第5話 束の間の関係
「お姉様遅い!」
盗賊の隠れ家に戻ってみると、アリスがご機嫌斜めで待ち構えていた。
長時間ルナルナが帰って来なかった為、アリス達は一旦室内へ戻っていたようだ。
そこかしこに転がる盗賊の意識が回復する度、ポールがもぐら叩き方式で対応したそうだ。
盗賊達の頭は既にぼこぼこであった。かわいそうに。
狸の置物――おそらく奴隷商人と馬車の姿は見えなかった。既に逃げてしまったのだろう。
が、少なくとも彼が罪を犯すところを見てはいないので、ルナルナは気にしない事にした。
それこそ彼がどこで何をしていようと『手が届く範囲』ではないのだ。
ルナルナから見れば、彼は奴隷を買いに来た、ただの商売人であった。
もっともあの時彼が引き取りに来た商品は、他ならぬルナルナ自身だったのだが。
そしてもう一人の商品予定だった娘は、ルナルナの隣でむくれている。
「すっごく心配したんだからね!」
「悪い悪い、思ったより手間取っちゃってさ」
「でも無事でよかった…」
アリスはルナルナの腕を取り、頬ずりをしながら無事を確かめている。
「それにしても、お姉様って本当に強かったのね。武装した盗賊を一人でやっつけちゃうなんて」
「ま、そのくらい出来ないと旅なんて出来ないからね」
「え、旅って、もしかしてお姉様ウエストダウンから離れるつもりなの?」
「そのうち出るつもりだけど、ウエストダウンには今日着いたばっかりだからね。
もうちょっとはゆっくりする予定だよ」
「ええっ!?」
ルナルナの言葉にアリスは驚愕の声を上げる。
「お姉様ってウエストダウンの人じゃなかったの?私てっきり…」
「うん、俺はもっと南の方の出身だよ」
「それって『荒野』を抜けてきたってこと?まさか、いくらお姉様でもそんな…でも」
アリスはぶつぶつと一人思案に入ってしまう。
街から街へと旅する事が、はたしてそこまで非常識なことだったか?とルナルナは首を傾げる。
が、一連の魔物騒ぎとその顛末を思い出し、ようやく合点が行く。
ここら一帯では、未だに『魔物』は凶悪で手に負えないものとして認識されているのであった。
「実際、ここの『ボス』も結局あんなんだったしね」
ルナルナは軽く嘆息する。
希望に満ちた一歩目に、いきなり現実を見せ付けられた気分であった。
「うーん、たまーに例外はあるけど、実は荒野で『魔物』の被害に会うことはあんまりないよ。
そうだね、『魔物の棲みか』にさえ入らなければほぼ大丈夫だと思う」
「え?だって、街の外じゃ魔物の被害があんなに…」
「あれは全部盗賊の仕業。魔物には人間に手出しできない理由があるのさ」
「理由、って?」
「今の魔王が人間と仲良くしたいって考えててね、世界中の魔物に睨みを利かせてるのさ」
「ちょ、ちょっと待って。いきなり話が大きくなりすぎ!」
「まーこんな話信じろって言っても無理かもしれないけどね」
「それよりまずお姉様の、その知識の出所が謎なんだけど」
「あはは、そこを突っ込まれるとなかなか難しいな。でも嘘はついてないよ」
「うん、信じるわ」
「あれ?」
思いの外すんなりと飲み込んだアリスに、ルナルナは意表を突かれる。
「だってお姉様が言うんだもの、本当に決まってるわ!」
アリスは花咲く笑顔でそう断言した。
「アリスって、かなりのお嬢様だったんだな」
「あんまりお嬢様って柄でもないけどね」
ルナルナは白塗りの豪邸を見上げ、素直な感想を口にした。
聞けばアリスの父親は、商人として成功を収めた人物らしい。
しかもこの国の国王に謁見を許された事があるほどの。
結局ルナルナは、しばらくこの屋敷のお世話になる事となった。
まず街に戻るとお偉いさんに事情を話し、盗賊たちの身柄を引き渡した。
その後、宿を取り忘れていた事に気付き慌てるが、
アリスが「それならぜひ我が家に!」と申し出たのだ。
今回の件で、ベレス家としてのお礼もしたいとのことだった。
ルナルナはこの屋敷の主、すなわちアリスの父親に一目で気に入られてしまった。
確かに、娘を助けた人物をいきなり邪険にする事はないだろう。
だが初対面に対して『ここは君の家も同然だ、好きに使ってくれ』は、さすがにない。
ルナルナの隣でアリスも大いに頷いている。
これも人徳のなせる業か、とはルナルナは思えなかった。
おそらく自己紹介のときにフードを取らされたのが原因だろう。
無差別に発動する魔眼というのも困り物である。
それから数日、昼はアリスと街中を探索、夜はベレスの屋敷でウエストダウンや王国、
そしてルナルナが見てきた外の世界の話を肴に盛り上がる。
寝床は来客用の部屋が、ルナルナの為に用意されていた。
が、寝る時はアリスが一緒に寝ようと、わざわざこちらの部屋のベッドへ潜り込んでくる。
どうやら本格的に、アリスの開けてはいけない扉が開いてしまったようだ。
扉の向こうから漂ってくる百合の香りに、ルナルナは思わず眩暈を覚える。
シーツに包まり、ルナルナは今日一日の出来事を反芻する。
ふと、これはウエストダウン観光ではなく只のアリスとの思い出作りでは?と脳裏を過ぎる。
しかしルナルナはもうすぐこの街を離れるのだ。
もしかするとアリスとはもう会う事もないのかもしれない。
そう考えれば、この妹のような女の子との思い出作りも悪くはないだろう。
目の前で可愛く寝息を立てるアリスを撫でながら、ルナルナは優しく微笑んだ。
これでウエストダウンでのお話は終了です。
次話から舞台が移る予定ですが、
その前に幕間的な話が入るかもしれません。