幕間 - ある剣士と少女の話
其の切先は蝶の如く虚を踊り、
其の一閃は風の如く空を裂き、
其の軌跡は月の如く弧を描く。
黄金の瞳は息を呑み、虚空に舞い咲く黒鉄の華にただ魅入られていた。
『キン』という細い金属音と共に、その舞は終わりを告げる。
その僅かな余韻を掻き消すように、ペチペチと小さな掌が打ち鳴らされた。
演舞のごとき鍛錬を終えた彼の後ろから、小さな魔物の娘が興奮した様子で声をかけていた。
彼女は初めて見る黒鉄の武器に瞳をキラキラ輝かせ、興味津々の視線を彼に送っていた。
彼は彼女の存在を元より気づいていたとばかりに一瞥し、手近な樹木に近づいた。
凪ぐように繰り出された彼の一閃は枝葉を揺らし、青々と茂る木の葉を風に舞い散らした。
彼は刀を納め直し、その存在が揺らぐかのごとく空気と一体化する。
再び細い金属音が響くと、宙に浮かぶ木の葉が全て真っ二つとなり、地面へ舞い落ちた。
可愛い歓声を上げる彼女の視線に、彼は照れるように樹木の陰へとその身を隠していた。
彼が刀を振るうその動きは流麗にして重厚。
空気と一体化し、刀の一部になったかのごとく技を振るう彼の動作は、
まるで彼自身を刃に見立て、更に深く鋭く研ぎ澄ましているかのようにも映った。
そんな彼の一挙手一投足に、その女の子は一瞬で虜になっていた。
これからも鍛錬を覗きに来ても良いかと訊ねる彼女に、彼は肯定も否定もせずに佇んでいた。
それからその彼女は、毎日のように彼の元を訪ねるようになった。
変わらず鍛錬を続ける彼を、彼女はにこにこと見守っていた。
彼は彼女に何を訊かれても一切言葉を発することはなかった。
しかし、彼女はかまわず彼にいろんな事を訊ねていた。
彼女が彼の元を訪れるようになって一ヶ月が経つ頃には、
彼が言葉を発しないだけで、実は表情豊かなのだということを既に彼女は把握していた。
彼女が尊敬のまなざしで彼を褒めれば、彼は照れた様子で身を隠し、
彼女が悪戯な瞳で彼をからかえば、彼は怒ったようにその身を消した。
黙々と鍛錬を重ねる彼と、楽しそうに言葉を重ねる彼女の間に、時間は緩やかに流れていた。
彼女は不思議な少女だった。
彼が鍛錬の地に選んだこの場所は自然に溢れ、様々な生物が棲んでいた。
近づく小さな生き物達に、彼女はまるで友達に話すが如く声をかけ、家族の様に身を寄せた。
彼女に近寄る様々な生物達も、彼女に警戒心を見せることなく無防備に寄り添っていた。
いつしか彼を見守る彼女の周りには、暖かく賑やかな空間が出来上がっていた。
そんな変わった彼女を彼は何も言わずにちらりと眺めては、また鍛錬に戻っていた。
彼女が彼の元を訪れてから、既に一年が経っていた。
彼女はその一年で急激な成長を遂げていた。
その顔立ちにはまだ少し幼さが残るものの、
凹凸の乏しかった子供の体は、年頃の女性らしい丸みを帯びたものへと変化していた。
しかしそんな変化と裏腹に、彼女の彼に対する態度はずっと変化することは無かった。
彼の鍛錬を楽しそうに眺めては声をかけ、動物達と共にさえずっては笑顔を見せた。
いつの頃からか彼女を見る彼のまなざしには、羨望のようなものが混じるようになっていた。
彼は周囲から一目置かれる存在だった。
既に彼の名前は広く知れ渡り、その実力も誰もが認めるものであった。
彼はそんな風評を気にする様子もなく、ただひたすらに自分を磨き続ける日々を送っていた。
彼は常に一人だった。
言葉を発することの出来ない彼は周囲に愛想を振りまくこともなく、
その剣術の実力も相まって、彼に近づこうとする者はほとんど存在しなかった。
たまに彼に接触する者も、彼を利用しようと下心を持つものばかりで、
彼はそれらから身を隠すように、人気の少ない地を選び鍛錬を重ねるようになっていた。
そんな折、彼は彼女と出会った。
彼女は、ある高貴な身分のお嬢様であった。
だが彼女はその生活に不満をつのらせ、毎日厳しい教育から逃げ出して彼に会いに来ていた。
彼に会う以外、ほとんど生まれた場所に閉じ込められていた彼女には友達がいなかった。
だから彼女が「お友達になろう」と彼に声をかけたのは、ある意味当然の流れであった。
その彼女の言葉に、彼は何も答えずに身を隠した。
季節は巡り、彼らの周囲の景色は移ろい行く。
彼女は不満を漏らし、彼は剣を振る。
彼女は笑い、彼は剣を振る。
景色が一周して、再び深緑の季節がやってくる頃、
彼女ははたと彼の元に姿を見せなくなった。
彼はいつものように剣を振る。
そこに彼女の暖かなまなざしは存在しない。
彼は黙々と剣を振るう。
そこに彼女の暖かな声は聞こえてこない。
彼は鋭く剣風を巻き起こす。
その傍らに、既に日常となりつつあった暖かな空間は、今は跡形もなく消え失せていた。
小さな金属音を響かせて彼が刀を納めると、季節はずれの寒風が吹きぬけた。
少し前までは、この光景が彼にとって当たり前であったはずである。
だが彼は、その軽い体の中心に、何かぽっかり穴が開いたような感覚を味わっていた。
しかし友達を持つことの無かった彼は、どう行動すればいいのかわからなかった。
一週間が経っても、彼女は彼の元へ現れなかった。
彼は彼女の居場所を知っていた。
彼女は非常に高貴な身分である。
彼にもそれなりの地位を与えられていたが、本来彼女に関わるべきではないのだろう。
しかし彼は彼女の不満げな表情と、友達という不思議と温かな言葉を思い出していた。
彼は初めて自分以外の誰かの為に行動を起こしていた。
突然姿を現した彼の姿を見て、彼女は飛び切り明るい表情を見せた。
その彼女の言葉に表情に、彼はぽっかりと欠けていた何かが埋まっていくのを感じていた。
彼女は教育係に逆らい、その身を幽閉されていたと説明した。
このままでは彼女は抜け出すこともままならなくなり、
なりたくないものになってしまうと彼に訴えた。
彼女はここを逃げ出したいと、彼に懇願した。
彼は今まで様々な者から頼られる度、それを疎ましく思ってきた。
だが彼女に頼られるのは、不思議と嫌な気分にならなかった。
彼女の言葉に、彼は相変わらず言葉を発することは無かったが、
代わりに彼女の前に跪き、その少し短い剣を掲げた。
その光景は、まるで物語の中の姫と騎士のようであった。




