幕間 - 追憶の情景2
彼は、笑顔を見るのが大好きだった。
彼の周りはいつも笑顔が溢れていた。
別に彼の生まれが裕福だったわけではない。
彼は孤児だったのだ。
しかし生まれ育った貧しい孤児院でも、彼を中心に数え切れない笑顔が溢れていた。
彼は歌うのが大好きだった。
彼が歌うとみんなが歌う。
彼が歌うとみんなが笑う。
楽しい気持ちを乗せると、みんなも楽しく歌った。
彼の体は大きくなり、外には広い世界があるのを知った。
世界には友達以外の、危険な生き物がいるのを知った。
だが外に出てみても、彼を取り巻く環境に変化はなかった。
見知らぬ町の道端で、彼が歌うとみんなが歌った。
恐ろしい洞窟で、彼が歌うと魔物が笑った。
そうだ、世の中にはこんなに素敵な笑顔が溢れているんだ。
笑顔に包まれる事は、こんなにも幸せな事なんだ。
彼はいつしか、世界中がこんな笑顔に包まれればいいのにと、そう願うようになっていた。
「夢…いや、俺の前世の記憶か…」
寝床から起き上がり、夢の内容をもう一度思い出す。
もう名前も思い出せない彼だった時の俺。
そうだ、彼は歌うのが好きだったんだ。
どうして今まで忘れていたんだろう?
どうしてここまで歌わずに生きてこれたのだろう?
そういえばこの体に生を受けてから、まだ一度も歌った事がなかった。
魔物の歌は人を惑わす。
そんな言い伝えが記憶の片隅に残っている。
今の俺が歌えば、果たしてそれは人間を惑わす旋律になってしまうのか?
少し自嘲的に笑いながら、記憶にある旋律に乗せて言葉を紡ごうとする。
人間だったあの頃を思い出しながら。
大好きだった人達を想い出しながら。
だが俺の口は誘惑の歌はおろか、1小節分の旋律を奏でる事すら叶わなかった。
「あれ、ルナルナちゃん泣いてるの?」
起きてこない俺を心配したのだろうか、
今生の母であるヴァーミリア=エルディレッドが、俺の寝床にまで姿を見せた。
「どうしたの、何か悲しい事でもあったの?不満があるならお母さんに何でも言って。
ルナルナちゃんは私の大事な一人娘なんだから、遠慮なんてしなくてもいいのよ」
お母様は、心配した様子でそばへ寄ってくる。
そう、俺はこの人の一人娘なのである。
今後増える予定もないらしい。
あの転生の秘術は、一生に一度しか使えないのだから。
「……歌えないんだ」
「え?」
そう、どういう理由か知らないが、
このラミアの体は、どんなにがんばっても歌うことが出来なかった。
それがどうしようもなく俺を悲しい気分にさせた。
俺はもう、あの幸せの空間に包まれる事はないのか、と。
「そういえばルナルナちゃんと初めて会った時も、ルナルナちゃんは歌ってたよね」
「その時はまだルナルナじゃなかったけどな」
「もー、細かい事はいいじゃない。
でもお母さんも、あの時ルナルナちゃんの歌を聞いて『この人だ!』って思ったのよ」
「それはそれは、魔王様にまで気に入っていただけるとは、光栄の極みでゴザイマス」
わざわざ一生に一度しか使えない秘術を使って俺を仲間に引き入れたのは、
どうやらそういう事情だったらしい。
俺は棒読みで感謝の言葉を述べつつも、実はもうそんなに根に持ってはいなかった。
俺はこの人がどれだけ体を張って世界の為に動いているのか、もう知ってるから。
それがどれだけ大変で、どれだけ尊敬に値するかもう分かっているから。
「でも変ねぇ、私ルナルナちゃんにそんな呪いは掛けてないわよ」
お母様は俺に、一つ呪いを掛けていた。
それは『名前』を奪うというものだった。
今の俺には、どうやっても以前の『名前』を思い出すことができなかった。
仮に今その『名前』を呼びかけられても、俺はそれを理解する事はできない。
あたかも俺がこのままルナルナでありつづけられるように、と。
しかしそんな事をしなくても、俺は今更この母親の娘をやめるつもりはなかった。
こんなに頑張り屋で、こんなに自分を気に掛けてくれる彼女を、悪く思えるわけがなかった。
どこまでも心配性なお母様に、俺は少し苦笑いを浮かべた。
しかし呪いではないという事は、歌えない理由は他にあるということだ。
生まれてここまで、それなりに箱入りに育てられてきたのだ。
他の呪いにかかるような要因は、あまり見当たらない。
お母様の部下に、一人とんでもないのが居るが、彼女に敵意はないはずだ。
では一体何が…
「もしかして、ルナルナちゃんの能力の発現はあの『歌』だったのかも。
今はその能力が魔眼に置き換わってるから歌えなくなってるの、かな?」
そういうことなのか?
じゃあ今は歌えなくても、この魔眼の力だけでみんなを笑顔にできるのか?
しかし、自分にはとてもそうは思えなかった。
確かに以前の歌と今の魔眼は、根本的な性質はあまり違わないのだろう。
だが、そこから得られる結果は現状であまりに違っていた。
以前は彼が歌えば、周りが笑って幸せな気分になるだけだった。
今は自分が視線を晒すと、周りが俺自身に好意を寄せるのだ。
俺は皆の笑顔が見たいだけで、皆に好かれたいと思っているわけではなかった。
「あら、お母さんはルナルナちゃんのその力、とっても羨ましいと思うけど?
だって人と人、人と魔物って結構色々難しいのよ。
でもそんな壁、ルナルナちゃんならヒョイっと飛び越えられるんだもの」
「いざと言うとき便利なのは認めるよ、でも常時垂れ流しなのは大問題だよ」
俺の言葉にお母様は軽く溜息を吐く。
「だからちゃんと制御出来るって言ってるのに。
ルナルナちゃんも駄々をこねてないでそろそろ魔力制御の修行を…」
「断る!それを覚えると魔力を消費してしまうだろ。
わけも分からないうちに暴走して、知らないうちに『女になりました』なんてごめんだ!」
「あらあら、ルナルナちゃんもやっぱり『初めて』は好きな人に捧げたい派?乙女なのねぇ」
「違ーう!!!」
薬缶のごとく煙を上げる俺に、お母様はころころと笑う。
完全にからかわれている気がする…
「冗談はさておいて、そんな膨大な魔力、そうそう使い切るとは思えないんだけどねー。
それよりいざというときの為に、ちょっとずつ慣らしておいたほうが良いと思うわよ。
それにここでならルナルナちゃんが暴走しても、お母さんがちゃーんと面倒見てあげるから」
「それがイヤだって言ってるんだー!」
優しい笑みを浮かべつつ、何故か舌なめずりする母親に俺は悲鳴を上げる。
何が悲しくて近親で、しかも同性でそんなことしなければならないんだ。
ラミア族のあの行為はスゴイらしい。
そんな知りたくもなかった情報を思い出し、俺はその場から脱兎のごとく逃げ出していた。
次から2章に入るので、章分けしてみました。
あと登場人物紹介のルナルナさんに色をつけてみました。




