第10話 魔人の実力
「へぇ、話の通りのすっごい美人だね。さすがは『魔界』のお姫様」
ルナルナが視界を取り戻すと、床、壁、天井すべて赤一色に塗り潰された奇妙な空間に居た。
その空間は部屋と呼ぶにはあまりに広かった。
部屋の長さ、幅共に50m弱ほどはあるだろうか、高さも15mくらいある。
空間の隅には結界の術式も見え、この空間が頑丈に補強されてる事も窺い知れた。
この赤い空間の真ん中で、ルナルナと黒髪の少年は対峙していた。
まだ年端もいかないように見えるその少年は、奇妙な格好をしていた。
全身を包むゴテゴテした黒皮の服は、まるで拘束衣を動きやすく改造したようなそんな衣装だ。
腕と足にはそれぞれ太い鎖が巻きつき、先ほどからチャラチャラと耳障りな音を立てている。
そして一見可愛い仕草に見えるその後ろ手には、ぬらりと輝く黒い大鎌を持っていた。
黒い少年はニコニコしながらルナルナを観察している。
そういえばこの少年には魔眼は効いていないのだろうか?ふとルナルナは疑問に思う。
この1日、立て続けに魔眼の効果の見えない相手が現れたせいで、
正常に働いているのか少し不安になっているルナルナであった。
「なあ、お前は俺の目を見ても何ともないのか?」
「ん、その魔眼のこと?だってお姉ちゃん、ちゃんと制御してないんだもん。
そのだだ漏れの魔力だけなら、さすがにボクにもレジストできるよ。
仕事中じゃなければ、別にお姉ちゃんに惚れてあげてもいいんだけどね」
少年はニコニコと応える。
軽口の割に、なかなか隙が見いだせない。
かなり厄介な相手だとルナルナは判断した。
「お前は、魔術師なのか?」
今見せた知識に魔眼を弾く実力。
外見は魔術師と思えないが、お母様が得意な転移魔術をあの速度で発動させた腕前である。
魔術の腕は相当であると見て間違いはない。
しかし少年は首を横に振り、ルナルナの問いに否定した。
「うんにゃ、『魔人』だよ」
「魔人…」
魔物と人間が交配した場合、産まれてくるのはほとんどの場合魔物となる。
だがごく稀に、魔物の能力を持ちながら人間の特徴を持った『魔人』が産まれる事がある。
魔人は魔物と人間のハイブリッドで、極めて高い戦闘能力を有すると言われている。
しかし絶対数が少ない為、なかなかお目にかかる事が出来ない。
当然ルナルナも、実際目にするのはこれが初めてであった。
「じゃあ後一つ質問だ。ルウィン暗殺の下手人はお前か?」
「ルウィン?……ああ、あの国王の人か。そーだよ!
完璧な仕事だと思ったのに、お姉ちゃん達に邪魔されて失敗しちゃった。
やっぱり暗殺らしく毒殺~なんて余裕見せすぎちゃったのかな」
テヘ、と舌を出す少年の姿に邪気はない。
だがこれでルナルナにとって、目の前の少年は明確な障害であると認識した。
「なら俺はお前を見逃すわけにはいかないな」
先手必勝と、ルナルナは一足飛びに少年との距離を詰め、行動阻害の為のローキックを放つ。
しかし、放った先に手ごたえはない。
少年は瞬時にしてその姿ごとルナルナの視界から掻き消えていた。
ルナルナはすぐに少年の気配を追い、上空を見上げる。
そこに先ほどまでと変わらない笑顔を浮かべ、大鎌を振りかぶる少年の姿を捕らえた。
「ボクも魔界の者は始末しろって言われてるんだ、悪いけど消えてもらうね」
全身のひねりを加えて放つ大鎌での袈裟斬りを、
ルナルナは自ら地面に倒れ込む事によって辛くもかわす。
が、同時にピリッとした感覚がルナルナの全身を走った。
末端に軽い痺れを残しながらも慌てて体勢を立て直すルナルナに、
少年は少し驚いた様子を見せた。
「あれれ、レジストもしてないのに『麻痺』が効かないなんて、お姉ちゃんどうなってるの?」
「俺の種族を知らないのか?麻痺や毒は元々こっちの専売特許なんだよ!」
さっきの感覚は、少年の魔術によるものだったようだ。
今の攻防から見るに、少年の身体能力はおそらくルナルナと互角かそれ以上、
そこに魔術を搦め手で使うスタイルのようだ。
魔術の使えないルナルナにとっては、はっきり言って厄介極まりない相手だ。
少なくとも体術のほうで圧倒しなければ互角に持っていくのも難しいだろう。
そう判断したルナルナは即座に人化を解き、蛇の下半身を少年に晒す。
「そういや魔界のお姫様といえばラミアだっけ、すっかり忘れてたよ」
人形態とラミア形態では、体の構造が根本的に変わるために出来る事は変わる。
ラミアの姿になる事で出来なくなる事もあるが、
基本人の姿の時には出来なかった事による恩恵の方が大きい。
まず一番の恩恵はそのパワーとリーチだろう。
とぐろを巻いた蛇体を占める筋肉に力を溜め、ばねのように少年に飛びかかる。
先ほどの倍は出ているであろうそのその速度に少年は目を見開くが、
体を捻って辛くもルナルナの飛びつきをかわす。
少年に攻撃を避けられ、ルナルナの上半身は地面に両手をついて着地する。
しかしそれも折込済みだったのか、今度は着地した上半身を基点に伸びた蛇体をなぎ払う。
『ギィン!』という音を立て、少年は大鎌でそのなぎ払いを受けるが、
衝撃は受け止めきれなかったのか、少年の軽い体は10mほど後方まで弾き飛ばされた。
「っと、あっぶな!鱗にちょっと傷がついちゃったじゃないか!」
「それはこっちの台詞だよ。さっきまでも早かったけど、こっちはもっととんでもないね」
「捕まってくれればこいつで一瞬で楽にしてあげるのに」
ルナルナは猛毒の牙を指し、ニヤリと笑う。
ラミアの姿になると、パワーやリーチの他に一撃必殺の武器も加わるのだ。
ルナルナはその広い空間を存分に生かし、不規則な動きで少年に猛攻を加える。
少年はルナルナの動きに翻弄され、弾き飛ばされながらも、
ぎりぎりのところで捕まらないよう攻撃をいなし続ける。
「あはは、暗殺対象から毒殺されるってのもなかなか洒落が効いてるね。
でも状態異常の魔術は効かない、身体能力も負けてる、か。ちょっと旗色が悪いね」
「どうした、もう降参するか?」
「冗談でしょ。こっちも奥の手使わせてもらうって事だよ」
少年は手足に巻きついた鎖を外し、ヒュンヒュンと振り回し始める。
大鎌ではリーチで勝てないから鎖に変更?その程度なら余裕だな。とルナルナはタカをくくる。
が、少年は何の工夫もなく、ルナルナに向けて無造作に鎖を投げつけた。
身体能力が並ではない今のルナルナにそんなものが通るわけもなく、
彼女は難なく飛来したそれを避けた。
しかし、次の瞬間ルナルナの背筋に悪寒が走る。
鎖を外した少年が音もなく…いや、気配を感じさせる事もなくルナルナに肉薄していたのだ。
最大限の警鐘と共にルナルナが全力で飛びのくと、
今しがた彼女が居た場所を大鎌の切っ先が逆袈裟に通り過ぎた。
そこでルナルナは思い出していた。
目の前の少年がサウザンブルグ城で気配を消して行動していた事を。
そしてそれが今の自分ととんでもなく相性が悪い事を。
「く、これはちょっとヤバいな…」
実はこのラミア形態、一つだけ致命的な弱点があった。
それは人間の姿のときに比べて、かなり視力が落ちるのだ。
普段は『気配察知』の力でその欠点をカバーしていたのだが、
このように気配を消されるとどうしようもない。
こちらから下手に動いて少年の動きを見失うと、死角から無防備にダメージを貰うことになる。
かといってこのまま動かないでいても、ジリ貧になる事は間違いなかった。
少年がどこから取り出したのか、小型ナイフをルナルナに向かって投げつける。
ルナルナは飛来するそれを難なく弾き落とすが、
注意がナイフに向いた瞬間、またもや少年に接近を許した。
振り下ろされる大鎌を身をよじって避けるが、今度は切っ先が蛇の尻尾に引っかかる。
「った!」
ルナルナは慌てて距離をとるが、大鎌に触れられた尻尾を見るとざっくりと切れている。
このままだと本当に殺られてしまう!
焦るルナルナは、何かないかと打開案を模索する。
ふと、ベルトの後ろに刺した何かが、ルナルナの指先にこつんと当たった。
それは、本来ならば絶対使いたくなかった切り札だった。
数瞬の逡巡の後、ルナルナはそれを鞘から引き抜くと、意を決して両手に構えた。
「うん?なーにお姉ちゃん、その変なナイフ」
「ああ、これはあんまり使いたくなかったんだけどね……こいつが俺の、正真正銘の切り札さ」
それはルナルナが母ヴァーミリアから授けられた、護身用のナイフだった。




