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むっつめのはじまり (マリアと涼子)

 はしゃぎすぎてしまった。僕はベンチに横たわり吐瀉物を吐き出して胃の洗浄を試みる。だが銅鑼を打ち鳴らすような激しい頭痛はひいてくれない。


 2店目のテキーラのせいだ。きっとそうに違いない。千秋さんがあんなにザルだと思わず、付き合ったのが失敗だった。5杯目を過ぎたあたりから世界が踊りだし、気がついた時には手遅れだった。上半身は裸になり歌舞伎町を駆け出し、今はどこにいるのか分からない。


 僕は目の前の泥まみれになったシャツに袖を通し、寒さのあまり体を震わせた。さすがに9月とはいえこの時間は冷える。それにアルコールのため僕の体温調整機能は壊れてしまったようだ。

 寒い。寒すぎる。前回の喧嘩といい、もしかしたら僕はとんでもなく酒癖が悪いのではなかろうか。これまで自覚がなかったが、本日の醜態を考えるとそうに違いない。とりあえず歌舞伎町を上半身裸で奇声を駆け抜けた記憶を、無理やり閉じ込めることにした。



「相変わらず、ださいね」



 ふっとやわらかいものが僕を包んだ。ファーのついたジャケットのようだ。香水とファンデーションの香りが心地いい。


「雄介くん、お酒はもうやめたほうがいいかもね」


 マリアだ。出会ったときのようにスパンコールのドレスに身を包み、極上の微笑みが優しげに見つめていた。


「ほれ青年、飲みたまえ」


 言われるがままにミネラルウォーターを受け取る。


「これ胃薬。今日は喧嘩じゃなくて、ただ一人で騒いでたみたいね」


 液状タイプの胃薬も受け取り、僕は黙って喉に流し込んだ。


「マリアさん…」

「ん?」

「いつから、見てました?」

「私のお店の前を奇声を上げて走っていくところから、かな」

「僕、脱いでました?」

「うん。パンツ一枚で」



 やばい。ズボンまで脱いだ記憶はないぞ。今は、もしかして、…うん。はいてる。



「良かった…。ズボン、はいてる」

「うん。良かったねぇ。今物騒だから逮捕されちゃうんじゃないか心配しちゃった」

「マリアさん、いつもすみません」

「よいよい。しかし、またこんなところで会うなんて、私たち何か縁があるのかもね」


 マリアは意味深な微笑みを浮かべながら言った。


 そんな笑顔で意味深なことを言われたら、僕はドキドキしてしまいますよ。慌ててミネラルウォターを飲み干すと、もうひとつ僕を呼ぶ声が聞こえた。


「三谷くん…?」


 正志が片思い中の黒髪メガネの涼子ちゃんが、そこに立っていた。


「よかった! 走り出しちゃうから心配したよ。大丈夫?」

「あ、うん。探してくれてたんだ。先に帰ったかと思ったのに」

「正志くんからメールもらって、三谷くんがどこかに消えたって聞いたから」


 たしか涼子ちゃんは1店目で先に帰ったはずだった。正志がしつこく引き止めていたのを覚えている。わざわざ戻って探してくれたんだ。しかしなぜだ? 正志がべったり張り付いていたから、特に会話もなかったような気がしたけど。


 涼子ちゃんは僕の横に立つマリアに気づいて言った。


「あの。三谷くんのお知り合いですか…?」

「うん? そうね。私は、ちょっと彼と特別な関係なの」


 突然マリアが涼子ちゃんへ挑発ともとれるような、挑戦的な発言を言い始めた。


「一緒に海へ出かけたり、私の家に来てもらうような、そんな特別な関係」


 "特別"というところを強調して、マリアは涼子ちゃんを見下ろした。高いヒールを履いているマリアは、涼子ちゃんより少し背が高い。


「特別な、関係…」


 涼子ちゃんは何かにはっと気づいた様子で、


「もしかして、あなたが噂の彼女なんですか?」


 と、顔を真っ赤にさせてマリアに詰め寄った。


「噂の彼女? なんのことかしら?」


 マリアは困惑して僕を見つめるが、僕にも何のことか分からない。


「三谷くんにいつまでもつきまとわないで! 恥ずかしいと思わないんですか、自分のしたことを棚に上げて、自分はそうやっていやらしい仕事してるなんて」


 涼子ちゃんは今にも掴みかかりそうな勢いでマリアに詰め寄った。マリアもさすがにこの発言にはカチンときたようで、


「いやらしい仕事? あなたにそんなこと言われる筋合いはないけど。あなたこそなんなの? 彼をこんなに酔わせたのは、そもそもあなたが原因じゃないの?」


 と、勢いよく涼子ちゃんへ詰め寄る。

 お互いの視線が交わり火花が飛び散ったように見えた。


「確かに私たちにも原因はあるけど、直接傷つけたのはあなたじゃないですか!」


 涼子ちゃんは負けずに言い返すが、マリアは何を言われているのか分からないっといったように肩をすくめ、


「傷つけた? 私はどちらかといえば治したほうだけど」


 と言った。


「訳の分からないことを言わないで! あなたがいなければ三谷くんはこんなになることもなかったの!」


 涼子ちゃんはより大きな声で言い返した。


「私のせい? 雄介くん私のせいなの?」


 僕は慌てて首を横に振った。


「違うみたいだけど?」

「そんなことない!」

「本人が違うって言ってるじゃない!」

「あなたが言わせてるんだわ!」


 なんだ。いったい何が始まったんだ。突然始まった修羅場劇場に僕はぽかんと唖然するばかりだ。


 まるで僕を取り合っているみたいじゃないか。あれ。なんだろう。すごい変な状況なのに、ちょっと誇らしい不思議な気分。いやいや、そんなこと考えている場合じゃないぞ! と、頭を振った瞬間、ピカーンと雷鳴が轟くようにひとつの解が頭に閃いた。



 まさか、いや、まさかと思うけど、まさか、お互いにお互いの相手のことを、僕の元・彼女である『美和』だと、勘違いしているんじゃないだろうか……。



「とにかく三谷くんは、もうあなたと関わりを持たないんです。これ以上三谷くんに近づかないで」

「関わりをもつな? 近づくなですって?」



 マリアはふいに僕の左横に立ち、僕の頭を掴んで頬に口づけを、そう、キスを、ほっぺにチュウを、そうチュウをしてきた。突然の行動に僕も涼子ちゃんも時が止まった。


「そんなこと、あなたに指図される言われはないわ。彼は私のお気に入りなの」

「あっあっ……」


 涼子ちゃんはわなわな震えだし、マリアは勝者のようにふふん、と鼻を鳴らした。


「最低! 三谷くん! もういきましょう!」


 涼子ちゃんは僕にがばっと近づき、腕をとってあらぬ方向へ引っ張った。ものすごい力だ。僕はなすすべもなくひきずられる。


「ばいばい。雄介くん。また電話するね」


 マリアはそれを止めようとせず、あろうことか投げキッスまでして、引きずられる僕を見送った。


「何て人なの! 三谷くんを振っておいて、あんなことするなんて!」

「あ、あの涼子ちゃん。どこに行くのかな?」


 涼子ちゃんは僕の腕を取り大通りまでやってくると、手を上げてタクシーを止めた。


「世田谷代田までお願いします!」


 そう言ってタクシーに乗り込むと、僕もタクシーの中まで引きずり込んだ。


「あ、あの涼子ちゃん?」


 僕の家は中野だから反対方向なんだけど、と言おうとしたが、それは叶わなかった。


 「三谷くん、かわいそう……」


 涼子ちゃんはしがみつくような熱い口づけを、そう、キスを、唇にチュウを、チュウをしてきたからだ。



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