第4話 接合点の呼び声
エレベーターシャフトの底へ、二人は「落下」したのではない。
重力そのものが、真菌の放つ磁性と多幸感に屈したかのように、緩やかに吸い込まれていったのだ。
最深部。かつてのメインサーバーールーム。
そこにあったのは、無機質な機械の林ではなかった。
天井から床までを埋め尽くす、脈動する巨大な「肉の塔」――『オリジン』。
数百万人の脳と、脊髄と、血管が、サーバーラックの金属フレームを骨格として取り込み、一つの巨大な「思考する臓器」として完成されていた。部屋を満たしているのは、電子音ではなく、母の胎内にいるような、深い、深い鼓動の音だ。
「……ミラ、ここが、終わりだ」
ギデオンはベネリM4を構えようとした。しかし、腕が上がらない。
それどころか、肩の防護服が、肉の塔から伸びる無数の毛細血管のような菌糸と、既に「編み物」のように編み合わされている。
「ええ、そうよ。ギデオン。……もう、隠し通す必要はないわ」
ミラの声には、もはや無線のノイズは混じっていなかった。
彼女はゆっくりと、自分のヘルメットに手をかけた。
「よせ、ミラ! 絶縁を解くな!」
ギデオンの叫びは空しく響いた。
ヘルメットが脱げ、床に落ちる。
……音がしなかった。
鋼鉄の床に落ちたはずのヘルメットは、跳ねることもなく、泥のように音もなく床に沈み込み、床の一部である肉塊と同化した。
そして、ギデオンが見た「ミラの顔」には、目も、鼻も、口もなかった。
そこにあるのは、無数の神経線維が細かく脈動し、ネットワークの信号を受信しては赤く明滅する、一つの「端子」のような肉塊だった。
「……あ」
ギデオンの喉から、掠れた声が漏れた。
彼は自分の右腕を見た。
握りしめていたベネリM4だと思っていたものは、変異して硬質化した彼自身の前腕骨そのものだった。
トリガーだと思っていたものは、自分の腱。
防護服だと思っていたものは、自身の皮下組織が角質化し、外部からの刺激を遮断するために強固に作り上げた「殻」に過ぎなかった。
[ WARNING: BIOTIC ATTACHMENT DETECTED. ]
バイザーに表示されていた警告灯が、一瞬だけ激しく明滅し、そして消えた。
いや、バイザーそのものが消えたのだ。
彼が「視界」だと思っていたものは、ネットワークから脳へ直接送り込まれていたビデオ信号の残滓だった。
「最初から、絶縁なんて成功していなかったのよ、ギデオン」
ミラの形をした「端子」が、彼の脳内に直接、慈愛に満ちた声を響かせる。
「世界は十年前のあの日、すでに敗北していた。……いいえ、勝利したの。あなたは『自分という個』を守りながら生き延びている夢を、この十年間、オリジンの中で見せてもらっていただけ。……あなたが望んだから」
ギデオンの脳内に、真実の記憶が溢れ出した。
十年前。彼は死にかけていた。
孤独と恐怖の中で、誰かの体温を求めていた。
オリジンはその願いを聞き届けた。彼をシステムの一部として繋ぎ、彼が愛した「戦い」と「孤独」と「信頼できる相棒」という、都合のいい幻影を与えていたのだ。
「……溶剤なんて、なかったんだな」
「救済は、もうここにあるわ」
ミラ――ネットワークの末端――が、彼を抱きしめるために腕を広げた。
ギデオンは最後の一瞬、自分が「個」であった証として、自分自身の「指」を引き金のように曲げた。
だが、そこからは爆音も火花も出なかった。
代わりに流れ込んできたのは、世界中の「接合者」たちが共有する、圧倒的な光と、愛と、静寂。
彼は初めて、タクティカルスーツという名の「殻」を脱ぎ捨てた。
冷たい銃、固い床、重い装備。それらすべてが、彼を孤独に繋ぎ止めていた重りだった。
「……ああ……」
ギデオン・リードは、ゆっくりと目を閉じた。
彼を包んでいた「サバイバルという名の地獄」が、陽光に溶ける霧のように消えていく。
現実に目覚めたとき、彼が見たのは、ミラと、かつての同僚たちと、そして無数の見知らぬ人々と、一つの巨大な「肉の連なり」として美しく溶け合い、永遠の安らぎの中にいる自分自身の姿だった。
部屋の隅では、椅子と化した男が、新しい仲間の到着を祝うように深く、深く息を吐いた。
世界は静かだった。
もう、誰も、一人ではなかった。




