第56話 覚悟の重み
「……それで?いきなりこんな時間に帰ってきて、一体何の用なのかしら」
もともと威圧感のあるエルドの双眸は、更に鋭く眼前に立った二人を射抜いていた。
その凍てつくような視線にルナルナは怯み、アイラはにこにこと受け流していた。
エルドは、アイラ達四天王の更に上の地位に位置する、『魔界』の最高幹部である。
『魔界』の王であるヴァーミリアは、自らの政策のために各地を飛び回っているので、
ヴァーミリアのこなせない仕事や、突発的な問題を解決するのは彼女の仕事であった。
近頃魔王に反発する『ボス』が増え、その結果空いた『ボス』の座までも、
彼女が兼任することでその穴を埋めていた。
各地の魔物が人間に手を出さないよう監視するのは、現魔王が行う政策の肝なのだ。
先代魔王である『狂魔王』が斃れ、ヴァーミリアが魔王の座に就いておよそ20年。
『侵略』と『和平』。
その指針は真逆であったため、代替わりの際『魔界』の上層もすべて一掃されていた。
おかげで、『魔界』の人材はまだまだ豊富とはいえないのが現状であった。
それ故『ボス』の代役のような細かい仕事ですら、彼女が兼任する必要があったのだ。
仕事の出来る者の下に、望まずとも仕事が集中するのはどこの世界でも同じであった。
要するに、エルドは『魔界』で最も忙しい魔物なのだ。
そんな多忙を極める彼女は運よく。いや、運悪く?『魔王城』に居合わせていた。
既に夜明けにも差し掛かった時間での呼び出しに不満があるのか、
彼女はいつもより更に5割増しの不機嫌そうな表情で、その第一声を上げた。
こんな時間の急な呼び出しにも関わらず、彼女は即座に現れた。
彼女は不機嫌な表情であること以外は、さしていつもと変わらなかった。
当然その身だしなみにも、一切の乱れは存在しない。
恐らく彼女はこの時間にも起きていて、何かしらの活動をしていたのだろう。
「ほれみろ、エルド滅茶苦茶機嫌悪そうじゃないか。
だから夜が明けてからの方が良いって言ってのに…」
「ダメですよ~お嬢様。こういうのは思い立った時に行動するのが一番良いんです」
ただでさえ、今からルナルナは彼女の機嫌を損ねそうなことを言うつもりなのだ。
その相手がこうも不機嫌なだと、下手すれば話すら聞いてもらえないのではないか。
ルナルナはそんな危惧を感じていた。
しかしアイラは、そんなものは関係ないとばかりに、強引にエルドを呼び出したのだ。
「大体、機嫌の良い悪いで考えが覆るほど、お嬢様の決心って軽いものなんですか?
どうせエルドさんが不機嫌になるのは決まってますし、そんなの些細な事ですよ」
「お前なぁ…」
「お嬢様、大事なのはタイミングじゃなくて熱意です。熱量です。
私もそれでお嬢様に味方するって決めたんですから、もっと自信持ってください」
アイラはそう言って、ルナルナの背中をドンと押した。
「わっ、とと…」
アイラに押された弾みで、ルナルナは単身エルドの目の前へと踏み出してしまう。
危うく転びそうな所をなんとか踏みとどまり、ルナルナはその視線を上げた。
そこには、更にアップになって威力が増したエルドの双眸が待ち構えていた。
ルナルナが恨みがましい目でアイラを睨みつけると、
当のアイラは『がんばって♪』と言わんばかりに、ひらひらと手を振っていた。
しかし、アイラの言葉通り、黙っているだけではいつまで経っても道は開けないのだ。
ルナルナは大きく息を吐くと、ひとつ気合を入れるように、両手で自らの頬を張った。
今まで屈してきたその圧力に対抗するように、ルナルナはしっかりと足を踏みしめ、
眼前のエルドに向き直った。
「急に呼び出して悪かったな。だけど俺はエルドに大事な話があるんだ」
「あら、なにかしら?」
エルドは、先ほどから微動だにせず、ルナルナの言葉を待っていた。
余計な力の一切入らない構えで、悠然と待ち続ける彼女のその立ち姿は、
まるで武術の達人が、相手の後の先を取るため攻撃を待ち構えているようにも見えた。
実際彼女に対して、下手な言い訳やおためごかしなどはすべて打ち落とされるだろう。
だから、ルナルナは自らを偽らず、直球で彼女に自分の決意を伝えることにした。
「俺は、やっぱり強くなりたいんだ。
エルドは平和の為には『力』は必要ないと言っていたけど、俺は違うと思う。
まだ少しだけど『魔物』や『人』、それに『世界』を見てまわって、確信したんだ。
俺の夢を叶えるには、やっぱりそれに見合うだけの『力』が必要なんだって。
そしてそれは、決してエルド達に守られているだけじゃ叶わないんだってことを」
ルナルナは言葉と同等以上の決意を視線に乗せ、そのすべてをエルドにぶつけた。
エルドはしばらく黙って、その視線を真っ向から受け止めていた。
そして彼女はやれやれといった感じに溜息をついた。
「ハァ、突然帰ってきて一体何を言い出すかと思えば、そんな戯言ですか。
おおかた旅先でいい気になって、勘違いの全能感に浸ってるだけでしょうけど…」
エルドは軽く肩をすくめ、首を振った。
「いいですかお嬢様。
現在お嬢様の手元には、既に魔界最強と呼んで差し支えのない戦力が揃ってますわ。
そんな恵まれた状況において、一体何が不満なのでしょう?」
それは今まで何度もルナルナが丸め込まれてきた、エルドの常套句であった。
しかしアリスに指摘され、アイラの後押しを受けた今のルナルナには、
エルドの言葉に反発できるだけの根拠が確固として存在した。
「確かにアイラやベルゼは強いさ。けど違うんだよ。
俺が求めてた『強さ』はそういう単純な力じゃないんだ。
俺の夢は『魔物』と『人』が融和した上での世界平和なんだ。
その夢を叶える為には、きっとたくさんの障害があるんだと思う。
その障害にぶつかった時、一番必要なのが自分を信じられる『強さ』なんだ。
それは強い護衛に守られてるだけじゃ、決して身につかないものなんだよ」
今までとは違うという意思を込め、ルナルナは視線を一切背けず最後まで言い切る。
その熱の篭った視線と言葉を受けたエルドは、スッと目を細めた。
「そうですか。つまりお嬢様は、いかなる困難にも負けない『強い心』が欲しいと」
「ああ、そうだ」
「……わかりました。ではお嬢様が強くなる為の修行、私も協力しましょう」
「これだけはいくらエルドに反対されても……ってちょっと待て、今なんて言った?」
「だから、強くなりたいというお嬢様を、私もお手伝すると言っているのです」
「はぁ?だってエルドは今まで……」
エルドの予想外の反応に、ルナルナは訝しげに彼女の表情を伺った。
エルドのその反応に、ルナルナが疑心暗鬼になるのは当然であった。
なにせ彼女はルナルナが力を持つことに、今まで頑として反対してきたのである。
それこそ、この件では魔王ヴァーミリアと言い争っても譲らなかったほどなのだ。
だからこそルナルナは、今回彼女と全面的に対立しても仕方がないと考えていたのだ。
それだけ身構えていた所に、彼女のこの肩透かしのような反応であった。
こうもすんなり認められるのならば、今までの彼女の反対は何なのだという話である。
「……今まで散々反対してきたのに、一体どういう風の吹き回しなんだ?」
だからこそ、ルナルナは自身の都合の良い方向に話が進んだにもかかわらず、
思わずエルドにそう訊ねずにはいられなかった。
そんなルナルナの様子に、エルドは軽く肩をすくめた。
「今までのようなヘタレたお嬢様でしたら、私はやはり反対していました。
ですがお嬢様の今求める強さは、まさしく上に立つ者にとって必要なものです。
そういう方向の強さでしたら、私も協力は惜しみませんわ」
「つまりエルドは、俺の心が未熟だったから今まで反対していたってことか?」
「ま、そんな所ですわね」
事も無げに言い放つエルドに、ルナルナの肩からガクッと力が抜けた。
これでは色々思考を巡らせたり身構えていたのが馬鹿みたいではないかと。
案ずるよりより産むが易しとは、まさにこのことであった。
ルナルナはそんな事を言って背中を押した淫魔の方に目を向ける。
彼女はルナルナの視線に、「ほらね」と言わんばかりの笑顔でウインクを返していた。
「では、早速お嬢様の覚悟を問いましょうか」
「ん?」
再びルナルナが視線を戻すと、エルドはめったに見せない笑顔を浮かべていた。
普段冷たい表情の彼女が表情を崩すと、その印象もがらりと変わる…ことはなかった。
実際、その笑みはサディスティックな印象の方が強いようにルナルナは感じていた。
つまり、ルナルナはとても嫌な予感がしたのだ。
「な、なんだ。死ぬほど辛い修行をするって事か?
強くなるためなら、そのくらいドンと来いって感じだが」
「いいえ、それよりももっと根本的な話ですわ」
ルナルナの若干震えた声に、エルドは静かに首を横に振った。
「お嬢様はここ最近、急激に魔力の使い方を身につけつつありますわ」
「ん、そうなのか?」
ルナルナはある理由で、魔力を感じる能力が他の魔物よりも劣っている為、
そう言われてもいまいちピンと来なかった。
「ええ、今はほとんど無意識に扱ってるようですが、
おかげで魔眼だけなら追いついていた回復分が、現状で間に合わなくなってますわ」
「そうだったのか…」
北の地での暴走は、つまりはそういうことだったようだ。
「魔力を使ってる認識がないのも問題だけど、それよりも回復手段の確保が先ですわ。
そこでラミアの『食事』で最も効率の良いものは――」
「いや、『淫魔体質』だけは絶対に使わないからな!」
強くなる為に色々と覚悟を決めたルナルナだが、それとこれとは話が別なのだ。
ともすれば、アイラのように相手に触れずに『食事』することも可能かもしれないが、
恐らくルナルナにとっては、それすらも耐えられないだろう。
そもそも魔王であるヴァーミリアも、現在は『淫魔体質』を使ってないはずである。
そしてその返答はエルドも予測済みだったのだろう。
彼女はその笑みを崩すことなく言葉を続けた。
「と、言うと思ってましたわ。ですからお嬢様の為に国庫を開放しましょう」
「ま、まさか……」
そこで、ルナルナは初めてエルドの問う『覚悟』の意味を理解した。
同時に、エルドがやたら笑顔であるその意味も。
「お嬢様には、毎日『アレ』、飲んでもらいますわよ」
「ぐ、体のいい不良在庫の処分先が見つかったって顔してんじゃねぇ!」
『アレ』
魔界の不良在庫。
それはすなわち、『魔力回復薬』のことであった。
非常にお待たせしてしまってすみません。
ここから数日はストックで連続投稿できると思います、多分(´・ω・`)
ついでに登場人物紹介ちょっとだけ更新&イラスト追加してます。
結構前に更新したので、気づいてる人いるかもですが。




