姉の研究
「なんか嫌な予感がする」
安藤雄二が昼休みにパンを食べる手を止めて突然呟いた。いつも活発そうな印象を人に与える表情も今は曇っている。
「どうしたのさ突然」
雄二の前の席で弁当を食べていた森本芳樹は、唇の端にご飯粒をつけたまま雄二の方を見た。
「前、お前の家に行った時と同じ感じがする」
「ふーん」
芳樹は特に関心のない様子で、弁当のうどんをすすった。
「……ところで、何故お前の弁当にはご飯とうどんしかないんだ?」
「ご飯とうどんしかなかったからだけど」
「なるほど……いやそうじゃなくておかずは?」
「朝、姉ちゃんが全部食べちゃった」
「ああ、そう……ん? 弁当は誰が作っているんだ?」
「僕だけど」
うどんをすすりつつご飯を口に運ぶ芳樹。
「何で? 母親は?」
「うちの弁当は当番制なんだ」
「ああ、なるほど」
雄二がまたパンを食べようと口を開くと、クラスが騒がしくなった。
何があったのかと雄二が教室の扉の方を見ると、すらりとした体と人形のように整った顔に長めの髪をそよがせた男が立っている。
芳樹の兄であるミスターパーフェクト、完全変態森本司がそこにいた。それを見てパンを食べようとした格好のまま固まる雄二。
「いたいた、おい芳樹」
司はクラスの喧騒を無視して雄二たちの席までやってきた。
「どうしたの兄ちゃん」
「どうしたもこうしたもあるか。何だこの弁当は」
司が見せた弁当箱の中には、うどんで作ったおにぎりが三個鎮座していた。
「それ? うどんしかないから苦労したよ」
「つゆもなしにうどんが食えるか」
「ちゃんと塩で味付けしてあるよ」
「大体おかずはどうした」
「姉ちゃんが食べちゃった」
司はそれを聞くと眉をひそめた。
「またかすみちゃんか。ワイヤーで縛っておけって言ってるのに」
物騒な事を言っていた司が、口をあんぐりとあけたまま固まっている雄二に気付いた。
「おー、雄二君久しぶり。またうち来ない? PS3新しく買ったんだ」
「は、はあ」
ようやく呪縛から解き放たれた雄二は、あいまいな返事をして嵐が過ぎ去るのを待った。
「いやー、雄二君にブルマ見られた時の興奮は今思い出しても」
「ぷ、PS3よく買うお金がありましたね」
話題が爆雷方面に向かいそうだったので、雄二は軌道の修正に乗り出した。
「ああ、これをネットで売っているんだ」
そう言って司は制服のポケットから写真を何枚か取り出した。
雄二が恐る恐る受け取ると、そこには目線の入った司のブルマ姿やスクール水着やメイドとかもう彼岸の領域。雄二は写真を持った手をブルブル震わせながら司の方を見た。
「こ、こ、これは……」
「ちなみに一番人気はこのスクール水着。二番人気はこのメイド風。残念な事にこの褌姿は不人気でねえ。世の中間違ってると思わない?」
全部間違っているとしか思えなかったが、雄二は「は、はあ」とあいまいに答えるにとどめた。
それから、写真をあげるという司といらないと押し返す雄二の間で攻防戦が行われていたが、その最中にクラスが突然静まり返った。
クラスにいる全員が教室入り口に注目する。そこには、180センチ以上の長身と、無闇に広い肩幅、大きい方なのだろうが肩幅の所為でバストというより胸囲と呼びたくなる胸、雄二より余裕で太い腕、スカートから覗く筋肉の形がはっきり分かる足、それら胴体の上には、ベリーショートの髪、きりっとした眉と少年のような瞳、白く輝く歯がまぶしい顔が乗っていた。
「あ、姉ちゃん」
「姉ちゃん!?」
芳樹の言葉に驚きを隠せない雄二。
すっかり静かになった教室を、女傑がのしのしといった感じで雄二達の方へ歩いてきた。
「芳樹、なによこの弁当は」
そう言って差し出した弁当の中には「はずれ」とかいた紙が貼ってあった。
「だって姉ちゃんの所為で弁当が滅茶苦茶になったんだよ。だからはずれ」
「うー……」
言い返せなくて唸る女傑。ふとした拍子に隣にいた司に気付いた。
「司、あんたの弁当よこしなさい」
「かすみちゃん、自業自得なんだから、弟にたかるのはやめようよ」
「姉に従いなさい!」
女傑は司の襟を掴むとそのまま持ち上げた。
「かすみちゃん、ちょっとギブギブ」
ふと女傑が芳樹の前に座っている雄二に目を向けた。手の力が抜けた所為で司が床に落ちる。
「誰?」
「いたた、芳樹の友達で雄二君。かすみちゃん、かすみちゃんは迫力がありすぎるんだから、そんなに睨まない睨まない」
司は雄二の方を向いた。
「雄二君、これは俺らの姉で香澄ちゃんっていうんだ。見ての通りちょっと野蛮だけど、中身も野蛮だから気をつけて」
「はあ……よろしく」
雄二はおそるおそる香澄に挨拶をした。
「ああ、よろしく。それにしてもパンおいしそうだね」
「……はあ」
食欲なさそうに黙々とパンを食べる雄二をじっと見つめる香澄。
「そのパンくれたら私の体好きにしていいよ」
食べていたパンを豪快にぶちまける雄二。
「かすみちゃん、パンで体売るのはやめようよ」
「あんたは黙ってて。今口説いてる所なんだから」
「かすみちゃん、そんな口説き文句ありえないよ。原始時代じゃあるまいし」
「じゃあ、あんたならどうするのさ」
「俺? 俺なら……そうだなあ」
司はむせて涙目の雄二の頬に手を添えると、軽く上向きにして見つめ合った。
「雄二君……君の(自主規制)俺の(自主規制)口に(検閲削除)」
雄二は涙目のまま思わず司を思いっきりぶん殴ってしまっていた。
肩で息をしながら雄二が後ろを見ると、香澄と芳樹が何かを話している。うんうんと頷いていた香澄が、ゆっくりと雄二の方を向いた。
「おにいちゃああああああん!」
「ぎゃああああああああああ!」
香澄が突然フライングボディプレスを仕掛けてきた。間一髪かわす雄二。重い振動と共に香澄の下敷きになった机と椅子が、いい感じにひしゃげていた。
「なななな何!」
香澄のそばで尻もちをついた雄二が、泡を食ってわめく。
「芳樹! お前何を話したんだよ!」
「雄二は妹好きって」
「なんかもういろいろと違うぞ馬鹿!」
「じゃあ姉好き?」
「いや、ちょっと待て!」
「……そうだったの」
香澄がゆっくりと起き上がった。
「さあ、この姉とめくるめくひと時を……」
雄二はすでに教室を離脱して校舎圏からも脱出しようとしていた。
「とうっ」
香澄は二階の教室の窓から外に飛び出した。
司は教室の後ろに倒れたままぴくりとも動かない。
残された芳樹は、弁当のうどんをすすった。
「やっぱりうどんだけじゃおかずにならないなあ」
学校に予鈴が鳴り響き、非常に充実しつつもどうしようもない昼休みは、もう終わろうとしていた。




