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黄金の月の蛇姫様  作者: みつきなんとか
第6章 力を求めて
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第51話 夢の対価

 


 長い長い滞空時間の後、ルナルナは再び白い大地へと叩きつけられた。



 負ったダメージの大きさ故か、ルナルナは即座に起き上がることが出来なかった。

 既に、彼女の全身はボロボロであった。

 それもそのはずである。

 『麻痺』の魔術を踏んでは蹴り上げられ、苦し紛れに飛び上がっては叩き落され、

 常人ならば致命傷どころで済まないダメージを、彼女はその身に何度も受けていた。


 ルナルナは、ガクガクと震える腕で上体を起こし、再び立ち上がろうとする。

 今の攻撃で頭部を切ってしまったのか、一筋の血が頬を伝い、手元の雪を朱に染める。

 荒く乱れた彼女の白い吐息は、夜の闇に浮かんでは瞬く間に色を失う。

 不退転の決意に満ちていた黄金の視線も、今やかなりの力を失ってしまっていた。



 実際の所、ルナルナの心は半ば折れかけていた。

 ルナルナとアイラ。元々この二人にはかなりの力の差があった。

 片や魔界の大幹部の元に生まれ、その有り余る才能を思う存分伸ばしてきた者。

 片や魔王の元に生まれるも、前世の記憶や乳母が邪魔をしてその努力を怠ってきた者。

 その積み重ねてきた実力の差は、ちょっと決意した程度で覆る程に小さくはなかった。

 そしてアイラの戦い方は、正にルナルナの心を折りに来るようなものであった。


 翼を持たないルナルナに優位な空中という位置を保ち、

 魔術を使うことも抵抗も出来ない彼女に、躊躇うことなく魔術を放ち、

 カウンターを狙う彼女に、アイラは『麻痺』の効果が顕れている時か、

 もしくはルナルナが空中に居る時にしか、接触する事はなかった。

 元々力の勝っている者が、劣っている者の弱点を的確に突いてくるのだ。

 結果、ルナルナはアイラに攻撃を当てるどころか、触れることすら叶っていなかった。



 アイラに弱者を嬲る悪癖でもあるのか、ルナルナにとどめを刺しに来る様子はない。

 ただ間合い外から余裕の表情を浮かべて、ルナルナの様子を観察している風であった。

 その表情すら、余裕を崩すことの出来ないルナルナの無力を示されているようで、

 彼女は湧き上がる悔しさに奥歯をギシリと軋ませた。



「うふふ、まだ諦めないんですかぁ?今のお嬢様じゃ、多分何をやっても無駄ですよ」



 圧倒的な妖気に妖艶な仕草、艶かしい唇からは少し鼻にかかった甘い声を紡ぎ出す。

 今のアイラを見れば、誰もが彼女が夜魔の女王であることを認めるであろう。

 唯一違和感として残るフリル付きのハリボテ(・・・・)が、夜の風に嬲られふわりと舞った。



 余裕の表情を浮かべるアイラだが、実はその表情に油断が含まれる事は一切ない。

 その証拠に、彼女の視線は片時としてルナルナから外れる事はないのだ。

 いっそ格下と侮って油断してくれればいいのにと、ルナルナは思う。

 狡猾な彼女は、今まで小さな隙を作ってはルナルナを誘い、

 チャンスと飛びついた所を、冷たく迎撃するというやり取りも何度か繰り返している。


 アイラは強大な戦力を誇る『魔界』において、エルドに次ぐ四天王の序列2位である。

 普通に考えて、魔力もロクに扱えないルナルナの敵う相手ではなかったのだ。

 例えば何かの間違いが起こって、幸運にもこの場を逃げおおせたとする。

 すると今度はアイラどころか、それより強いエルドやベルゼまでもが敵に回るのだ。

 それがどれだけ無謀なことなのか、ルナルナは改めて痛感してしまう。


 そもそも彼女達は、元々ルナルナの味方なのである。

 ルナルナが少し我慢(・・)さえ出来れば、いつまでも心強い味方で居続けるだろう。

 エルド達がルナルナが力を持つのに難色を示すのも、視点を変えてみれば納得できる。

 例えば、ルナルナが仮に人間の国の王女だったとする。

 その王女がお転婆にも力を求めたならば、周囲は果たしてどうするだろうか?

 そう考えれば、エルドがルナルナに護衛という名の見張りをつけ、

 おいた(・・・)をしないように監視するのも当然の流れであった。


 もっとも人間の場合、脱走した王女をここまで痛めつける事など在り得ないだろうが。

 ともかくダダさえこねなければ、アイラを始めとする魔物達は協力的なのだ。

 そんな恵まれた状況に、一体何の不満があるのか。


 そんな思考に流され、ルナルナが完全に折れかけたところで、

 突如何かがルナルナの目の前に立ち塞がった。





「あれぇ、一体何のつもりですかアリスさん。

 私さっき、危ないって警告しましたよねぇ?」


 ルナルナの視界を遮った物の正体は、アリスの小さな背中であった。

 アリスはルナルナに背を向けて立っている為、ルナルナは表情を窺うことは出来ない。

 しかし彼女は後ろ姿からでもはっきりとわかる程に、ガタガタと震えていた。


「あは、もしかしてドクターストップですか?流石はアリスさん、賢明な判断ですねぇ」

「そ、そんなわけないでしょう!お姉様は今ちょっと休んでるの。

 お姉様は凄いんだから、あ、あんたなんかに、絶対負けたりしないわ!」


 アリスの声は裏返りそうなほど不安定で、ほとんど絶叫に近い。

 しかし、常人ならば相対するだけで腰が抜けてしまいそうなアイラのプレッシャーを、

 彼女は全身を震わせながらも真っ向から受け止めている。


 アリスに一切の戦闘能力が無いのは、当然ルナルナの知る所であった。

 戦闘能力どころか、単純な運動能力ですら同年代の女の子の平均を下回っている程だ。

 彼女は幼少より家に閉じ篭っていた為、外で体を動かす機会はほとんどなかったのだ。

 当然、彼女がこの戦いの場において役に立たないことは、誰から見ても明らかだった。

 そして、それはアイラにもわかっているのだろう。

 アイラは少し困ったような表情を浮かべ、諭すような優しい声でアリスに忠告する。


「アリスさぁん。あなたは戦えないんですからぁ、のこのこ出しゃばっちゃダメですよ。

 それともまさかお嬢様が休んでる(・・・・)間、あなたが遊んでくれるのですか?」

「ひっ…」


 アイラはにんまりと笑って威嚇する。

 その表情には、言外に邪魔をしたら容赦しないという迫力が込められていた。

 アリスの震えは一層強くなり、思わず半身で後ずさってしまう。

 だが、彼女は即座に体勢を立て直し、再びアイラの視線を真っ向から受け止める。


「そ、そのまさかよ。こっちは二人がかりなんだから、あんたこそ覚悟してよね!」


 アリスのその無謀すぎる発言に、アイラよりもルナルナの方が目を剥いた。


「ダメだアリス。いくらなんでも無茶すぎる!」

「いいえ、無茶じゃないわ!私だってちゃんと作戦立てたんだから。

 あのね、あいつは今まで遠距離だと魔術しか使ってないの。

 だから私がめちゃくちゃに走り回って、魔術の的を散らしてやるの。

 それならめったに魔術は当たらないはずだし、仮に当たっても逆に好都合よ。

 その隙に、お姉様があいつを攻撃出来るって寸法だし」


 アリスは未だ震えの残る声で、ルナルナにそう告げた。


 その作戦は、ルナルナから見ても穴だらけであった。

 アイラが遠距離で魔術しか使わないのは、単に彼女が魔術に嵌っているだけであり、

 決して彼女が、それしか攻撃手段を持っていないわけではなかった。

 それは、今回の戦いにおいて彼女の動きが既に証明している事実であった。

 と言うのも、空中での彼女の動きは異常なほどに俊敏だったのだ。

 それこそ、彼女は機動力を生かしたヒット&アウェイ戦法も出来るはずなのである。

 そして、恐らく彼女はそちらを駆使した方が強いであろうと言うことも。


 また、ルナルナはアリスがやられて平静を保てる自信がまったくなかった。

 アイラの使う魔術が『麻痺』とはいえ、彼女の魔術は通常のものより強力なのだ。

 それこそ一般人が触れれば、下手すればショック死しかねない威力があるのだ。

 更に、もっと危険なのはアイラの直接攻撃である。

 もしアイラの攻撃がかすりでもすれば、アリスは易々と吹き飛ばされるだろう。

 そして、その衝撃に耐えられるほど、彼女の体は頑丈ではないはずである。

 それだけで、人間であるアリスには致命傷となってしまうのだ。



 そんなルナルナの心配がアリスにも伝わったのか、アリスの瞳がわずかに揺れる。


 実は彼女にも、提案した作戦がどれだけ無茶なものかはわかっていたのだ。

 だが、だからと言って彼女は引かなかった。

 そこに引けない理由があったのだ。


「私だって、無茶なのは十分承知よ」

「だったら…むぐっ」


 アリスの言葉に乗って強く出かけたルナルナの気勢は、小さな掌一つで遮られる。


「でもね、ここは絶対負けちゃダメな所なの。

 今折れてしまったら、きっとお姉様は二度と戻れないわ」

「…どういう、ことだ?」


 ルナルナの口を遮ったアリスの手から、いつの間にか震えが止まっていた。

 アリスは魔力が篭ってると錯覚するほど強い瞳で、ルナルナを真っ直ぐ見つめていた。


「あのね、お姉様。私、今からちょっと偉そうな事言うね」

「あ、ああ…」


 ルナルナとアリスの身長はかなり近いため、二人の顔はかなり近づいた。

 だが、普段アリスが発する邪念のような感情は、今は綺麗さっぱりと消え失せていた。


「お姉様の、人と魔物が仲良く暮らす『世界平和』の夢、私もすっごく素敵だと思う」

「そ、そうか」


 その話題が、今の状況とどう関係するのか、ルナルナには疑問だった。

 しかし彼女の真っ直ぐな瞳は、その疑問を口にすることを許さなかった。


「でもね、その夢はとってもとっても大きすぎて、

 もしかしたら得る物の換わりに、とっても大きな物を失う可能性があるわ」

「ああ、そうなの……か?」


 いまいちピンと来ないルナルナに対し、アリスは確信を持って頷いた。


「ええ。夢を追うってね、つまりはそういう事なの」


 わからないものに対して反論も出来ないので、ルナルナは話の続きを促した。


「夢を追うことで失う事もあるし、辛い選択に迫られることも、きっとあるわ。

 それでね、そんな時に欠かせない、とっても大切なものがあるの。

 それは今のお姉様に、ほんの少しだけ足りてないもの」

「それ、は…?」


 ルナルナはその先を聞くのが少し怖かった。

 だが、立ち止まって進めなくなったルナルナの背中を押してくれたのはアリスである。

 今、この場で切り出すということは、それだけ大事な話なのだろう。

 アリスの強い視線に少々怖気づきながらも、彼女の続く言葉を待った。


「それはね、『覚悟』よ」

「覚、悟…」


 ルナルナは、アリスに言われた言葉を噛み締めるように、口の中で反芻する。

 そんなルナルナを見ながら、アリスは静かに頷いた。


「例えば――えっと、私の夢はね、お父様に負けない立派な商人になる事」

「ああ、前にもそう言ってたな」

「それで、商人になる為に、例えば…えっと、ほんとに例えばの話だけどね」


 そこで、アリスがわずかに表情を曇らせて言い淀む。


「その、立派な商人になる為に、お姉様とどうしても別れないといけなくなったら…」


 発言の先を想像したのか、アリスの瞳には涙が溜まっている。


「お姉様の事は凄く好きだけど、ほんとのほんとに大好きだけど、

 ……そ、それでも私はきっと、お姉様よりも、商人の道を選ぶと思う……わ」


 自らの想像に耐えられなくなったのか、アリスは唇を噛み締めて俯いてしまった。

 その姿があまりに辛そうで、ルナルナはアリスの髪をそっと撫でる。


 しばらくすると落ち着いてきたのか、アリスはハッと顔を上げた。


「あ!ち、違うの今は私の事じゃなくって!」

「お、おう」


 アリスは唐突に立ち直ると、同時に強い意思の篭った視線も帰ってくる。

 くるくる変わる彼女のその様子に、ルナルナは若干付いて行けずに少し苦笑した。


「お姉様の夢はとっても大きいわ。だからこそ、それに見合った大きな覚悟がいるの」

「夢に見合った覚悟、ねぇ」


 未だ話の繋がりが見えないルナルナは、曖昧な表情でアリスの言葉を反芻する。


「信念と言い換えてもいいわ。夢を叶える為に、何を選んで何を捨てるのか。

 その根っこになるのがね、夢を追う覚悟。それは単純な利害なんかじゃないわ」

「…何か話がややっこしいなぁ。今の状況とそれは関係あるのか?」


 ついに、ルナルナは我慢しきれずそう聞いてしまう。

 そんなルナルナの言葉に、アリスは軽いため息をついて頭を押さえた。


「大有りよ!お姉様は夢のために強くなろうとしてるんでしょう。

 それなら他人に反対されたくらいで簡単に曲げちゃダメ。

 絶対叶えたい夢なら、例え負けても、泥を啜っても、それだけは譲っちゃダメ!」



 その言葉に、ルナルナはハッとさせられた。


 それは正に、先ほどルナルナが気付いたことであった。

 その気持ちがあったからこそ、エルドに反抗し、アイラと戦うことを決意したのだ。

 それが、実際相対したアイラの強さに、壁の高さに、いとも容易く揺らいでいたのだ。

 今しがたの決意がもう揺らぐとはと、改めて己の弱さを恥じるルナルナであった。

 同時に、自分の結論とアリスの結論が同じである事が、ルナルナには妙に嬉しかった。


 ふと、ルナルナは視線を眼前に戻す。

 すると、心配そうに見つめるアリスと目が合った。


『なんだ、結局俺はアリスに心配されていたのか』


 そんなことに、ルナルナは今頃になって気付いていた。



 どんなに想われようと、どんなに迫られようとも、

 ルナルナはアリスとの一線を越えるつもりはなかった。

 しかしそんなことは関係なく、彼女は既にルナルナのかけがえのない友人であった。

 今まで立ちはだかっていた壁を越える為に、ルナルナが決心した事を、

 彼女はそれで良いんだよと背中を押してくれたのだ。

 それだけで、ルナルナの心が軽くなるのを感じていた。

 それだけで、そんな壁にだって挑んでいける勇気が湧いてくるのだ。


 何とはなしに彼女の髪を撫でていると、ルナルナの心は温かい気持ちに包まれる。

 友人同士なら、少しくらいの軽いおふざけだって許されるだろう。

 ルナルナにふと、そんな悪戯心が湧いてきた。


 突然ふわりと前髪を上げられてたアリスは、何事かと訝しむ。

 彼女が言葉を発する前に、ルナルナは背伸びして彼女の額に軽く唇を触れさせた。



 それは悪戯であると同時に、ルナルナの感謝の気持ちでもあった。

 もしかしたら、これが原因で彼女は勘違いを起こしてしまうかもしれない。

 しかし、それもまとめて面倒を見てやろうと、ルナルナは考えていた。

 この気持ちを直接アリスに伝えれば、かえって彼女を怒らせてしまうかもしれない。

 だがそれが、ルナルナがアリスに望む関係であった。


 ルナルナがアリスから体を離すと、彼女は面白い表情をして固まっていた。

 そういえば、こんな表情が描かれた絵画が城の応接間に飾られていたなぁと、

 他愛もない事を不意に思い出し、ルナルナは思わず噴き出してしまった。


 意味不明の言語を発し、赤くなったり青くなったりと忙しいアリスに、

 ルナルナは改めて言葉に出してその気持ちを伝えることにした。


「その、ありがとうなアリス。おかげでまだ戦えそうだよ」

「&#☭〄;$※♂☞? …ぅ、うぇぃ?」


 目を白黒させつつも、ようやくアリスはルナルナの言葉に反応する。


「やっぱり、アリスの作戦は中止だ。だけど俺一人でもやれる所までやってみるよ。

 仮にこのままアイラに負けたとしても、俺はもう絶対に諦めないから」

「あ、ぅあ……う、うん。大丈夫、お姉様はきっと勝てるから、ね…」

「おう、あんな性悪淫魔、軽く捻ってくるからな。

 だから、アリスはまたちょっと離れていてくれよ」

「は、はい…」



 ルナルナの言葉に素直に頷いたアリスは、

 両手で顔を覆ったまま再び小走りで離れていった。






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