第47話 月下の逃避行
「ふぁ!ちょっとアリス、変な所触らないでくれよ」
「しょ、しょうがないでしょ!それよりもっとゆっくり動いてよルナルナちゃん、
こんなに真っ暗じゃ私何も見えないんだから」
「はぁ、しょうがないな。ほら握っててやるからもっとこっちに寄りな」
「あ…」
暗闇の中、不安と緊張に縮こまったアリスの手を、ルナルナはしっかりと握りしめた。
あの後ルナルナは、アリスと今後の方針を話し合っていた。
まず、エルドの監視から逃れること。
エルドが何故ルナルナが力をつけることに反対するのか調べること。
そして今までルナルナ自身も避けてきた、魔術を含めた『力』を身につけること。
ルナルナは現状四天王の監視を受け、何をやるにしても制限のかかる状態であった。
エルドがルナルナに求めるものは、魔界の王女として役割をまっとうするただ一点である。
それ以外は一切無駄だと言わんばかりに、彼女の態度は強硬で一貫していた。
そしてそれに逆らえば、彼女は無理矢理ルナルナを魔界に連れ戻しかねなかった。
ルナルナの求めるところは、魔物と人間双方が歩み寄った上での相互理解である。
その為に必要な行動は、その状況により様々に変化するだろう。
そこで重要なのは身軽さであり、王女の肩書きはかえって邪魔になるかもしれない。
そもそも、行動する度にエルドの顔色を窺わねばならない現状はどう考えても健全ではない。
これが公務であればまだ納得できるが、ルナルナの旅の目的はそういうものではないのだ。
魔物と人間の双方を深く知るルナルナが世界を見聞きし、
そこで感じたものを双方に伝えて、最終的に魔物と人間が争うことの無い世界を目指すのだ。
魔界の王女という肩書きは、せいぜい人間の上層部に接触する時にのみ有効なものだろう。
そう考えるとエルドの監視という枷は、現状ルナルナを縛る最大の障害なのである。
エルドに逃げを指摘されたルナルナは、この方針に少し複雑な気分になったが、
相手が強硬に来る以上、それを正面から相手にしても意味が無いとアリスは主張した。
続いてアリスは、エルドの『嘘』について調べることも提案してきた。
例えルナルナがエルドの監視を逃れても、ここを解決しなければ結局堂々巡りだというのだ。
これまでエルドは、ルナルナが力をつけることに対して頑なに反対を続けてきた。
エルドの言うには、平和を目指す王女が力を求める必要は無いという事である。
しかしこれには考えれば考えるほど違和感のある回答であった。
そもそもルナルナは『魔界』の王女なのである。
そして魔界のルールはただ一つ、『力こそ正義』である。
現在の魔王であるヴァーミリアにしても、魔物の中で最も強いから魔王なのである。
この点に関しては魔界が成立してから今に至るまで、一度も変わる事のない不文律であった。
その国において、魔王の縁者というだけの小娘が何かを主張して魔物が従うものだろうか?
恐らく答えは否であろう。
更にはヴァーミリア曰く、ルナルナの体には自分を遥かに凌ぐ才能が眠っているらしい。
しかし嬉々としてルナルナを鍛えようとしたヴァーミリアに、
エルドは真っ向から対立して一悶着あったという経緯すら存在するのである。
当然ルナルナには力で人間に圧力をかけるつもりなど1ミリたりともない。
アリスの言葉通り、強い力もその使い方さえ間違わなければ良いのである。
長寿のドラゴンであり、様々なものを見てきたエルドにそれがわからないはずはない。
おそらくは彼女の中に、ルナルナを強くしたくない別の理由が隠されているのだろう。
それは彼女の個人的な理由かもしれないし、ルナルナを思ってのことかもしれない。
しかしどんな理由であれ、現状ではエルドの主張はルナルナの障害でしかないのだ。
エルドが本当の理由を隠して強硬に来る限り、彼女との対話は成立しないのである。
故に彼女の真意を調べることは、ルナルナが自由を得る為の必須事項であった。
最後にルナルナ自身が強くなることである。
これはエルドとの件が決着してからの方が一番平和なのだろうが、
今からポール以外の四天王の護衛を振り切って行動するつもりなのだ。
同行者のアリスは戦えない為、必然的にポールはアリスにつく機会が増えるだろう。
そうなると、残ったルナルナは自分の身は自力で守らねばならなくなる。
現状でルナルナは魔物の中でも決して弱い方ではないのだが、
その強さは生まれ持ったままのものであり、ポール達のような洗練された強さではない。
実際現時点のルナルナは、ポールと1対1で戦うとおそらく勝つのは難しいだろう。
またルナルナは魔力を意図的に扱えない為、魔術に極端に弱いという弱点も存在する。
ルナルナの体には、毒や麻痺などに強いという特殊な耐性は存在するが、
例えば眠りの魔術などを使われてしまえば、抵抗出来ず一瞬で落ちてしまうだろう。
魔力の枯渇など未だ解決出来てない問題もあるが、魔物には魔王に従わぬ者もいるのだ。
いつまでもこの問題から逃げてばかりにはいかないのである。
そうなると魔術の扱いに長けた人物を探す必要が出てくるだろう。
一瞬ルナルナの頭に、魔術制御に長けたある魔人の顔が過ぎるが、
今ここにいない者を望んでも仕方が無い。
彼は遠いお空の下で、おそらくルナルナよりもっと大変な目にあってるのだろうから…
合掌。
と、これがルナルナとアリスの出した今後の方針であった。
まずは四天王から逃れるため、二人は深夜温泉宿の一室から慎重に抜け出していた。
要するに夜逃げである。
当然宿の支払いは済んでないが、そこはベルゼが残っていれば何とかなるだろう。
夜目の効かないアリスを誘導しながら、ルナルナはなんとか外までたどり着いた。
先ほどまで舞っていた雪は止んで、雲間から蒼の月がわずかに顔を覗かせていた。
自然から人工物に至るまで薄くまぶされた白の薄化粧が、
その僅かな黄金を反射して薄暗くも幻想的な風景を展開していた。
ルナルナはしばしその光景に魅入っていると、アリスはそっと肩を寄せてきた。
彼女もまた、この幻想的な風景に魅入られたのかと視線を移すと、
アリスの肩や唇はカタカタと震えていた。
「…どうしたんだ、アリス?」
「さ、寒いわ…」
アリスの言葉に、ルナルナはここが極寒の世界だったことをようやく思い出した。
ガルタンの腕輪を身につけてから、ルナルナの周囲の温度は常に一定に保たれていた。
しかし腕輪が無ければ、本来ここはルナルナが生きてはいられないような世界である。
アリスの装いも当然冬仕様なのだが、この地の冷気はその装備も突き抜けるのだろう。
ましてや二人は馬車を使わずにこの地を離れるつもりなのだ。
アリスはあまり丈夫とは言えない良家のお嬢様である。
ここまでほとんど文句も言わずにルナルナについてきた彼女だが、
この極寒の地を抜けるまで、果たして彼女の体は持つのだろうか?
「……なぁ、やっぱり馬車を使った方が良いんじゃないか?」
ルナルナの言葉に、しかしアリスは静かに首を振った。
「だめよ、馬車の音って結構大きいんだから。それで気付かれたら元も子もないわ」
アリスは一度口にした言葉は、よほどのことがない限り引っ込めないタイプである。
馬車を捨てていくというのも彼女が言い出したことであった。
しかしこの北国を抜ける為に向かう先は、よりにもよって天嶮の山地である。
ルナルナから見て、彼女の身が持つとは到底思えなかった。
「じゃあさ、せめて逃げるのはこの国抜けてからにしようか」
ルナルナの提案に、アリスは再び首を振った。
「一旦決断したことを先延ばしにしちゃダメ。
そこで甘えちゃうと、延ばした先でもきっと別の理由で甘えちゃうんだから」
「いや甘えるとかじゃなくて、アリスの体の方が心配なわけなんだが」
その言葉に、アリスは口を尖らせて反論した。
「私は平気よ、ルナルナちゃんには迷惑は掛けないから」
「とは言ってもなぁ…」
ルナルナから見て、やはり無理なものは無理なのである。
おそらく何事が無くても次の町までは5日から1週間はかかる道程だろう。
どう説得したものかとルナルナが頭を悩ませていると、
ふと、視界の隅でひらりと何か動いた気がした。
突如、屋根の上に現れた怪しい気配に、ルナルナが慌てて視線を移すと、
そこには雲間に輝く月を背負った、一人の妖艶な淫魔の姿があった。
「あれれ、こんな遅くに二人でお散歩ですか?
あ、お嬢様が男の子っぽくなったのって、実はアリスさんとそういう事になってて、
そして二人はたった今、誰にも言えない逢瀬を楽しんでたりなんかしちゃってて…
はうぅ、それはとってもいけないけど、とっても素敵なことだと思います!」
見知らぬ雰囲気を纏った過剰なフリルの彼女は、ルナルナの良く知る声で、
頭痛のしそうな勘違い発言をしていた。
大変お待たせしてしまってすみません。
がんばって以前のペースに戻したいと思いますので、今後もよろしくお願いします。




