回るような、何とも言い知れぬその病症。
「う……あ……!!」
「フレイちゃーん、御飯ですよぉ~」
「(ま……ずい…!)」
まだ痛みというか、疼きというか、痒みに似たそれは目の中を駆け巡る。
トントン、と軽快に階段を上ってくるレーゼ。時間は少ない、何とか誤魔化さねば。
だが、その時。
スゥ、と一瞬にしてその病症はなりを潜めた。
まるで、人の気配に怯えるかのように。
「フレイちゃん……まぁーたパパのお部屋に入って………って」
しかし、誤魔化し通すのは無理があったようだ。
と思っていたが、レーゼに指摘されたのは俺の考えとは全く違う事だった。
「フレイちゃん……その右目、どうしたの?」
「……?」
ガルドの書斎に置いてある等身大の鏡を覗き込んだ。
すると、俺の目は真っ赤に染まっていた。
それは炎症や目の病気なんてものじゃない。元からその色だったんじゃないか、そう思わせるくらいに赤く染まっていた。俺の目の色は、生まれ変わってから青色に変化していたが、今ではカラーコンタクトでわざわざ片目だけ色を変えたような、非常に言い表し難いアンバランスさを呈していた。
ズキン、とまた深く痛みが目に走る。
だが、今度は一瞬で収まり、もう一度鏡を見ると、目の色は前と全く変わらない澄んだ青色だった。
「……あら? 戻ってる? ……病気、じゃないわよね…」
「お母さん、大丈夫」
「フレイちゃん、痛みとかないの?」
「全然無い」
「……んー、充血、かしら。…ガルドが帰ってきたら話してみなきゃね…。さ、それじゃ、お昼にしましょうね~、フレイちゃん!」
俺を抱き抱え、そのまま駆け足でレーゼは階下に向かっていく。
一応何とか安心させられただろうか。そして、ガルドはこの症状について何か知っているのだろうか。
二つの不安が心の中を綯交ぜにして、その日の御飯はまるで味気なかった。
◆ ◆ ◆
それから一週間、ガルドが久々に我が家に帰宅した。
「おー、フレイ! 元気にしてたか~。パパだぞぉ~」
「お帰り、お父さん」
「フレイはこんなちっちゃいのに「お父さん」なんて呼べるんだよなぁ~、偉いぞ~。ママもパパもフレイが優秀な子でとっても嬉しいよ」
「優秀じゃないよ」
「謙遜するな、フレイよ。まぁ、フレイが多少要領の悪い子でも、パパは良かったけどな~」
ガルドは本当に良い人だ。何故前世で俺の父親はあんなに酷かったのだろうか。
ガルドは表情もそうだが、兎に角優しい。村の中心人物でもあり、帝都の上級騎士として働く超エリート人間である。俺としては六歳か、七歳の頃にはガルドから剣技の訓練を受けたいと思っている。
その時、お帰りなさい、とレーゼが満面の笑みで出迎えた。
ガルドも抱き上げた俺を一度降ろし、爽やかな笑みを浮かべて、ただいま、と返す。
「(相変わらず仲のよろしい事で……)」
俺は取り敢えずその場から離れて、リビングにあるソファに寝転がった。
すると、真面目な顔をしたレーゼがガルドに向けて何やら話しかけている。
どうやら、つい先週の「赤目事件」のことを語っている様子だ。
ガルドはその症状を聞いて、若干驚いたような顔をしたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
あれは……。
「(あれは、嘘ついてる時の顔だな。何か隠してる、ただ、レーゼを混乱させない為に、その場を収める為にああやって人好きのする笑みを浮かべただけだ)」
三年間もの間一緒にいたのは、伊達じゃないって事だ。
レーゼは気付いているのかいないのか、ガルドに押し切られて話を止めたみたいである。
時刻はもうすぐ昼の十二時を回ろうか、といった頃。
レーゼはキッチンにて昼食を作っている最中らしく、ガルドは俺を抱き抱えた。
「ママはお料理してるから、上でパパと遊ぼうか」
「うん」
別にその誘いを断る理由は別段なかった。
だが、断ったとしても、多分俺は二階に連れて行かれただろう。
珍しく、ガルドの目が笑っていなかった。
それから抱き抱えられたまま、俺はもう既に俺の部屋のようになってしまった書斎に向かった。
ガルドは座り心地の良さそうなイスには敢えて座らず、地べたに座った。
俺と目線を合わせるためだ。
「フレイ、よく聞きなさい。お前には、どうやら『悪魔』の力が眠っているみたいだ」
「悪魔……?」
「ああ、とっても怖いんだ、悪魔は。パパは帝都でお仕事しているが、パパでも全部知らないくらいに秘密だらけの部隊がある。その中にも、似たような人がいるらしい」
物分りが良いとは言え、俺は三歳児に過ぎない。
ガルドは所々言葉を濁しつつ、または言葉を丸くしながら語りかける。
「その人は右手が赤くなる、って症状みたいなんだ。フレイは、前に右目がまっかっかになっちゃったんだろう?」
「……うん」
「それも、悪魔の力みたいなんだ。けど、悪魔みたいにぜーんぶ奪う力じゃない。守る力だ」
先程までの真剣な表情を崩し、ニコリと笑ってガルドは話を進める。
「悪魔はね、なにもかも奪っていっちゃう怖いものなんだ。けど、ただの人間じゃ悪魔には敵わない。だからそれは、悪魔を倒す為の、大切な人を守る為の、優秀な力なんだよ。フレイが持っているのは」
「……力…」
「そう。だけど、やっぱり世間の目は厳しいんだ。だから、もっと大きくなったら、パパがしっかりと訓練してあげよう。例え悪魔の子であっても、パパの子に代わりはないからね。せめて、パパが出来る事はフレイにしてあげたい。勿論、フレイは頑張るよね?」
俺はその時、思わず涙を零していた。
人間と言うのは、こんなに暖かい生き物だっただろうか。
誰かの為に、愛する人の為に、全てを投げ出せるような心を持った生き物だっただろうか。
感極まって流した涙だったが、ガルドは違う意味で捉えてしまったらしい。
「あちゃー……。フレイごめんな、大丈夫、ゆっくり時間をかけてやろうな? 大丈夫大丈夫、お前には俺もレーゼもついているよ。安心しなさい、ね?」
「う……うぅ……」
嬉しかった。ただ単に俺はそれだけだった。
前世では何一つ期待されなかった俺。何もできず、愚図だ鈍間だとなじられ野次られた俺。敵はおろか味方すら居ない、孤独で一人ぼっちだった俺。それは、全部才能が無いからだと決めつけていた。
けど違った。それは悪夢だ。
才能がなくとも、それに向かってしっかりと取り組む姿勢と努力は認められて当然なのだから。
「……さ、フレイ。ママが御飯用意しているよ? 急ごうか」
「…うん」
「泣き虫な男は嫌われちゃうぞぉ~。もっと強くならなきゃな」
ニカッと快活に笑うガルドは、今まで見てきた笑顔の中で、一番眩しく輝いていた。
そして、三人で食卓を囲んで食べた昼食は、今までのどの食事よりも美味しかった。
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