第57話 魔界の不良在庫
「エルドさんはああ言ってましたけど、私ちょっと腑に落ちないんですよね」
「ふあぁ……ん?どのあたりがだ」
エルドとの対談を終え、ルナルナ達は欠伸を噛み締めながら静かな廊下を歩いていた。
二つの月は地の果てへと姿を隠し、澄んだ空は幻想的なグラデーションを映し出す。
赤いカーペットの敷かれた石造りの長い廊下も、既に柔らかな朝の光に包まれていた。
アイラの誘導で行われた対談は、結果としてルナルナの望む最高の成果をもたらした。
しかし当のアイラは、『魔力回復薬』の入った袋をカチャカチャと鳴らしながら、
廊下に出てからずっと納得のいかない表情をしていた。
「実は私、お嬢様とエルドさんは喧嘩別れするって予想してたんですよ」
「はぁ?だってお前、腹を割って熱意を見せれば説得できるとか言ってなかったか?」
「説得できるとまでは言ってませんよ。
ただ覚悟を決めるなら、エルドさんから逃げるのは絶対にダメって言っただけです」
「じゃあお前は、最初から俺とエルドを喧嘩別れさせるつもりだったのかよ?」
「はい、そうですよ」
ルナルナの言葉に、アイラは事も無げに返す。
非常に物騒なことを言っている彼女だが、表情は至ってにこにこと普段通りであった。
本性を見せてからの彼女は、見た目と言動が激しく噛み合わない。
その為、ルナルナは何度も彼女の事を殴りたい衝動に駆られていた。
「つーか、それならなおさら良い事じゃないか。
熱意を見せた結果、無事エルドの説得に成功しました。では納得出来ないのか?」
「普通ならそうなんですけどね、でも相手はあのエルドさんですから……」
どうやらアイラの中では、エルドという人物はかなり信用の置けない相手らしい。
「だってエルドさんって、言ってることに一貫性ないですし、嘘も平気でつきますし。
そんな中で常に曲げなかったのが、お嬢様が強くなることに対する否定なんですよ」
「嘘つきな点は、お前だって人の事言えないだろ」
ルナルナは、ぼそりと嘘つき淫魔に反撃する。
「あれれお嬢様?またちょっと魔力減ってますよ。
これはまたお嬢様の『覚悟』、見せてもらわないといけませんね~」
アイラは袋の中身をちらりと見せながら、にっこりと微笑んだ。
「……ごめんなさい」
ルナルナがこの性悪淫魔に勝てるようになるまで、まだしばらくかかりそうであった。
「それで、話の続きなんですけど、
今までの経緯からエルドさんがその件で譲るとはどうしても思えないんです」
「じゃあエルドはどういうつもりでああ言ったんだ?
反対どころか、俺の修行に協力するとまで言ったんだぞ」
ルナルナの言葉にアイラは首を振った。
「一番怪しいのはそこですよ。だってエルドさんってとっても忙しいんですよ。
なのにお嬢様の修行なんて、誰にでも出来そうなことを引き受けるのは不自然です」
「ん?俺の修行ってそんなに簡単なことなのか?」
「お嬢様のスペックって基本的に10か0ですからね。
0の部分を何とかするだけで、きっとすっごく強くなりますよ」
「ああ、なるほど。それはなんとなくわかるな」
アイラの言う通り、ルナルナの現状の能力は非常にいびつであった。
ルナルナは、ラミアという魔物の中でもかなり能力に恵まれた種族である。
この種族は、パワー、瞬発力、各種耐性、そして魔力等の能力が軒並み高いのだ。
そして魔王の子供であるルナルナは、この特徴を更に高いレベルで有していた。
ルナルナの生まれ持った能力は、何もせずとも並の魔物が話にならないレベルなのだ。
だが魔物の力は、その恵まれた体の強さのみで決まるものではない。
単純な力のみで考えれば、例えばアイラ達サキュバスはかなり弱い部類なのだ。
しかし、その力の差を埋める事が出来るのが、魔力というものの存在であった。
この魔力という分野において、ルナルナは未だ知らないことが多すぎるのだ。
人間の魔術師であれば、魔力はただ魔術を行使するための燃料でしかないが、
魔物にとっての魔力は人間にとってのそれとは大きく異なり、更に重要な要素となる。
何しろ、魔物は何をするにしても魔力を消費するのだ。
魔力保有量は群を抜いて多いルナルナだが、彼女はその制御をこれまで怠ってきた。
魔力を自由に扱えない彼女は、いうなれば魔物の強みの大半を放棄していたのだ。
逆説的に考えれば、強い魔物は総じて魔力の扱いに長けているとも言えるのだ。
そしてルナルナの身の回りには、『魔界』でもトップクラスに強い魔物が何人もいた。
そう考えれば、確かにルナルナに魔力の使い方を教えるのはエルドである必要はない。
その役割は四天王のベルゼやアイラ――どころか、城の給仕役ですら務まるだろう。
「なるほど、するとエルド自らってのは、確かに怪しいのかもな」
「そうですよ~。あんな風に言われたからあの場では反論し辛かったですけど、
またエルドさんが何か嘘をつくようだったら、すぐに私に相談してくださいね」
「そうだな、じゃあ何かあったら、その時はまた頼らせてもらうよ」
「はぁい、まっかせてくださいお嬢様!」
ルナルナの言葉に、アイラが弾むような声で反応する。
朝日の差し始めた魔王城の長い長い廊下を進みながら、
二人はようやく幼馴染らしい気軽さで会話を楽しむようになっていた。
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「ん……あ、お帰りなさいお姉様」
二人が寝室まで戻ると、強大なベッドに腰かけたアリスが眠そうな目を擦っていた。
「なんだアリス、まだ起きてたのか?律儀に待ってないで早く寝てれば良かったのに」
「何言ってるの?せっかくのお姉様の部屋なのに、何もせず寝るのはもったいないわ」
「お前こそ何言っているんだ。そして一体何をするつもりなんだ?いいから早く寝ろ」
「きゃうん♪」
ベッドの縁に座るアリスの肩をルナルナがポンと押すと、
彼女は変な声を出しながら、純白のシーツの上に倒れこんだ。
「はぁ、お姉様の香りがする……」
恍惚の表情でシーツに顔を埋める彼女に、ルナルナは溜息をついてスルーを決め込む。
このくらいで反応しては身が持たないことを、ルナルナはここ数ヶ月で学んでいた。
適当に好きにさせていれば、そのうち彼女は勝手に満足してくれるのだ。
「つーかしばらく空けてたんだから、俺の匂いなんてとっくに消えてるだろ。
それにこんな殺風景な部屋、別に楽しいことなんてないだろうに」
ルナルナの言葉通り、その寝室は女性の部屋にしてはかなり物が少なく殺風景だった。
最初はもっと物が多かったはずなのだが、ルナルナが片っ端から処分させたのだ。
そして物が減った寝室は、その広さも相まってかなりもの寂しい雰囲気となっていた。
ルナルナがアリスの家にお邪魔した時、ついでに彼女の部屋も見せてもらったが、
無駄を嫌い、女性としては特殊な思考を持つ彼女の部屋ですらここまでではなかった。
彼女の部屋は、せいぜい部屋の3分の1が本棚で埋められていたくらいである。
だが、アリスにとってはそうではなかったようだ。
「そんなことないわ。確かに物は少ないけど、調度の一つ一つはすっごく良い品だし」
ルナルナが日々無造作に使っていたそれらは、どうやらかなり良い物だったらしい。
それにしてもアリスは商人見習いとはいえ、その目利きスキルは大したものであった。
これまでも旅先で、ルナルナが手に取った物の大半を、彼女は目利きしてみせたのだ。
その知識と観察眼は、それこそ並大抵の努力で身に付くものではないだろう。
ルナルナが度々暴走する彼女を邪険に扱わないのも、
彼女がそれだけ尊敬に値する人物だと認識している為でもあるのだ。
「それに、煌びやかなのが悪いとは思わないけど、こういう質素なのもいいと思うの。
まぁ、もうちょっと飾り気があった方がいいとは思うけどね」
そして、ルナルナとアリスは、こんなところで妙に波長が合うのだ。
ごく一部、どうしても相容れない点はあるが、基本的に超合理主義の彼女と話すのは、
ルナルナとしても楽しいと感じていた。
「部屋着にも超高級のスパイダーシルクを使ってるあたり、センスの良さを感じるわ。
機能性と主張しすぎないお洒落。やっぱり贅沢ってそうやって使うべきよね」
「うん?」
今ルナルナが着ているのは、上下とも旅の間も身に纏っていた男物の装いである。
当然アリスの言うような超高級品ではなく、途中の町で購入したごく一般的な服だ。
そしてその他の衣類や荷物は、北国の宿に置いてきたままである。
だから、彼女の言うような服には一切身に覚えがなかった。
「アリスは、一体何の話をしてるんだ?」
「えー、だからお姉様の服の話じゃない。
お姉様ってあまり服に興味ないと思ってたけど、実は可愛いのも結構持ってるのね」
「はぁ?」
ふと、ルナルナはアリスの視線がある一点に向かっていることに気がついた。
そしてその間に、おおよそ彼女の言っている意味を理解してしまった。
ルナルナが、ゆっくりと彼女の視線の先へと目を向ける。
そこにはルナルナの予想の通り、木目の美しい巨大なクローゼットが鎮座していた。
『ギギギ…』と聞こえてきそうな挙動で、ルナルナはゆっくりと視線をアリスに戻す。
「……見た……のか?」
満開に咲いた花のような笑顔のアリスは、親指を立てながら可愛らしくウインクした。
「見ちゃった☆」
どうやらルナルナは、アリスと相容れなかった最後の一点を満たしてしまったらしい。
「つうか!なんで!勝手に見てるんだよこの大馬鹿野郎!」
「好きな人の部屋に来て、一人残されたのよ!そんなの見るに決まってるじゃない!」
「普通は見ねーよ!そしてなんでお前は誇らしげに告白してんだよ!せめて隠せよ!」
「コソコソと覗くなんてほとんど変態じゃない。そんなのゴメンよ!」
「どっちにしろ十分変態だよ!もー許さん!」
「ふわ!?お姉様酷いぃ!」
きゃいきゃい頬をひっぱり合う二人に、もう一人の少女がなだめるように声をかけた。
「仲がいいのは良いことですけど、そろそろ寝た方が良いんじゃないですか。
お二人とも昨日からほとんど寝てないんですよね?」
アイラの声と、ガチャリと袋を置く音に、ルナルナはハッと我に返った。
「あ、ああそういやそうだな。アリス、近くの空いた部屋を用意してもらうから……」
「イヤよ!」
「……まあ、そういうと思ってたよ」
頬を膨らませながらぴっとりと身を寄せてくるアリスに、ルナルナは苦笑した。
「こんなにベッドが広いんだから、今日は一緒に寝ても大丈夫よね?」
「例えベッドが狭くても、関係なく潜り込んでくるだろお前は」
「というか本当に広いわねこのベッド。キングサイズどころの話じゃないわよね。
もしかしたら100人くらいは寝れるんじゃない」
「スルーかよ!……まあ確かに、実際そのくらいは寝れるかもな」
アリスの言葉通り、ルナルナのベッドは常識ではあり得ないほど広かった。
何しろ、一辺がおよそ15mほどもあるのだ。
人間であるアリスがこれを見て驚くのは無理もない話だった。
「でもこのサイズがあっても、たまにベッドから落っこちることがあるんだよな」
「この広さで!?お姉様ってどれだけ寝相が悪いのよ。
……って、あれ?でも私と一緒に寝る時は、別にそこまで酷くはなかったような」
案の定な勘違いをしたアリスに、ルナルナは笑って訂正する。
「そりゃ人間の姿の時はな。
じゃあ試しに、ラミアの姿で一般的なベッドに寝たらどうなるか考えてみようか」
「あ、なるほどそういうことね」
そこでアリスもようやく得心がいったらしい。
通常のラミアであれば、そもそもベッドなどは必要はないのだ。
しかし一国の王族が地べたで寝るのもまずいので、このベッドが用意されたようだ。
ルナルナ的には、前世が旅から旅の根無し草だったので、別にどちらでも良かったが。
「人の姿の場合ちょっと落ち着かないかもしれないけどな。まー気にするなってことで」
ルナルナはそう言うと、枕片手にベッドの中ほどまで這い進んでゆく。
広いからといってベッドの縁で寝るのは、ルナルナ的になんとなく落ち着かないのだ。
この広さの場合、恐らくどこで寝ようが結局は落ち着かないのかもしれないが。
「それじゃあお嬢様。『魔力回復薬』はここに置いていきますからね。
お嬢様の場合、何もしなければ多分1日10本くらいで足りると思いますよ」
「ぐぇ、10本もかよ……」
「これも修行だと思ってがんばってください」
「あーはいはい。じゃあおやすみな、アイラ」
「おやすみなさぁい、お嬢様」
軽いノリで寝る前の挨拶を交わすと、アイラはそのまま部屋を出て行った。
それを横から見ていたアリスは、再び何かに驚いている様子であった。
「ま、またすごくいっぱい持ってきてるし。
……ねぇお姉様、『魔力回復薬』って『魔界』じゃそんなに余ってる物なの?」
「余ってるどころじゃないな。お母様の政策の1つとして大量生産したはいいけど、
現状で供給に消費がまったく追いついてなくてな、今じゃただの不良在庫なんだ」
「不良在庫!?」
ルナルナの話に、アリスは更に目を見開いた。
「まー、人間と魔物じゃ価値観が違うってひとつの良い例だよな」
笑い話として話すルナルナに対し、アリスは既に一人思考の海に沈んでいた。
ぶつぶつと俯きながらうんうん唸り、何かを計算しているようでもあった。
「お、おい。急にどうしたんだアリス?」
「……ねぇ、お姉様。何か書くもの貸してもらえないかな?」
「別にいいけど、寝ないのか?」
先ほどまで、ルナルナのベッドに潜り込む気満々だったアリスの豹変ぶりに、
ルナルナは少し心配げに声をかけた。
「ちょっと考えたい事が出来たの。
もうちょっと考えをまとめたいから、お姉様は先に寝ててよ」
「あ、ああわかった。でも無理しない程度にな」
「うん、わかってる。じゃあおやすみ、お姉様」
「お、おう。おやすみ、アリス」
そのまま凄い勢いで何かを書き殴るアリスを窺っていたルナルナだが、
その意識もしばらくすると、深い眠りの中に落ちていた。
ルナルナが寝静まった後も、アリスがペンを走らせる音が寝室に響いていた。
日が空高く昇り、『魔界』特有のまとわりつくような暑さが彼女を包んでも、
彼女はさして気にする様子もなく、びっしりと書き込まれた紙を次々と量産してゆく。
そして借りた紙が尽きかけたころ、ようやく彼女はペンを置いた。
彼女は書き殴ってきたメモに目を通して、自らのアイデアを確認する。
すべてに目を通し終わった所で、彼女は確信に満ちた表情でひとつ頷いた。
「うん、これならきっといける。私、やっとお姉様を助けられるかもしれない」
この話で第6章本編は終了です。
次話も既に予約投稿済なので、明日の0時に投稿されるはずです。




