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黄金の月の蛇姫様  作者: みつきなんとか
第5章 勇者の足跡
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第44話 絶対者の忠告

 

「へぇ、なかなか良いお湯ですわね」


「あ、ああ、そうだな…」


「お姉様?」



 石造りの開放的な湯船に身を沈め、体を弛緩させたエルドとは対照的に、

 ルナルナは先ほどまでのアリスよりも更に固く、その身を強張らせた。







「それで、行き先を変えさせて(・・・・・)までここに来たのは、一体何の用だったんだ?」


 一行の中心であるルナルナが沈黙していた為、しばしその場は緊張感に包まれていたが、

 意を決したルナルナは、ただ一人温泉を堪能するエルドに、その疑問を投げかけていた。



「では単刀直入に言いますわ。お嬢様、勇者の足跡を追うのはおやめなさい」


 エルドの口からさらりと告げられた言葉は、しかしルナルナには十分な衝撃を与えていた。


「なっ…何でだよ?

 勇者を調べるのは将来きっと役に立つし、それにこれはお母様の為でもあるんだけど」

「それでもですわ。世の中には知らなくて良い事も存在するのです」


 ルナルナが人と魔物の融和を目指す為、先人の足跡を追うのは当然の流れである。

 また、このままでは一歩も進めないヴァーミリアの恋に何らかの進展をもたらすことも、

 別段彼女には悪い事とは思えなかった。

 だが、エルドはルナルナの行動にきっぱりとストップをかけてきたのだ。

 ベルゼが道中不自然に馬車を牽き始めたのも、おそらくはエルドの指示だったのだろう。

 それほどまでに、エルドにはルナルナに勇者の足跡を見せたくない理由があるのだ。

 そして、そこまで彼女が頑なになる背景に、ある事実が浮かび上がっていた。


「…なあ、エルドはもしかして、勇者がどうなったのか知ってるのか?」


 そう、おそらくは彼女はルナルナの求める勇者の行方を知っているのである。

 彼女の言動は確固たる意思に基づき、ルナルナにストップをかけているのだ。

 もし彼女の認識があやふやであれば、おそらくはここまでの反対はしないはずである。

 エルドは勇者について、一般的に知られていない決定的な何かを知っているのだろう。

 今までのエルドの様子から、ルナルナはそう確信していた。


「お嬢様がそれを知る必要はありませんわ」


 ルナルナの問いに、しかしエルドは明確な拒絶を示していた。

 取り付く島もないとはまさにこのことである。

 だがルナルナにとって、勇者の情報は簡単に諦められるものではなかった。

 彼女が魔物と人間の融和を目指すに当たって、勇者の辿った道はその重要な取っ掛かりになると考えていたからである。


「これは『融和』を目指す旅に必要なことなんだよ。

 例えばそれを知ってお母様に気を使う必要があれば、ちゃんと黙ってるからさ」

「いいえ、そもそもお嬢様に勇者の情報など必要ありませんわ」


 あくまで反対するエルドに、ルナルナの口調はしだいに憮然としたものになってきた。


「じゃあエルドは、俺にどうするべきだと思ってるんだよ」

「私はそもそもお嬢様が旅をすることに反対なのですけどね。

 あえてこのまま旅を続けるとしたら、まだ関係の不安定な同盟国(・・・)を回って、

 お嬢様の力でその繋がりを一層強固なものにする、といったところでしょうか」


 その答えは、ルナルナが旅に出る前に考えていたものとほぼ一致するものであった。

 しかし、ルナルナが各地で魔物と人間の関係を実際に目の当たりにして、

 彼女はある一つの結論に達していた。


「俺も最初はそれでいいと思ってたけど、でもそれだけじゃあ足りないんだ」


 そう、魔王ヴァーミリアの政策だけでは平和な世界は築けない。

 これがルナルナの出した結論であった。


「あら、では一体どのあたりが足りないというのでしょう?」


 ルナルナの言葉に、エルドはすっと目を細めた。


 ルナルナの考えでは、現状で魔物と人間の間に最も必要なのは相互理解である。

 ヴァーミリアの政策を進めれば、確かに魔物と人間間のトラブルは抑制されるだろう。

 しかしそれは直接お互いの理解を深めるものではない。

 魔物は今なお力の弱い人間を見下し、人間は未だ狂魔王の攻勢のイメージが根強い。

 世界平和の実現には、魔物と人間が隣人と呼べるほどにならなければ不可能だろう。




 考えをまとめ、ルナルナがいざその意見を口にしようとしたその時、

 すぐ傍から、ルナルナに心配そうな視線を投げかけ続けている存在に気が付いた。

 今からルナルナが話す内容は、完全に魔物の視点を交えた話になってしまうのだ。


「な、なぁエルド。この続きは宿の別室で話さないか?」

「あらどうしました?いちいち場を改めなくてもここでおっしゃればよいでしょう」

「いや、それはちょっと…」


 ルナルナは未だ自身を魔物と明かし損ねているアリスを意識しながら言葉を濁した。


「あら、お嬢様はそちらのかわいい娘さんが気になりますの?

 でも気にせず貴女の考えを聞かせてあげれば良いじゃないですか。

 だってそれは貴女のお母様に異を唱えられるほど素晴らしい意見なのでしょう?」

「ぐ…」


 エルドの、事情がわかっているとしか思えない皮肉に、ルナルナは言葉に詰まった。

 そんなルナルナの様子に、エルドはやれやれといった様子で肩をすくめる。


「ふぅ、お嬢様はどこまで行っても半端者(・・・)なのですね。

 枯渇を怖れて魔力制御を怠り、魔眼を怖れて素顔を隠し、

 身分から逃れて城を飛び出し、そして今また人を怖れて事実を隠しますか。

 そんなのでよくも人との『融和』を目標に掲げられたものですわね」

「なっ!」


 エルドの歯に衣着せぬ物言いに、ルナルナは絶句した。

 絶対零度を思わせるエルドの冷たい双眸が、固まった彼女に更に追い討ちをかける。


「傷つくのが怖いのなら、『お姫様』をしっかり身に纏っていることですわね。

 そうしている間は、私もお嬢様をちゃんと守って差し上げますわ」


 細かく震えるルナルナの肩をポンと叩くと、エルドは石造りの湯船から立ち上がった。


「さて、些か長湯が過ぎましたわね。私はここらでお暇させていただきますわ。

 そちらの可愛い娘さんも、うちの意気地なしのお姫様をよろしくお願いしますね」


 エルドはそれだけ言い残すと、すたすたと出口に向かって歩いていった。

 突然話を振られたアリスは、どう反応すればいいかもわからず、

 真っ青になって震えるルナルナとエルドを見比べてはおろおろとしていた。



「それから最後に、勇者を無理に調べれば貴女も『お母様』も確実に不幸になるわ。

 それだけは覚えておいてくださいな」


 エルドはルナルナ達に背を向けたまま手をひらひら振ると、そのまま脱衣所に姿を消した。



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