よっつめのはじまり (マリアの箱)
「いやぁ。すっかりご馳走になっちゃったね。学生なのに大丈夫?」
「大丈夫ですよ。今日はシャンパン開けるつもりでしたから」
「残念だけど、未成年にお酒は出さないわよ」
僕とマリアさんは駐車場で叫び終わった後、近場のレストランで夕食を食べた。
「僕も今日は勉強になりました。失恋した人を連れていくのは海だと」
「そうだね。でもあんまり叫んで捕まらないようにね」
マリアさんは笑って車に乗った。
「送っていってあげる。お客様はどこまで?」
「えっと、じゃあ中野坂下までお願いできますか」
「よいよい」
マリアのアパートは新大久保だった。ちょっと遠回りさせてしまうが、マリアは気にした様子も見せず車を発進させた。
「ねぇ雄介くん」
「はい」
「後ろの座席に箱があるでしょ。それとって」
マリアは車を操りながら言った。箱? 後部座席を見てみると、リボンが巻かれたプレゼントのような箱を発見した。
「箱って、これのことですか?」
「うん。それ。それを預かってほしいの」
この箱を? みたところ6号のケーキが入りそうな箱だ。以外とずっしり重い。
「これ、なにが入ってるんですか?」
僕が中味を見てみようとすると、マリアが厳しい声を上げた。
「中は絶対見ちゃダメ」
中を開こうとリボンに伸ばした指を静止させた。
「なんですかそれ。浦島太郎の玉手箱みたいなこといいますね。煙でも出てきて年寄りになってしまうんですか」
「おじいさんになるだけじゃ、すまなくなるのよ」
運転席のマリアの横顔は真顔だ。とたんに箱の重量が増したように感じた。
「えっ、そんなよくわからないもの預かりたくないですよ…」
「昨日介抱してあげたでしょ?その貸しと思ってお願いしたいの」
マリアは車を操りながら、いたって平然としている。
「中味は何なんですか?」
「それは開けてからのお楽しみ」
「でも開けちゃダメなんですよね?」
「そう。絶対に開けないでね。言っておくけど、開けたかどうか、私にはすぐわかるから」
僕はごくりと唾を飲み込んだ。膝の上で箱はただじっとしている。生き物でも入っているのか、変なものでも入ってたりしないか。今にも箱から何か飛び出しそうで、思わず背筋が冷たくなった。
「はい。着いたわよ。中野坂上」
気がつくと僕のアパートの最寄り駅まで車は到着していた。
「ありがとうございます。送ってもらっちゃって」
「うん。今夜は楽しかった。また電話するかも」
「そう言えば、いつの間にか僕の番号知ってましたよね」
マリアはいたずらっ子のように笑って言った。
「君が寝ている間にちょちょいと、ね」
「昨日といい、今日といい。色々ありがとうございました」
「じゃ、箱のことよろしくね」
「ああ、そういえばこれ、いつまで預かればいいんですか」
マリアは少し虚空を見上げ考えながら、
「次に雄介くんと再会するまで、かな」
と、ひとり納得したように言った。
「再会、できますよね」
「それは君次第かな」
「わかりました。大切にお預かりします。それじゃ、おやすみなさい」
「うん。さよなら」
マリアは車を操り新宿方面へ走って行き、僕は車が見えなくなるまでそこで彼女を見送った。
不思議な女性だ。これまでの人生の中でいなかったタイプ。箱を抱えると、箱に残ったマリアの香が鼻をくすぐった。