第5話 レースの豪華なひと
――おい!何気絶してんだい!このゴミ!さっさと起きるんだ!』そんな声が聞こえた気がして、慌ててベッドから胴体を起こすと、少し脇腹が痛んだ。いつのだろうか。
…そんなことより、早く起きて、腕を差し出さないとまたお腹を殴られる…
急いでベッドがら降りようとすると次は足が痛い。無理矢理に床に足をつけると力が入らず、思いっきりころげてしまった。そこで頭を打ってなんだか朦朧としていた頭がはっきりとした。周りは今までいた暗くて怖いあの世界の中ではなかった。
可愛らしいふわふわの動物のぬいぐるみや、花が壁に沿って並べてある。壁も薄黄色で小さな金木犀の花がいくつもデザインされている。
そうだ、今はあの怖い女の人たちは居ないんだった。
こけた瞬間のバシンという音が大きく部屋に響き、慌てた様子で黒い服に白いレースのついたエプロンを着た女の人達が部屋の中に走ってきた。足に力も入らず、横たわっている私を優しく抱き上げてベッドに運んでくれた後、申し訳なさそうな顔をして
「申し訳ありません!お嬢様!隣の部屋に鳩が何匹もやってきて、永遠と鳴き続けるものですから、お嬢様のお眠りを妨げないようにと…」
4人の女の人が私に頭を下げた。…誰なんだろうか。真っ黒なドレスの上に真っ白なエプロンをきている女の人たち。顔を上げると、みんな今の私より背が高いから、なんだか威圧感を感じた。1番エプロンのレースがひらひらで豪華だった人は私の方をなんだか怖い目で見ている気がしたし、あの女の人のことを思い出してしまう。
『はぁ~、今日もまたお向かいの婆さんが私に自分の子供の自慢ばかりして…!私たちに子供がいないからって…くそっ!くそっ!』
そう言いながら私の頭を足で壁に何度も叩きつける。頭がグラングランして、目の焦点が全然合わなかった。
あの時も、多分今も、私に言えるのは一言だけ。
「ご、ごめ、なさい…ごめんなさい…」
恐る恐る女の人たちの方をみるとみんなさっきとは違う眉の下がった少し緩んだ表情を浮かべている。
レースの豪華な人が優しく私の肩にそっと手を置く。
「お嬢様。私どもはあなた様の味方です。どんなことがあっても、貴女を守ります。どうか、私たちのことを信じていただけないでしょうか…?」最上級のふわふわを持つ雲に全身を包まれるような癒しと優しさを含んだ落ち着いた声。先ほど私に見えていた彼女の視線は自分の過大妄想であったことに未熟さを感じ、そして、この言葉が本心だと、神界時代に培った経験が言っていた。後にいる3人もとても優しい笑顔で。この人たちを信じてみたいという気持ちが湧いてきた。
けれども女の人の手が体に近づいた時、そんなつもりはなかったのに、思わず体がビクッとしてしまった。
女の人は少し残念そうな顔をして、「申し訳ありません」と言ってその手を退け、「失礼します」と他の3人の人と一緒に部屋の外へ出ようとする。
(ちがう、そういうつもりじゃないのに…!)
慌ててしまって思わず少し引っかかっていたことが口に出てしまった。
「わ、私の名前はリヴェリアでしゅ!」
私は、おじょうさまという名前ではないから…リヴェリアという名前で呼んでほしいというつもりで言ったけど、でも、絶対言うタイミングを間違えた……
やってしまったと思いながら女の人たちの方を見てみると
「クッッッ!かわ…」
「尊…」
「萌え…」
と倒れて苦しみだした。
私がまた何かしてしまったんだと思い、オロオロしていると4人のうち1人だけ飄々と立っていたレースの人が、
「大丈夫です。これは、自己管理の怠慢からくるもので、お嬢様…失礼しました、リヴェリア様のせいではありません」と他の倒れている3人に冷たい視線を向けながら言った。
なんだかよく分からないけれど、先程まで苦しんでいた3人の女の人たちもいつの間にか元気に立っているし良かった…のか?
「ぐぅぅぅぅぅぅ」
安心するとまたいつものようにお腹から音がした。
またこの音か、なんで鳴るのかな、と思っていると、レースの豪華な人が、
「リヴェリア様はお腹が空いてらっしゃるんですね。すぐに温かいスープを持って来させます。」
そう言って他の3人の人に何か声をかけ、3人の女の人はどこかへ行ってしまった。
「?“お腹がすいた“…?」
何回か聞いたことはあるけれどよく分からない言葉。
子供が可愛らしいアイスクリームを見つけたときに言っていた言葉。勝手に‘欲しい‘という意味の言葉だと思っていたけれど……
きょとんとしている私に、女の人が微笑んで言った。
「お腹が空く、というのはリヴェリア様のお腹がご飯を欲しがっている合図なんですよ。ぐー、ぐーっていって。一生懸命私たちにご飯を食べててくれとお願いしてるんです。」
なるほど、そういう意味だったのか。神だった時は、お腹がご飯を欲しがることなんてなかったから分からなかった。
ごめんなさい、私のお腹。辛かったよね。今すぐに、ご飯をあげるからね。
私は、赤ん坊を撫でるように優しく自分のお腹をさすった。
しばらくすると先ほどいなくなっていた3人が息を切らせながら、部屋に戻ってきてくれた。
「シェリー様!指示の通りにスープをお作りしました!」
シェリー様?私はシェリー様じゃないから、このレースがたくさんついている人の名前がシェリー様というんだろうか。
「ご苦労様。じゃあリヴェリア様。温かいスープを飲みましょうね。少しぬるめにしていますから舌を火傷することはないはずです。はい、あーん。」
「あーん、?」
「お口を開くということですよ。」
なぜお腹にご飯を渡さないといけないのに口にご飯を入れるのだろう、と思いつつも恐る恐る口を開ける。銀色の薄くて小さな先の丸いもので、大きなお皿からすーぷが掬い取られた。すーぷが近づくほど、心地の良い優しい空気が私の鼻をくすぐった。
黄色みがかったすーぷが、私の口の中にゆっくり入ってくる。
じんわりと何かが広がっていく。全身をベッドで布に包んだ時のような心地がした。
わぁ……すごい!
「シェリー様!口の中が…喜んでる!…あ」
口の中に入れた後、ご飯はどうすればいいのか分からなかったのに、スープがとっても暖かくて、すごかったから、シェリー様に言おうとしたら、口の中に入っていたスープが足の上に乗せられていたトレイの上にこぼれてしまった。
(どうしよう、口の中に入れたものが出てきてしまった、怒られてしまうかも…)けれどもシェリー様は変わらずにこやかに
「お気に召されましたか?それは何よりです。ご飯は口の中に入れた後、お腹に届けなければいけませんから、ここの喉を使って――」
そう言って丁寧にご飯の食べ方を教えてくれた。
それからシェリー様じゃなくて、シェリーか、シェリーさんと呼ぶように言われたのでシェリーさんと呼ぶことにした。私は‘旦那様’?のお客さんだから、様をつける必要はないんだと教えてくれた。
それから、何回かすーぷを飲むと、お腹は空かなくなった。
飲み終わった後シェリーさんは私の頭を撫でて、「よくできました」と言ってくれた。
少し、胸の奥がくすぐったくなった。
お腹が気持ち悪く無くなって満足したのか、私はそれからまたすぐ気絶してしまっていた。




