第60話 魔術の祖
「はぁ?いつもは5日くらいで戻ってくるのに、何で今回に限って10日後なんだよ」
アリスのアイデアに感銘を受け、意気揚々と母親に伝えようとしたルナルナであった。
しかし彼女のその行動は、あっさりと出鼻を挫かれることになってしまった。
「ヴァーミリア様は、現在遠い北の地を回ってますわ。
ですので、少なく見積もってもそのくらいはかかるでしょう」
ルナルナは、すぐにでもヴァーミリアと連絡を取りたいと申し出た。
だが、エルドから帰ってきたのは、無情にもそんな言葉だった。
「いや、お母様は『転移』で移動してるんだから、別に距離は関係ないだろ?」
ヴァーミリアの使う『転移魔術』は、距離関係なしで一瞬の移動が可能になる魔術だ。
距離により消費魔力は変化するが、彼女の魔力ならばさして問題ないはずであった。
「確かに移動だけで言えば、ヴァーミリア様は一瞬で帰還することも可能でしょう。
ですが、今回は普段嫌がってなかなか回らない北の地に、何故か自ら赴いたのです。
ですので、この機会に北の『棲みか』は全て回るように言い含めておきましたわ。
あの地方の『棲みか』の数を考えれば、早くともあと10日は必要でしょう」
淡々とそう告げるエルドの視線が、何故かルナルナには変に生暖かく感じられた。
そしてそこまで言葉にされると、ルナルナにもおおよその真相が理解出来てしまった。
「はぁ……お母様って、どんだけ親馬鹿なんだよ」
ヴァーミリアは、ルナルナと同じく『変温体質』の為、寒さには極端に弱いのだ。
したがって北の地で活動するには、常に魔力を使って体温を調節する必要がある。
それは余計な魔力消費を意味し、同時にアレを飲む頻度が増えることも意味した。
魔術回復薬の不味さは、それだけで北を忌避するに足るほどのものなのだ。
しかし今回ヴァーミリアは、それを押してまで北の地に赴いたという話だ。
その行動と、つい最近までルナルナが北に居た事は、恐らく無関係ではないだろう。
ひょっとして、旅の道中も案外すぐ近くにヴァーミリアの姿があったのではないか?
その可能性を否定できないほど、ヴァーミリアは自分の娘に対して溺愛していたのだ。
ルナルナも、既にヴァーミリアとの親娘関係は認めているため、そこに嫌悪感はない。
むしろ多少のむず痒さを感じつつ、素直に嬉しいと感じられるほどには良好な関係だ。
しかし、今回はそれが仇となってしまったようだ。
勢い込んで乗り込み、早速出鼻を挫かれたルナルナは、思わず渋い表情を作った。
「ほら、そんな顔しないでくださいなお嬢様。
別に私はこの話に反対したり、有耶無耶にしようというわけではありませんわ」
ルナルナが視線を上げると、やはりエルドの冷たい相貌が待ち構えていた。
すっかりお馴染みとなったこの空気感に、ルナルナの頭は急速に冷えてゆく。
こういう展開で、何度も浮かれるルナルナを冷たく咎められてきた過去があるのだ。
「……つっても、いきなり出鼻を挫かれるのはなぁ。
それに『鉄は熱いうちに打て』って言うじゃないか」
「あら、ではお嬢様は『急いては事を仕損じる』という言葉を知りませんか?
下手に焦っても、思わぬ落とし穴にはまって失敗するのがオチですわ」
「ぐっ……」
これである。
この何を言っても結局言い包められる感じが、ルナルナはどうにも苦手なのであった。
「そもそもこのアイデアには、私から見ていくつか致命的な問題点があります。
それらの解決案を示さない限り、実行に移すには時期尚早と言えるでしょう」
表情を変えないまま、エルドはそれが事実と言わんばかりに淡々と言葉を続けた。
反対しないと言いつつ、結局ダメ出ししてくるエルドにルナルナは辟易としてしまう。
「じゃあ具体的には、エルドの言う問題点は一体どのあたりになるんだ?」
「そうですわね。根本的な問題としては、やはり『魔力回復薬』の味でしょう。
この案の場合、かなりの頻度で魔術師が薬を口にすることになりますわ。
ですが、現状のままでは、あの薬は常飲に耐えられるような代物ではないでしょう」
「つい最近、その薬を常飲しろと誰かさんに言いつけられた記憶があるんだが?」
強い皮肉を込めつつ、ルナルナはエルドのダメ出しにそう反論した。
「あらお嬢様、ラミアと人間を一緒にしてはいけませんわ。
なにしろお嬢様方ラミアは『雑食』なのですから」
「『雑食』つっても、別に何でも好んで食べるって意味じゃないからな!
それと、人間だって分類で言えば確か『雑食』のはずだよな」
「あら、そうなのですか?意外にお嬢様は博識なのですね」
ワザとらしくすっとぼけるエルドに、ルナルナは軽く頭痛を覚えた。
ここまでいくと、もはやただの煽りにしか聞こえなかった。
「それに、もう一つ無視できない問題がありますわ」
「はぁ、今度は何だって言うんだよ?」
ルナルナは露骨にうんざりしながらも先を促した。
「今ある『魔術』は、ほとんどが戦闘やそれに準ずるものに特化したものばかりです。
それを無理やり産業に利用しても、得られる経済効果は微々たるものでしょう」
「う……やっぱりそうなのか?」
続けてエルドから告げられたもう一つの課題に、ルナルナは思わず表情を歪ませた。
その問題は、実のところルナルナも少し気にかけていた部分であった。
というのもルナルナが今まで目にした『魔術』は、戦闘に特化したものばかりだった。
『麻痺』『睡眠』『毒化』『魅了』『傀儡』『転移』『火炎』『凍結』etc……
その中に平和利用出来そうな魔術は、『転移』の他数種ほどしか見当たらなかった。
世にある『魔術』の大半を知るエルドなら、有用なものを示せるかと期待していたが。
彼女がそう言うのであれば、現存する『魔術』に過度の期待は出来ないのだろう。
「……じゃあ、結局エルドから見れば、この案には期待できないってことなんだな」
ルナルナは熱に浮かされていた所に、いきなり冷水をぶちまけられた気分となった。
過去にもこういうやり取りは何度も繰り返してきたが、今回はそれとは訳が違うのだ。
何しろこの案は、アリスがルナルナの為に、寝る間を惜しんで生み出したものなのだ。
それをあっさり否定されたという事実は、自分が否定される以上のダメージとなった。
「あら、私はそんな事一言も言ってませんわ」
「……え?」
だから、その後に続いた聞き慣れない声色に、眼前に現れたその見慣れぬ表情に、
ルナルナは完全に虚を付かれることとなった。
「確かに改善すべき問題点はあります。
ですが、それを差し引いても一考するだけの価値が、この案にはありますわ」
そう言葉を続けるエルドは、ルナルナの眼前で柔らかく微笑んでいた。
「ですので、ヴァーミリア様が戻って来る十日後までに、
出来る限り改善点は詰めておきましょう」
「は?それって……じゃあ、エルドもこの案に協力してくれるってことなのか?」
「ええ、そういうことですわね」
未だ半信半疑のルナルナに、エルドははっきりと頷いた。
「……なんだよ、一体どういう風の吹き回しなんだ?」
そしてエルドのアクションがいつもと違うからこそ、ルナルナの疑念は更に深まった。
今までルナルナの前では、どんな場面でも常に冷たい対応を見せてきたエルドである。
そんな彼女が、今回に限っていきなり人が変わったかのように態度を軟化させたのだ。
ルナルナが、そこに何か裏があると勘ぐってしまうのも無理はないだろう。
しかしそんなルナルナに向け、エルドは心外とばかりに首を振った。
「別に、『世界平和』はあなた達親子だけの悲願ではないということですわ。
私がヴァーミリア様を立てるのも、その部分で一致しているからに他なりませんし」
傍から聞けば不遜極まりない発言だが、その発言が許される力がエルドにはあった。
『魔界』において、魔王と対等の発言権を持つ。
すなわちそれは、エルドがヴァーミリアと対等の力を持っていることを意味していた。
そんなエルドがこの件に協力してくれるとなると、それは大きな意味をもつだろう。
なにしろ当のヴァーミリア自身は、それほど政治能力は高くないのだ。
既にその補佐として『魔界』の内政に深く関わっているエルドの後押しがあれば、
それだけでこの案が実現する可能性はかなり高くなるだろう。
ルナルナはいつもと違うエルドに違和感を覚えつつ、そのまま話を進めることにした。
「それにしても『力』ではなく『利』で動かす、ですか。中々に面白い考え方ですわ。
力と感情を優先させる魔物にはあまり馴染みのない考え方ですが」
「そうだな。これを考えたアリスは商人の卵なんだ。
商人ってのは魔物と違って、力より利益に主眼を置く人種なんだろうな」
「なるほど。『魔人』の次は『商人』ですか。
お嬢様の同行者には、なかなかどうして面白い人材が揃ってますわね。
これでは、お嬢様の放蕩も無駄ではなかったことなってしまいますわ」
表情や口調が軟化しても、皮肉だけは決して忘れないエルドである
その彼女の様子に、ようやくルナルナは目の前の人物が偽者ではないことを確信した。
「では早速、その発案者も交えて詰められる所は詰めてしまいましょう。
幸い問題の一つは、すぐにでも解決できそうなものですからね」
「……ん?ちょっと待て。
『魔力回復薬』あの味って何とかなるものだったのかよ?
だったら何で今の今まであのままで放置してたんだよ」
「それは当然、お嬢様の苦しむ顔が見たかったからに決まってますわ」
「なっ!?」
エルドの流れるような返答に、ルナルナはしばし絶句した。
受けたダメージは、何故か冷たい表情から放たれる発言よりも大きい気がした。
「もちろん嘘ですわ」
「おい!」
少し落ち着けば、それはありえないことだとルナルナにもわかることだった。
なにしろあの薬の味に一番苦い思いをしているのは、他ならぬヴァーミリアなのだ。
魔物の抑制の為に大量生産して、その味のせいで結局見向きされなかった過去もある。
それこそ簡単に改善できるものなら、とっくに改善されていてしかるべき部分だった。
「それじゃあ、解決できるってのは」
「ええ、当然『魔術』の方ですわ」
ルナルナの問いに、事もなげにそう告げるエルドであった。
そんなエルドの言動に、ルナルナは納得しながらもどこか腑に落ちなかった。
前述の通り、エルドは魔術博士と呼んで差し支えない程の深い知識を有しているのだ。
それを考えれば、彼女が『魔術』の問題を解決出来ると言うのは自然なことだろう。
しかし、腑に落ちないのは問題そのものではなく、エルドの言動にあった。
「簡単な解決法があるなら、何でさっき『致命的な問題』なんて言ったんだよ?」
そう。
エルドは先にそれを『致命的な問題』と発言したのだ。
「あら、ずいぶんと不満そうな顔ですね。
ですが私には簡単というだけで、致命的な問題という言葉に偽りはありませんわ」
「??……一体どういうことなんだよ」
「現存する『魔術』に、産業に活用できそうなものがほとんど『ない』のは事実です。
ですが、『ない』ものならば、今ここで作ってしまえば良いというだけの話ですわ」
「…………は?」
ルナルナはエルドの言った言葉の意味を、即座に理解することは出来なかった。
「悪いがよくわからなかった。もう一度言ってくれないか?」
「ですから、人間の産業に活用できる新たな『魔術』を、私が作ると言っているのです」
漸くルナルナも言葉の意味だけは理解出来たが、未だ理解は追いつかない状態だった。
『魔術』は、体外に出した魔力を決まった図形に組み上げて発動させる現象である。
そして、組み上げる図形を少しでも間違ってしまうと『魔術』は発動しない。
ということは、その図形にはなんらかの法則が存在するということなのだ。
しかし人間と魔物の言語を解するルナルナでも、図形の持つ意味は理解できなかった。
その摩訶不思議な魔力の図形を、エルドは理解どころか新たに作り出せると言うのだ。
「……つーか『魔術』ってのは、そんな簡単に作れるものだったのか?」
「だから、私には簡単と言ってるのですわ。
そもそも今ある『魔術』だって、そのほとんどが私の作ったものですからね」
「はぁ!?」
何でもないことのように発せられたエルドの言葉に、ルナルナは今度こそ絶句した。
ルナルナも『魔術』の祖が魔物であることは、人間時代から知識として知っていた。
しかし、その作った張本人が、まさかこんな身近に居るとは思いもしなかったのだ。
エルドは魔物でも最強を争うドラゴンの頂点にして、悠久の時を生きてきた存在だ。
それがどれだけ規格外な存在であるか、改めて思い知らされたルナルナであった。
「それで、その小さな商人さんは、今お嬢様の部屋に居るのかしら?」
「あ、ああ。大人しくしていればそのはずだけど」
「では時間も惜しいですし、私の方から伺いましょうか」
そんな規格外な存在が今、親友であるアリスの案を評価してくれているのだ。
その事実が、なぜかルナルナにとっては妙に嬉しく感じられた。
物語紹介に世界地図を追加しました。
世界観の補足になれば幸いです。




