第54話 二人の手の内
「わぁ、さすがはお嬢様。本当に3桁入っちゃいましたよ~」
「ね、ねぇアイラさん。さっきからお姉様の反応がないんだけど…」
「平気ですよぉ、別に毒じゃないんですから。ただちょっとだけ美味しくないだけで」
「お姉様の反応からして、ちょっとだけってレベルじゃない気がするんだけど…」
心配そうに見守るアリスを他所に、アイラはにこにこと追加の瓶を傾けた。
始めのうちは「ん~~~~!んん゛~~~~~~~~!!!」と激しく首を振り、
活きの良いリアクションを返していたルナルナであったが、
ベッドに空き瓶が山と積まれる頃には、彼女の反応もすっかり希薄になっていた。
泣いて嫌がり、懇願してまで許しを請うルナルナに対し、
「すっご~い!まだ魔力増えてますよお嬢様」と嬉々と瓶を突っ込むアイラを見て、
アリスは絶対彼女がどSであると確信していた。
結局最初に持ってきた量では足りず、3桁どころか300本にも届こうかという所で、
ようやくルナルナの魔力はその上限に達していた。
魔力が満タンになり、ルナルナは久しぶりに万全の状態まで回復したはずであった。
しかし、当の彼女は虚ろな様子で口を開き、瞳からは完全に光が消えていた。
その様子は、あたかも糸の切れた操り人形のようであった。
「やっぱりこのお化けみたいな魔力がないと、お嬢様って感じがしませんよね」
「そ、そうなんだ…」
アイラは一仕事終えたような良い笑顔で、うんうんと頷いている。
対してアリスは、少し引きつった顔でその惨状を眺めていた。
そんなアリスの背中を軽く押し、アイラはもう大丈夫と言わんばかりにウインクした。
「もう『暴走』の心配はないですから、アリスさんが介抱してあげてくださいね」
「ほ、ホントに?」
アイラの言葉の後押しを受け、アリスはそっとルナルナの肩に手を触れた。
「…お姉様、ねぇお姉様大丈夫?」
アリスが肩を軽く揺さぶっても、ルナルナの反応はない。
まさか廃人になったのではと嫌な予感が過ぎり、アリスは更に強く肩を揺さぶった。
「ねぇお姉様!お姉様ってばしっかりしてよ!」
「……はっ!?」
しばらく体を揺らされた所で、ルナルナの意識はようやく戻ってきた。
その瞳に光が戻ってきたところを確認して、アリスはようやく一息ついた。
「はぁ、本当に酷い目にあったぜ…」
拷問のような時間を乗り切ったルナルナは、やれやれといった溜息をついた。
しかしその様子に、アリスは少し考えて首を傾げた。
「でも『魔力回復薬』と言えば、魔術師垂涎の超高級品なんでしょ。
それがそんなに美味しくないものなの?」
「ああ、そういえば『人間社会』じゃそんな扱いだったっけ。
ただこいつは、人間の作った高級品と言うわけじゃないからな。
味はびっくりするくらい粗末なものなんだよ。試しに一口飲んでみるか?」
「え、いいの?そんな高価なもの」
「人間にとってはな、だけど『魔物社会』じゃそうでもないんだよ」
「?」
ルナルナはそう言って余った1本を顎で指し、アリスの手に取らせた。
アリスはしばらく、その白く濁った粘度の高い液体を検分するように眺めていたが、
意を決したように瓶を傾け、その中身を口に含んだ。
「……? …!!? !?!?????!!!!!!!!!」
『魔力回復薬』を口に含んだアリスは、味を吟味するように口を動かしていたが、
その表情はすぐに真っ青になり、次の瞬間には声なき悲鳴を上げていた。
アリスは、むせ返りそうになるのを何とか我慢しつつ、
慌ててポケットから用意したハンカチにその中身を吐き出した。
「ケホッケホ……な、何コレ…」
「な、不味いだろ?」
涙目でむせるアリスに、ルナルナはわかってもらえたかと満足気に頷いた。
「口に広がる雑草のような香り、痺れるほどの苦味とエグみ、飲み干しづらい粘度、
そして最後に広がる泥のような後味…何よこれ褒める所が一つも見当たらないわ」
「おお~、正にその通り。アリスはグルメなんだな」
ルナルナはその的確なレポートに、思わず拍手を送った。
「こんなモノをあれだけ飲みきるなんて……お姉様って、すごいわ」
アリスはベッドに積まれた山のような空き瓶を見て、心からの賛辞を送った。
「だろ?こんな仕打ちをするなんて、酷いやつもいたもんだよな」
ルナルナは目いっぱいの皮肉を込め、その下手人に視線を移した。
「はい、お嬢様はとっても凄いんですよ~」
しかし当のアイラはにこにこと手を合わせ、調子よくアリスの言葉に追従した。
「こ、こいつ…本気で殴りてぇ」
ルナルナは未だ全身を拘束されていたため手を出すことも出来ず、
彼女の拳はぷるぷると震えていた。
――――――――――――――――――――
「そういえばお嬢様、さっきの戦いで気になる事があるんですけど、いいですか?」
「ん、なんだ?」
アイラは縛っていた縄を解きながら、ルナルナに問いかけた。
「お嬢様って最後の方『瞬間移動』しましたよね。あれってどうやったんですか」
「ああ、あれか」
アイラが疑問に思うのも当然であった。
ルナルナが使った移動法。
それは超スピードの移動ではなく、本物の『瞬間移動』と呼べるものであった。
しかしそれを可能とするものを、ルナルナは持ち合わせていないはずなのである。
ルナルナの出せる速度は、どんなにがんばってもアイラの目で追えない程ではない。
かといって魔術を使えば、発動前に組み上がる魔方陣で察知できるのだ。
だからこそ、アイラは魔術にフェイクを織り交ぜるような手段をとったのだ。
ゆえに、あの移動法は魔術ではないことは間違いない。
そもそも、ルナルナは魔術を何一つ使えないのである。
もしあれが狙って出来るのであれば、
少々の戦力差をひっくり返せるほどの強力な武器となるだろう。
「そうだな、これは実際見てもらったほうが早いかな」
そういってルナルナは瞬時に『人化』する。
この『人化の法』のスムーズさだけは、アイラも真似できないものであった。
「こいつはな、『人化の法』の応用なんだよ」
ルナルナがそう言った瞬間、彼女はコマ落ちのように1mほど浮き上がり、
そのままふわりと床に降りてきた。
「え、えっ?…今どうやったんですか!?」
目の前で実践されたにもかかわらず、
やはり移動の瞬間をアイラの目では追う事が出来なかった。
一緒に見ていたアリスも、驚きの表情を浮かべている。
「うん、こいつにも大分慣れてきたな」
対するルナルナは、新しい玩具を手に入れた子供のように楽しそうであった。
「ちゃんと説明してくださいよお嬢様。これじゃさっぱりわからないんですけど」
実践するだけで説明のないルナルナに、少し不満げな声を漏らすアイラであった。
「ああ悪い。今、順を追って説明するからさ」
ルナルナも流石に不親切だったと頬をかき、種明かしを始めた。
「まずは、『人化』の時に姿勢まで指定できるのは知ってるよな」
「それは知ってますよ。お嬢様はそれを利用して器用に戦ってましたからね」
「ああ。でな、俺もこの移動法を思いついたのは偶然なんだ。
最初にコレに成功したのは、空中でお前の攻撃を受けようとした時だな」
「そういえばお嬢様、あの時いきなり消えましたよね」
アイラの返事に、ルナルナは頷いた。
「あの時、俺は単にラミアから振り返った人の姿を想定して『人化』したんだ」
「そうなんですか?でもお嬢様はその時アリスさんの所に移動しましたよね」
「ああ、結果はまったく違うことが起こったんだ」
実際その予想外の現象に、その場にいた全員がついていけなかったのだ。
「で、そのカラクリの答えなんだが、どうもラミアの胴体が長すぎて、
空中から地面まで届いていたみたいなんだよな」
そこでアイラは疑問の表情を浮かべる。
「?…それが、何で『瞬間移動』に繋がるんですか?」
「要するにだな、地面まで蛇の尾が届いた状態を、
『地面で背伸びした状態』として認識されたみたいなんだよ」
頭を捻るようなポーズだったアイラは、そこまで聞いてはっとした表情になる。
「お、気付いたみたいだな」
「ええ、大体わかりましたけど、それって結局お嬢様にしか…」
原理をあらかた理解した様子のアイラは、しかし非常に微妙な顔をしていた。
どうやらその技術が、ルナルナ専用であることに対して不満があるようだ。
「って、何二人で勝手に納得してるのよ。私はさっぱりわかんないんだけど!」
そして、アイラよりもっと不満そうな表情を浮かたアリスが声を上げた。
「っと悪いな、じゃあアリスの為に、最後まで説明するか。
結局こいつの肝は『ラミアの胴体が長い』って部分なんだよな。
人間の時と体の長さが違うから、変化すれば絶対にどこかしら位置がずれるんだ」
「あ、それは理解できるっていうか、考えてみれば当然よね」
「じゃあ、どこを軸に位置情報が決められるかというと、
何も指定しなければ、蛇の尾の部分が人間の足の先として認識されていたんだよ」
「…そうかわかったわ!だからあの時、蛇の尻尾の位置にお姉様が現れたのね」
「ご名答、つまりそういうことだ」
アリスの言葉に、ルナルナは大きく頷いた。
「そこで思ったんだ。姿勢の変更が指定できるのなら、
その位置情報も指定できないのか?ってな」
「あ、えっと、それが出来るとすれば…」
「ああ、こういうことになる」
次の瞬間、ルナルナは『天井の隅まで斜めに延びたラミア』に変化する。
「く、失敗した。こんな不自然な姿勢を指定するんじゃなかった…」
流石にラミアの筋力を持ってしても、その体勢を維持するのは困難だったようだ。
斜めに延びた青紫の蛇の胴体は、姿勢維持の為プルプルしていた。
「こ、この状態で、上半身の方に位置情報を指定して『人化』すれば――――」
不自然な体勢で痙攣していた蛇の胴体は一瞬で掻き消え、
天井付近に浮いた、人の姿のルナルナだけが残った。
「と、これが『瞬間移動』のタネというわけだ」
天井からふわりと着地して、ルナルナは二人の元へ戻ってくる。
タネを理解したアイラは感心したように声を上げた。
「それって、ものすごく応用利きそうですね。私には出来そうにないですけど…」
「ああ、確かにな。俺持ってる特性と特技が偶然かみ合った結果だし。
射程に制限のある『瞬間移動』と理解していいかもな」
ルナルナの言葉に、アイラは首を傾けつつしばし考え込んでいた。
「ねぇお嬢様。その現象、移動だけじゃなくて、もっと色々出来ませんか?
例えば射程内から対象に『いきなり巻き付く』とか」
「おー、さすがはアイラ。すぐにそいつに気が付いたんだな。
実はあの時俺もそうしようとしたんだ。でも何故か出来なかったんだよな」
「ふぇ、そうだったんですか?」
「その指定だと発動すらしなかったよ。だから一旦背後に『瞬間移動』したんだ」
「という事は、何らかの制限はあるって事ですね」
「ああ、一度抱きついた後はちゃんと巻き付けたしな。この辺は要検証だな」
「はふぅ、『人化』にそんな使い方があるなんて、どんな技術も使いようなんですね」
アイラは感心したように溜息を漏らしていた。
――――――――――――――――――――
「そういえば俺もアイラの戦い方で、いくつか気になることがあったんだが」
「ふぇ、どのあたりですかぁ?」
ルナルナはこれだけ種明かしをしたのだ。
次はアイラの番だろうと彼女は思いついた疑問を投げかけた。
「まずは魔術だな。お前この数ヶ月でどうやって覚えたんだよ?」
「はぅ?魔術はママに教えてもらいましたけど」
「あの『先代』からか?よく教えてもらえたな」
アイラから出た答えは、ルナルナにとって非常に意外なものであった。
「えっとぉ、『麻痺』に『睡眠』に『傀儡』を教えてもらったんですよ~」
「確かにあの人がよく使いそうな魔術だな。しかしあの『先代』がお前になぁ」
実際に、アイラは以前使えなかったはずの魔術を実戦レベルで使いこなしていた。
という事は、彼女の言っていることは事実なのであろう。
しかしそれがわかっていても、どうにも腑に落ちないルナルナであった。
というのも、アイラと彼女の母、先代クイーンサキュバスは非常に仲が悪いのだ。
いや、正確には仲が悪いわけではなく、一方的に母親の方が娘を敬遠しているのだ。
その原因は、ひとえにアイラの圧倒的な才能にあった。
先代クイーンサキュバスは、その類稀なる知力と魔力で、
『魔界』の四天王の座に食い込んできた女傑であった。
彼女は技術や経験を生かした搦め手に特化しており、
才能と感覚で力押しが出来るアイラとは、完全に真逆の存在であった。
また彼女は非常に嫉妬深く、その対象は実の娘であっても例外ではなかった。
そんな彼女が、才能に勝るアイラに魔術を教えるとは一体どんな心変わりだろうか?
「ていうか、『先代』も物騒な魔術ばっかり教えてんのな。
最初はもうちょっと普通の魔術から教わるものなんじゃないか?」
熟練度が上がらなければ魔術は素早く組む事が出来ない。
そして、熟練度自体は魔術を使うことでしか上がらないのだ。
故に、最初に覚える魔術は、戦闘と関係のない魔術を覚えるのが普通であった。
しかしそんなルナルナの疑問に、アイラは首を振った。
「違いますよぉ。ママに直接魔術の使い方を教えてもらったわけじゃないですから」
「うん、どういうことだ?」
「ママが使ってるのを見て、がんばって真似してみたんです」
「ふーん…………って、なんだって!?」
アイラ言ったの言葉の意味を、ルナルナはしばらく理解が出来なかった。
そして理解した瞬間、思わず変な声を上げてしまった。
「それは、見よう見まねで魔術を組み上げたって事か?」
「はい、そうですよ~」
アイラは、それがなんでもない事のように、にこにこと答えた。
魔力は体内で使うのが一番簡単とされている。
魔物は魔力を使って活動しているので、それはある意味当然と言えた。
逆に魔力を体外で作用させるのは、体から離れれば離れるほど難易度が上がるのだ。
そして魔術とは、体外に出した魔力を『決まった図形』に組むことで発動する。
この『決まった図形』が曲者で、大きさから書き順まで全て綿密に決まっていた。
それを、アイラは見ただけで覚えてしまったというのだ。
ルナルナも、以前に一度だけ『先代』が魔術を使うのを見たことはあるが、
とても覚えられるような速度ではなかった記憶しかない。
恐るべきは彼女の『目』と『記憶力』であった。
恐らくは、ルナルナの『瞬間移動』について聞いたのも、
彼女はその技術を盗む気でいたのだろう。
能力的に不可能だったから良いものの、もし仮にあっさりと真似されていたら、
ルナルナは『先代』と同じ気分を味わっていたのかもしれない。
「でも、ママったら酷いんですよ。
私が魔術を使ってみせたら『そんなゴミみたいな魔術使い物にならない』って」
「…た、確かにそれは大人気ないな」
ルナルナが思うに、恐らくそれはアイラの才能に嫉妬するが故の言葉だろう。
しかしそれが実の娘に言う言葉だろうか?
ルナルナは二人の確執の深さに、思わず頭を押さえた。
「私、それがとーっても悔しくって、いっぱいいっぱい特訓したんですよ」
アイラにも、人一倍負けず嫌いなところがあるようだ。
この天才でも人並みな所があると知って、少しほっとするルナルナであった。
「ほー。それであれだけの速さで組めるようになってたのか、流石だな」
「ふぇ?違いますよ。教えてもらった魔術はあんまり特訓してないです」
「……じゃあ、お前は一体何を特訓したんだ?」
先ほどと同じパターンに、ルナルナは嫌な予感を感じつつアイラの返答を待った。
「ママみたいにズババーって魔術を組むのは難しそうだったから、
私でもズババーって組める魔方陣を作ったんですよ」
「お前は一体何を言っているんだ?」
これだから感覚派は、とルナルナは頭を押さえた。
「お嬢様には散々見せたじゃないですか。コレの事ですよ~」
アイラが指をパチンと鳴らす。
次の瞬間、薄暗い部屋の床いっぱいにズババーっと魔法陣が出現した。
「これは、あの時のフェイクか!?」
「はい。これなら形は適当でいいですから、本物よりずっと早く組めるんですよ」
そう説明するアイラは、非常に得意気であった。
「てぇことは本物を当てる布石に、アイラはこのフェイクをずっと特訓してたのか」
「はい、そうですよ~」
ルナルナはその発想に、素直に感心した。
『先代』がアイラに言った言葉は辛辣だが、それは同時に事実でもあった。
実際そのままの状態ならば、ルナルナはアイラの魔術を脅威には思わなかっただろう。
それだけ、戦闘用の魔術に熟練度は必須なのだ。
それを、アイラは少ない手持ちと発想の転換で、使える魔術に仕立て上げたのである。
フェイクの魔方陣とはいえ、あれだけの数を展開するには相応の努力がいっただろう。
その機転と思い切りの良さが、彼女が天才たる最も大きな部分なのかもしれない。
「でも、このフェイクを見せたら、今度はママが旅に出ちゃったのです」
「なんというか、それはご愁傷様だな…」
『先代』は自信を喪失したのだと、ルナルナは直感的に確信した。
と同時に、その考えはルナルナにも突き刺さった。
天才と呼ばれるアイラでも、強くなる為にはそれだけの努力をしているのだ。
ほとんど同時期に生まれたというのに、これだけ差がついたのは納得である。
その事実を再認識し、ルナルナは大きく溜息をついた。
「そうか、アイラもそれだけ努力してたんだな。俺では勝てないわけだ」
しかし、それに気付けただけでも前進なのだと、ルナルナは己を奮い立たせる。
努力が足らなかったのなら、アイラに負けない努力をすればいいだけなのである。
そこに諦める理由は1つもないのだ。
そんなルナルナの呟きを聞いて、アイラはキョトンとした顔をしていた。
「ん、どうしたアイラ」
「いえ、お嬢様こそ、一体何を言ってるんですか?」
「うん、俺が何かおかしい事を言ったか?」
二人は同時に首を傾げる。
そして次にアイラが発した言葉は、ルナルナがまったく思いもよらないものであった。
「だってお嬢様は、私に勝ったじゃないですか」




