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黄金の月の蛇姫様  作者: みつきなんとか
第6章 力を求めて
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第53話 敗北の代償

今回はルナルナの一人称の話になります。

 


 意識は深い深い闇の中を漂っていた。





 平衡感覚などとうにない。


 ただ引力に任せるが如く、どこまでもどこまでも深い闇へと落ちてゆく。



 漆黒の巨大な空は、あたかも回転木馬の如くごうごうと巡り、


 今にもこの小さな体を押し潰さんと容赦なく迫ってくる。



 投げ出された四肢は、まるで水銀の海に囚われたが如くズシリと重い。


 浅く吸ってはすぐに吐き出される熱い吐息だけが、妙にはっきりと感じ取れた。





 突然、小さな何かがひやりと頬に触れてくる。


 回り廻る世界が、その感触を軸にぴたりと止まる。



 四肢は変わらず動かない。


 何故か動かすだけの気力も湧いてこない。


 そのままゆらゆら蠢く小さな感触に、じわじわと頬の熱を奪われてゆく。



 吐き出す息は変わらず熱い。


 口から、頬から、熱と共に何かが抜けていくような感覚に襲われる。


 そこで初めて自分が『渇いている』という事実に気が付いた。





 渇く。



 渇く。



 渇く。



 気付いてしまえば、後はその事ばかりがぐるぐると思考を侵食する。


 このままじっとしていれば、小さく冷たい手にすべてを奪われるだろう。


 このまま体内の熱を吐き続ければ、俺の()()は漆黒の空へと散るだろう。


 俺は纏わりつくような倦怠感に抗いながら、


 鉛のように重いまぶたをうっすら持ち上げた。







 まぶたを押し上げても、そこは薄暗く、ぼやけた世界だった。


 そしてその視界を埋めるように、ゆらめく小さな影がそこにあった。


 先ほどから俺から熱を奪い続けるものの正体は、恐らくはこいつだろう。


 その性質から悪霊の類かと当たりをつけていたが、どうやら実体はあるようだ。


 小さな影は俺の動きに気付いたのか、小さなノイズを発する。


 ザーザーきーきーとノイズを発しながら、小さな影は俺の熱を奪ってゆく。


 やはりこいつは、実体化した悪霊の類なのかもしれない。




 ふと、周囲に甘い香りが漂っていることに気が付いた。


 一瞬花の香りかと感じたが、それは『食べ物』の香りであると俺の本能が告げてくる。


 それは華やかで瑞々しい、果実の甘い香りであった。




 渇く。



 渇く。



 渇く。




 鉛の体は、相変わらず渇望を訴え続けている。


 しかし、匂いの元であるそれ(・・)を口にすれば、その渇きは満たされるだろう。


 俺は目の前の悪霊の対処をひとまず脇に置いて、匂いの発生源を辿ることにした。


 もたもたしていると、この悪霊に『食べ物』までもが掠め取られるかもしれないのだ。


 俺は尚も耳障りなノイズを発し続けるその悪霊を無視し、周囲の様子を伺った。



 はたして、その美味しそうな香りの発生源は、目の前の小さな悪霊であった。





 ここで俺は逡巡する。



 相手が害意ある悪霊とはいえ、動いている相手を『食べ物』と見なしていいものかと。


 俺は肉や魚が好きだ。


 だが、だからと言って、今まで動く動物や生魚に齧りついた経験は一度もない。


 そんな経験あってたまるか。




 しかしそんな理性に反して、俺の本能はそれを食べても良いと告げてくるのだ。


 それが普通のことなのだと。


 何故なら、お前は■■■なのだから、と。




 その判断がどこかおかしいという事はわかっている。


 だが、とめどなく溢れ出す渇きが理性を責め立てる。


 小さな悪霊は、まるで悩む俺を挑発するかのように、更に俺の渇きを刺激してくる。


 俺の体から熱はこぼれ続け、鉛のように重い四肢はそろそろ限界を主張していた。




 そもそもこの悪霊は、こんなに好き放題俺から奪い続けているのに、


 何故俺の方がこんなに悩まなければいけないのだ。


 所詮『食べ物』の癖に。


 俺は■■■なのだ。


 強い者が食べ、弱い者が食べられるのが世の常である。


 そして、この悪霊は別に強くない。


 それは気配からもわかっていることであった。


 ならばこの『食べ物』を平らげることに、一体何の躊躇(ためら)いがあるというのか。




 俺は、今まで生きている相手、動いている相手を食べたことはない。


 しかしどのように食べれば良いのかは、既にこの体が知っている。


 ■■■の本能が、それは容易い事だと告げている。




 ああ、もうお腹がペコペコだ。


 こんなにも美味そうな『食べ物』が目の前にあるのに、


 俺はどうしてこんなにも我慢していたのだろう。


 こんな『ご馳走』は、生まれて初めて口にすると言うのに。




 さっきから『ご馳走』が、なにやらキーキーと耳障りなノイズを発している。


 しかし、これも活きの良い証拠だと思えば可愛いものである。


 さあ、この瑞々しく元気な『ご馳走』に、万が一にも逃げられてしまっては敵わない。


 まずはその柔らかく小ぶりな体を、蛇の体で拘束して――――












「はい、スト~~~~~~~~ップ!!!!」




 いきなり現れた圧倒的な魔力の気配に、俺はふと我に返り、動きを止めた。

 声の主の方を振り返ると、何故か怒ったような表情のアイラが立っていた。


「お嬢様は今、自分が何を(・・)吸おうとしてたのか分かってるんですか?」


「何って、そりゃあもちろん……」


 アイラに言われ、今まで『ご馳走』だと思っていたものに、改めて目を向けた。


「…ぁ……ぁ……」


 そこには蛇体に全身を絡め取られ、絶望の表情を貼り付け固まっているアリスがいた。







「ほら、お嬢様まで固まってないで、早くアリスさんを開放してあげてください。

 本っっ当に危ない所でしたけど、まだギリギリ未遂だからセーフですよ」


 自分がやった事とはいえ、そのあまりの光景にしばし絶句してしまった。

 すっかり怯え切り、ガチガチに強張ってしまったアリスの体から、

 俺は壊れ物を扱うかのごとく、ゆっくりと自らの蛇体を解いていった。


「だ…大丈夫か、アリス?」

「ひっ…ぐずっ……ひっく…」


 蛇体が完全に離れると、アリスはその場に崩れ落ち、小さく嗚咽を漏らし始めた。




 これは、完全にやってしまった。


 普段から俺の事を『お姉様』と呼び、慕ってくれている彼女である。

 そんな相手からただの『食べ物』扱いをされ、実際に食われかけたのだ。

 起き抜けでどこか思考がおかしかったとはいえ、これは普通にトラウマ物だろう。

 とにかく、まずはアリスのトラウマを和らげるべく『人化の法』を…


「ってアイラ、お前はお前でさっきから何をやってるんだ?」

「あ、お構いなく~。ちょっとだけお嬢様を縛ってるだけですから」

「そうか…ってお構いなくじゃねえ!何故俺が縛られなきゃいけないんだ!?」


 何やらごそごそやっていると思ったら、いつの間にか俺は後ろ手に縛られていた。


「おい、こりゃ一体どういうつもりだ」

「うふふ、ついでにもひとつ、え~い!」


 アイラにドンと突き飛ばされた俺は特に抵抗も出来ず、

 そのまま背後の少し固いクッションのようなものに横たわった。


 そのクッションは、ただひたすら大きかった。

 そして沈み込むようでいて、適度に体を押し返してくる感触に、何故か覚えがあった。

 それはこの体に生まれて3年間で、もっとも馴染みの深い感触であった。


「これはまさか、俺のベッド、か?」


 周囲はかなり薄暗く、ラミアの視力は弱い為にすぐには気付かなかった。

 しかし、今俺が倒れこんだのは『魔界』の奥地に存在する通称『魔王城』の、

 その中でも更に奥まった場所に位置する『王女の間』に備え付けられたベッド。

 つまりは、俺が『魔界』にいる間使っていたベッドであった。

 こんな馬鹿でかい物を、あの北の果ての地まで持ってきていたとは考えられない。


 俺は目を細め、改めてベッドの周囲の様子を窺ってみた。

 馬鹿でかいベッドのすぐ隣には、これまた大きな姿見の鏡。

 その更に奥には、俺の忌々しい記憶を呼び覚ます、無駄にでかいクローゼット。

 そして、周囲を満たす馴染み深い空気の香りが、何よりそれを証明していた。

 つまり、ここは――――


「俺の部屋、なのか…」




 俺とアイラは、遥か北の地で互いの主張を賭けて戦った。

 最後の方で、アイラの降参の台詞を聞いた気がしないでもないが、

 どうもそのあたりの記憶が混濁していてはっきりとしない。

 そして最終的には意識を失い、『魔界』の自室で目を覚ました。

 つまり、俺は結局負けてしまったのだ。


 負ければ恐らくこうなるだろうということは予想していた。

 しかし、実際に負けたという現実を突きつけられると、

 途端に惨めな気持ちが湧いてくる。

 アイラやエルド達は、このまま俺を『魔界』に幽閉して、

 『無力なお姫様』に仕立て上げる為、様々な画策をしてくるだろう。


 エルドの方針に反発するという気持ちは、当然今も変わりはない。

 しかし、これからの行動が大幅に制限されることを考えると、

 アイラとの勝負で最後の方は勝ち目が見えていただけに、

 何故あの時、もっと上手くやれなかったのかという気持ちが強くなる。


 現に今も、こうやってベッドの上にグルグル巻きで縛り付けられて――――



「って、おぉい!」

「はぁい、何ですかぁお嬢様?」


 俺の突っ込みに、アイラは非常に良い顔で返事をする。

 これでは幽閉と言うより、拘束とか監禁とかそんなレベルである。


「お前らが俺を押さえつけたいのは分かるが、

 何もここまでやる必要はないんじゃないか?猛獣じゃあるまいし」

「そうですねぇ、確かにこれだけではまだ足りないかもしれません。

 今のお嬢様は猛獣よりタチが悪いですから」

「おい、そりゃどういう意味だ?」


 ジト目で睨みつける俺を、アイラは鼻歌交じりにスルーしてアリスの肩を叩く。


「ほらアリスさんも、そろそろ落ち着いてください。

 怖い怖いお嬢様は、あの通り縄に繋いでおきましたからねー」


 アイラの俺に対する扱いが、完全に凶暴な猛獣に対するそれである。

 そしてアイラに撫でられ、あからさまにホッとしているアリスの様子に、

 俺は更なる追い討ちをかけられる。


 俺って、そういう風に見られていたのか……



「ラミアは()()ですからね。

 私達みたいな『淫魔体質』もありますし、物理的に食べることだってあるんです。

 いざ暴走したら、もしかしたら一番危険な種族かもしれないんですよ」

「うぅ、怖かった…お姉様って、本当に本物の魔物だったのね…」


 アリスは目尻を涙で濡らし、なんともいえない表情でこちらを見ている。

 そういえば、落ち着いた状態で、彼女にこの姿を見せるのは初めてだった気がする。


「だから言ったじゃないですか。危険を感じたらすぐ大声で叫んでくださいって」

「だ、だってぇ…」


 諭すようなアイラの言葉に、アリスは少しばつが悪そうに視線を逸らした。


「あ、もしかしてアリスさん、お嬢様にエッチな事されるの期待してたんですか?」

「っ!……ち、違うわ!そんな期待なんて!」

「気持ちはわからなくもないですけど、ダメですよぉ。

 お嬢様みたいな魔力お化けに吸われたら、気持ち良くなる前に干からびますから」

「だ、だからそれは違うって…」



 ああ、やはりアイラは勘が鋭いのだなぁ。

 アリスは必死で否定しているようだが、あの様子だと恐らくは図星なのだろう。


 というか彼女達の言うことが正しければ、俺は枯渇状態だったのか。

 そういうことであれば、今俺が束縛状態であることには納得がいった。

 魔物は魔力で活動する為、魔力が枯渇するとそれを補充しようとする本能が働く。

 それがいわゆる『暴走』と呼ばれるものであった。


 言われてみれば、先の戦いで『幻魔の刃』を抜いたあたりから記憶が混濁している。

 という事は、あのあと俺は『暴走』状態になって負けたのか。

 やばい、俺はその時一体何をしたのだろうか?

 さっきのように『淫魔体質』が強く出た『暴走』だとすれば最悪すぎる。

 俺が人間だった頃は非常にアルコールに弱く、しばしば前後不覚に陥っていた。

 その度に酷く自己嫌悪したものだが、魔物の『暴走』はそれに通じるものがある。


 はぁ、そう考えるとまたもや顔が熱を帯びてくる。

 むしろ体全体が湧き上がるように熱くなって、いっそ何もかも滅茶苦茶に――――



「って、やばいやばい俺また『暴走』するかも。

 悪いアイラ、何とかできないか!?」


 もやの様に思考を(おお)う欲求を振り払いながら、俺はアイラにヘルプを求める。


「ええ、そのためにヴァーミリア様からコレ(・・)を貰ってきましたから。

 例え厄介なお嬢様の枯渇状態だって、すぐに回復出来ますよ~」


 そう言ってアイラは、何かが入った大きなカゴをガシャリとベッドの上に載せた。


「ほ~らお嬢様、遠慮せずにたぁんと召し上がってくださいね」

「多くないか!?1本で十分だよ。てかソレ(・・)は2本以上飲みたくないんだが」


 とても良い笑顔で差し出されたソレの量の多さに、俺は思わず身を引こうとする。

 しかし、全身がベッドに簀巻き状態で縛られている為、逃げることが出来ない。

 まさか、ここまで厳重に縛りつけたのは、暴走対策じゃなくこの為だったのか?

 俺の体にだらだらと冷たい汗が流れる。


「大体、それ1個で魔術師一人分の魔力なら余裕で回復できるんだろ?」

「何言ってるのですか。お嬢様はもっと自分の魔力の多さを自覚してください。

 お嬢様は並の魔術師が何人集まっても話にならないくらい容量があるんですよ」

「そ、そうなのか?」

「はぁ、その様子だと本当に気付いてなかったみたいですね。

 私、久しぶりにお嬢様を見た時、あまりに魔力が減ってて驚いたんですから」


 俺のその返答に、アイラは深々と溜息をついた。

 確かに、昔から魔力容量の異常さについては色々言われてきた。

 だけどそれが実際どれほどのものなのか気にした事もなかった。

 どうせ魔力があっても持ち腐れで、使うことはないと思っていたからな。


「良い機会なので、お嬢様にはご自身の魔力がどれほどのものか知って頂きます。

 お嬢様の魔力が満タンになるまでコレ(・・)、飲んでもらいますからね」


 そう言って、アイラはカゴからガラス瓶に入ったソレをカチャカチャと並べ始めた。


「う……だ、大体3,4本で満タンになるぐらいか?」


 その程度で済んでくれと願いを込めつつ、恐る恐るアイラに訊ねてみた。

 しかし、アイラから帰ってきた返答は、そんな俺の願いを粉々にするものだった。


「そんなので済むわけないじゃないですか。

 1本で普通の魔術師1人分ですから、私の見立てでは――2桁で済むといいですね」

「ご、拷問だ…」


 俺はベッドの上に積まれた数十本のキングオブ良薬に、絶望の呻きを漏らした。




「魔力…回復薬……」



 ベッドの脇で成り行きを見守っていたアリスは、

 なぜかその光景に、驚いたように目を見開いていた。





登場人物紹介に、アリスさんのイラストを追加しました。

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