第43話 彼女との再会
「さぁ、目的地に着きましたぞお嬢様」
「これのどこが目的地だこの大馬鹿野郎が!」
実に良い笑顔で胸を張るベルゼに、ルナルナはいつもより更に強めの蹴りを見舞っていた。
ルナルナの眼前には、確かにミュルズホッグより山を下って西に回った町が広がっていた。
しかしたどり着いたその町は、ルナルナにとってまったく見知らぬ場所であった。
先ほどから空からちらちらと白いものが舞っている。
隣で辺りを見回し、反応に困っているアリスの吐く息も白い。
彼女の装いも分厚い生地のコートに、動物の毛皮の防寒具を纏った冬仕様である。
ベルゼはどうやらミュルズホッグから北に山を下り、そこから西に回ったようだ。
つまり彼女達が今いるのは、セレンズ連邦の更に内側に位置する山間の小さな町であった。
気分的には引き返せと言いたいルナルナだったが、昼を支配してきた太陽は山陰に隠れ、
代わりに蒼い方の月が、紅の月に先んじて東の空で煌々とその輝きを放っていた。
「そんなに怒ってばかりですと美容に悪いですぞ。
それにここまで長旅の連続で体の方も疲れているでしょう。
ここらでゆっくり心と体を休めては如何ですかな?」
どの口が言うかと突っ込みたくなったルナルナだが、ベルゼの言葉にも一理あった。
文字通り化け物のような体力を持つルナルナとは違い、アリスはごく普通の人間である。
ここまでほぼ休むことなく移動を繰り返し、それに文句も言わずに着いてきた彼女だが、
口には出さないだけで、相当な疲労が彼女の小さな体に蓄積されていることだろう。
彼女の為にも、数日程度休みを入れる必要はあるかもしれないとルナルナは思い直した。
「それに、どうやらこの辺りには温泉も湧いているようですぞ」
「ほー、そりゃまた都合の良いことで」
ベルゼの言う通り、村のあちこちからもうもうと白い湯気が立ち昇っていた。
どうやらこの町は温泉を基にした観光が主な産業のようである。
町の入り口からちらりと覗いただけでも、大きな客引きののぼりが複数はためいていた。
「はー、わかったよ。確かにたまには骨休めも必要だしな。
そういう意味ではこの町は計ったかのようにちょうど良いな。
じゃあここで何泊かしようと思うが、アリスはそれでいいか?」
「え?そりゃ私には反対する理由が無いわね」
「よし、じゃあ決まりだな」
なんとなくベルゼに上手く誘導された気がしたルナルナだったが、
彼にはルナルナに対して悪戯心があっても悪意は無いだろう。
勇者の足跡を追う本来の目的からは随分と逸れる事になるが、
今回は彼の誘導に乗ることにしたルナルナであった。
「これはまた、随分と斬新なお風呂なのね…」
「『露天風呂』っていうらしいよ。へぇ、こりゃまた開放感がいい感じだね」
「そ、そうかしら…」
まずは旅の疲れと汚れを落とすということで、
ルナルナは適当に目に付いた宿を選び、早速この町自慢の温泉に入ることになった。
サウザンブルグ城以来のお風呂ということでテンションの高いアリスだったが、
実際の温泉を見て、彼女のテンションは何故か下がった様子であった。
「ほわ~、良いお湯そうです。でもお城のお風呂に比べたら随分ちっちゃいですね~」
「やっときたかアイラ。あんなゴテゴテした服着てるから遅くなるんだよ」
「はうぅ、ふりふりって言ってくださいよ。それにあれが可愛いから良いんです!」
「ふーん。お前ってなんだかんだで気に入ってるのな、アレ」
アイラは凝った作りの衣装を脱ぐのに時間がかかるため、二人より遅れて入ってきた。
ルガールの気を引く為、普段より子供の喜びそうなデザインの服を着る彼女だったが、
今ではすっかり彼女もその装いがお気に入りな様子であった。
「あれれ、お嬢様もアリスさんも入らないんですか?
そんな所でじっとしてると風邪ひいちゃいますよ」
「ああ、それもそうだな。ほらアリスも早く入るぞ」
ルナルナは軽く体を流すと、豊満な肢体を隠そうともせず石造りの湯船に体を沈めた。
それに対しアリスは周囲を落ち着きなく窺い、まだ入るのを躊躇っていた。
しかしアイラの言う通り、今は雪がちらつくほどの外気温である。
末端から伝わる身を切る寒さに、アリスは観念したかのように湯船にその身を沈めた。
ただし、手に持った体洗い用の布で体を隠しながら。
「ふぇ、アリスさん。お湯に布をつけるのはちょっとお行儀悪いのですよぅ」
「うう、そんなこと言われたって…」
『食事』の行儀が果てしなく悪いアイラに人の事は言えないとルナルナには思えたが、
ルナルナの前世が男とはいえ、その事実はアリスは知らないはずである。
それも踏まえたうえで、この場にいるのは外見上全て女性であった。
そもそもサウザンブルグでは彼女はこんな様子を見せなかったのだ。
彼女が一体何を恥ずかしがっているのか、不思議に思うルナルナであった。
「あ、わかりました!」
アイラは何かを思いついたかのように手を打った。
「アリスさんってもしかして、体型の事を気にしてるのですか?
でもまだ全然若いんですから、そんなの気にすることでもないですよぅ」
「ち、ちがっ!」
アイラの言葉にアリスは真っ赤になって首を振った。
その様子に、ルナルナはサウザンブルグ城でも似たような話題になり、
その時ルナルナの発言が元で、アリスがひどく落ち込んでしまったのを思い出していた。
あの時ルナルナは何と発言したのか、彼女はその記憶を掘り起こした。
『…いいなー、お姉様すごくスタイル良くって。何か特別なことしてるの?』
『え、特に何もしてないなぁ』
『えー、私なんかミルク飲んだりマッサージしたり色々してるのに、不公平よ』
『うーん、そんなこと言われてもなぁ。俺の場合、強いて言えば遺伝かなぁ』
『遺伝……』
『ど、どうかしたのかアリス。そんな絶望したような顔して?』
『……』
『あ、もしかしてアリスのお母さんって…』
『……すっごく、小さいの』
『あ、う…で、でもさ?胸が大きくたって、実際あんまり良い事はないんだぞ!
重いし、男にじろじろ見られるし、動きづらいし。譲れるものなら譲りたいくらい…』
『お姉様。もう、いいわ…』
その後、彼女の機嫌がしばらく悪かったのは、おそらくルナルナのせいだろう。
この話題は彼女にとって地雷なのだと、ルナルナは思い出していた。
ルナルナはのんびりとお湯に身を晒すアイラの体に目を移す。
彼女もまた、ルナルナに負けず劣らず豊満な体つきである。
彼女は男を惑わす淫魔なので、男好きする体型なのは当然といえば当然なのだが。
アイラの母親、先代のクイーンサキュバスもナイスバディだったことを思い出す。
「なぁアイラ、間違っても遺伝とか言うんじゃないぞ。アリスかなり気にしてるから」
「まさかー、そんなこと言いませんよ」
ルナルナの耳打ちに、アイラは自分に任せてと言わんばかりにウインクを返した。
「ねぇねぇアリスさん、私が胸を大きくするとっておきの方法、教えて上げますよ」
「え、そんな方法あるの?」
アリスの訝しげな視線に、アイラはえっへんと大きな胸を突き出した。
「それはね、いっぱいエッチなことをすれば体の方も自然に…はぶっ!?」
アイラの言葉が終わらないうちに、ルナルナはその頭をお湯の中に沈めた。
「お・ま・え・は!いきなり何言い出すんだよ!」
「けほっけほっ!あぅ…でもママはそれが一番確実だって言ってましたもん」
「お前だって男性経験皆無の癖に、説得力の欠片も無いんだよ!」
「はうぅ。お嬢様が酷いのです」
「あ、あのぉ…」
ルナルナとアイラが組んずほぐれつもみくちゃしている横から、
当のアリスが、少し申し訳なさそうな様子で右手を上げた。
「盛り上がってる所申し訳ないけど、私が今気にしてるのはその話題じゃないの」
「え、そうなのか?じゃあ一体何が」
ルナルナは今度こそ彼女が何を気にしているのか、わからなくなってしまった。
そんなルナルナを前に、アリスはばつが悪そうに周囲を見回した。
「だってここって完全に外じゃない、何で二人とも裸でいて平気なの?」
「へ、そんなこと?」
ルナルナは一瞬アリスの言葉が理解できなかった。
ルナルナの隣のアイラも、同様にぽかんとした表情を浮かべていた。
それは完全に認識の違いであった。
元々魔物であるルナルナとアイラは、普段から泉や川で水浴びをし、
目の前の温泉を外にある風呂と言われれば、そのまま受け入れられた。
そもそも魔物の中には、普段から衣服を身につけない者すらいるのだ。
それがゆえに、魔物は他人に素肌を見せる行為にそれほど抵抗を持たないのである。
元々人間であったルナルナも、魔物に囲まれたその環境の中で完全に馴染んでいたのだ。
その一因は、ほとんど彼女の母親の強引過ぎるスキンシップのせいなのだが…
それに対し、アリスは温泉という言葉を知っていても実際見るのは初めてだった。
室内の整備された風呂しか知らない彼女にとって、
外の岩盤を削って出来た湯船、いわゆる『露天風呂』は、
湯気の上がるただの水溜りにしか見えなかったのである。
彼女の認識では、ここは風呂ではなく屋外であり、
何かの拍子で他人に自分の裸を見られてしまうのではと、気が気でなかったのだ。
こういうお風呂だからという説明に、アリスは結局納得することなく体を隠し続けていた。
せっかくの開放的なお風呂で緊張の解けないアリスにもったいないなぁと思いつつ、
ルナルナは一日馬車に閉じ込められていた体をほぐすかのように、大きく伸びをした。
しばらくして、ルナルナは入り口から別の気配が入ってくるのを感じていた。
新たな客かと振り返った彼女は、その姿勢のまま固まってしまった。
「お姉様?」
「な、なな…」
驚愕に口をパクパクさせるルナルナに、その人物はにっこりと話しかけた。
「あらごきげんよう、こんな場所で会うなんて奇遇ですわね。
よろしければ私もご一緒していいかしら?」
「な…何で、エルドがこんなところ、に?」
現れたのは、ルナルナがこの世でもっとも苦手なドラゴンであった。
彼女はルナルナのその様子を見て、実に良い笑顔を浮かべると、
およそ彼女の姿に似つかわしくない豪快な笑い声を上げた。
「フッハハハハ、大・成・功!実は我輩でした」
高らかに笑う最強のドラゴンは、次の瞬間、最低の悪魔に姿を変えていた。
絶句して、埴輪のように固まった女性陣の前で、奇術師ベルゼは悠然と種明かしをする。
「本番を前に緊張する事のないようにと、我輩の心遣いいかがでしたかな?
あ、それから我輩には性別が無いゆえ、これは決して覗きではないのであしからず。
…おや、地震かな?」
未だ言葉を発する事のない女性陣の中ただ一人、
その褐色の女性からは、腕輪では抑えきれないほどの膨大な魔力が吹き上がっていた。
「ん・な・わ・け・あ・る・かー!」
轟音と共に放たれた彼女の蹴りは、史上最強の威力を伴って笑う悪魔を黒い流星に変えた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「ふえぇ、今のはとっても痛そうなのです」
「ぐすっ、見られた。見られちゃったよぉ…」
ルナルナは荒い息を整えると、裸を見られたショックに涙を浮かべるアリスの頭をなでた。
これではアリスの懸念が、みごと的中してしまった事になってしまう。
ルナルナはあのはた迷惑な奇術師に、更なるお仕置きをしなければと固く心に誓った。
「ったく、何がリハーサルですか。あれではもっと入りにくくなってしまいますわ」
突如背後に現れた気配に振り返ると、まるでリプレイのように彼女の姿がそこにあった。
「んな、ベルゼ!もう戻ってきたのかよ!?」
今しがた星になるほど蹴り飛ばしたのに、まだ懲りないのかとルナルナは再び身構えた。
「あら、嘆かわしいことに少しだけ魔力の扱いが上手くなってしまってますわね」
彼女の姿をしたベルゼは、柔らかな笑顔を崩すことなくルナルナを観察している。
その様はまるで本物のようで、実に上手く化けるものだと腹をたてつつも関心していた。
そしてルナルナは彼女の様子に、先ほどまでとの決定的な相違点を見出していた。
それは先ほどは無かった、そしてルナルナが間違うはずのない彼女の冷たい双眸であった。
「あれ?ま、まさか、本物……か?」
「ええ、正解よ」
彼女は優秀な生徒が解を求めたかのように、にこやかな笑みを浮かべた。




