第37話 魔界の姫君
今回は一人称になってます。少々違和感があるかもしれませんがご了承ください。
私の名はガリエル=ミュルズホッグ3世。
セレンズ連邦南端の小国、ミュルズホッグを治める国王である。
この地はセレンズ連邦に南から入る場合、必ず通る要衝の国として有名だった。
しかし今ではもっと有名な呼び名があった。
『伝説の勇者が生まれた地』と。
私が国王の位に就いたのは、私がまだ若かりし頃。
狂魔王と呼ばれた先代魔王が未だ健在で、魔物が苛烈に人類を脅かしていた時代であった。
南にあるといわれる魔王の本拠から遠く離れたこの地でも、魔物の被害は頻発した。
私は日々その対応に追われ、当事精鋭を誇った騎士団だけでは対処が困難になった頃、
ある家臣の提言に従い、魔物討伐専門の義勇兵を募ることにした。
そして国中から集まった有象無象の中に、後に『伝説の勇者』と呼ばれる男がいた。
その男は討伐隊が結成されると、すぐさまその頭角を現した。
人間と魔物にはその戦闘能力に大きな差があり、一対一では通常相手にならなかった。
故に人間が魔物を討伐する場合、魔物の3倍以上の人員でもって殲滅するのが基本となる。
しかし結成された討伐隊は所詮戦闘経験の乏しい、ただの寄せ集めであった。
彼らは魔物に接触する前から総崩れとなったそうだ。
監視についていた騎士団員がやはりと首を振った次の瞬間、
彼の目の前には信じられない光景が広がっていたらしい。
次々に逃走する討伐隊を脇目に、単騎で魔物の群れに突っ込んだその男は、
まるでバターを切るがごとく魔物を切り刻んでいった。
異常な事態に気づいた人々の目の前で、彼は一人ですべての魔物を斬り伏せたそうだ。
『救世主誕生』
その一報は瞬く間に国中に轟いた。
連日報告されるその尋常ではない戦果に、当事国中が沸きあがっていた。
ミュルズホッグの城内で繰り返し上ってくる話題も当然彼の話ばかりだった。
中でも特に騒いだのは若い女性達であった。
彼はまだ若く、そして見た目も爽やかで麗しかったのだ。
侍女達だけでなく、妾や妻達までもが彼の話題で盛り上がっている様に、
世の中の女性の視線を独り占めにして、それをなんでもないかのように受け流す彼に対し、
当事私はかなり微妙な気分を味わったことを覚えている。
彼は国中の過激な魔物の拠点を残らず潰すと、その足で魔王が居る南の地へと旅立った。
そして更に数年後、彼が魔王を討ち果たしたという報せをこの地で聞くこととなった。
この国には現在も魔物の拠点は点在する。
しかしそこに棲む魔物達は、人間に害なすことはほとんど無かった。
伝説の勇者に討伐されなかった魔物はすべからく穏健派であり、
わずかに残った過激派も、今の魔王に捕らわれるか何処かへと逃げてしまったらしい。
現在この国は魔王の統治する『魔界』と非公式に同盟を結んでいた。
どうやらこの魔王は伝説の勇者と志を同じくし、人間と魔物の融和を目指しているようだ。
彼女の提示した条件は人間側にほぼ不利の無い、当初その耳を疑いたくなるものだった。
死罪に相当する人間を魔物に渡して起こる問題は、その情報の隠蔽くらいである。
それだけで魔物の脅威が無くなるのだとすれば破格の条件といってよかった。
しかし人間と魔物が結んだ事実を明かすのは、未だ各国が二の足を踏んでいた。
先の魔物の侵攻が、今なお民衆のイメージに深く刻まれているのだ。
平和になったので魔物と同盟を結んだと公表すれば、予想される反発は計り知れない。
だからその同盟自体は、現在そのほとんどが非公式のものとなっていた。
魔王側も、今はそれで構わないとこの状態を了承しているようであった。
その魔王から、近頃この国に連絡が入っていた。
それは『近いうちに娘が訪ねるので会ってやってくれ』という内容のものだった。
つい最近、魔王が産休で休んでいたという噂は耳に入っていた。
逆算すれば、これから会う事になる魔王の娘はまだ年端もいかない子供ということになる。
しかし彼女がどれだけ幼くても同盟国の姫。ないがしろになど出来るはずはない。
最悪子供の我儘や無理難題に振り回されるのではないかと、私は少し陰鬱な気分になった。
件の姫が城に現れたのは、彼女がこの国に入ったと報告を受けてから2日後の事だった。
幼子が来るものと身構えていた私は、指定された部屋に現れた彼女に思わず息を呑んだ。
「う、美しい…」
その姫はただ美しかった。
嫌味になり過ぎないよう緩やかなフリルがあしらわれた純白のドレスは、
少女の初々しさを感じさせる彼女の仕草と、エキゾチックな褐色の肌の対比を引き立たせた。
踊るように跳ねる柔らかな青銀の髪は、美しい天使の輪を作り出してキラキラと輝いている。
吸い込まれそうな黄金の瞳は、まるでこちらの警戒心を壊すように柔らかく微笑んでいた。
首元を彩る銀のネックレスに要所をくくったリボン、白い花柄の刺繍の入った長手袋など、
彼女の装いはごくシンプルで、特に派手な装飾で飾り立てるというものではなかった。
しかしそれがかえって彼女の地を引き立て、洗練された陶芸のような美しさを見せていた。
てっきり幼子と思っていた魔界の姫は、その仕草や表情にまだ少々あどけなさが残るものの、
その体には既に女性として艶のようなものが備わりつつあった。
特に白い布地の隙間から覗く褐色の胸元は深い谷間を作り、
それだけでも彼女がこの世に生を受けて数年しか経っていないことを忘れさせた。
私が彼女にかける言葉を失っていると、彼女は自分の視線に気づいて優雅な所作で一礼した。
「お初にお目にかかります、ガリエル陛下。
『魔界』代表ヴァーミリア=エルディレッドが第1子、ルナルナ=エルディレッドと申します。
この度は突然の訪問をお受けいただき、真にありがとうございます」
彼女の抜けるような凛とした声に、私はようやく我に帰った。
「あ、ああ。いや、遠路はるばるご苦労だった。
お互い噂程度しか入らない遠い国同士だが、ヴァーミリア陛下は変わりなく健勝かな」
「はい、元気過ぎて家を飛び出していってしまいましたわ。
きっと今も世界のどこかを飛び回っていると思われます」
思いがけず彼女がユーモアで返してきたので、悪戯心に少し彼女の言葉に乗っかってみた。
「では今ここにいるルナルナ殿下も、劣らず似た者親子ということになるのかな?」
「あ、確かに言われてみればその通りですね」
私の返しに、彼女は自然な動きで口に手を当ててころころと笑った。
その彼女の言動は、どうみても生まれて間もない幼子のものではなかった。
私はふと浮かんだ言葉をそのまま口に出していた。
「ふむ、ルナルナ殿下はまだ幼い子供という話を伝え聞いていたが、
どうやらそれは誤情報だった様だな」
「いえ、それはきっと本当ですよ。だって私、生まれてまだ3年しか経ってませんから」
「へ、へぇ…にわかには信じられないな」
「人間と魔物は成長の度合いが違いますからね。こう見えて私、もう成人してるんですよ。
それともガリエル陛下には、この体が人間族で言う3歳程の幼児に見えますか?」
彼女は両手を広げ悪戯っぽく笑った。
私は「確かにまったく見えないな」と頭をかいた。
魔界の姫は、私の想像していた以上の美貌と器量を持ち合わせていた。
そもそも人化出来るというだけで、彼女はある理由から人間にとって有用な存在であった。
可能なら私の息子の嫁に来て欲しい所である。
いや、いっそ私の4番目の妻に…などと考えていた所で、彼女は急に別の話を振ってきた。
「ところで不躾で申し訳ないのですけど、
私、この国に伝わる『伝説の勇者』の正しい伝承や行方について詳しく知りたいのです。
出来れば協力していただけませんか?」
彼女のその言葉に、私は一気に現実に引き戻された。
あれから随分経ったのに、この女も結局興味の先はあの勇者なのかと。
未だ自分の前に立ち塞がる勇者の亡霊に、私は久しく忘れていた感情を思い出していた。
「あ、ああ、もちろん…」
その懐かしくも腹立たしい感覚に、私はひきつった笑みを浮かべていた。




