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第92話 凛々花と行ったマウントワン


あたりが少しずつ薄暗くなってきた頃、メイと詩音、そして凛々花の三人は、アウトドアショップ「マウントワン」に着いた。


ガラス扉の向こうでは店内の明かりが煌々と灯り、棚にはテントやシュラフ、ギア類がずらりと並んでいる。


自動ドアが静かに開く。白い照明が足元まで届いて、金属棚の匂いと新しいナイロンの気配がふわっと近づいた。真正面には大型のドームテント。


「やっぱ、大きいテントっていいよねぇ」


詩音が早速、テントの前室に置かれていたローチェアに腰を下ろす。


「凛々花ちゃんもこっちおいでよ」


手招きすると、凛々花は小さくうなずいて、そっと詩音の隣に腰を下ろした。


「……おうち、みたい」

天井を見上げたまま漏れた声は、小さくても、まっすぐだった。


「あー、私も最初、同じこと言ったよ」

詩音がクスッと笑って応じる。


凛々花は微笑みながら、きょろきょろと周囲を見渡している。その様子がなんだか小動物みたいで、思わずメイも口元を緩めた。


そのメイはテント内に入り込み、奥のインナーテントを覗き込んでいた。

「この広さなら、けっこうマット敷けそうだよね」


メイの言葉に背中を押されたように、詩音がすくっと立ち上がる。

「よーし、マット見に行こっ!」


「うん」

メイも頷いて、足元に気をつけながら前室を出る。


そのすぐあとを、凛々花もふわりと立ち上がって、二人の後ろにぴたりとついていった。



マットコーナーにやってきた三人。

棚にはさまざまなサイズやカラーの寝具マットが並んでいる。


「わぁ、いっぱいあるね〜」

詩音が目を輝かせながら言う。


「梓ちゃん、厚さは8センチ以上がいいって言ってたよね」

そう言いながら、メイは人差し指と親指で厚みを示すような仕草をしてみせた。


その時だった。

「こんばんは」

聞き慣れた声がして、振り向くと、あのマウントワンのお姉さんがこちらに歩いてきていた。


「あ、お姉さん!」

詩音が嬉しそうに手を振る。


「この前、チェア買ったときはお世話になりました〜」

ぺこりと頭を下げた詩音に、お姉さんもにこやかに頷く。


「え、あのローチェアって、詩音もここで買ったんだ」

意外そうにメイが言うと、


「うん。実はね、仕事帰りにひとりで来て、座ってみたら何か急に欲しくなっちゃって……そのまま衝動買い」

詩音は少しはにかみながら笑った。


「今日は、マットですか?」

お姉さんがそう尋ねると、


「はい……」

メイが答えかけた、その時。


「あの……」

凛々花が、お姉さんの背後から声をかけた。


「はい?」

振り返ったお姉さんに向かって、凛々花がふわりと微笑みながら言う。


「写真、撮ってもいいですか?」


一瞬の静けさのあと、お姉さんも柔らかく笑って頷いた。

「もちろん、どうぞ」


「ありがとうございます」

凛々花はもう一度ニコッとすると、バッグからレトロなカメラを取り出し、ふらりと売り場の奥へ歩いていった。


その後ろ姿を、メイは少し心配そうな表情で見つめている。

一方で詩音は、どこか安心したような笑みを浮かべていた。


ふたりはマットの棚のほうへ向き直し、あれこれと選びはじめる。


「このエアマットとか、小さく収納できてよさそうじゃない?」

メイがパッケージに入ったマットを手に取り、プライスカードの説明書きを見ながら言う。


「んー、こっちのも軽くて、色がかわいくない?」

隣で詩音も別のマットを持ち上げて、顔を近づける。


そこへ、店員のお姉さんがにこやかに間に入った。

「エアマットは収納性は高いんですけど、膨らませるのがちょっと大変っておっしゃる方も多いんですよ」


「たしかに……息が上がりそう……」

詩音が苦笑しながら言うと、メイがすかさず返す。


「さすがに口で膨らませないでしょ。ポンプとか使うんじゃない?」


「そうですね。ポンプ内蔵のものもあるんですが……」

お姉さんが言いながら、ひとつのマットを指さす。

「こちらのインフレーターマットなら、バルブを開けるだけで自然に膨らみますよ。扱いやすいですし、初めての方にもおすすめです」


「ほえ〜、勝手に膨らむんだ」

詩音が目を丸くする。


「大きさって、どう選べばいいんですか?」

メイが少し真剣な顔で尋ねる。


「そうですね。肩がマットから落ちちゃうと寝づらくなっちゃうので、お二人でしたらこの幅60センチくらいのタイプがちょうどいいと思います」

そう言って、お姉さんはベージュカラーの展示品に手を伸ばした。


「この色、好きかも」

詩音がぽつりと言う。


「よかったら、横になってみますか?」

お姉さんの提案に、ふたりは顔を見合わせると、声をそろえて言った。


「はいっ!」



お姉さんが、後ろの人工芝スペースにベージュのインフレーターマットを一枚敷いてくれた。


「どうぞ、お試しください」


「おじゃましまーす!」

詩音が靴を脱いで、マットの上にごろりと寝転ぶ。


「おー、ふかふかだよ。メイちゃんも寝てみてよ」


促されて、メイも横になる。


「……ほんとだ。いいね、これ」


「この厚みがあれば底付き感もないですし、地面からの冷気もだいぶ遮断できますよ」

横でお姉さんが補足する。

「それに、こちらは空気のバルブが2つ付いているので、空気抜きも早くて撤収が楽なんです」


メイはマットの上から起き上がりながら言った。

「……私、これにしようかな」


「私も!」詩音がすぐに声を上げる。


お姉さんが続けて教えてくれた。

「ちなみにこちら、連結用のボタンもついてるので、二つ並べてダブルサイズとしても使えますよ」


「おー、いいねぇ〜!」

ふたりがハモるように声をあげる。


迷いなく、ふたりはこのベージュのインフレーターマットを購入することに決めた。


「では、こちらお預かりしておきますね」

お姉さんはそう言って、マットが入った箱ふたつに、「売約済み」のシールを貼った。

シールが貼られる“ペタリ”という音に、買い物の実感がやっと降りてくる。


その様子を眺めていたメイが、ふと顔を上げる。

「……凛々花ちゃんは?」


「うん、あそこで写真撮ってる」


詩音が視線を向けた先には、テントの周りでカメラを構える凛々花の姿。

少し離れた場所で、レンズ越しに何かを見つめたかと思えば、次の瞬間にはテントを見上げて、また一枚。


「なんか、連れてきちゃったけど……楽しいかなぁ」

メイが小さくつぶやく。


「んー、楽しそうに見えるけどなぁ」

詩音はくすっと笑って、カメラを構える凛々花の横顔を見つめた。


「あ、そうだ!」

詩音が思い出したように声を上げる。

「私、テーブルも欲しかったんだよね」


「そっか。たしかに、私の小さいやつだけじゃ、二人で使うにはちょっと狭いかも」


「おふたりとも、あのローチェアをお使いでしたよね?」

お姉さんが、展示されているカラフルなチェアを指差す。


「はい、そうです」

メイがうなずくと、

「ではテーブルのコーナーへどうぞ。こちらです」

お姉さんが案内を始め、ふたりはその後について歩き出した。


「あのローチェアでしたら、テーブルの高さは20センチ以下の方が過ごしやすいと思いますよ」

お姉さんが言うと、詩音が近くのディスプレイを指差した。


「これなんか、ちょうどいいんじゃない?」

そこに置かれていたのは、シルバーの折りたたみテーブル。


「あ、それ、私のと一緒だ」

メイが笑う。


「あとはこちらとか……」

お姉さんが何点か案内する中で、ひとつの木目調のテーブルにメイの目が止まった。

蛇腹式の天板をもつローテーブル。高さは15センチほどか。


「この高さ、ちょうどいいかも」

「うん、木目っぽくて可愛くない?」詩音も身を乗り出してくる。


メイがそっと手で天板をなぞる。

「あ、本当の木じゃないんだ」


「こちら、アルミ製なんですよ。だから熱い鍋も直接置けますし、軽くて組み立ても簡単です。耐荷重はおよそ30キロです」

お姉さんはテーブルを畳んでみせてから、メイに手渡す。


「うわ…思ったより軽い」

「え、貸して貸して!」詩音が肩を寄せてくる。

「ホントだ。軽いね」

ふたりは顔を見合わせて、ニコッと微笑み合う。


メイはその場で組み立ててみた。仕組みは自分のテーブルと似ている。


「手際、いいねー」

詩音が楽しげに声をかける。


「……ちょっと大きくない?」

テーブルを抱えたまま、メイが言う。


「でも、二人で使おうと思ってるから、このくらいがいいな」

そう言って、メイからテーブルを受け取った詩音は一度バランスを確かめるように両手で持ち直し、ふっと顔を上げた。


「私、これにする!」


店員のお姉さんがすばやく在庫を取りに行き、折りたたみテーブルの箱に“売約済み”のシールが増えた。


ちょうどそのとき、ふらりと凛々花が戻ってくる。


「おぉ、凛々花ちゃん。おかえり」

メイが声をかける。

「写真、とれた?」と詩音。


凛々花は小さくうなずくと、カメラのモニターを操作した。

「見せて!」詩音が身を乗り出す。


自然と三人の頭が近づく。


映し出された写真たちは、まるで小さなキャンプがそこに広がっているかのようだった。

大きなテントの内側を優しく照らすランタンの明かり。

スキレットやクッカーが整然と並んだディスプレイは、料理の香りすら漂ってきそうだ。


「うあ、なんかいい!お姉さんも見て!」

詩音に促されて、マウントワンのお姉さんもそっと覗き込む。


「…うちの店のディスプレイじゃないみたい……」

どこか感心したように呟いた。


凛々花がさらに写真を送っていくと、今度はお姉さん自身が写っている一枚。

メイと詩音に商品を説明している最中の、生き生きとした横顔だった。


「あら……」

思わず声が漏れる。


「私……これ、プロフの写真にしたいくらいだわ」

お姉さんが笑いながら凛々花を見ると、凛々花もニコッと柔らかく微笑んでいた。


さらに次の写真。

メイと詩音、ふたりで商品を手にしているショット。

寄り添って、笑いながら何か話しているその一瞬が、しっかりと収められていた。

手にしているのは、さっきのテーブル。

コンパクトにまとまった姿を見つめながら、ふたりは楽しそうに笑っていた。


「…なんか、いいね」

メイがぽつりと呟く。

「うん」

詩音も頷く。


ふと凛々花のほうを見ると、その顔にも、静かな微笑みが浮かんでいた。


「ありがとう」

メイはそう言って、カメラをそっと返した。

凛々花はニコッと笑い、ほんの少しだけ頭を下げる。


その姿を見つめながら、メイは一瞬、迷った。けれど—— 口にしてみた。


「凛々花ちゃん、一緒にキャンプ行かない?」


その言葉に、詩音もすぐ反応する。

「そうだよ、行こうよキャンプ!」


凛々花の表情が、ふと止まった気がした。

ほんの一瞬、笑みを残したまま、顔を少し上げて空を仰ぐような仕草。

沈黙。


(あれ……まずかったかな?)

メイの心の中に、不安がよぎる。


けれど、凛々花はそっと視線を戻し、言った。


「……また今度、?」


なぜか語尾が疑問形。

でも、その言い方は、どこか少し、照れくさそうだった。


「うんうん、今度でいいから! 一緒に行こうよ!」

詩音が明るく返す。


「そうだね。その時は、みんなで計画しよう」

メイも笑顔を向けた。


凛々花は、胸のあたりでカメラをギュッと抱きしめるように持ち、

もう一度、ニコッと、静かに笑った。


◇◇◇


レジを終えた二人が、凛々花と一緒に店の外へ出る。


「凛々花ちゃん、初マウントワン、どうだった?」

メイがやさしく尋ねる。


「うん……たくさん、話せたよ」

カメラを見つめながら、凛々花がぽつり。


(話せた……?)

メイの胸に、ほんの小さな疑問がよぎる。

でもその顔がどこか満ち足りて見えて、思わず微笑んでしまった。


「そっか……なら、よかった」

メイはほっとしたように微笑んだ。


「うわー、お腹すいた〜!」と詩音。

「だね。なんか食べてこうか?」とメイ。


「うん!凛々花ちゃんも行こうよ」


凛々花はほんの少し考えてから、言った。

「ごはん……おうちで作ってるから」


「あ、そうだよね。じゃあ、今度行こうよ」

メイがやさしく答える。


「三人で女子会!絶対やろうね、凛々花ちゃん!」

詩音が笑顔で言うと、凛々花は軽くうなずき、駅の方へ歩き出した。


その背中を、メイと詩音がしばらく見送る。


すると——

凛々花がふと立ち止まった。

振り返って、小さく首を傾げ、手をひらひらと振る。

そして、やさしく微笑んだ。


メイと詩音も、にこやかに手を振り返す。

凛々花は、もう一度前を向いて歩き出した。


「凛々花ちゃん、楽しかったのかなぁ……」

ぽつりとメイ。


「きっと、楽しかったと思うよ。……あの写真、見て、そう思った」


「そうか……そうだよね。きっと」

メイも、小さくうなずく。


「今度、キャンプ……ちゃんと誘っちゃおう!」


「その前に、私たちのキャンプ、楽しまないとだね」


ふたりは顔を見合わせ、ふわりと微笑んだ。


「さーてと、ごはん、何食べに行こう?」

「なんか、すっごくお腹すいてきた」


「そういえば……沙織ちゃんが駅前で美味しいお店見つけたって——」


「えっ、それってどこどこ!?」


そんな賑やかな声を、夜の矢鞠の街が、やさしく包みこんでいた。



◇◇◇


その日の夜。

梓は自分の部屋でベッドに寝転び、スマホ片手に、次に行くキャンプ場を探していた。


スクロールしながら地図を眺めていると、ふいにスマホが震える。

グループ《Rain》からのメッセージ通知。


開いてみると、詩音からだった。

『マットとテーブル、買ったよ!』


添付されていたのは、どこかのショップで撮った一枚の自撮り写真。

カメラに近い位置でピースしている詩音。

その後ろで、マットの袋を抱えて笑っているメイ。


そしてもう一人——


テーブルの袋を両手で抱えて、ふわっと微笑む見知らぬ女の子。


(……誰、この子?)


そう思った瞬間、もうひとつ通知が届いた。


『メイちゃんと私と凛々花ちゃん!』


(凛々花……ふーん)


梓はひと言、

『よかったじゃん』

とだけ返した。


メッセージの画面に並ぶ、詩音とメイの楽しそうな笑顔をもう一度見て、梓はふっと微笑んだ。


そしてまた、静かにスマホの画面をキャンプ場の検索に戻した。



ここまで読んでくださってありがとうございます!

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