幕間 - 追憶の情景5
「ルナルナちゃん紹介するわ。彼女の名前はエルド。
私の自慢のお友達でね、こう見えてとっても強いドラゴンなのよ」
「初めましてルナルナお嬢様。ただ今ご紹介に預ったエルドと申します。
魔王ヴァーミリア様が勝手に産休に入られているあいだ、
真に不本意ながらも魔王軍を預っていた者ですわ」
「そうそう。とっても優秀なエルドのおかげでね、
私は安心してルナルナちゃんを産むことが出来たのよ」
えっへんと胸を張る、俺の母親を名乗るラミアは、
その優秀な彼女の皮肉と冷めた視線にまったく気づいていない様子だった。
ヴァーミリアに紹介された彼女は、よく見れば恐ろしく整った顔立ちをしていた。
しかし髪はショートカットの金髪をワンポイントの髪飾りで留めているだけ。
服もシンプルな濃紺の給仕服のようなものを着用し、他に何の飾り気も無い。
体系も女性らしい丸みはしっかり帯びているものの、
隣に並ぶ者の激しすぎる主張の為か、ごく平均的という印象しかなかった。
では彼女が印象に残りにくいほどの没個性かと聞かれれば、それは断じて否であった。
彼女のその冷たい双眸が視界に入る度、思わず一歩下がりそうになってしまう。
その地味めな姿形にまったく釣り合わない圧力を、彼女は常時発していた。
はっきり言って、身内となってその残念な正体を知ったヴァーミリアなんかよりも、
よっぽど彼女の方が魔王の名に相応しいのではないかと思えるほどであった。
「しかし、どこぞの誰かをその身に宿して帰ってきた時は耳を疑を疑いましたけど、
実際この目にしてもまだ信じられないですわ。愛しの彼のことは吹っ切れたのかしら」
エルドのその言葉にヴァーミリアは慌ててぶんぶんと首を振っていた。
「そんなわけないじゃない!
でもルナルナちゃんに会った時ピンときちゃったのよ。『この人だ』って。
あんなの初めて勇者様に会った時以来よ。
それにルナルナちゃんってば、ちょっと勇者様に雰囲気似てたし…」
「あの勇者に似た者なんてそうそう現れるものでもないでしょうに」
エルドははーっとため息をつきながらこちらに視線を投げかけてくる。
彼女と目が合った瞬間俺はその冷たい圧力に押され、更に一歩後ろに下がってしまった。
「ねぇエルド、エルド?ねぇどうかしたの?」
俺と視線をぶつけたまま、驚愕の表情を貼り付けて固まったエルドに、
ヴァーミリアは心配そうな声をかけていた。
「ヴァーミリア……あなた、一体何てことしてくれてるのよ」
「ん?なぁにブツブツとあなたらしくもない、言いたいことがあるならはっきり言ってよね」
ヴァーミリアの声を一切無視し、エルドは更にまじまじペタペタと俺の顔を確認してくる。
正直とても鬱陶しいのだが、彼女に触れられると何故か体が一切動かせなくなっていた。
「ねぇヴァーミリア様、私このお嬢様と二人っきりで話したいことがありますの。
ちょっとの間、席を外してくれませんかしら?」
「なによいきなり。私のルナルナちゃんがどうかしたっていうの?」
思いもよらぬエルドの発言に、ヴァーミリアは訝しげに顔を歪めていた。
「別にどうもしないですわ、ただ少し確認したいことがあるだけよ」
「うー、エルドのことは信用してるけど、
もしルナルナちゃんに変な事をしたら、いくらあなたでも許さないからね」
「するわけないでしょうそんなこと」
「ねぇルナルナちゃん、彼女に何かされたら遠慮なく大声で叫ぶのよ」
ヴァーミリアの過保護気味な子供扱いに、俺は少しムッとして言葉を返した。
「大丈夫だよそんな、女子供じゃあるまいし」
「忘れないで!今のルナルナちゃんはまさしくその女子供なんだからね!」
その言葉に、今の自分が身長も体長も彼女達の半分に満たない幼女であることを思い出す。
エルドの言葉ではないが、本当に彼女は何てことをしてくれたんだろうか…
「はぁ、わかったよ。何かあったら呼ぶから」
「ほんとにほんとだからね」
「わかった、わかったから」
何度も俺に確認すると、ヴァーミリアはしぶしぶとした表情で部屋から出て行った。
彼女が出て行ったことを確認すると、エルドは再び俺の方向に向き直った。
「さて、転生者のあなたは以前の記憶も持ってるはずですわね。
一体どこまで思い出せるか教えてくれないかしら?」
「ん?記憶だったらほとんど問題なく思い出せるぞ。
前の名前だけはどうしても思い出せないけど、それ以外なら小さい頃まで大体な」
「ではあなたが何者でどこで生まれて、どこで育ったかもわかる?」
「だからわかるって言ってるじゃないか」
しつこく突っかかってくるエルドに俺は少しムッとするが、彼女は更に深く切り込んできた。
「じゃあその詳細を、実際の人名地名わかる範囲で教えてちょうだい」
「なんでそこまで言わなきゃいけないんだよ」
「そこが重要なのですわ、これはあなたの身の安全にも関わることですのよ」
何故彼女が自分の過去にそこまで拘るのかわからなかったが、
その真剣な表情と圧力に負け、結局俺は思い出せる範囲のことを全て彼女に話していた。
全て聞き終えた彼女は、先ほどの切迫した空気が嘘のような笑みで俺の頭を撫でていた。
「根掘り葉掘り聞くような真似をして悪かったですわね、でも私の勘違いでしたわ」
「なっ、あそこまで喋らせておいて勘違いなのかよ!」
エルドは俺の抗議をどこ吹く風で受け流し、再びヴァーミリアを部屋に呼び入れていた。
「話は終わったわ、どうやら私の勘違いだったようですわ」
「ねえルナルナちゃん大丈夫だった?本当に何もされてない?ねぇ」
「うぎゅ…」
部屋に戻ったヴァーミリアは、エルドから奪い取るように俺を抱きしめていた。
力加減を間違えているため体は軋んでいるし、顔は柔らかいものに埋められて非常に苦しい。
正直エルドなんかより彼女がよっぽど俺の命を脅かしている。勘弁してほしい。
俺のタップに気づかないヴァーミリアに代わり、エルドが無理矢理俺の体を引き剥がした。
「ちょっとエルド、何で邪魔するのよ!」
「あなたは自分の娘の状態にも気づけないのかしら」
不満げに抗議の声を上げるヴァーミリアに、エルドは溜息をついた。
「わわっ、ルナルナちゃん顔が真っ赤よ。か、風邪かしら!」
酸欠気味で定まらない俺の視線がエルドのものとぶつかると、二人は同時に首を振った。
「どうやらヴァーミリア様はあまり育児には向いてないようですわね」
「なんでよ!こんなに愛情いっぱいに育ててるじゃない。一体何が悪いって言うの」
「愛情以外何もかもが足りてないのですわ。試しに愛しのお嬢様に聞いてみたらどう?」
「失礼ね!ね、ねぇルナルナちゃん、あなたは私の育児、嫌じゃないわよね」
すがるように聞いてくるヴァーミリアに、しかしこちらは自身の命がかかっているのだ。
ここは正直に答えておいた方がいいだろう。
「悪いけど、正直このままだと近いうちに殺されると思う」
「そ、そんな!?」
俺の言葉がよほどショックだったのか、ヴァーミリアはよろよろと地面に両手をついた。
そこに、エルドは追い討ちをかけるように言葉を続けた。
「どちらにしろヴァーミリア様は、そろそろ育児してる暇もなくなりますわ」
「え?ちょっとエルド、それってどういうことよ!」
「どうもこうも、1年以上魔王の仕事をサボっておいてこの先まだ休むつもりかしら?」
「う……で、でもそこはエルドが今までなんとかしてくれてたじゃない」
「それは出産はさすがに代わってあげられませんもの、でも育児は別ですわ」
「で、でもルナルナちゃんには私が…」
「あなたは自ら進んで魔王になったんでしょう。それを思い出しなさい」
「うぅ…」
ヴァーミリアの気持ちはわからなくもないが、実際エルドの言っていることは正論である。
エルドの言葉にずたずたにされたヴァーミリアは、完全にしょげ込んでいた。
「心配ありませんわ。お嬢様の育児は、この私が直々に引き受けますから」
「「えっ!」」
実にいい笑顔を浮かべるエルドに、俺とヴァーミリアの言葉が綺麗にハモっていた。
「だってそうでしょう?他に適任がいませんし。それとも例えば四天王にでも任せ…」
「それだけは絶対ダメ!あいつ等に任せたらルナルナちゃんが不良になっちゃう」
四天王という言葉が出た瞬間、ヴァーミリアは即座に却下した。
俺はその四天王とやらにまだ会った事はないが、どれだけ信用ないんだよ四天王…
「では他にこの人こそ適任!と言える方がいらしたらどうぞ仰ってくださいな。
それで私は身を引きますわ」
「…………」
本当に適任がいないのか、ヴァーミリアは完全に沈黙してしまった。
その人材の薄さで本当に大丈夫かと、俺は魔界の人事に軽く不安を覚えた。
「というわけで、お嬢様のことは私にどーんとお任せして、
ヴァーミリア様は心おきなく魔王の任務を全うしてくださいな」
「うー…」
いまだ不満顔のヴァーミリアに、エルドはとびっきりの笑顔で自らの胸を叩いた。
「ご安心をば。私が責任持ってお嬢様を立派なお姫様に育て上げてみせますわ!」
その日、世界で最も強い乳母が誕生した。




