幕間 - 追憶の情景3
「ねぇお母様。勇者って本当に居るのか?
生まれてこのかた実物を見た事ないんだけど」
魔物として生まれ変わってから2年の時が過ぎ、
俺の体は人間ではありえない速度で成長していた。
身長、体長共にお母様にはまだまだ及ばない物の、
体の方は女性的なメリハリも徐々に出てきているような気がする。
人間の年齢に直すと11歳か12歳くらいといった所だろうか。
お母様が言うには、もうそろそろ子供も作れるようになるらしい。
もっともそんなもの作るつもりなど毛頭ないが。
お母様はスキンシップが大好きなのだろう、
なにかにつけて理由を見つけては俺にベタベタと触ろうとしてくる。
自分の体が大きくなれば少しは収まるかと思ったが、それは甘い考えだったらしい。
例えば寝床は一つしか用意してないから一緒に寝ましょう。
例えば近場に綺麗な泉が湧いてるから一緒に水浴びをしましょう。
例えば貴重な本を手に入れたから、抱っこしながら呼んであげる。等々etc…
お母様は子供が出来たら愛情たっぷりに育てるのが夢だったらしいので、
まあそれはしょうがないと言えばしょうがない事なのかもしれない。
だが当事者である娘としては良い迷惑なのである。
「その割にはルナルナちゃんまんざらでもない顔してるんだけど?」など言われるが、
それはただのお母様の願望であって事実ではない。
抱きしめられると抱き返してしまうのも身長差から振り落とされない為に必死なのだ。
顔が熱くなるのも慣れない女性の体に羞恥心が沸いているだけなのだ。
決して俺の口元は緩んでなんかいない。
だから本当なんだよちくしょう…
そして今も髪の手入れをするという名目で、
後ろから抱きかかえられながら髪を梳かれていた。
時折背中から伝わってくる柔らかい何かの感触になんとも言えない気分になりながら、
俺は気を紛らわすように、ふと思いついた冒頭の疑問を口にしていた。
「うーん、実際はめったに来るものでもないわよ。
お母さんが魔王になってからも数えるくらいしか遭遇した事ないし」
そういうものなのか。
よく噂やおとぎ話でも魔王と言えば勇者がセットで出てくるから、
もっと頻繁にやってくるものなのかと思っていた。
「結構勘違いされるけど、魔王を倒すのってほとんどの場合は勇者じゃないのよ」
「へー、じゃあ勇者以外に魔王を倒す存在って何だろ?」
首を傾げる俺に、お母様はさも当然の事のように答える。
「次の魔王よ。魔物って大体強い方に従うからね」
確かに魔物は力こそ正義、弱肉強食の世界だ。
皆一番強い者に従うし、力が衰えれば次の強き者に代が移るものらしい。
なんともわかりやすいルールである。
「基本的に魔物と人間って個の力に差があるから、一対一の力比べじゃ勝負にならないの。
これが戦争だったら話は変わるし、
極まれに本当に魔王を倒しちゃうようなとんでもない勇者も存在するんだけどね」
「じゃあおとぎ話も、あながち嘘ってわけでもないんだ」
「そうなのよ~、世界を救うような勇者ともなると滅茶苦茶かっこいいんだから」
いつの間にか髪を梳く手が止まっていたので振り返ってみると、
お母様は祈るような夢見る乙女のポーズでうっとりしていた。
「ん、てことはお母様ってそのとんでもない勇者に会った事あるんだ。よく無事だったね」
「え?違う違う。会ったのはお母さんがまだ小さな頃、当然魔王になる前の話よ」
お母様はブンブンと首と手を振りながら否定する。
彼女はこういう時オーバーリアクションで落ち着きがない。
たまに年を考えようよと言いたくなるが、言うと後が怖いので決して口にはしない。
「ふーん、でもお母様って魔物じゃないか。勇者に遭遇したらやっぱり不味いんじゃない?」
「別に勇者だからって無差別に魔物を討伐してるわけじゃないわ。
勇者というのはそのあり方なの。だから場合によっては魔物を助けてくれる事もあるのよ。
かくいう私もその勇者に助けられたもの」
魔物は力がルールでその構造はわかりやすい。
そして、だからこそ所属や派閥間での争い事は絶えない。
小さな小競り合い程度は、それこそどこにでも溢れていた。
お母様も小さい頃その争いに巻き込まれ、
命に危険が迫っていた所を勇者に助けられたそうだ。
彼女はその時勇者に一目惚れしたらしい。
「当事の魔王がわりとアレな奴でね、人間側にもガンガン攻勢を仕掛けていたらしいわ」
今の人間の魔物に対する印象の悪さは、その時代を引きずっているかららしい。
「彼は魔王を倒すって言ってたわ。
それで数年後魔王が何者かに斃されたって話だから、彼はきっとやり遂げたんでしょうね」
「その後お母様が魔王になって今に至る、か。やっぱり色々歴史があるんだね」
「そうよ、そもそもお母さんが魔王を目指したのだって、彼との約束がきっかけなんだから」
「へーそうなんだ、どんな約束?」
俺の言葉にお母様は紅潮した頬を手で覆い、いやんいやんと首を振る。
「聞いちゃう?今まで誰にも話したことないけど聞いちゃう?」
乙女オーラ満開のお母様に軽く引きながら、少々嫌な予感がしながらも後を促す。
というかこれ絶対聞いて欲しいってフリだろ。
「人間代表のあなたが魔王を倒しに来た時、私が魔王になって平和を望んでたら、
きっと世界は平和になるよねって」
なるほど、お母様の魔王としての政策の原点はこんな所にあったらしい。
「でね、でね!それが叶ったら、け、結婚しましょう…なんてキャー!」
キャーて。
お母様は本当に乙女だったらしい。
乙女な上に純愛だ。
「で、結果は夢が叶ってるように見えるんだけど、その後彼とはどうなったの?」
「う……それも、聞きたい?」
うって変わってどんよりとした空気を発する彼女に、
聞いてはいけない事を聞いてしまったと少し後悔する。
そもそも現在彼女は独身で、俺が産まれるまで子供も居なかった。
当然結果は大体予想出来るというものだ。
「魔王を倒して国に帰った後、行方がわからなくなったらしいわ。生きてるかどうかも…」
フられたわけじゃなかったか。
だが初恋の人の生死がわからないのはもっとつらいのかもしれない。
それでもきっと純愛のお母様の事だ。
おそらく彼はいつか現れてくれると魔王の座で待ち続けていたのだろう。
彼を信じて、操を立て、行き遅れて…
これからは彼女の乙女ぶりを気にするのはやめよう。何か、悪い気がする。
完全にふさぎこんでしまったお母様はぶつぶつとなにかを呟いている。
「でも彼はきっとまだ…」とか聞こえてくる。
まだ諦めてなかったんかい。
流石に居たたまれなくなり、俺は伸び上がって彼女の頭を撫でる。
「…ルナルナちゃん?」
「そんなに落ち込むなよ、今はその、お…俺がいる、だろ」
言っててものすごく恥ずかしい。
頬も火が出るほど熱くなっているのを感じる。
もうまともにお母様を直視する事も出来ない。
だが効果は抜群だったようだ。
いきなり俺の体はお母様に抱きしめられた。
魔王の力で。
「はぅーん!ありがとうルナルナちゃん!
そうよね、お母さんにはあなたがいるものね。もう寂しくなんてないわ!」
「うきゅ……」
俺の顔が真っ赤なのは、今度こそ照れなどではない。
口が緩んでいるのは空気を求めているからだ。
もはや声を出すことすら叶わない。
このままではあなたの大事な一人娘まで昇天してしまうけど、
それでいいのか?お母様よ…
魔王の全力のスキンシップに包まれながら、俺はそのまま意識を手放した。
もう魔王がヒロインでいいんじゃないかとry




