第42話 情報の正誤
「ふえぇ、お嬢様どうしちゃったのですか?」
「それが昨日手紙を読んでから、お姉様ってばずっとこんな調子なの」
馬車の中で思案の海に沈んだままのルナルナを、アリスとアイラは心配そうに窺っていた。
馬車は現在、ミュルズホッグから勇者の故郷に向かい南下中であった。
街を十分離れた所から、再びベルゼが猛スピードで馬車を牽いていた。
行きとは逆にその行程のほとんどは下り坂の為、先日よりその速度は更に上がっていた。
この調子ならもうそろそろ山下りも終わりを告げ、西に回るルートへと入ることだろう。
しかしつくづくアリスの父が用意したこの馬車は頑丈に出来ているものである。
先ほどからベルゼの暴走に引きずられながらも、その車体はビクともしていなかった。
長旅に耐えられるよう用意された座席のクッションの上でなお激しく揺られながら、
ルナルナは自らの記憶を呼び起こしては、答えの出ない問答を繰り返すのだった。
勇者の故郷がルナルナの前世の故郷であることは間違いなかった。
手紙に記されたその村の名前と位置は、ルナルナの記憶にある故郷と一致していたのだ。
しかしルナルナの記憶では、その村で勇者の話題が出た事は一度たりともなかった。
もっと言えば、村の中にいた頃は世界が大変な事になっていたことなど知らなかったのだ。
ルナルナの記憶にあるその故郷はのどかで、それこそ平和の象徴のような場所だった。
生まれ育った孤児院にいた人々も皆温かく、優しい人ばかりであった。
ルナルナは目を閉じれば当事の記憶を鮮明に思い出すことが出来た。
まず彼女の脳裏に浮かんだのは、育ての親である神父のロバートとその娘ケイトだった。
ロバートは当事で結構いい年だったので、今はおそらくお爺ちゃんになっているだろう。
彼はいつもニコニコと笑顔を絶やさず孤児達を見守っていた。
孤児達が悩んだ時には、なにやら小難しい言葉で救いの手を差し伸べてくれていた。
当事幼かったルナルナの前世は、ロバートが何を言ってるかさっぱりわからなかった。
だが彼はロバートの事が好きだったので、言葉がわからなくても何も関係は無かった。
ケイトは皆から「お姉さん」と呼ばれ、慕われていた。
確か当事の彼女は年はそれほど行ってなかったはずである。
彼女は自ら孤児達の輪に入り、彼らに色々な事を教えてくれた。
生きていくのに必要な言葉や常識、遊びや歌など、毎日日が暮れるまで付き合ってくれた。
そういえば前世で彼に『歌』を教えたのも彼女であった。
ルナルナの前世の彼も、大きくなったらケイトと結婚したいと言っていたものである。
あの孤児院は、まだロバートが神父をやりながら管理しているのだろうか。
それともケイトがいい人を見つけて、夫婦で後を継いで経営していたりするのだろうか。
ルナルナはその記憶に懐かしさを感じながら、
村に着いたらまずは孤児院の様子を見に行こうと考えた。
当然ルナルナには孤児院以外の思い出もたくさんあった。
そしてそこには必ず笑顔があり、それは彼女の想い描く理想の世界そのものと言えた。
そんな理想郷ともいえる故郷が、伝説の勇者の故郷だという。
しかしルナルナの記憶の中に、彼に該当するような住民は思い当たらなかった。
村全体が世界の情勢に疎かったのは、非常に納得できるルナルナであった。
小さいながらも自給自足が間に合っていたその村は、人の出入りが極端に少なく、
ルナルナも大きくなって旅立つまで一度も外に出たことがなかった程である。
小さな村なので住民同士のつながりも深く、
村に人の出入りがあればすぐに皆の知る所となった。
だからこそルナルナはほぼ断言できるのである。
自分の記憶にある期間内に伝説の勇者に該当する人物の出入りは無かったと。
そこでルナルナは一つの可能性を思いついていた。
伝説の勇者は自分の情報を周囲に伝えてなかったという。
ということは、彼にはそれを伝えたくない何らかの事情があったのかも知れない。
そしてその事情から、ヴォルグに伝えた彼の情報も嘘かもしれない、という事である。
その理由はルナルナにもいくつか思い付いた。
彼には故郷に残してきた大切な家族がいたのかもしれない。
そして彼がやることは、人間に仇なす魔物の討伐である。
彼にはそれをやり遂げる自信があり、それに対する報復も予想していたかもしれない。
その場合、狙われる矛先は彼自身と彼の故郷になる可能性は非常に高い。
彼はそれを防ぐ為に極力自分の情報を周囲に漏らさなかったし、
どうしても必要になった場合は、嘘の情報で誤魔化していたといった所ではないか。
もしその説が正しいとしたら、何の関係も無いルナルナの故郷が狙われていたのだ。
実際にそうなっていたとすれば完全にとばっちりである。
今はヴァーミリアがある程度魔物を管理しているからめったな事は起こらないはずだが、
どこか腑に落ちない気分になるルナルナであった。
そしてルナルナの周囲には、それ以上に落ち着かない気分を味わう二人がいた。
「はうぅ、さっきまでニコニコしてたお嬢様が、今度は怒りだしちゃったのです」
「ねえお姉様本当にどうしちゃったの?悩みがあっても言ってくれなきゃわからないわ」
馬車の揺れを気にすることなく百面相で思考にくれるルナルナに、
アリスとアイラはそれぞれ困惑気味に声を上げた。




