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第89話 私をラズベリーモールへ連れてって


秋晴れの平日の午前。

メイは久しぶりに、白いプジョー208のハンドルを握っていた。

目指すは、瀬原市にある詩音の家。


——きっかけは、昨日の昼休みのことだった。


カフェ・ラフォーレ リーヴルスの控え室。

ペットボトルのお茶を片手に、ひと息ついていたメイの前に、賄いのホットドッグプレートを持った詩音が現れた。


「お疲れ〜。今からお昼?」

「うん。メイちゃんは休憩?」


向かいに腰を下ろしながら、詩音が尋ねる。


「とりあえず、展示の進行表ができたから、ひと段落ってとこ」

 メイがそう答えて、椅子に座ったまま伸びをする。


「そうそう、メイちゃん。明日なんだけどさ——」


詩音の声に、メイの頭にスケジュールが浮かぶ。

明日は午後から、梓を交えて11月のキャンプ計画を立てる予定の日。


「午後からだよね?」

「うん。でさ、午前中って空いてる?」

「午前中は、家の片付けとか……」

「ってことは、空いてるよね!」

「え、だから……」


詩音がぐいっと身を乗り出してくる。


「午前中、ラズベリーモール、行かない?」


「……ラズベリーモール?南前田の?」


「そうそう!あそこね、モンレルとかフェローピークの直営店が入ってるんだよ。行ってみたくない?」


「まぁ、前から気にはなってたけど……」


「行こうよ!せっかくお休みかぶってるんだし」


声の調子が、いつもよりほんの少し高くなる。


「梓ちゃん、仕事で午後から来るって言ってたじゃん?だからその前にさ、ちょっとだけでも……」


メイは迷いながらも、静かにうなずく。


「うん……まぁ、いいけど」

「やった〜!」


笑顔の詩音が、勢いよくガッツポーズを決める。


「南前田って、田園都市線……だよね?」


スマホを取り出して路線を調べようとするメイに、詩音が、やけに遠慮がちな声で言った。


「で、さ……できたら、メイちゃんの車で行きたいな〜……って」


「……車で?」


「うん。この前、メイちゃんち行ったとき、あの白い車、なんか可愛いなって思って。乗ってみたいな〜って……」


言いながら、あからさまな上目づかい。

メイは思わず、吹き出しそうになった。


「……わかったよ。出すよ、車」

「やったぁーーー!!」


勢いよく立ち上がり、両手を上げてバンザイする詩音。

「ドライブ、ドライブ〜♪」と、小さくステップを踏む。


それを見て、メイはふっと笑った。



そして今——

ハンドルを握る手は、なんのためらいもなく前を向いていた。


運転は嫌いじゃない。むしろ、どちらかといえば好きなほうだ。

けれどこの車に乗ろうという気持ちには、なかなかなれなかった。


白いプジョー208。


乗るたびに、どこかにお父さんの面影がよぎったから。

いや、面影というほど鮮明なものですらなくて——

そのこと自体を、無意識に心の奥にしまい込んでいたのかもしれない。


あの夏、西伊豆の安久里に行って。

おばあちゃんの顔を見て、あの町の空気を吸って。

少しだけ、何かがほどけた。

ほんの少し、前に進んでもいいと思えた。


そんなことを、ふと思いながら。

メイは、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。



瀬原市にある詩音の家は、夏祭りのときに一度訪れたことがある。

でもその時は電車だった。車で行くとなると、やっぱり少し勝手が違う。


「たしか、この辺だったよなぁ……」


ナビの案内に従って住宅街の角を曲がると、見覚えのある道が視界に入ってきた。


数軒先に、ひとり佇む姿が見える。

ーー詩音だ。


スマホを眺めながら、門の前に出てきて待っていたらしい。

まるで、玄関先で“今か今か”とスタンバイしていたような気配だった。


メイが車をゆっくりと近づけると、詩音が顔を上げて、ぱっと手を振った。

助手席側の窓を下ろすと、満面の笑みが飛び込んでくる。


「メイちゃん、おはよー!」

「おはよう」


メイが返すと同時に、詩音は肩にかけていた小さな円筒形のバッグを前に突き出した。


「じゃじゃーん!」

「……何それ?」

「ローチェアだよ!メイちゃんと同じやつ。買っちゃったー!」


まるで新しいぬいぐるみを見せびらかす子どもみたいな顔で、嬉しそうに言う。


「へぇ……そうなんだ。でも、それ……どうするの?」


「え? メイちゃんちで使うんだよ」


「……え?」


言葉に詰まったメイが、なんとなく続きを飲み込む。

なんかもう、いろいろ聞いたら負けな気がして。


「……まあ、いいや。乗って」

「はーい!おじゃましまーす!」


そう言いながら、詩音はテンション高く助手席に乗り込んだ。


「わぁ〜、中、案外広いんだね!」

本革があしらわれたシートに身を沈めながら、感心したように言う。


「こう見えて、3ナンバーだからね」

「へぇ〜、なんか高級感ある……じゃあ、出発進行〜!」


詩音のウキウキが詰まったような掛け声とともに、車はゆっくりとラズベリーモールへ向けて動き出した。


◇◇◇


瀬原の住宅街を抜ける道すがら、詩音が窓の外を眺めながら言う。


「メイちゃんの車、やっぱ可愛いよね〜。なんて名前の車なの?」

「プジョー。プジョー208っていうやつ」

「プジョー……?それ、どこの車?」

「フランス」

「ほぇ〜。おフランスかぁ……ボンジュール、マドモアゼ〜ルぅ〜!」


突然、巻き舌で謎のフランス人っぽさを演出し始めた詩音に、メイは思わず吹き出した。


そして、その笑いの合間に——ふと、気がつく。


「あっ」


「え、どうしたの?」


「……たぶん、初めてかも。身内以外の人を、この助手席に乗せたの」


「え〜、そうなんだ!じゃあ、私が初めての女ってわけですな〜」


いたずらっぽく笑う詩音に、メイは「はいはい」と軽く流しながら、つい笑みがこぼれた。


友達と車で出かけてるって、こんなに楽しいんだ——

そう思いながら、メイはゆっくりとアクセルを踏んだ。


◇◇◇


車はやがて国道に出た。

通勤ラッシュを過ぎた時間帯ということもあって、流れはスムーズだった。


「ねえ、詩音って……免許、持ってるの?」

ふと、メイが問いかける。


「うん、一応ね。でも、運転したことほとんどないかも」

詩音は悪びれた様子もなく、助手席で体を揺らしながら答える。


「だいたいさ、お父さんとかお母さんとか、お姉ちゃんとかが運転しちゃうの。で、私には“乗ってればいいよ”って」


「……まあ、鉄砲玉だもんね。ある意味、正解」


「ん?今なんか言った?」


「いや、別に」


「ふ〜ん」

そう言いながら、詩音はニコニコと窓の外を眺めている。


メイは思わず、クスッと笑った。


その頃にはもう、ラズベリーモールの看板が前方に見えてきていた。


◇◇◇


ラズベリーモールに到着した二人。

駐車場の建物をあとにすると、テラスのような通路に出た。


目の前に広がるのは、まるでひとつの街のような風景。

青空の下、石畳のような広い歩道にショップが並び、整えられた植え込みやベンチがところどころに配置されている。

ショッピングモールというより、ちょっとした郊外の街並みそのものだった。


「なんか広くない!?ショッピングモールって言うより、街だよ、街!」


詩音が手すりに両手をかけて、乗り出すように言う。

そのテンションに押されるように、メイも隣に並んで外を見渡した。


「初めて来たけど……ほんと、おしゃれな“街”って感じだよね」


そう言いながら、自分でも少し気分が高まってきているのを感じる。

日差しの心地よさと相まって、少しだけ背筋が伸びたような気がした。


きょろきょろと周囲を見ながら歩いていると、ひときわ目立つ看板が目に入った。


「あった!モンレル!」


詩音が勢いよく指差して、小走りで駆けていく。

その後ろを、メイも自然と歩幅を早めてついていく。


入口の上に掲げられた、深緑の文字の看板。

『Mon-rell』と品のある書体で記されたロゴを見上げながら、二人は思わず顔を見合わせた。


「なんか、ワクワクするね!」


詩音の目がキラキラしている。

メイもうなずきながら、ふっと顔がほころぶのを自分でも感じていた。


自動ドアが静かに開く。乾いたコットンと新しいナイロンの匂いに包まれながら、二人は店内へ足を踏み入れた。


入ってすぐ目に入ったのは、淡いタンカラーの大きなツールームテント。

展示スペースの中央に堂々と設営されていて、思わず足を止めてしまう。


前室には、折りたたみのウッドテーブルとサンドベージュのローチェアが二脚。

その横には木製のラックが置かれ、ランタンやクッカーが整然と並べられている。

まるでモデルルームのようなディスプレイだった。


「ねえ、テントの中、入ってみようよ!」


詩音が声を弾ませながら言う。

天井まで約2メートル、しっかりと囲まれた前室は、想像以上に広くて落ち着いた雰囲気だった。


「わぁ、ここ……なんか、お家みたいだね〜」


ローチェアに腰を下ろした詩音が、天井を見上げながらぽつりと言う。


メイもその隣に腰を下ろし、視線をゆっくり巡らせる。


「うん……テントって感じじゃないね。リビングみたい」


「このランタンとか、おしゃれだし……なんか、いいな〜」

詩音がうっとりしたように言いながら、ラックに目をやる。


メイは静かに立ち上がって、奥のインナーテントを覗き込む。


「こっちも広いよ」


「ほんとだ……」

詩音もすぐに立ち上がって、横に並ぶ。


中は想像以上に奥行きがあって、シュラフやマットを敷いたらすぐにでも寝られそうな雰囲気だった。


「これ、5人くらい寝れそうじゃない?」


「え、5人はちょっと……きつくない?」

メイが首をかしげると、詩音は「えー、いけるって〜」と笑う。


そんな他愛もないやりとりが、なぜか楽しい。

ふたりの声が、静かな店内に明るく響いていた。


ディスプレイされたツールームテントから離れ、二人は店内奥の棚へと足を向けた。

そこには、キャンプ用のギアや小物がずらりと並んでいる。


「あ、このポーチ、可愛くない!?」


詩音が棚から手に取ったのは、深緑のファスナーポーチ。

手のひらサイズの割に収納力がありそうで、ロゴのタグもさりげなくておしゃれだった。


「こっちのちっちゃいベル、熊よけって書いてあるよ……熊、出るんだ……」

メイが思わずつぶやく。


「うわ、このスキレット、セラミックコーティングだって!焦げつかないの、神〜!」


詩音はあちこちに目を奪われ、しゃがんだり伸びたりを繰り返している。


見るものすべてが新鮮で、心をくすぐってくる。

二人のテンションはすっかり上がりっぱなしだった。



ひと通り小物コーナーを見終えて、奥へ進むと、そこはシェラフ(寝袋)のコーナーだった。


棚には、色とりどりのシェラフが整然と並んでいる。

モンレルの全ラインナップが揃っていて、素材や適正温度、収納時のサイズに至るまで、ひとつひとつ丁寧に説明が添えられていた。

さすがは直営店。展示も情報量も、隙がない。


「……あ、この赤いの。梓ちゃんと同じやつだ」


メイが手を止めて言う。

見覚えのあるロゴと、どこか梓っぽい無骨さを感じるデザインだった。


「これって、マイナス10度まで使えるくらい、あったかいんだ……」

「梓ちゃん、寒がりなのかな?」


詩音がクスッと笑う。

その笑い声につられて、メイの口元にも自然と笑みが浮かんだ。



場所を移して、ふたりはテントコーナーへと足を運んだ。


「モンレルのだけで、こんなにいっぱい種類あるんだね……」


棚をぐるりと見渡しながら、詩音がつぶやく。


メイは立ち止まり、展示横にある説明パネルを読んでいた。


「これ……さっきの、でっかいツールームテントだ。長さ580センチ……」


「でも、スタッフバッグに入れると、こんなに小さくなるんだね」


詩音がその隣に置かれたコンパクトな収納袋を不思議そうに眺める。


メイが別のテントの説明を読んでいると、詩音がふいに声をあげた。


「あっ、このテント、私のと同じかも!」


詩音が駆け寄ったのは、小さなタンカラーの吊り下げ式テント。

入り口のフラップは開かれ、中の様子が見えるようになっている。


「たぶん、浩太おじさんがくれたのと同じやつだと思う」


メイも近づいて、説明ボードを読んだ。


「『月明かりの中でも簡単に設営可能』……って書いてあるね」


「うん。そんなこと、おじさんが言ってた」


「……まだ張ったことないの?」


「なんか、ずっとバタバタしててさ」


詩音はちょっと照れくさそうに笑った。


入り口のそばには、『中に入るときは靴を脱いではいってね』と書かれたボードが立てかけられていた。


「ちょっと入っちゃおうかな」


そう言って、詩音は靴を脱ぎ、テントの中に潜り込んでいく。

そして中に座った瞬間、思わず声をあげた。


「おお、いいじゃん!テンション上がる〜!」


中は想像よりも狭かったけれど、ひとり分の空間としては、むしろ心地いい。


「メイちゃんも入ってきてよ!」


メイは一瞬だけ戸惑ったが、好奇心に負けて靴を脱ぎ、テントの中へ。


「これ、“二人用”って書いてあるけど……」


「さすがにぎゅうぎゅうだね」


詩音が笑いながら言う。


「……寝てみよっか」


ふたり並んで仰向けに寝転ぶ。

天井は低いけれど、そのぶん包まれるような感覚があった。


「なんとか寝れるけど……」

メイがぽつりとつぶやく。


「もうワンサイズ大きいのがいいかも」

詩音も笑いながら答えた。


「でも、一人なら十分だよ」


顔を横に向けると、すぐ隣に詩音の笑顔。

ふたりは目を合わせ、そっと微笑み合った。


テントから這いつくばるようにして外に出たふたり。

靴を履いていると、詩音が横の壁にある階段を見つけた。


「ここ、地下があるみたいだよ」

「いや、今2階から入ったんだから……1階に降りる階段でしょ」


そんな他愛ない会話を交わしながら、ふたりは階段を降りていく。


その先には、想像以上に広々としたフロアが広がっていた。

壁際の棚にはリュックやシューズが並び、中央にはハンガーラックがずらりと整列している。

色とりどりのキャンプウェアが天井のライトに照らされ、まるでファッションフロアのような華やかさだった。


「メイちゃん、ウェアいっぱいだよー!」


詩音が声を上げ、さらに目を輝かせながら階段を駆け降りていく。

その後ろ姿を、メイは笑いをこらえるようにしながら追いかけた。


「ねえ見て、このダウン、可愛くない!?この色……くすみラベンダー!最高!」


「わ、ベージュのパーカー……渋い。これ、焚き火似合うやつじゃない?」


「このニット帽、どう思う?このタグ……絶対、あざといよね?」


矢継ぎ早に質問を投げてくる詩音に、メイは「うん、いいね」「似合うと思うよ」と答えるばかりだった。


その様子を見ていて、そろそろブレーキをかけた方がいいかな、とメイは口を開く。


「ねえ、他のお店とかも見てからの方がいいんじゃない?」


その言葉に、詩音の動きがピタリと止まった。


「……それも、そうだね!」


ぱっとメイの方を向いて、けろっと笑う詩音。


まるで、遊び足りないとごねる子どもに「おやつの時間だよ」と声をかけたような——

そんな、切り替えの良さに、メイはまた少し笑ってしまった。



モンレルを出て、すぐ先のフェローピークへ。

フェローピークは、大人っぽくて洗練されたアウトドアブランド。焚き火台が有名なメーカーでもある。


店に入ると、正面には焚き火台のディスプレイが並んでいた。メイが近づいて、そのひとつをじっと見つめる。

自分の持っている焚き火台の、倍くらいの大きさだ。


「このくらい、大きいのもいいと思わない?」

隣にいるはずの詩音にそう問いかけて振り返ると──もう姿がなかった。


きょろきょろと店内を見渡すと、少し離れたウェアコーナーで何かを手に取っているのが見える。思わずふっと笑みがこぼれた。


メイはひとり、ギアの棚を見てまわる。

焚き火台のオプションパーツや、五徳。

マットブラックのケトルは、どこかレトロな雰囲気があって惹かれる。

隣に並んだチタンのマグカップを手に取ると、驚くほど軽かった。


(へえ…こういうのもあるんだ)

そんなふうに楽しみながら、詩音のいる場所へ向かう。


「あ、メイちゃん……」

アウターを一枚ずつ丁寧に見比べながら、詩音が振り向いた。


「シックでカッコいいのが多いんだね。これなんか街でも使えそう…」


さっきまでの勢いとは違って、落ち着いたトーンで吟味している様子に、メイはちょっとホッとする。衝動買い気分が落ち着いてきて、よかった。


──と、思ったのも束の間。


「見て見て、あそこ!チャムジィあるじゃん!」

突然詩音が声を上げ、店の外を指差した。


ウインドウ越しに見える、鳥のロゴマーク。カラフルなディスプレイが目を引いている。


「いってみようか?」

そう言いかけたメイの言葉を置いてけぼりにして、詩音はすでに歩き出していた。



チャムジィの店舗の前に立つふたり。

チャムジィは、鮮やかな色使いとユニークなデザインが特徴のアウトドアブランド。

赤い足の変な鳥、“フーリーバード”をロゴに掲げる、知る人ぞ知る個性派メーカーだ。


「うあー!フーリーバード、可愛すぎ〜!」

詩音のテンションがみるみる上がっていく。

まるでテーマパークのアトラクションを見つけたかのように、声が弾んでいた。


メイが「お店、入る?」と声をかける間もなく、詩音の姿はすでに店内へと吸い込まれていた。


カラフルなパーカーやフリースがずらりと並んだ店内は、たしかに詩音にぴったりの空間だった。

ラックを次々とあさりながら、「これ可愛い〜!」と声を上げる姿は、完全に無邪気な子ども。


「ねえメイちゃん、これどう思う?」

差し出されたのは、パステルピンクに白いラインが入ったフリースパーカー。

裏地はふわふわのボア素材で、見た目以上に暖かそうだった。


「……すごく詩音っぽいと思うよ」

「でしょ!? てことで、試着いってきまーす!」


勢いそのままにもう一着、ターコイズのジャケットも抱えて、試着室のカーテンをバサッと閉じた。


──数分後。


「おまたせっ」

出てきた詩音は、さっきのフリースパーカーを着たまま鏡の前へ。くるっと一回転してポーズを決める。


「ほらほら、焚き火の前で着たら絶対かわいくない? これ!」

「うん……映えるとは思う」

「でしょ〜! もうさ、焚き火待ちって感じしない?」


その得意げな表情に、メイは思わず苦笑い。


──と、そのすぐ横で、詩音はもう一着に袖を通していた。

今度は濃いブルーのパーカー。胸元には、例の赤い足の変な鳥、“フーリーバード”の刺繍がくっきりと目立っている。


「ねえ見てこれ。ザ・チャムジィって感じでしょ!」

「……うん、主張がすごい」

「そう、それが良いんだって!」


満面の笑みでパーカーの裾をつまみながら、ぴょんと跳ねる詩音。

メイはその姿を、あきれ半分、微笑み半分で見つめていた。


「これ、メイちゃん似合いそうだよ!」


グレージュにピンクのラインが入ったパーカーを手に、詩音がメイのもとへ駆け寄ってくる。

パーカーをメイの体に合わせて、満足げにうなずいた。


「ほら、やっぱりメイちゃん、この色、似合うんだよ」


「そ、そうかなぁ…」


照れたように返しながらも、そんなふうに言われると、なんだか少し嬉しくなる。


詩音の勢いに引っ張られるように、メイもなんとなくアウターを見ていた。

ふと目に留まったのは、同じくグレージュのダウンパーカー。

胸元には小さな“フーリーバード”の刺繍、ジッパーの黒いラインがアクセントになっていて、派手すぎず落ち着いた雰囲気。


(これなら……着られるかも)


そう思った瞬間、何気なく値札に目を落とした。


──え……32,200円!?


一瞬で現実に引き戻され、そっとパーカーをラックに戻す。


一方その頃、詩音は帽子にサコッシュ、靴下まで手に取り、両手いっぱいの収穫状態。

それを見たメイが、そっと声をかける。


「詩音、それ全部……買うつもり?」

「……ん?」

「値札、見た?」


詩音の動きがピタリと止まる。

手に持っていたアイテムをひとつひとつ確認すると──


「えっ、ウソ。これ全部買ったら……今月、生きてけないじゃん……」


「そう思ったよ」


「やば……」


しょんぼりと肩を落とし、名残惜しそうに商品を元に戻す詩音。

そのとき、ふと視線の先に、目立つ赤い文字が飛び込んできた。


「……セール、だって!!」


ぱあっと顔が明るくなる。


「メイちゃん、こっちこっち!急いで!」


メイは小さくため息をついたけれど、

そのまま詩音のあとを追って、セールコーナーへと歩き出した。


「おおー、いいのあるじゃん!天は私たちを見捨てなかったんだね!」


詩音は歓喜の声をあげながら、セールコーナーへ突撃した。

ラックには、チャムジィらしい派手なカラーのジャケットやパーカーがずらりと並んでいる。

その中には、落ち着いたトーンのアイテムもぽつぽつと混ざっていた。


メイの視線が、淡いグレージュのフリースジャケットに止まる。

袖口に、小さく“フーリーバード”の刺繍。

ジッパータブだけ、ほんのりコーラルピンク。


詩音が選んでいたビビッドカラーとは対照的に、静かで控えめな佇まいだった。


(……これ、いいかも)


「キャンプは汚れてもいい服装で」

そう思っていたけれど、今日いろんなショップを巡って、少しだけ気持ちに変化が生まれていた。

確かに、ちょっといい服を着ると、気分も上がる気がする。


ふと隣の棚を見ると、アースカラーのコーデュロイパンツが目に入った。

ワイドシルエットで、柔らかそうな素材感。

サイズも合いそうで、グレージュのジャケットとも相性が良さそうだった。


「買っちゃいなよ、メイちゃんも」


いつの間にか背後にいた詩音が、ニヤリと笑って言った。


「うーん……どうしようかなって思ってた」


「メイちゃんが選ぶの、大人っぽいけど柔らかいよね。さすがだわ〜。

……でも、私のやつと並んで写真撮ったら、地味すぎない?」


「大丈夫。詩音が派手だから、バランス取れるでしょ」


詩音がくすっと笑った。

メイも思わず、口元をゆるめる。


ふたりは、それぞれのお気に入りを手に取り、並んでレジへと向かった。


◇◇◇


チャムジィを出たふたり。

詩音は紙袋を片手に、満足そうな笑みを浮かべている。メイも、どこかすっきりとした顔つきだった。


「メイちゃん、お腹すいたね」


腕時計をちらりと見たメイが応える。

「そうだね。まだ時間あるし、ご飯食べて行こっか」


すぐ近くにあった、少しおしゃれなイタリアンレストランに入ることにした。


店内は、落ち着いた照明と木目調のインテリアが心地よく、ちょっと背伸びした大人のカフェのような雰囲気だった。

ガラス張りの窓際の席に通されたふたりは、迷わずランチのボンゴレパスタセットを注文する。


ふぅ、とメイがひと息ついて店内を見渡すと、奥の壁には山と森の写真が飾られていた。


──確かに綺麗な風景。だけど、どこか“撮られた”ことを強く意識させる、そんな押し付けがましさを感じる。


「メイちゃん!」


不意に呼ばれて、メイはハッと顔を上げた。詩音がにやりと笑っている。


「今、仕事のこと考えてたでしょ?」


図星。メイは肩をすくめて笑った。


「うん。ああいう写真見ると、つい、ね」

視線を奥の壁へ戻しながら言う。


「新しい展示の写真かぁ。凛々花ちゃんの写真ってさ、なんか独特だったよね。印象に残るっていうか」


「うん。写真そのものが、何か語ってるような気がして……」


ぽつりとそう言って、メイはふと窓の外に目を向けた。ガラス越しに広がるモールの通りには、平日とは思えないほど人が行き交っていた。

「人、多いね」詩音がぽつりと呟く。

「ここ、駅と直結してるからね。地元の人も多いんじゃないかな」


そういえば──と詩音が思い出したように言った。

「凛々花ちゃん、南前田に住んでるって言ってたよ。ここのモールの近くだって」


「へぇ、そうなんだ。この辺って大きなマンションもあるけど、一戸建てはどれもすごく豪華だよね」


「だよね。もしかしてさ……凛々花ちゃんって、実は“いいとこのお嬢様”だったりして?」

詩音がいたずらっぽく笑う。


「それ、あるかも」

メイも思わず笑ってしまう。


そんなタイミングで、テーブルにふんわりと湯気を立てたパスタが運ばれてきた。


お腹が空いていたメイは、席に着くなりフォークを手に取った。

「いただきます」

そう言って、目の前のボンゴレパスタに早速フォークをくるくると差し入れる。


ふと視線を上げると、向かいの詩音はスマホを構えて料理を撮っていた。


「詩音、そういうとこ、マメだよね」

くすっと笑うメイに、詩音は「んー、まあね」と照れくさそうに笑う。

「なんかさー、いろいろ記録しておきたくて。写真っていうか、日記みたいな感覚?」


パシャリとシャッター音を鳴らし、満足そうにスマホをテーブルに置くと、詩音もようやく手を合わせた。


「いただきまーす!」


一口食べて、思わず目を見開く。

「これ、美味しい!」

「魚介、しっかり効いてるね」

顔を見合わせて、ふたりとも思わず笑った。


フォークが止まらない。しばらくのあいだ、無言でパスタに夢中になるふたりだった。



ガラス越しに見える向かいの建物。その二階にあるモンレルの店舗を、詩音がふと見上げた。


「あそこに、私と同じテントがディスプレイされてたんだよね」


懐かしそうに呟いたあと、手元のフォークを止めて、ぽつりと口にする。


「キャンプ行く前に、テント……いちど張っておいた方がいいかなぁ?」


「その方がいいんじゃない?」


メイが自然にそう返すと、詩音はしばらく考え込んだあと、何かをひらめいたように顔を上げた。


「あっ、メイちゃんもタープ、まだ張ってないって言ってたよね?」


「うん。動画では見たんだけど、実際にはまだ……」


「……よし、タープも張ろう!」


「え、なにそれ」

メイが目を瞬かせると、詩音は得意げな顔になる。


「実はさ、今日のキャンプ計画、外でやろうと思ってたんだよ」


「外で?」


「うん。メイちゃんちのお庭、広いじゃん。あそこでさ」


(……なるほど。だからチェア、持ってきてたんだ)

メイは納得する。


「梓ちゃんにも、昨日Rainで送っておいたんだぁ。チェア、持ってきてって」

「それでね、今思いついたんだけど、タープも張ってみようよ!」


キラキラと目を輝かせる詩音を見て、メイは思わず笑った。


「……それ、いいかも。キャンプ前に一度、張ってみたかったし」


「でしょ?じゃあ、決定ね!」


タープの下で、秋のキャンプ計画を練る——

想像しただけで、なんだかワクワクしてくる。


メイは、少し浮かれた気分のまま、もう一度パスタをパクリと頬張った。



ここまで読んでくださってありがとうございます!

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