第84話 スイング・ブラス、覚醒す。
晴れわたる空の下、カフェ・ラフォーレリーヴルスの駐車場。
マイクロバスの側面に垂れ下がる「Swing Brass」の幕の前で、年季の入ったお爺さんたちが、ゆる〜く横一列に並んでいる。
ざわつく空気の中、指揮もカウントもないまま、キーボードの三宅さんが、静かにコードを鳴らしはじめた。
カッティング風の軽快なリズム。どこかで聴いたことのある進行……
「……セプテンバー?」
「アース・ウインド&ファイアの?」
観客のあちこちから、そんな声がささやかれる。
イントロのカッティングが長めに続いたあと、ドラムの工藤さんが裏拍で応える。
リズムが重なった瞬間、会場から自然と手拍子が起こる。
そして次の瞬間——
パーン!と空気を突き破ったのは、トランペットとアルトサックスのユニゾン。
その下で、トロンボーンが図太い低音をどっしりと支える。
「おー、セプテンバーだ!」誰かが歓声を上げた。
お爺さんたちの演奏とは思えないキレ味。
迫力あるイントロが、駐車場いっぱいに広がっていく。
メインメロディに入ると、アルトサックスの小嶋さんが軽快に、艶っぽくリードをとる。
その下でトロンボーンの加輪隅が、太いラインでメロディを底から押し上げていく。
大音量の中、メイが手拍子をしながら詩音に叫んだ。
「うあー、今の鳥肌たったよ!」
「私も!」
コーラスの代わりに、ホーン隊の合いの手が軽やかに曲を転がしていく。
「いいじゃない!」
「カッコいいわ!」
手拍子しながら見ていたおばさまたちまで、思わず声を上げる。
ステージの上で、スイング・ブラスのメンバーたちが確かに“躍動”していた。
やがて──サビ。
Ba-dee-ya, say, do you remember?
Ba-dee-ya, dancin’ in September——
ホーン隊が一斉に音を重ね、まるで空に向かって吠えるような勢いでフレーズを重ねていく。
アルトサックス、小嶋さんの音が跳ねるように踊り、早乙女さんのトランペットが高音で抜け、鋭くツヤのある音で会場を突き抜ける。
トロンボーンの加輪隅は、ここぞとばかりに全身を使って吹き鳴らす。スライドが空気を切り裂き、低音が会場の床を揺らすように響く。
その重なり合う音が、曲のテンションをぐっと引き上げる。
「おじいさんたち……マジすごい!」
どこからか、そんな声が漏れてくる。
一緒に跳ねるように手拍子する子どもたち、スマホをかざす若いカップル、肩を揺らす年配のご夫婦。
年代も、立場も、何もかもを飛び越えて、今、この瞬間だけは、スイング・ブラスの音にひとつにされていた。
「うわ、ちょっとカッコいいじゃない…!」
敦子が手拍子しながら目を丸くする。
「ね、あのお歳であの高音…すごいわ」
淳子が感心したように笑う。
ステージではソロパートに突入していた。
アルトサックスの小嶋さんが、軽やかで艶やかな音色を秋の空へと舞い上げる。
その旋律に、堀内さんのベースが丸みのあるラインを添えて、音の輪郭を際立たせていた。
そこへ──テナーサックスが加わった。
アルトとの掛け合いのようにして、奥の方から響いてきたその音は、渋くて深みがあり、ひときわ存在感があった。
観客席からは誰が吹いているのか分かりづらいが、吹いているのは、ステージ後方に控えていたカフェ・ブランシェのマスター、草薙栄三郎だった。
「おお、このテナー、上手いんじゃない?」
観客のひとりが唸るように言う。
「来たわね、お父さま」
敦子が呟いた。
「ええ」
隣で頷く淳子の目は、どこか誇らしげだった。
当の本人──草薙は、どこかまだ納得がいかないような表情を浮かべている。だが、その音には年輪を感じさせる確かな説得力があった。
曲はクライマックスに向かっていく。
ホーン隊が一層厚みを増し、アルトとテナーが重なり合って、音の花束のように広がっていく。
無表情な工藤さんは、鋭いスネアとハイハットで演奏に緊張感を与え、キーボードの三宅さんがリズムを支える裏打ちで空気の流れを操る。
観客の手拍子は、いつしか頭の上で鳴らされるようになり、あちこちで口ずさむ声が混ざる。
歌詞を知らないメイも詩音も、適当にラーララーと歌いながら、跳ねるように手を叩いて笑っていた。
ラストは、ホーン隊の歯切れのいいアンサンブルで締めくくられる。
その瞬間、駐車場いっぱいに大きな拍手と歓声が巻き起こった。
音に惹かれて、道行く人が、ひとり、またひとりと集まってくる。
道路の向こうから、楽器ケースをそれぞれ手にした女子高生たちが、足を止めた。
小さな声で「ちょっと見ていこっか」と笑いながら、集まる人波に紛れていく──
人垣はみるみる膨らんでいった。
観客の拍手が一段落したところで、加輪隅がマイクを手に取った。少し上がった息を整えながらも、口元にはにやりと笑みを浮かべる。
「──ま、そんなわけでね。年寄りの冷や水ってやつを、いま全力で浴びております」
会場に、どっと笑いが起きる。
「こんにちは、スイング・ブラスです。昭和の香りをたっぷりまとった、平均年齢71歳のジジイバンドですが──今日は特別に、若返ってまいりました!」
「そんな年には見えないぞー!」と声援が飛ぶ。
「いやー、ありがとうございます。もっとも平均年齢を一気に引き上げてるのは、ドラムの工藤ちゃんなんですがね」
振り向いた先で、工藤さんがドラムを鳴らして応戦する。
「コミックバンドかー!」と、客席からのツッコミに、また笑いが広がった。
その頃──
メイが笑っていると、隣で詩音が言った。
「ねえ、マスター、なんであんな後ろにいるんだろ?」
「そうだね、ひとりだけ座ってるもんね」
詩音は何かひらめいたように目を輝かせた。
「よし、いいこと考えた!」
隣で見ていたくるみ、亜里沙、美優の3人のバイトスタッフを手招きして、ひそひそと作戦会議。
巻き込まれたメイが「え、ちょっと待ってよ……」と戸惑うも、詩音はお構いなし。
「メイちゃんも、行くよ?」
声を合わせた。
「せーの──マスター!頑張ってー!」
その声に、草薙がピクリと反応した。視線を巡らせると、飛び跳ねながら手を振る5人組の中に、見覚えのある顔を見つける。──詩音と、メイ。
ああ、あの子たちか。
うちのカフェに来て、好奇心いっぱいの目で話を聞いてくれた。
たしかに、あれは──
一瞬、何かが胸を突いた。
ふっ……と、草薙がわずかに自嘲を含んだ笑みを漏らしたその時──
「おっと、マスター。若い子の声援だよ。いいねぇ〜」
加輪隅がマイク越しに茶化す。
「いやいや……」と手を横に振りながらも、草薙は立ち上がった。
前にいた小嶋に小声で言う。
「すまん、変わってくれないか」
「おう、遅いくらいじゃよ」
小嶋はにやりと笑って一歩横にずれる。
「マスター、前に来たよ!」
「う、うん……」
メイも照れ笑いで手を振った。
加輪隅が続ける。
「ひとり足りないなと思ったら、後ろの方に隠れてやがった。やっと出てきました、草薙マスター!」
草薙は苦笑を浮かべながら、ゆっくりとマイクを取る。
「恥ずかしながら──若い子の声援ってのは、いくつになってもうれしいものでして」
会場からクスクスと笑いが漏れる。
「“あの時、君は若かった”なんて歌もありましたが……思い出を懐かしむだけじゃ、もったいない日もある。今日は、ちょっと吹いてみようと思います」
一呼吸、間を置いて、草薙がマイクに顔を向ける。
「次はちょっと渋いやつ──俺たち世代の“ヒーロー”がテーマです」
一瞬の静寂。
加輪隅がにやりとして言った。
「耳をすませてください。“奴”が来ます──ルパン三世!」
草薙栄三郎は、ふっと小さく息を吐いて、眼鏡のブリッジに指をかけた。肩をぐるりと回して力を抜くと、その顔に浮かんだのは、吹っ切れたような軽さと──ちょっとした悪戯を企むような笑みだった。
加輪隅がリズムをとりながら小さくうなずく。草薙はゆっくりとテナーサックスを構えた。
──「ルパン三世のテーマ」
ドラムスティックが、短くカウントを刻む。
「ワン、ツー、ワンツースリー!」
その瞬間、ホーン隊が一斉に火を噴いたようにイントロをぶち込む。スネアが切れ味よく走り、ベースがゴリっと低音を支える。
ホーンセクションが畳みかけるように吹き込み、まるで「さあ、主役の出番だ」とでも言わんばかりのイントロだ。
──そこへ、草薙のサックスが滑り込む。
太く、しなやかで、芯のある音。フレーズは正確に──けれどどこか粋に、少し背中を見せるように。
ステージ中央で軽やかに立つ草薙。つま先でリズムを取りながら、余裕のある音でフレーズを吹きこなす。
「うぁっ、マスター!? あれ、マスターだよね!?」
詩音が声を張り上げる。
「……え、ちょっと、かっこよすぎ……」
メイは息を呑んで、無意識に口元を押さえた。
ふたりは目を見合わせると、思わず同時に叫んだ。
「マスターかっこいい〜!!」
サビに入ると、前へ出たのは加輪隅のトロンボーン。
柔らかく、どこか懐かしさを含んだ音が空気を染める。
まるで旧友を迎えるときのような音色だった。
そこに、キーボードの和音が重なって華やぎが増す。
観客のひとりが、ふと小さく歌い始めた。
♪ 男には 自分の世界がある
たとえるなら 空をかける 一粒の流れ星──
──そして。
「ズッ、チャーン!」
コーラスパート。
トランペットが鋭く、短く、二音だけを叩き込む。
あまりにさりげない。けれど、誰もが即座に察した。
「え、今の……」
「ルパン・ザ・サード、って聞こえたよな?」
どよめきが弾ける。観客の耳が、音に言葉を見つけた。
「……遊び心って、こういうことよね」
敦子が思わず声を漏らす。
「トランペットのおじいさん、やるわね」
隣の淳子が目を細めて笑う。
ふたりとも──完全に“スイッチ”が入っていた。
ステージでは、草薙のテナーがふたたび音の主役に戻っていた。あの艶やかな音が、旋律を抱きしめながら響く。
「……ヤバくない?あのサックス」
「あれ、誰?」
さっき通りがかった女子高生たちは、すでに人垣の中に紛れていた。
制服姿でサックスのケースを持った子が、小さく口を開けたまま、食い入るようにステージを見つめている。
隣のトランペットのケースを持った子が、ぼそっとつぶやいた。
「……なにこれ、めっちゃ上手い……」
その隣の、大きなトロンボーンのケースを持った子は、うなずきながら目だけで答えていた。
草薙のテナーは、そんな観客の熱をやさしく受け止め、しっかりと導くように舞っている。
──でも、ここからが本番だった。
ホーン隊がお膳立てしたかのようなフレーズのあと。
草薙が息を吸い込む。
次の瞬間、サックスがアドリブに突入する。
旋律を抜け出し、自由に駆け出す音。
けれど、芯はぶれていない。
遊びながらも、ベースラインの上をしっかりと走っている。
「……あの吹き出し、完全にアドリブね」
「うん、でもベースライン踏んでる。指、動いてるわ」
敦子と淳子が、思わず背筋を乗り出す。
「テンポ落とさずに、あのフレーズ……現役並じゃない?」
「いや、あれは現役以上かもよ」
ふたりとも、かつての部活の血が騒いでいる。
草薙のソロに応えるように、加輪隅がトロンボーンを差し出す。
ふたりの間に言葉はいらない。
アイコンタクトひとつで始まった──アドリブの掛け合い。
交互に響くサックスとトロンボーン。
切り返すたびに湧き上がる歓声。
拍手と手拍子が混ざり合い、会場全体がひとつの“楽器”になっていく。
「やば……やば……!」
詩音は声にならない声をこぼす。
メイはぽかんとしたまま、目を潤ませていた。
──そして、ドラムの工藤が渾身のフィルを叩き込む。
テーマが帰ってくる。
草薙のサックスが主旋律を切り裂くように立ち上がる。
そして二度目のサビ。
今度は会場全体が“コーラス隊”だった。
「ルパン・ザ・サード!」
トランペットが叫び、キーボードが盛り上げる。
空気ごと震わせるような大合唱。
駐車場の空間いっぱいに、あの有名なメロディが響き渡る。
──自然に湧き起こる手拍子。
──いつしか、誰もが口ずさんでいた。
詩音も、メイも。
笑って、声を合わせて。
最後はホーン隊がビシッと締めた。
演奏が終わると、加輪隅がトロンボーンを下ろし、草薙を指差す。
草薙は、湧きあがる拍手に軽く手を振って応えた。
その姿は、どこかくすぐったそうで──
でも、誇らしげだった。
ステージ上では、再び加輪隅がマイクを手に取った。
肩で息を整えながら、にやりと笑みを浮かべる。
「ルパン三世のテーマ、聴いていただきましたが……ちょっこっとここで、水分補給させてくださいね」
そう言って、足元のペットボトルを手に取ると、キャップをひねってゴクリ。
ほかのメンバーたちも、それぞれ思い思いに水を口に含む。
「いや〜、生き返りますわ」
ほっとしたように息をつきながら、加輪隅がキャップを閉めたそのとき──
背後で、なにやらバシャッと音がした。
ホルン/アルトサックス担当の鈴木さんが、どうやらペットボトルを倒してしまったらしい。
「あららら〜……」
慌てて拭こうとする鈴木さんの様子に、会場がどっと笑いに包まれる。
「おいおい、スズちゃん、目立つなら演奏で目立ってよ」
加輪隅の軽妙なツッコミに、鈴木さんは照れ笑いを浮かべた。
客席からは「あはは!」と明るい笑い声が響き、ステージとの距離がぐっと近づいたような空気が流れる。
「粗相はジジイの特技なんて申しますが……」
加輪隅がマイクを手に、肩をすくめて笑いを誘う。
「さてさて。バンドを十人で回していると、曲によってね、いろんな楽器を持ち替えたりするんで……」
後ろで何人かが楽器を持ち替えている間、加輪はぽつぽつと語りながら、客席をゆっくりと見渡す。
ふと、後方にいた観客の中に、楽器を抱えた制服姿が目に入った。
「あれ、お嬢ちゃんたち──楽器持ってるねぇ。吹奏楽部?」
ステージから指をさし、マイク越しに呼びかける。
指された先の人垣がざわっと動いて、間が空いた。
そこに立っていたのは、それぞれ楽器ケースを持った、あの三人の女子高生。
少し戸惑いながら、でもどこか楽しそうに顔を見合わせる。
その中の一人、トランペットを持っていたショートカットの子が、思い切って声を張った。
「はい! 吹部でーす!」
「おぉ、吹奏楽部! ようこそ、ようこそ」
満面の笑みでうなずいた加輪隅が、にやりと一言。
「どう? 一緒にやらないかい?」
「ええ〜!? 無理無理無理〜!!」
ショートカットの子が思わず叫ぶ。
……けれど、その顔は、まんざらでもなさそうだった。
にこやかに笑いながら、加輪隅が言う。
「無理かどうかなんてさ、やってみなきゃわからないからねぇ。どうかな?」
軽く首をかしげながら、ステージから会場を見渡す。
その瞬間、大きな拍手が湧き起こった。
「えー、どーするー?」
「いっちゃう?」
ショートカットの子と、サックスを持ったポニーテールの子はそこそこ乗り気だ。
けれど、メガネのトロンボーンの子だけは、やや及び腰で首を振っている。
加輪隅が、何かを思いついたように、ぱちんと指を鳴らした。
「そうだ! やってくれたらさぁ〜、おじさん、ラフォーレのパフェ、おごっちゃうよ〜!」
「怪しい〜〜!」
観客からの鋭いツッコミに、会場がどっと笑いに包まれた。
「ね、行こっ」
「大丈夫。私たち三人なら、きっと平気だよ」
ショートの子とポニテの子が、メガネの子の背中を軽く押す。
しばらくの沈黙のあと──メガネの子は、ゆっくりとうなずいた。
ショートカットの子が、ステージに向かってオッケーサインを出す。
「おお、やってくれるのねー!ありがとう!」
加輪隅が手を広げて迎えると、観客から盛大な拍手と「がんばれー!」の声援が巻き起こった。
三人の女子高生は、団子のように寄り添いながら、照れ笑いと緊張の面持ちでステージへと向かっていった。
「あの制服……」
観客の後方から様子を見ていた敦子が、ぽつりとつぶやく。
「ええ、総美高のですよね」
すぐ隣で、淳子がうなずく。
「ふふ、後輩じゃないの」
敦子はどこか誇らしげに、期待のこもった笑顔を浮かべた。
ステージ脇では、女子高生たちとスイング・ブラスのメンバーによる、即席の打ち合わせが始まっていた。
加輪隅からマイクを預かったのは──
赤と緑のメガネがトレードマーク、トランペット兼パーカッションの早乙女さんと、無愛想な強面、ベース/スーザフォン/エレキベース担当の堀内さん。
いかつい見た目と軽妙な話術の“でこぼこコンビ”が、ステージ上で即席漫才のようなMCを展開する。
その芸達者っぷりに、会場からはたびたび笑いがこぼれた。
一方その裏では──
トランペットの少女は、明るく大内さんに言う。
「その曲なら、去年の文化祭でやりました!」
ポニーテールの子は、草薙から楽譜の確認を受けながら、思わず声をあげる。
「えー!? 無理ですよ、こんなの〜!」
それでも草薙は穏やかに頷きながら、にこやかに説明を続ける。
最後まで及び腰だったメガネの子は、加輪隅に何かを聞きながら、コクリと一度うなずいた。
三人三様のペースで、それぞれの“本番前”が進んでいく。
ほどなくして打ち合わせが終わり、早乙女さんが加輪隅にマイクを返す。
「えー、みなさん。ここにいるのは──ご覧の通り、吹奏楽部の強豪校、総美高校のお嬢さんたちですよ!」
ステージに並んだのは、年季の入った爺さんたちと、真新しい制服の女子高生たち。
世代も雰囲気もまるで違う、でもどこかしっくりくる、不思議な並びだった。
「こんなセッション、そうそう見られません。
みなさん、今日は運がいい! 冥土の土産に、たっぷり持ってってください!──って、そりゃ私たちのセリフか!」
頭をかく加輪隅に、会場からどっと笑いが起こる。
ちらりと後ろを見て、確認するようにうなずく。
「さあ、準備が整ったようです。
たいへんお待たせしました──
次の曲は……『宝島』です!」
ステージの中央、加輪隅がちらりと横を向き、ドラムの工藤に視線を送る。
無言の頷きがひとつ。
次の瞬間、小気味いいカウベルの音がリズムを刻み出す。
──チン、チン、チン。
まるで真夏の青空を連想させるような、軽快で透明な音。
それに乗るように、工藤のドラムが軽くフィルを回すと、バンドの音が一斉に動き出す。
イントロの幕開けだ。
トランペットとトロンボーンが、少し厚みを増したホーン隊として響きを添える。
爺さんたちの演奏に混ざる、制服姿の女子高生たち——ぎこちなさと勢いが絶妙に交錯する音。
メロディパートを担当するのは、小嶋さんのアルトサックス。
芯のある柔らかな音色が、迷いなく旋律をなぞっていく。
ポニーテールの子が吹くテナーサックスは、緊張からか少し音がかすれる。
すかさず隣の草薙が、太めのテナーの音で寄り添うようにリズムを支える。
トロンボーンの加輪隅も、ぶ厚い音で下支えにまわる。
その隣で、メガネの子も一拍遅れて音を重ねていく。まだ不安定ながらも、懸命な姿勢が伝わってくる。
低音を支えるのは、エレキベースの堀内さんと、バリトンサックスに持ち替えた鈴木さん。
ふたりの揺るがぬ低音が、全体の音をしっかりと地に足をつけさせる。
合いの手に飛び込んでくるのは、ショートカットの子のトランペット。
勢いよく放たれたその音に、隣の大内さんが目を丸くして、親指を立てる。
ショートカットの子は、それに気づいた様子もなく、ただまっすぐに音を吹き抜ける。
表情は変えず、ただ集中と音だけがそこにあった。
Aメロの繰り返しに入るころには、ポニーテールの子にも余裕が出てきた。
最初のぎこちなさは薄れ、音の輪郭が少しずつ立ち上がる。
──もう大丈夫。そんな声が聞こえてくるような、伸びやかなリズム。
草薙のテナーも、それを受け止めるようにふわりと寄り添う。
過不足なく、でもしっかりと背中を支えるような音だった。
一方のトロンボーンも、加輪隅とメガネの子の音が徐々に溶け合いはじめる。
二人の息が少しずつ重なって、音のラインが前に出てくる。
加輪隅は横目でメガネの子を見やり、くくっと口角を上げた。
その頃には、会場もすっかりノリ始めていた。
手拍子が自然と起こり、リズムに乗って体を揺らす観客たち。
それぞれが、音に身体を預けている。
「……整ってきたわね」
手拍子を打ちながら、敦子が小さくつぶやく。
「うん、さすがって感じ。ベテランの牽引力ってやつね」
淳子がうなずき、目元をゆるませる。
ホーン隊が元気よくオブリガートを入れると、Bメロへ。
主旋律を託されたのは、ポニーテールの子のテナーサックスだった。
出だしは少し心もとなく、音に揺らぎが混じる。
でもすぐに、草薙の音がそっと重なった。
それは助け船というより、背中に手を添えるような優しい響き。
ふたりの音が重なるにつれ、ポニーテールの子の音色にも輪郭が宿る。
伸びやかに、しなやかに。
音はやがて安定し、少しずつ自信を帯びていく。
後半には草薙もユニゾンで加わり、ふたりのテナーが並んで旋律を奏でた。
その低く芯のあるハーモニーが、メロディラインに奥行きを与えていく。
ポニーテールの子も、草薙にちらりと視線を送り、笑みを浮かべる余裕を見せた。
──音が重なり、音が躍り、音が育っていく。
まるで何かが始まりそうな予感が、音楽の奥に宿っていた。
そして次の瞬間、まとまり始めた音色が一気に五線譜を駆け上がり——
シンバルの一撃で、サビへと突入する。
トランペットも、トロンボーンも、サックスも。
弾けるような音がステージを彩った。
「おお〜〜!」
二曲目までとは明らかに違う、音の厚みと迫力。
会場から感嘆の声がもれる。
サビのリフでは、じいさんたちも女子高生たちも、軽くサイドステップを踏みながら演奏していた。
音も、身体も、心も、すっかりひとつになっている。
観客も自然と体を揺らし、手拍子を合わせる。
詩音もメイも笑いながらリズムに乗り、
くるみも亜里沙も、はじけるような笑顔で応えていた。
その空気はステージにも届いていた。
トロンボーンのメガネの子は、目を細めながら必死にスライドを伸ばす。
その音には、もうためらいがなかった。
加輪隅もその様子に満足げな笑みを浮かべる。
間奏に入り、ホーン隊が熱気を軽やかにいなすように音を遊ばせていると──
ポニーテールの子が、そっと一歩、前へ。
ドラムの工藤が柔らかくフィルを入れ、彼女に道を開ける。
それに応えるように、深く息を吸い込んだ。
そして、音が放たれる。
まっすぐで、懸命な旋律。
楽譜に書かれたフレーズを、ひとつひとつ丁寧に吹き上げていくその音に、観客の視線が集まる。
ぎこちなさの中にある誠実さ。
そのひたむきな音が、じんわりと会場に広がっていく。
パートが切り替わると、草薙がそっと加わった。
ポニーテールの子が口を離した瞬間、草薙が軽く目配せする。
「よくやったな」とでも言いたげに。
そして、そこからはもう別次元。
解き放たれたアドリブ全開の草薙のテナーサックス。ポニテの子が目を輝かす。
自由に駆け回る、熱を帯びた音が空を舞い、観客も息を呑んだ。
最後は、高音で伸ばしたロングトーンが会場を貫くように響く。
静寂のあと、一瞬遅れて——
拍手と歓声が、一気に湧き上がった。
だが、音楽は止まらない。
カウベルとサンバホイッスルがリズムを繋ぎ、熱を絶やさず受け渡す。
工藤のフィルイン。
続いてトロンボーンが吠えた。加輪隅とメガネの子が、ぴたりと息を合わせる。
先生に寄り添うように、懸命に追いかける生徒の音。
不思議と愛おしくなるような、その響き。
そのままビートに乗って、ラストサビへ。
ショートカットの子のトランペットが、高らかに音を引っ張る。
ホーン隊が応える。
低音も高音も、ドラムもベースも、全員の音が笑っているかのようだった。
──音の厚みも、まとまりも、冒頭とはまるで別のバンド。
この瞬間のために演奏してきたといってもいい。
最後の音がピタリと止まり、会場を包むような一瞬の静けさ。
それを切り裂くように、雪崩のような拍手と歓声が降り注いだ。
女子高生たちは、肩を小さく震わせる。
ショートカットの子は誇らしげに前を見つめ、
ポニーテールの子は満足そうに深く息を吐いた。
そして、メガネの子は、こみ上げる涙をこらえきれずに、そっと目元をぬぐった。
その姿を見て、爺さんたちもまた、
惜しみない拍手を送り続けていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます!




