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ここのつめのはじまり (マリアの唇)

「お待たせ。ごめんね遅くなって」


 マリサはアルタ前の交差点に颯爽と現れた。人気のない午前2時半。

 ホストや風俗店のキャッチが、終電を逃した客を捕まえようと、睨みを利かせ、飲みすぎた人々の奇声とパトカーのサイレンが遠くで鳴り響いている、いつもの歌舞伎町の深夜の光景だ。


 僕はちょっと恨めしくヨットパーカーにショートパンツ、といったラフのマリアを見つめた。


「ごめんね。ミーティングが無駄に長引いたのよ」


 マリアはちょっと悪いと思っているのか、罰の悪そうな顔で改めて謝罪の言葉を述べた。


「別に30分くらい、どうってことないですよ」

「ありがと。遅刻したお詫びにこれあげる」


 マリアは小さな箱を取り出し、僕に差し出した。BVLGARIとプリントされた小さな箱だ。


「なんですか? これ?」

「今日お客さんからもらったの。私は同じの2つ持ってるから、雄介くんにあげる。質屋にでも入れれば良いおこづかいになるわよ」


 中には女性ものの腕時計が入っていた。街頭に照らされてダイヤと思われる宝石が煌く。慌ててマリアにつき返した。


「こ、こんな、こんな高価なものもらえませんよ」

「あらそう? せっかく私とお揃いの時計を手に入れるチャンスだったのに」


 マリアは自分の左手を突き出し、ブレスレットと共に先ほどと同じ形の腕時計を見せ付けた。冗談じゃない。BVLGARIのダイヤが入った時計がいくらするのか、僕のような貧乏学生でもなんとなく分かる。

 マリアは少し残念そうにBLGARIの箱を持っていたハンドバックに放り込み、僕に尋ねた。


「まぁ、いいや。それよりこの間預けた箱は持ってきた?」

「はい。どうぞ」


 僕はずっと胸に抱えていた箱をマリアに手渡した。マリアはリボンの巻きつけられた一見プレゼントと思われる箱を、裏返しにしたりしながら丹念に調べ始めた。


「よし。ちゃんと中は見てないようね」

「言いつけ通り見てませんよ」

「合格」


 マリアは箱を持っていた紙袋にしまうと、もう一回り小さい箱を取り出した。小さめのメロンが入る程度の大きさだろうか。紫色の包装紙につつまれた箱を見て、なんとなく嫌な予感がしてきた。


「これを、また預かって欲しいの」

「……はぁ」


 マリアから紫色の箱を受け取る。また前回の箱と同じように見た目とは裏腹に意外と重量がある。包装紙もちょっと雑に巻きつけられており、不器用な素人が巻きつけた様子が見てとれる。どこかのお店の商品、という訳ではなさそうだ。


「何度も言うけど、本当に中身は見ちゃダメよ」

「またダメなんですか」

「そう。開けたら恐ろしいことになるのよ」

「どうせ開けたらマリアさんにもバレちゃうんでしょ」

「すごい。その通り。ご明察」


 僕はため息をつきながら箱を愛用のトートバックにしまった。


「今日は車じゃないんですね」

「あたりまえじゃん。私はお仕事帰りなのよ? 飲酒運転を促進するなんて悪い子ね」

「そうか。今日はお店に出るって言ってましたもんね」


 確かによく見ればマリアの顔はいつもより赤い。


「そう。悪い子にはおしおきが必要ね」


 マリアは僕の頭と顔に手を伸ばし、キャップと眼鏡を手荒くむしりとった。


「あ、なにするんですか。やめてください」

「うん。このほうがいい男に見えるわよ」


 マリアはキャップと眼鏡を両手に持ち、じっと僕の顔を見上げ、にんまりと極上の微笑みを見せ付けた。


「さすがに、昨日裸でこの辺を走ったんで、変装くらいはしたほうがいいんじゃないかと」


 僕は慌ててキャップと眼鏡をマリアから奪い取る。


「ここは歌舞伎町よ。そんな変人毎日見るわよ。意外と自意識過剰なのね」

「そうですか。じゃあ、しまっておきます」


 僕が眼鏡とキャップをトートバックにねじ込むと、マリアが歌うような楽しい口調で尋ねてきた。


「じゃあ、今日はどうする? 踊りにいく? 歌いにいく?」

「今からクラブでも行くんですか?」

「んー。クラブもいいけど、雄介くんは酒癖が悪いからなぁ。お姉さんは心配だからカラオケにでも行こうよ」


 そう言って僕の手をとり歌舞伎町へ向け歩き出した。手をとっただけじゃない。指を僕の指に絡めて強く握って離してくれそうもない。


 おいおい。まるで恋人がデートしてるみたいじゃないか。僕は胸の鼓動が速まるのを感じた。ラフな格好といってもその美貌は歌舞伎町でも断トツ。すれ違う男がみな僕らを見ている。いや、正確にはマリアに見とれている。捕まった宇宙人みたいに引きずられている僕のことを彼らはどう思うのだろう。


「さぁ今日は歌うよーー!!」


 マリアが子供のようにはしゃいだ歓声を上げた。




 カラオケについて数時間は歌っただろうか。マリアが歌い疲れたタイミングを見計らい、昨日の涼子ちゃんとの話を切り出した。


「じゃあ、昨日の子はモトカノじゃなかったの?」

「そうですよ。たんに合コンで知り合っただけだったんです」


 マリアはおつまみで頼んだピスタチオを口に放り込み大声で笑った。


「あはははは。なんだお姉さん勘違いしちゃったじゃない。失礼なことしちゃったかしら」

「そうですよ。あの後も大変だったんですから…」

「あの後?」


 マリアはいたずらっ子のような笑顔を浮かべ、マイクを僕に突き出した。


「あの後、あの子、とシちゃったの? ちゃんと白状しなさい!」


 僕はため息をつきながら、涼子ちゃんとの別れの経緯をマリアに説明した。


「うっわ。最低! 女にそこまで言わせてフツー帰る?」


 正志と同じような反応だ。


「しょうがないじゃないですか。友人の狙ってる子だし、僕はその気になれなし」

「なぁに。やっぱり何年も付き合ったモトカノの体が忘れられないの? このドスケベ」


 そう言ってマリアは大声を上げてまた笑った。


「言っておきますけど、別に不能ってわけじゃないですからね! それに体が忘れらないってわけでもありません! ……涼子ちゃんは、マリアさんにごめんって伝えてくれって」

「ふふふ。雄介くんにお似合いの子だったのに」

「言っておきますけど、こじれたのはマリアさんのせいでもあるんですからね」


 マリアは人の話を聞いているのかいないのか、ふわぁとあくびをひとつして時計を見た。


「ねぇ。もう朝の7時だよ。そろそろ帰る?」

「そうですね」


 さすがに眠くなってきた。マリアにつられて僕もあくびをひとつした。

 会計を済ませカラオケ店を出ると、外はすっかり明るい。眩しさのあまり街を直視できない。マリアはサングラスをかけ、眠いのか、時折ふらふらしながら歩いていた。必然的に腰に手を伸ばしマリアを支えた。


「雄介くんって変わってるよね」

「なにがですか」

「私とヤリたがらないじゃん」


 どきっと心臓を掴まれた気がして、マリアから手を放す。マリアは僕という支えを失いよろめいた。慌てて腕をつかんでマリアを支えた。


「もっと普通の男はガツガツしてるものよ。こうガオーって、女の子にやりたいオーラを出すの」

「はぁ」

「草食系男子っていうの? 流行ってるの? あんな言葉、男に相手にされないブスが作り出した隠語だと思ってたのに」


 マリアは自らの太ももをパンパン叩きながら言った。


「足とかさぁ、胸とかさぁ、もっとチラチラ見なさいよ。カラオケ中まったく迫って来ないし! 失恋したかどうか知らないけどさ。生意気なのよね」


 ずれ違う人が笑いながら僕らを見ている。おかしいと思いながらも僕はマリアに言った。


「マリアさん、僕はちゃんと、その、チラチラ見てますよ」

「足りないの!」


 ふいにマリアは自分のショートパンツを脱ぎだそうとしてきた。


「あわわわ、それはダメー!」


 僕は抱きかかえるようにマリアのパンツを引き上げようと押さえ込む。腕の中でマリアは満足気にうなずいた。


「そう。そのくらい勢いが欲しいかな」


 マリアの顔が近づいた、と思った瞬間には、唇を完全に奪われていた。香水やファンデーションの匂いが僕を包む。マリアの唇は濡れていて、優しく僕の全てに潤いを与えるように包んだ。


「こっちはさ、一度くらいしてあげないと、割に合わないと思ってるのに」


 マリアがよく分からないことを言った。

 僕が何か言おうとした瞬間、唇はまた唇に覆われて、言葉は虚空に消える。


「女にここまでさせといて、帰るの?」


 僕は首をゆっくり横に振り、返事の代わりにマリアを強く抱きしめた。



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