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黄金の月の蛇姫様  作者: みつきなんとか
第6章 力を求めて
63/74

第52話 人化の有用性

 


「はっっっきゅ~~~~~~~~~ん!」



 再びルナルナが宙に浮かぶアイラに目を向けると、

 彼女は赤い頬を両手で覆い、何やら足や羽をバタバタさせながら悶えていた。

 悪魔種特有の細長い尻尾もニョロニョロと複雑に動き、今にも絡まりそうであった。


「はうっ!はぅうぅ!見つめ合う二人。キスで交わす約束。避けられぬ離別の運命。

 覆す二人の絆。そして再び二人の運命は惹かれあって……

 はうぅ、なんて素敵な百合の世界。素敵過ぎますお嬢様!」


 何やらよろしくない妄想を振り撒きながら、上機嫌で夜空を舞い踊る一人の淫魔に、

 ルナルナは深い深いため息をついた。


「いや、だから違うからな?」

「うふふ、お嬢様ったら照れなくてもいいんですよ。

 あんなにいちゃいちゃラブラブな所を見せつけてくれちゃってぇ!」


 素っ気無く返すルナルナに、アイラは言わずともわかっているという風に応じる。

 気付けばアイラから無尽蔵に放たれていた圧倒的な妖気も、今や完全に霧散していた。


「だってぇ、私聞いてるんですよ。

 お嬢様がお城を出て行ったのって、きっとお見合いの話が原因なんだって」

「…その話、一体誰から聞いたんだ?」

「ええっと、ヴァーミリア様が直接言ってましたよ。ちょっとだけ溜息混じりに」

「お母様……」


 アイラのその答えに、ルナルナは思わず天を仰いでしまう。


 実際のところ、アイラがヴァーミリアから聞いたことは事実であった。

 事実ではあるのだが、表向きは魔物と人を繋ぐ為、旅に出たことになっていたはずだ。

 知られたくない出奔理由が既に周知であったことに、ルナルナは頭を抱えたくなった。


「お相手は、色んな種族の美形さんがより取り見取りだったそうじゃないですか。

 それを全部突っぱねたお嬢様が、アリスさんとは良い感じなんですよね」


 アイラは、まるで事件の真相を掴んだ名探偵の如く、さも得意気にまくし立てた。


「それに、いつも自分の事より『魔界』の事情を優先させていたお嬢様が、

 ちょっと嫌だからといって逃げ出すのは、どうもおかしいと思ってたのですよ。

 ひょっとして『魔界』と人を繋ぐ為、人間の相手を探してるのかと思いましたけど、

 ミュルズホッグの王子との婚姻話にも、お嬢様は欠片も反応しませんでしたし」


 思わぬところから話を繋げてくるアイラに、ルナルナは思わず感心してしまった。

 『魔界』にいた頃のルナルナは、アイラの前で常に『お姫様の仮面』を被っていた。

 どうやらその時の印象が強く残っている為、アイラは勘違いしているようであった。


「総合すれば、お嬢様は『男の子がダメ』というのが一番しっくり来るのです!」


 アイラはそう断言すると、両手を腰に当てて豊満な胸部をぷるんと震わせた。


「いやまぁ…男がダメって部分は、あながち間違っちゃいないんだけどな。

 だからと言って、安易にレズに走ってるという事実もまったく無いんだが」

「またまた~。別に恥ずかしがらなくても、私はお嬢様を応援してますよ。

 それに私だってその『男の子がダメ』って気持ち、すっごくわかりますし」


 変わらず聞く耳を持たないアイラに、軽く頭を押さえかけたルナルナであった。

 しかしそこで、彼女の聞き捨てならない台詞に引っかかりを覚え、動きを止めた。


「って、お前がその台詞言うかよ?いつも種族問わず男を侍らせてるくせに」


 その言葉に、アイラは艶かしい唇に人差し指を添えて、不満気に頬を膨らませた。

 一見子供っぽさを想起させるその仕草には、男を惑わす妖艶な魔力を秘めていた。

 その仕草でいつも男を誘惑しているだろう、と突っ込みたいルナルナであった。


 普段からふわふわした口調とファンシーな衣装で子供のように振舞うアイラだが、

 それだけでは、ふとした瞬間に見え隠れする彼女の色気を隠しきれてはいなかった。

 そして、そのギャップにやられた哀れな犠牲者達が、親衛隊と呼ばれるそれであった。

 彼女の本性を知った以上、ルナルナにはそれすらも彼女の計算だったと思えたのだ。

 子供っぽい扮装で男に近づき、無防備になった彼らを狡猾に絡め取る性悪な淫魔。

 ルナルナから見たアイラは、そういった印象に変わっていた。


 しかしアイラの口をついたのは、それを真っ向から否定するものであった。


あれ(・・)は『食事』の為なんですから、仕方ないじゃないですかぁ。

 私達サキュバスって、昼間に動くだけで結構魔力を消費するんですよ。

 でも男の人って油断するとすぐ襲ってきますし、本当は私も近づきたくないんです」

「そんな――」


 ――馬鹿な。と言いかけたルナルナだが、

 アイラの言葉には、実際に思い当たる節がいくつかあった。


 まず、アイラは他の魔物に比べて、かなりの頻度で『空腹』を訴えていた。

 そして彼女はその度に、直接的接触を避ける効率の悪い『食事』を行っていたのだ。

 あの方法では一人あたりから摂取できる魔力量は高が知れている為、

 ああやって一度に何人もの男を集める必要があるのだろう。

 おかげで周囲への迷惑は果てしない事になるのだが。

 主に視覚や臭気的な意味で。


 更には、ルナルナの記憶が正しければ、

 アイラは成人した淫魔にも関わらず、未だそういう(・・・・)経験を致してはいない。

 単に想い人に操を立てているだけかと思われたが、実はそんな理由もあったらしい。


「じゃあ実際にお前も『男が苦手』だとして、ルガールはOKな理由はなんなんだよ?

 あいつは幼女を見ると誰彼かまわず求婚する、言っちゃ悪いが相当変態だと思うが」

「それは、お嬢様がルガールさんの表面的な所しか見てないからなのです!

 ルガールさんだけは、私をエッチな目で見てこないですし、とっても紳士なのです。

 それに初めて会った時、私の事をずっと守ってくれるって言ってくれました。

 だから、あの方は私の騎士(ナイト)様なのです!」


 アイラはその時の事を思い出しているのか、両手で頬を覆ってうっとりとしている。


 しかしルガールのアイラに対する態度は、ただ単に彼女が性的対象ではない為だろう。

 そしてアイラが言われた台詞は、彼が目に付いた幼女全てに言っているものであった。

 まさかあの口説き文句に引っかかる者がいたとはと、ルナルナは逆の意味で驚愕した。


「その台詞って、俺も初対面の時に言われたんだが…」

「はっ!まさかお嬢様もルガールさんの事を!?」

「いや、それだけは絶っっっ対ないから安心してくれ」

「あうぅ、そこまで否定しなくても……ルガールさん、とっても可哀想なのです」


 ルナルナには、彼女が狡猾なのか純朴なのか、再びわからなくなってしまった。

 男を誘うように見えて実際には遠ざけ、計算高いように見えて簡単に騙されていたり、

 どこまでもちぐはぐ(・・・・)な印象を受ける彼女であった。





 ――――――――――――――――――――





「ところですっかり興が冷めた感じだが、まだやるんだよな?」

「ふぇ?」


 ルナルナの言葉に、アイラは一瞬キョトンとした表情を返した。


「それとも、このままおとなしく俺達を見逃してくれるってのか?」

「は、はうっ!それはダメです、逃がさないのですよ~」


 アイラはそこでようやく、自分達が戦闘中であったことを思い出したようだ。



 アイラはつい先ほどまで、ルナルナと戦っていたことを完全に忘れていたのだ。

 そしてその事実には、ルナルナも当然のごとく気が付いていた。

 アイラから放たれていた圧倒的な威圧感は、会話中にはすっかり消えていた。

 隙を作りつつも、一瞬たりとも緩む事のなかったアイラの集中力は、

 目の前の色恋話に夢中になることで完全に途切れていたのだ。


 それはアイラの明確な隙であり、ルナルナにとっては本物のチャンスであった。

 しかし、ルナルナはそのチャンスを自ら手放したのだ。

 ルナルナは自らの甘さを自覚しながらも、その隙を突く事を良しとしなかった。


 いかなる手をも尽くし、勝利を求める行動というのは一つの正義である。

 しかしルナルナが求めていた『強さ』とは、少し性質が違ったのだ。

 この戦いは単純な力の勝負ではなく、お互いの主張を賭けた戦いでもあった。

 例え力勝負の行方はどうあれ、その主張の部分で負ける訳にはいかないのである。

 そういった理由もあり、アイラの隙に安易に飛びつくのは、何か違うと感じたのだ。



 とはいえ、このままアイラとの戦闘に負けてしまえば、

 最悪の場合、ルナルナは再び魔界の奥地に幽閉されてしまうだろう。

 エルドを怖れ誤魔化してきた今までとは違い、はっきり反抗の意を示したのである。

 その結果、エルドが強硬にルナルナを押さえつけにかかる可能性はかなり高かった。

 そうなると、ルナルナに出来ることが今より極端に減ってしまうのは確実であった。


 恐らくその状態になっても、ヴァーミリアはルナルナの味方をしてくれるだろう。

 しかし例え魔王が味方をしても、ルナルナの状況が好転する見込みは薄いのだ。

 というのも、もともとヴァーミリアの内政能力はそこまで高いものではなかった。

 それを表からも裏からも支えているのが、エルドという存在であった。

 その負い目がある為か、エルドとヴァーミリアの主張が食い違った場合には、

 ヴァーミリアが折れる事の方が多かったのだ。

 そもそも二人の関係は上司と部下と言うより、もっと対等に近いものであった。

 ただ『魔界』という巨大国家を治める体面上、そういう関係に落ち着いているのだ。


 仮にこの戦いに負けても、ルナルナが何も出来なくなるわけではないだろう。

 しかしそうなってしまうと、かなり厳しい状況に陥ることは間違いない。

 そのリスクを認識しながら、ルナルナは再び臨戦態勢を取った。






 中空に浮かぶ夜魔の女王は、明らかにルナルナにとって相性の悪い相手であった。

 まず、彼女に届く攻撃がかなり限られているのである。

 ルナルナには飛び道具的な攻撃がないため、直接攻撃するしかない。

 だが、彼女の空中での動きは、まさに常軌を逸した機敏さであった。

 単純に飛び上がって攻撃を仕掛けても、易々とかわされては手痛い反撃を貰うのだ。

 しかしそれを怖れて地上に居ても、フェイクを交えた魔術で一方的にやられるだろう。


 ただ一つ、ルナルナは地上に居ながらアイラまで届く攻撃手段に心当たりがあった。

 ルナルナはその『切り札』の柄に、そっと指先を触れさせた。


ソレ(・・)は使わない方がいいですよ。すぐに負けたいのなら止めませんけど」

「くっ…」


 ルナルナの意図を即座に汲み取ったアイラが、にこにこと忠告する。

 その手段が無謀だとわかっていたルナルナは、『幻魔の刃』から手を離す。

 実際このナイフの力を使えば、ルナルナの攻撃範囲は飛躍的に伸び、

 更に上手く当てる事さえ叶えば、その威力はまさしく一撃必殺の威力を誇るのだ。


 しかしアイラの飛行能力を考えれば、その一撃を当てるのは非常に困難であった。

 そして、その攻撃を外した瞬間に、ルナルナの負けは確定するのだ。

 最強にして最悪の燃費を誇るその切り札は、

 ルナルナの魔力を持ってしても、たった1度しか振ることを許されないのであった。



「ちっ、ならば当たるまで攻撃すればいいんだろ!」


 とにかく攻撃しないことには始まらないルナルナは、

 無謀と知りつつも再び飛び上がり、アイラに飛び蹴りを放った。

 ルナルナの眼前まで迫ったアイラの姿は、今までのリプレイのように掻き消えた。

 魔力で物理法則に干渉する彼女は、空中で空気抵抗を無視した動きを可能とするのだ。


 ルナルナの鋭い気配察知は、背後に現れた強力な妖気を即座に捉えていた。

 仮にここが地上なら、その気配に振り返って攻撃に備える事が出来ただろう。

 だが、現在彼女達が居るのは空中である。

 姿勢制御すらままならないルナルナにとって、背後を振り返ることすら困難であった。

 今まではここでアイラの攻撃を背後からまともに浴びて、地上に叩き落されていた。

 しかし、これまで何度か同じやり取りを繰り返したおかげで、

 ルナルナはアイラのこの攻撃に対して、一瞬だけ早く対応する事が出来た。


 突如として、ルナルナはラミアの姿へと変わっていた。

 直後、ルナルナはアイラの細身の体に見合わない重い打撃を受け、吹っ飛ばされた。


「って、あれれ?お嬢様って随分器用なことをしますね」

「くっ…やっと、ガードが間に合ったな」


 驚きの表情を浮かべるアイラに、ルナルナは吹っ飛ばされながらも口角を上げた。

 今しがたルナルナが行ったのは、『人化』の解除であった。

 『人化』とその解除は、発動と同時に任意の姿勢を指定する事が出来るのだ。

 ルナルナはその特性を生かし、本来なら姿勢制御の困難な空中にあって、

 振り返ってガードする(・・・・・・・・・・)という行動を、瞬時に行ったのだ。


 ルナルナの攻撃がアイラに届いた訳でもなく、ただガードが間に合っただけである。

 しかし二人の間に、ようやく『攻防』が成立したのだ。

 ここに来てやっと戦いが成立したことに、ルナルナは僅かな手ごたえを感じていた。


「むー、このくらいで喜ばないでください。

 お嬢様の攻撃が私に届かないって事実には変わりがないんですからね」

「ああ、確かにその通りだ。だがお前が魔力で空を飛ぶ限りガードくらいは出来る。

 ここから先は根競べだな」


 そう言うと、ルナルナはアイラの気配を一瞬たりとも逃すまいと集中する。

 ラミアという種族は、魔物の中でも特に気配察知の能力に優れていた。

 気配察知とは、空気の流れや熱変化、音、そして魔力等を捕らえる能力であった。

 サキュバスは常に魔力を使って飛行する為、

 例えどんなに早く動いたとしても、この気配察知から逃れることは出来ないのだ。


 アイラの攻撃で横方向の慣性を受けた為、未だ宙を飛び続けるルナルナは、

 蛇の胴体がするすると解け、地表に落下するのを気にする様子もなく集中を続ける。


「じゃあずっとガードしてて下さい。お嬢様がジリ貧なのは変わらないんですから」

「はっ、せいぜい迂闊な攻撃をして間違い(・・・)が起こらないよう気をつけるんだな」


 ルナルナの挑発に呼応するように、アイラは瞬時にルナルナの背後へと姿を現した。


「かかったな、今度は受け流す!」


 ルナルナは今度は『人化』による姿勢変更を行い、

 アイラの攻撃をいなすべく空中で背後へと向き直った。








「ふぇ?」

「あ、あれ!?」


 ルナルナとアイラは、同時に間の抜けた声を上げた。

 アイラが攻撃して、ルナルナがそれを受ける。

 二人が同様に予想していた事象が、まったく別の結果を伴って眼前に現れたのである。


 アイラは空中で、片足を振り上げた状態で固まっていた。

 対するルナルナは、白い大地の上(・・・・・・)で防御の体勢を取ったまま固まっていた。

 ついでにルナルナの目の前では、立ち枯れた樹木に身を寄せたアリスが固まっていた。


「えっ?」


 そしてルナルナは防御体制を保ったまま背後から慣性を受け、眼前の樹木に激突した。


「…ってぇ」

「はっ!お、お姉様大丈夫!?一体何が…」


 突然の出来事にアリスは驚きながらも、樹木に激突したルナルナに慌てて身を寄せた。


「なんなんだよ。今何が起こったんだ?」

「わ、わからないわ。

 空から紫っぽい何かが降ってきたと思ったら、今度はいきなりお姉様が現れて…」

「紫っぽい何か?」

「うーんなんだろ、何かの尻尾っぽかったかも?」


 したたかにぶつけたルナルナの鼻をなでつつ、アリスは眼前で起こった事を説明する。

 アリスの説明を受けても、未だ要領を得ないルナルナが首を捻っていると、

 今度は真上から、少し怒ったような抗議の声が聞こえてきた。


「ちょっと!いきなり消えたと思ったら、何そんな所でいちゃいちゃしてるんですか!

 愛の力で瞬間移動までするなんて、お嬢様達の愛は本当に凄いと思いますけど、

 今は戦うのかいちゃいちゃするのか、はっきりしてくださいよね!」

「い、いや。だからいちゃいちゃしてるわけじゃ…」

「問答無用!真面目にしないと、今度はうっかりアリスさんまで巻き込みますからね」


 先ほどまでルナルナとアリスの関係を妄想して盛り上がっていたアイラが、

 今度はうって変わって、突然の中断に腹を立てていた。

 ついでに、再び彼女の口調が変わっている。

 彼女の沸点は案外低いのかもしれない。


「って、ちょっと待てそりゃ勘弁してくれ!

 悪いなアリス。またあっちで戦ってくるから、ここでもうしばらく待っててくれ」

「う、うん…」


 アリスが頷いたのを確認すると、ルナルナは慌てて開けた雪原の方へ移動した。




 ルナルナは移動しながらも、今起こった現象について考えていた。

 先ほどルナルナが使ったのは『人化』による姿勢変更で間違いはない。

 だが、空中で向きを変える効果を狙ったものが、何故か地上へ『瞬間移動』していた。

 当然ルナルナはそんな魔術を修得した覚えはまったくない。

 という事は、何らかの要因と『人化』を組み合わせることによって、

 先ほどの現象を再現できると言うことになるはずだ。

 狙って『瞬間移動』が出来るとなれば、それは有用どころの話ではないだろう。

 何しろ『人化』であれば、ルナルナはほぼラグが0の状態で使えるのだ。


 ふと、ルナルナはアリスが「紫の尻尾が降ってきた」と言っていたのを思い出した。

 その尻尾とは、恐らくはルナルナの蛇の尾の事であろう。

 戦闘に集中する余り、ラミアの胴体が重力に引かれ落下し、地面に到達していたのだ。

 アイラはかなりの高度を維持しているが、ラミアの蛇の胴体は非常に長いのだ。

 現状でもルナルナがラミアの姿で伸び上がれば、アイラの居る位置までは届くだろう。

 もっとも届くだけで、その状態から何が出来ると言うわけではないだろうが。



 そこまで考えたところで、ルナルナの脳裏に電流のような閃きが走った。

 もしかしたら、その思いつきは間違っているかもしれなかった。

 だがそれを試すのは簡単で、成功すればアイラを容易く捉えられるかもしれないのだ。


 ルナルナは即座に『人化』を解き、ある条件を加えて(・・・・・・・・)再び『人化』した。

 『人化』と共に、ルナルナの柔らかな銀髪がふわりと浮き、すぐさま元へと戻る。

 果たしてそのサインは、ルナルナの予想が正しかったことを示していた。


 ルナルナは少しだけ震える自らの体を抱き、堪えられないとばかりに笑っていた。


「なぁに笑ってるんですか、お嬢様。

 まさか私の攻撃がガードできるようになったのが、そんなに嬉しいのですか?

 確かに『人化』を駆使したお嬢様の防御法には少し驚きましたけど、

 でも私の攻撃があれですべてだとは思わないことですね」


 そんなルナルナの様子を眺めていたアイラは、少し呆れたように中空から声をかけた。


「いや、俺も『人化』にこんな使い方(・・・・・・)があるなんて思いもしなかったからな」

「それは良かったですねぇ。

 それじゃあお嬢様は、そのまま亀のようにガードをし続けていてくださいね」


 ルナルナはふわりと顔を上げ、中空のアイラを射止めるような視線を向けた。

 先ほどのように、すぐに飛び上がってくると踏んでいたアイラは、

 何故か未だ地上にとどまり続けるルナルナを、少し訝しげに眺めていた。


「残念ながら俺は亀じゃなくて蛇なんだよ。だから今度は俺から攻撃させてもらう」

「ふぅん。空も飛べないお嬢様が、この間合いで一体何をしようと言うのですか?」


 未だ空中の絶対優位を信じて疑わないアイラは、ルナルナの言葉にスッと目を細めた。

 その位置が、既にルナルナの射程圏内(・・・・・・・・・)であることにも気付かずに。






 アイラの視界に妙に長く伸びた蛇の胴体が映ったのは、まさに刹那の瞬間であった。

 そして何が起こったか把握する間もなく、自らの体が思うように動かず、

 白い大地に向かって落下しているということに気が付いた。


「はぇ!?」

「ふん、やっと捕まえたぜ」


 その声に、アイラは自分を拘束しているのがルナルナである事にようやく気が付いた。


「えぇ!お、お嬢様!?一体どうやって」

「ちょ、暴れるな…ってか、なんて馬鹿力だよ!」


 じたばたともがくと、アイラの体を拘束する力が、一度フッと弱まった。

 彼女がしめたと思うも束の間、次の瞬間青紫の鱗に、ものすごい力で締め上げられた。


「いっ、いたたたた~!お嬢様ぁ、痛いです!これすっごく痛いです!」

「うるせぇ!お前だって今まで俺を散々蹴り上げてくれやがって」


 二人はキャイキャイと言い合いもつれ合いながら、ついに白い大地へと衝突した。

 拘束されたまま落下したアイラは、受身も取れずにその衝撃をもろに受けた。



「は、はうぅ…お星様が飛んでますぅ」

「ほー、それがお前の最期の言葉で良いのか?」


 アイラの眩んだ視界が徐々にはっきりしてくると、

 彼女の目に、物騒な言葉と共に『幻魔の刃』を構えたルナルナが映った。


「…ちょ、ちょっと待って下さい本気ですかお嬢様!?

 このままソレを振り下ろすとお嬢様もただじゃすみませんよ!」


 アイラの言葉通り、彼女は未だルナルナの蛇の胴体に絡め取られたままである。

 この状態から大雑把代表のような武器である『幻魔の刃』を振れば、

 ルナルナの体までもが傷つくのは誰が見ても明らかであった。


「ああ、確かにすっごく痛いだろうな。

 でもこうでもしなければ、お前にこいつを当てられないから仕方ないさ」


 しかし、そんなアイラの言葉を気にする様子もなく、

 ルナルナは妙に優しい笑顔を浮かべ、事も無げにそう言い放った。

 彼女の微笑みは優しそうに見えて、その実黄金の瞳は欠片も笑っていなかった。



「あぅ…じょ、冗談…冗談ですよね、お嬢様?」

「ああそうだな。お前らが俺の事を止めようとするのと同じくらいには冗談さ」

「ひぐっ、それって多分、本気って事じゃないですかぁ」

「そうなのか?じゃあそうとも言えるかもな」


 ガタガタと震えるアイラの表情に、少しの諦観が混じる。

 彼女がルナルナの体を傷つけることを厭わなければ、

 あるいはその拘束から抜け出す事も可能だろう。

 しかし当のルナルナは、元より自分の体が傷つくことを前提で立ち回っている。

 そしてよしんば拘束が解けるとしても、逃げる前にルナルナの刃が届くだろう。

 つまりはどう足掻いても、彼女は既にまな板の上の鯉なのであった。


「はぅ、わかりましたぁ。降参するのでもう許してください」


 ついに観念したのか、アイラが白旗を揚げる。


「やったぁ、さっすがはお姉様!」


 離れた場所で見守っていたアリスもルナルナの勝利を知り、すぐに駆け出した。

 しかし戦いが終わったにも拘らず、ルナルナはアイラを拘束する力を緩めなかった。



「あ、あれ…お嬢、様?」

「信用、できないな」


 困惑するアイラに対し、ルナルナは普段から考えられないほど冷たい声で言い放つ。


「お前は普段から本性を隠しているような、極めて性悪な淫魔だ。

 ここで降参したと見せかけて、後ろから寝首をかくなんて事もやりかねないだろ」

「はあぁ?私がそんなことするわけないじゃないですか!」


 ルナルナの額には汗の玉が浮かび、呼吸も先ほどより随分浅く、荒くなっている。


「それに、どうせここでアイラを負かしたとしても、エルドを敵に回したんだ。

 そのうちベルゼかエルド本人か、お前よりも厄介な追っ手がかかるんだろ。

 ならばお前を消して、俺の行方の足がかりを無くした方がまだ逃げやすいよな」

「ええっと、お嬢様?さっきから言ってることが滅茶苦茶なんですけど…」


 アイラは窺うようにルナルナの瞳を覗き込んだ。

 彼女の瞳は先ほどより余裕なくぎらつき、とても勝利した者の様には見えなかった。

 それは、何かの強迫観念に追われているか、もしくは暴走しているようにも見えた。

 そこで、アイラはある一つの可能性に思い当たっていた。


 ルナルナの持つ『幻魔の刃』は、無尽蔵に魔力を汲み上げる彼女の切り札である。

 しかしいかに魔力容量が莫大とはいえ、最大放出状態が続けば当然枯渇するだろう。

 ただでさえ彼女は、平時より魔力が減り続けている(・・・・・・・・・・)状態なのだ。

 おそらく自分の最大魔力がどれほどのものかすら、正確には把握していないだろう。


 彼女が『幻魔の刃』を握って、既に結構な時間が経っている。

 となれば、彼女の魔力は既に枯渇し、暴走状態に陥っていてもおかしくはないのだ。

 魔力の枯渇した魔物は、様々な形で異常をきたす。

 ある者は暴走し、ある者は暴食し、ある者は錯乱し、またある者は活動を停止する。

 すなわち、彼女は既に暴走してしまっているのではないか、と。


「ダメですお嬢様!目を覚ましてください」

「いいや、心配しなくても俺は正気だよ」

「おかしくなってる人は、皆そう言うんですよ!」

「どっちにしろ、死に行くお前にはどうでもいいことだろ」

「どうでも良くありません!やっぱり言ってることが滅茶苦茶ですからぁ!」


 アイラがルナルナに必死に呼びかける。

 しかし、ルナルナは聞く耳を持たないとばかりに『幻魔の刃』を高々と掲げた。


「お姉様やめてよ!アイラさんはもう降参って言ってるのに、なんでそんなこと」


 悲鳴のような声にルナルナが振り返ると、そこには息を切らしたアリスが立っていた。

 振り返ったそのルナルナの冷たい雰囲気に、アリスは小さく悲鳴を上げる。


「何だアリスか。あぁそうだ、お前は有能そうだから一緒に来てもらおうかな」

「お、お姉様?一体何を…」

「いざとなった時に、人質としても役に立ちそうだしな。ククク」

「お嬢様……」


 もはや完全に暴走してしまったルナルナに、アイラは深い深い溜息をついた。


「何だアイラ、これから死ぬって言うのにずいぶん余裕じゃないか」

「いいえ、アリスさんが気を逸らしてくれましたからね。

 残念ながらお嬢様の方がチェックメイトですよ」

「なにっ!?」


 アイラがにっこり足元を指すと、そこにたった今完成した魔方陣が光を放っていた。

 ルナルナの誤算はただ一つ。まな板の鯉は、魔術を使えたのである。


「っ…」


 カランと音を立て、護身用ナイフは地面へと転げ落ちた。

 『睡眠』を受けたルナルナは、さしたる抵抗も示さず白の大地に崩れ落ち、

 彼女の意識は、そのまま深い闇へと沈んでいった。




「せっかくお嬢様の事見直してましたのに、まったく世話が焼けるんですから」



 ルナルナの意識が途切れる寸前に、妙に色気を帯びた声が聞こえた気がした。





勝ってたのに負ける。これがルナルナちゃんクオリティ(笑)

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