第1話 神界追放
「…リヴィ。可哀想な子よ。私達に不必要なものを持って生まれてしまった愚かな我らの愛し子。毎日我らの庇護する世界を見ては恋焦がれ、しまいには彼らを愛する力さえ失ってしまった哀れな子。この世界の秩序を乱す、感情という名の歪みを持つ‘癒しの光を司るもの’リヴェリア。ここに、貴女の神界追放を宣言する。」
ここは人間達の住む下界を統べる神々の住む天界の中心、神殿が位置する場所。
神殿は、私の親のような存在でもある最高神・‘天秤を持つ者’であるデア様の領域だ。
一面が真っ白な雲で覆われたこの世界、不気味にも感じられる荘厳かつ静粛な雰囲気の中、中心部にはデア様が大きな翼をゆっくり動かしながら優雅に佇んでいる。
周りには、神界にいる全ての神が集結していた。理由は先ほどのセリフの通り。大方、神界ができて初めての追放者の記録のために集合したのだろう。
集まっている神々と天使もいつも通り変わらないアルカイック・スマイルを浮かべている。
(あ。あの人、昔勉強教えてもらったな。あの子は近くに住んでて、よく一緒に授業受けてて…)
顔見知りが何人もいるが、これから神の資格を剥奪され一生会えなくなる私に対して、悲しいの感情の一つもないらしい。
そして、目の前で私に神界追放を告げたのは親同然の存在だったこの神界の至上にして最高の神・デア様だ。
私への追放の文言を言うデア様は、いつも通りの優しい声色をしていた。
でも私はわかっている。‘可哀想な子’、‘哀れな子’と言いながら、そんなこと、心の中では一切思っていないということ。
いや、思うことができないというのが正しいのだろうか。
けれど、私はそんな彼に一種の羨望さえ抱いてしまう。
……その羨望さえも、彼らにとっての歪みであり、排除対象でしか無いのだが。
本当に突然だった。今日も、いつもの通りに祝福の泉を覗き込んで、下界の様子に見入っていた。下界では、街の市場で子供たちがじゃんけん大会を開いている。『最初はぐー!ジャンケンぽい!うわー!負けたー!』彼らの一喜一憂を見るのが楽しかった。
「……さいしょはぐー…じゃんけんぽい。」つられて私も言ってしまう。何をしているのか、何に一喜一憂しているのかさっぱりわからないが、子供達の無邪気な感情表現が楽しくて、時間を忘れて見入っていた。
すると、いつの間にか両隣に天使が佇んでて…わけのわからないまま腕を掴まれてパタパタと天界の中央まで連れてこられたと思ったら、唐突に破門を言い渡された。
理由は私が神に必要のない『感情』を持ってしまったから。
‘世界‘の生命の流れは私たち神よりも上の存在によって導線が敷かれている。神の仕事はその導線の偶の欠陥を修正するだけ。その導線を私情で変えてはいけない。導線に沿っていくのが‘世界‘にとって最適なのだ。動線を変えてしまえば、そこに待っているのは最悪の結果だけ。
たとえば、1人を轢き殺したトラックの進行方向を変えたとすれば、そのトラックは建物に突っ込んで、そこで働く10人が亡くなる、とか。
だからこそ、神は感情を持たされずに生まれてくる。けれども、どうやら私は違ったらしかった。
感情を持つ私は、彼らにとって導線を乱す異端分子。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
(一応20年は一緒にやってきたのにな。)
若干の名残惜しさを持ちつつも、感情を持ってしまった自分が神の中での異端であることは薄々気づいていたし…そもそも彼らには『私がいなくなって悲しい』などという感情は持たない。あの時から力も使えなくなった今、私のような出来損ないを神として扱うのは確かに利点がない。
私はデア様の宣告を静かに受け入れた。
デア様に映る最後の私が、少しでも大人に見えるよう、深く礼をすると、彼らと同じ真っ白な髪が視界の端に入ってきた。
そのとき、頭の中に考えたくなかったことが、浮かび出してきた。
私は、‘神’ではなかった。
何も救えなかった。
ほんの少し前までは、この世界をここまで素晴らしく創り上げてきた彼らと同じこの髪の色を、誇らしく思っていた。けれども神界からの破門を言い渡され、私と彼らとの縁というのが消えて無くなってしまった今、この髪の毛は私にとっての鎖でしかない。
いつの間にか視界がぼやける。
「…え」
頬に生ぬるい水が滑り落ちていっていた。慌ててそれを手で拭う。
「あぁ、リヴェリア…早く、それをしまいなさい。」
包容力のある低くて優しい声。
けれどもそのうちには、その涙が神界に存在するという事実を今すぐにでも排除しようとする無機質な義務感が含まれているように私は感じた。
「…あれ?あれ…?」拭いても拭いてもこぼれ落ちてくる。
「…ごっめ……す、すみっ…ません…」
彼らにこんな醜いところを見られたくなくて、思わず下を見る。目の前には涙でできた水たまりができていてそこには目が腫れて、鼻水を垂れ流し、惨めったらしく泣く私の姿がぼんやりと写っていた。
「リヴェリア。寂しくなりますが、その感情を持ってよく生きてください。それでは。」
なんの躊躇いもなく私と別れを告げたデア様。最後に私に、極上の穏やかな笑みを向けた。
神界の中でも最高位の神であることもあって、そのアルカイックスマイルが私を突き放すものだと分かっていても、心を惹きつけさせる何かがあった。
デア様は、もうここにいる用はないと言わんばかりに早々に席を立ち上がり大きな羽を羽ばたかせて去っていった。周りの神々もそれに続いていく。残ったのは涙まみれの私と5人ほどの小さな天使だけ。
あまりの別れの早さに呆然としていると、可愛らしく笑う彼らが私の背中の羽に頭を擦り付けてぎゅっと張り付く。
「…ありがとう。」
こんな私を慰めてくれているようで、その暖かさにまた涙しそうになりながら彼らに感謝を伝える。彼らが私に触れる意味など考えもせずに。
――堕ちる神に翼など
「…痛っ!」
急に背中に激しい痛みが走る。天使たちと私の肌とが触れ合う背中の羽が急に燃えるように熱くなる。
「うっ…!いた、痛い!痛い痛い!やめて!やめて!……あ゙!」
あまりの痛さに声も出なくなり、私は倒れた。最後の気力でみた視界には真っ赤に染まった私の羽を嬉しそうに抱いて空へと羽ばたいていく天使たちの姿があった。




