第二十九話
月曜日。
真樹人さんは出社するなり課長と長崎さんと一緒に社長室へ行ってしまった。あの話をしに行くのだろう。
社長室には室戸さんもいる。大丈夫かと心配だったけど、真樹人さんは頑として私が一緒に行くのを許さなかった。
だから私はオフィスの自分の席でこんな朝早くから悶々と一人で座っている。何ができるわけじゃないけど、のんびりいつも通り出社して、なんて私が耐えられない。
真樹人さんは、曽根さんが社長の娘だって言ってた。でも社長は「曽根」じゃなくて「雨森」。
----追求しちゃ失礼かな、さすがに。
曽根さん、本当に美代子さんとのパイプ欲しさで真樹人さんに近づいてたのかな。もしかしたら本当に真樹人さんのこと好きだったんじゃないのかな。
正直、曽根さん美人だし真樹人さんはかっこいいし、二人が並んでるとお似合いだなあと思ったことだってある。もちろん譲る気なんかさらっさらないけど。
それから、曽根さんが社長の娘なら真樹人さんは彼女を追及して大丈夫かな。娘を追い詰めた、って社長に悪い印象持たれて、仕事に影響があったりしないかな。あ、でも、そうなると私も悪い印象もたれそうな一人だな。
そんなことを考えてて、私はオフィスの扉が開いたことに気が付かなかった。
突然後ろから肩をグイッと引かれて、そこに誰がいるのか認識するよりも早く、バシッと派手な音がして私は座っていた椅子から床に投げ出された。とたんに左の頬が熱いみたいに痛くなり、横っ面を張り飛ばされたことを理解する。
「あんた、あんたなんか」
恐ろしい形相で私を見下ろしていたのは、曽根さんだった。
「あんたさえいなければ、高木さんは私のものだったのに。あんたなんかいなくなっちゃえばよかったのに!」
「曽根さん……」
「こんな子ネズミに! ああもう、どうやっても追い払えない----あんたが悪いのよ。室戸か有村に落とされて高木さんと別れてればこんな痛い目を見なくてすんだんだから」
「室戸さんと----有村さん?」
「そうよ、有村にはあんたをどうにかしてくれれば付き合ってあげるって言ったら、喜んであんたを落としに行ったわ。何をするつもりだったかまでは知らないけど」
有村さんに連れ出されそうになった時のことを思い出す。
「あんたを異動させろって言っても人事は言う事聞かないし、私の計画はあんたのせいで全部台無しよ。これじゃお父様に----」
そこまで言って曽根さんは一瞬はっとした表情を見せたけど、すぐに私をキッと見下ろした。私は床にへたり込んだままだ。
「もうここまで来たら高木さんのことは諦めるしかないのかもしれない。だとしても、あんただけ幸せになるなんて許せない----あんた、モモンガってあだ名なんだって?小動物は小動物らしく穴蔵で冬眠してりゃいいのよ!」
再び振り上げられた曽根さんの右手を咄嗟に受け止め、そのままもみ合いになる。
「曽根さん! やめてください!」
「うるさいっ! あんたなんか、あんたなんか」
そのとき、掴み合っていた手を急に握られて引きはがされた。
「やめろ! 何やってるんだ!」
はっとして私も曽根さんも動きが止まった。間に入ってきたのは真樹人さんだ。真樹人さんと一緒に長崎さんもいる。
真樹人さんと長崎さんに引きはがされてはあはあと息が上がってしまっている。
曽根さんは長崎さんに連れられて社長のところへ行ってしまった。私は真樹人さんに連れられて空いている会議室へ行き、落ち着くまで少し休ませて貰った。
「南美、これ」
真樹人さんが凍った保冷剤をタオルに包んで持ってきてくれた。はたかれた左のほっぺたに当てるとじいんと鈍い痛みが少し和らぐような気がする。
「ありがと、真樹人さん」
お礼を言って私の前に立っている真樹人さんを見上げると、真樹人さんがつらそうな顔でいるのに気がついた。つらそうって言うか----痛そうな、泣きそうな顔?
「----ごめん南美」
「え? 何が?」
真樹人さんが突然跪いた。保冷剤を持っている私の手の上から大きな手が重なる。
「守るって言ったのに。なのに、怪我まで」
曽根さんに叩かれたことを言ってるんだ、とすぐにわかった。でも、そんなの真樹人さんが謝ることじゃないよ? だって、真樹人さんは社長に会いに行ってたじゃない。
だめだよ、そんなふうに大事に大事に守られてばかりで私、真樹人さんに何も返せない。
「真樹人さんのせいじゃないし、謝らないで? 確かに一回は叩かれたけど、ちゃんと助けてくれたじゃない。それに、私の濡れ衣を晴らすために必死になってくれたのは真樹人さんだよ。むしろお礼を言っていない私の方が謝らなきゃ」
頬に当たっている真樹人さんの手に少しだけ力が入る。
「真樹人さん、ありがとう。私のために----私ね、私、真樹人さんに……」
コンコンコン。
そのときドアがノックされて、長崎さんと課長と社長が入ってきた。私と真樹人さんも立ち上がって一礼して挨拶する。
「ひとまず座ろうか」
社長が沈んだ声で言って、私たちは全員席に座った。
「まずは藤田さん、申し訳なかった」
そう言って社長が頭を下げる、ちょ、ちょっとまってくださいよ! 恐縮しちゃいます!
「それで、ことの顛末を順を追って説明しよう」
社長、課長、長崎さん(長崎さんは課の次席なので)がそろって聞き出した話によると。
曽根さんは、やっぱり美代子さんとのパイプが欲しくて高木さんに接近した。
けれど、私という恋人ができたので邪魔に思って、最初は人事に「藤田さんを秘書課に異動させて」的な申し込みをしたらしい。私を真樹人さんのオフィスから物理的に離して、秘書課でいびり倒すつもりだったらしい。
そこで人事からうちの課長にお伺いの電話をかけたけど、課長はけんもほろろに断ったので、その話は立ち消えになった。
異動して高木さんから離せないのなら、他の男に口説かせたらどうかと考えた曽根さんは、取り巻きのひとりである有村さんに私を口説き落として欲しいと頼み込んだ。ここはさっき曽根さんが自分で言っていたから割愛。結果としてカラオケボックスから連れ出された段階で私が麻生さんに助けられらので不首尾におわった.
異動させるのもダメ、口説かせるのも失敗したら、あとは会社から追い出すしかない。
そこで曽根さんは私に濡れ衣を着せて退職に追い込ませることを考えたらしい。
けれどどうしたらいいか方法を考えているときに相談に乗ったのが室戸さんだった。
企画のデータを持ち出そうとしたことにして濡れ衣を着せる、そのための手順を考えたのが室戸さん。
まず、データのそばに一人きりでいる時間を増やさせるために、机のものをちょっとずついじることにした。これは、曽根さんが人目を盗んでやったらしい。
それで、私が一人でオフィスに残るようになってから、社長室で保管している企画書のデータを撮影したSDカードを (撮影は室戸さん) 曽根さんが女子更衣室に落とす。
その上で、お見合いの設定を社長に頼んだらしい。
実は以前から社長は真樹人さんが美代子さんのお気に入りだと知っていて、曽根さんが真樹人さんと結婚すればいいのにな、と雑談で話したことがあったそうだ。なので、曽根さんが真樹人さんと見合いをしたいと言ったのは社長には渡りに船だったわけで。
けれど真樹人さんはお見合いをきっぱり断った。ただ、曽根さんには断られることは想定内だったようで、そのために私と室戸さんが会っているところを真樹人さんに見せつけ、「俺は南美に操を立てたのに南美は他の男と!」ってショックを受けているところにつけこむつもりだったんだって。あわよくばそこで既成事実を、とか考えていたらしく、真樹人さんが私を信じてくれていて本当に良かったと思った。
「室戸は首尾よく高木君と藤田君を別れさせられたら娘を強請るつもりだったらしい。本人は認めておらんが、あわよくばあのデータを他社に売り渡す気があったかもしれん。
娘は室戸が自分に惚れているから何でも言うことを聞くんだと思っていたらしいがな。実際は惚れていたとかは娘のかんがえすぎだったようだ」
社長は机の上で組んだ自分の手をじっと見ながら話している。
「――――あれの母親とは離婚してな。そのあとも娘とは時折あっていたが、正直それほどあいつのことをわかっていなかったんだろうな。なんであんな真似をしたやら」
はあ、と重たいため息が漏れる。
私は黙っていたけれど、曽根さんがこんなことをした理由の一端が見えたような気がしていた。
さっき、曽根さんが「お父様に」ってポロッと言ってしまっていたのを思い出したんだ。
最初は「お父様に怒られる」かと思ってたんだけど、今の社長の話だとちょっと違う気がする。むしろ、「お父様の役に立てない」「お父様に認めてもらえない」的なニュアンスが――――
まあ、その辺りは私には関係のないことだ。というか、追求するべきじゃないだろうな。
次回、最終回を明日(12/21)朝5時に投稿いたします。




