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第98話 凛々花の迷いと梓の予感


10月29日。

カフェ・ラフォーレリーヴルスの展示エリアで、改装作業が始まった。

ふれあい文学館から応援に来た篠原さんと、男性スタッフ二人。

手慣れた様子で動きながら、午前中のうちに『森のうたうきつね展』の展示物はすべて運び出されていった。


午後になると、仕切り用のパーテーションが次々と設置され、空間の雰囲気はみるみるうちに変わっていく。


「……あっという間に変わっちゃうんだね」

詩音がぽつりとつぶやく。


「明日には、大体のレイアウトが完成する予定だよ」

隣で作業の様子を見ていたメイが、そう返すと、


「私、明日お休みだから……あさって来たときには、ずいぶん変わってるんだろうなぁ」

詩音は、名残惜しそうに会場を見渡した。


「だね。楽しみにしててね」


◇◇◇


──その夜。梓の部屋。


バーナーを買ってからというもの、梓はなんとなく、ふとした隙間時間に“キャンプ飯”を検索するようになっていた。


なるべく簡単で、手早くできて、それでいてちょっと美味しそうに見えるやつ。

手間はかけたくない。でも、もし誰かと食べるとしたら……それなりに。

そんな気持ちが、自分でも気づかないところにあった。


スマホの画面をスクロールしながら、ふと、ぼそりとこぼす。


「……何してんだろう」


言いながら、口元がわずかにゆるんだ。

悪くない。──そんな気分だった。


そんなとき、ある記事に留まる。

キャンプエッセイの紹介だった。

本のタイトルは──

『ソロ派のための グルキャン処方箋』

〜ひとりが好きな私が、なぜ誰かとキャンプに行くようになったのか〜


気がつくと──そのページを開いていた。


《誰かといる時間が、こんなに静かでいいなんて──》

《ソロキャン歴10年の筆者が見つけた、“ちょうどいい”距離感とは》


添えられた紹介文に、ほんの少しだけ心を引かれる。

でもこの本、どうやら電子書籍はなく、絶版間近の自主出版らしい。ネット書店でも在庫は見つからなかった。

試しに出版社のサイトをたどって取り扱い店舗を検索してみると──


「葛城書店(矢鞠)」に、在庫あり。


スマホの画面を見つめたまま、ひと呼吸置いて──小さくつぶやく。


「矢鞠か……明日、仕事終わったら、行ってみるか」


ちょっと気になっただけのはずなのに。

すでに買う気満々な自分に、梓は小さく、苦笑した。


◇◇◇


10月30日、朝。


通学中の電車の中──凛々花は、スマホを手に黙って画面を見つめていた。

開いているのは、カフェ・ラフォーレリーヴルスの公式サイト。

トップページには、来月から始まる展示の告知が、大きく掲載されている。


《11月1日スタート 写真展「ふれる、なじむ、自然」》

《森の光、風の気配。写真にふれるたび、心の奥が、そっと自然になじんでいく。──》


その一文と、展示予定の写真のサムネイル──その中に、自分が撮った一枚があるのを見つめながら。

凛々花は、ほんの少しだけ、不安そうな表情を浮かべた。


一方そのころ、カフェ・ラフォーレ リーヴルスの展示エリアでは──

朝から、内装や照明、展示用の什器などの設営が進められていた。

コンセプトは、“森の中の静けさ”。

装飾はシンプルながらも、木や葉をあしらった演出で、空間全体がほんのりと森の気配をまとっていく。


「……かなり、様になってきたなぁ」


展示の様子を眺めながら、ふれあい文学館から設営に来ている篠原さんがぽつりとつぶやいた。


「はい。森の雰囲気、出てきましたよね」

メイは、少しだけ誇らしげにうなずいた。


午後になると、いよいよメインとなる写真パネルの搬入が始まった。

仮配置とレイアウト調整が行われ、スタッフたちが慎重に一枚ずつ壁にかけていく。


「おい、気をつけて扱えよ」


篠原さんの声に、男性スタッフが思わず背筋を伸ばしながら、そっとパネルを掲げる。


それぞれの写真の前には、小さなブックレストが置かれていった。

そこに飾られるのは──葛城書店の柳森淳子が選んだ本たち。

写真の世界観に寄り添うように選ばれた一冊一冊と、その選書理由が書かれたPOPカード。

焚き火のオブジェ、小枝や落ち葉のディスプレイも加わり、会場の空気はさらに奥行きを増していく。


やがて夕方。今日予定していた作業が一通り終わり、展示エリアはひとつのかたちを見せ始めていた。


「……あとは微調整ってとこかな」


篠原さんが腕を組みながら言う。


「そうですね。リーフレットの置き場とか、細かい部分は明日詰めます。

それにしても……見事ですね。二日でここまで仕上がるなんて」


「いやいや、たいしたことないって。……まあ、俺の手にかかればチョチョイのチョイだけどな!」

そう言って、篠原さんはガハハと豪快に笑った。

それにつられて、メイも笑う。


もうすぐ完成──そう思うと、胸の奥に、静かだけれど確かなうれしさがこみ上げてきた。


展示作業を終えたメイは、篠原さんとともにエリアを後にし、ラフォーレの控え室へと向かっていた。

ふと視線を向けると、レジに沙織の姿が見える。


「あ、沙織さん」


篠原さんに軽く会釈して別れ、メイはレジへと歩み寄った。


「メイちゃん、お疲れ。展示の方はどう?」


「ええ、かなり仕上がってきました。

……ところで、最近、凛々花ちゃんって来てます?」


「凛々花ちゃん? 二日に一度くらいは顔出してたけど……ここ何日かは見てないわねぇ」


「そうですか……」


「何か用?」


「用ってほどじゃないんですけど……展示、見せたいなって思ってて。今回の目玉なので、公開前に一度見ておいてほしくて……」


ーーそんなとき。


カランコロン。


エントランスのドアに取り付けられた小さなベルが鳴る。


「ふふっ。噂をすれば、ってやつね」


沙織が笑いながら顔を上げると、エントランスに立っていたのは──


「あ、凛々花ちゃん!」


「……メイちゃん」


名前を呼ばれて、凛々花がふっと笑った。

──けれど、その笑みはどこか作り物のようで。

いつもより少しだけぎこちない表情だった。

……けれど、メイはそれに気づかなかった。


「凛々花ちゃん、ちょっと見てほしいものがあるの」


メイは凛々花のそばまで駆け寄ると、その手を軽く引き、展示エリアの方へと歩き出す。


その後ろ姿を眺めながら、沙織がぽつりとつぶやいた。


「いつの間にか、あのふたり……」


「……仲良しになった」


いつの間にか、傍らにユキが立っていた。

ぼそりとそう言ったかと思うと、すぐにまた厨房の方へ戻っていく。


「う、うわっ!……あれだけ音も立てずに現れるのって……幽霊かユキくらいよね……」

沙織は肩をすくめながら、苦笑いを浮かべた。



展示エリアに戻ったメイは、凛々花を静かに案内した。

白い壁に、ところどころ葉の模様が浮かぶ。

木々の影を映すような照明、さりげなく置かれた小枝や落ち葉──

どこか森の中を思わせる空間に、いくつもの写真パネルが並んでいた。


その奥、ひときわ大きな一枚。

それが、凛々花の写真だった。


凛々花はゆっくりと歩み寄り、その前で足を止めた。

メイも、少し後ろからその横顔を見つめる。


「……どう、凛々花ちゃん?」


声をかけながら、メイはそっと凛々花の顔を覗き込む。

けれど、そこにあったのは笑顔ではなかった。

むしろ、曇りがかったような、不安げな表情だった。


──あれ?


心の中に、かすかなざわめきが広がる。

もっと、喜んでくれると思ってた。

うわぁって笑ってくれると、勝手に期待していた。


そんな時──


「……メイちゃん」


ぽつりと落ちた凛々花の声は、小さくて、それでもはっきりと届いた。


「……こんなので、いいのかなぁ」


壁にかかった自分の写真を見つめながら、ふいにそうこぼした。


その瞬間、凛々花の中に浮かんできたのは、ずっと昔の景色だった。



教室の隅。遠くから、こちらを見ながらヒソヒソ話す誰かたち。

近づいてこようとせず、ただ距離を置いているだけの視線。

自分がその輪の外にいるのを、子どもながらにはっきりと感じていた。



「……えっ?」


メイが問い返すと、凛々花は目を逸らさず、静かに続けた。


「……こんな私のじゃ……だって、今回はメイちゃんとか、淳子さんとか、いるんだよ……」


その表情は、メイにとって初めて見るものだった。

まるで小動物が茂みの中で息を潜めるような、不安と戸惑いを隠そうとする顔。

それでもメイには、凛々花の気持ちが少しだけ分かる気がした。


ひと呼吸置いて、メイはそっと言った。


「……大丈夫だよ。だって、こんなにいい写真だもん」


その言葉に──凛々花は笑った。

けれどその笑顔は、本当の気持ちを奥に隠して、表紙だけ差し替えたような笑顔だった。


メイは、気づいていた。

──この子、まだ迷ってる。


ふと、展示台の上に置かれた一冊の本が目に入った。

淳子が選んだエッセイ集『風景万葉』。

その横に添えられた選書理由のPOPには、こんな言葉があった。



「この子の写真、なんていうか──話してこないのに、言葉より深く染みてくるんです。

木漏れ日とか、空気の温度とか、あの子の気配が、写真の中にずっと残ってるみたいで。

そんなときに思い出したのが、この本だったんです。

季節や空気を、“体で知る”って感覚。

ここに綴られている日々を丁寧に感じることって、たぶん写真とすごく近い。

だからこの本を、写真の下にそっと置いておきたくて選びました。」



「このPOP、淳子さんが、凛々花ちゃんの写真を見て書いたんだよ」


メイがそっと声をかける。


「それだけ、人の心を動かす力があるんだよ。凛々花ちゃんの写真には」


凛々花はPOPの文字を読み、静かに本に手を伸ばした。

ページをめくる指先が止まったところに、こんな言葉があった。



「空を染める色は、夕焼けだけじゃない。

朝霧の白も、雨雲の灰も、どれも空のかたち。」



さらにページをめくる。



「風の音は、誰にもまねできない。

強く吹く日も、ただ通り過ぎる日も、それがその風の在りかた。」



くっと、小さく息をのむ凛々花。

メイは、言葉を挟まず、そっとその横顔を見守っていた。


しばらくして──凛々花はぽつりとつぶやく。


「……ありがとう」


かすかに震える声だった。


そしてメイの方を見て、今度はさっきとは違う、少し吹っ切れたような笑顔を見せた。


「メイちゃん……この本って、買えるの?」


「今はここでは売ってないけど……葛城書店なら、あると思うよ」


「……そっか」


本をじっと見つめる凛々花の表情は、さっきよりもずっと柔らかかった。


「私、ちょうど買いたい本があってさ。

このあと、行ってみる?」


メイの問いかけに──


「……うん。行く」


凛々花は、いつものようにニコッと笑った。


いつもと同じ凛々花の笑顔。

でもメイは、ほんの少しだけ違う気がした。


──ちゃんと、自分の意志で笑ってる。


気のせいかもしれない。

でもメイは、そう感じていた。


ふたりは、並んで展示エリアを後にする。

目的地は──葛城書店。


◇◇◇


夕暮れ前の葛城書店。


駐車場にバイクを止め、ヘルメットを外した梓は、ポケットからスマホを取り出し、目的の本の画面を開いたまま──店内へ足を踏み入れた。


カウンターにいたスタッフの女の子に声をかける。


「この本、ありますか?」


スマホの画面を見せると、スタッフは軽く会釈して答えた。


「少々お待ちください」


端末を操作して在庫と棚番号を検索する。


「一冊だけ在庫があるようです。ご案内しますね」


梓は黙ってうなずき、スタッフのあとをついていく。



その少しあと。

別の入り口からメイと凛々花が入店した。


「このへんだと思うんだよね……あ、これこれ!」


メイが平積みの本の中から目的の一冊「風景万葉」を見つけて振り返る。


「凛々花ちゃん、あったよ──」


けれど、隣にいたはずの凛々花の姿がない。


「あれ……? 凛々花ちゃん?」



ーー 一方、そのころ。


「こちらです」


「ありがとうございます」


スタッフに案内され、棚の前に立つ。

梓はそっと──目の前の一冊を手に取った。


『ソロ派のための グルキャン処方箋』。

ページをめくりながら、わずかに迷うような仕草。


──“私”が“誰か”と過ごす時間に、意味があるのだろうか。


そのとき。


「それ、グルキャンって書いてある?」


静かな声に、梓の肩がピクッと跳ねた。


顔を上げると、ふんわりとした雰囲気の女の子が、にこにことこっちを見ていた。


──この子、たしか……


「梓ちゃん……だよね? グルキャンって、何?」


不思議そうに首をかしげる凛々花。

その無邪気さが、妙にこたえる。


「え、あ、ちが、これは──」


とっさに、隣の棚にあった本を手に取る。


「これだよ。これ買うの」


手にした表紙には、堂々たる金文字。


『月刊ミュー臨時増刊号 特集・未確認飛行物体は実在した!?』


「凛々花ちゃん? こんなとこに……あれ? 梓ちゃん?」


後ろからメイの声がした。


「あ……メイまで……」


バツの悪そうに立ち尽くす梓。

手には“それっぽく”隠した雑誌と、明らかにそれじゃないタイトル。


「へぇ〜!梓ちゃんも、UFOとか好きなんだ?」


「え、あ、まぁ……」


「私も臨時増刊号、買って帰ろうと思ってたんだ〜。やっぱその特集、気になるよね!」


「……ちょっと、買ってくるわ」


半ば強引に言い放つと、梓は『グルキャン処方箋』を『ミュー』で挟みながらレジへ向かう。


すれ違いざま、凛々花の耳元でボソリとささやいた。


「メイに言ったら……ただじゃおかねーからな」


「うん。グルキャンなんて、言わないよ」


凛々花が素直にそう返すと──


「まったく!言うなって!」


梓は小声で叫んで足早にその場を離れていった。


ぽかんと見送るメイが尋ねる。


「……凛々花ちゃん、なに? グルキャンって……?」


「よくわからない」

と笑う凛々花だった。


◇◇◇


その夜。

梓はベッドに寝転がりながら、一冊の本を読んでいた。


──『ソロ派のための グルキャン処方箋』。


今日、葛城書店で手に入れたばかりのそれを、ページの端を軽くつまんで、ゆっくりとめくっていく。


ふと、ある一節に指先が止まった。


『ソロこそキャンプだと思ってきた。誰かと行くのは、正直めんどくさい。』


「……分かるな、これ」


ぽつりと、こぼれるようにつぶやく。


また数ページめくる。


『でも、笑い声が残るキャンプって、ちょっとだけ、いい。』


『距離を置くことで守ってきた時間を、誰かと分け合える日が来るなんて──』


開いたページを胸の上にそっと落とし、梓は天井を見つめた。

言葉にはならないまま、頭の奥のどこかで、何かがじんわりとほどけていくような感覚。


「……そんなもんなのかな、誰かと行くキャンプって」


ぼそりとつぶやく声は、どこか照れくさく、でもやわらかかった。


机の上には──

何事もなかったように、『月刊ミュー臨時増刊号 特集・未確認飛行物体は実在した!?』が、きちんと置かれていた。



ここまで読んでくださってありがとうございます!

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