表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/139

第81話 月曜日の出来事


翌日の月曜日。

カフェ・ラフォーレリーヴルスのランチメニューは、ブックカフェらしく控えめだ。


サンドイッチやキッシュのプレートが中心で、がっつり食べたい人には少し物足りないかもしれない。それでも、平日のお昼どきには多くのお客さんがやってきて、満席になる日も少なくない。


この日も、お昼のピークはにぎやかだった。

午後1時半を過ぎるころには、ランチ目当てのお客さんがひと段落して、入れ代わるように、静かに午後の時間を楽しみに来た人たちが、ゆったりとした足取りで入店してくる。


カフェ・ラフォーレリーヴルスは、いつものように、静かで心地よい賑わいに包まれていた。


◇◇◇


控え室では、沙織がまかないのサンドイッチを頬張っていた。

そこへ詩音が、同じくまかないを手に入ってくる。


「お疲れ〜」

沙織が軽く手を振る。


「あ、沙織ちゃん休憩中だったんだ。どうりで静かだと思った」

詩音がそう言って、にこっと笑う。


「その言葉、そのまんまお返ししますわ」

沙織も笑って、ひと口サンドイッチをかじる。


「しかしまあ、月曜日だっていうのに、お昼は忙しかったね」


「でも、前にいた馬車道のルルポのほうが忙しかったかな」

詩音が椅子に腰を下ろすと、サンドイッチの包みを開ける。


「ルルポの周りはオフィスも多いからなぁ。それに普通の喫茶店だから、フードメニューもがっつり系でしょ。確かに、私も下北のジャンヌにいたときのほうが忙しかったなぁ」


「……ってことは、まだまだ余力があるってことだよ」

詩音は力こぶをつくってドヤ顔をする。


「あんたのスタミナには驚かされるわ」

呆れたように言いつつ、沙織もくすっと笑う。


少しだけ、のんびりとした時間が流れる。


「そういえば、沙織ちゃん聞いた?週末のこと」


「あぁ、なんとなくね。ほんとにやるの?」


「うん。敦子さんは『期待しないほうがいいわよ』って言ってたけどね……」


「そっか。まあ、“手間は掛けさせない”って言ってるんだから、適当でいいんじゃない?」


そう言って時計に目をやる沙織。

「あ、もう行かなきゃ。じゃあまた後で! ごゆっくり〜」


「頑張ってー」

手を振って詩音が見送ると、控え室には再び静けさが戻った。


まかないのサンドウィッチに手を伸ばしながら、詩音は昨日のことを思い出していた。


週末のことも気になるけれど——

詩音の心に引っかかっていたのは、昨日の凛々花のことだった。


昨日、ラフォーレから矢鞠駅までの帰り道。

ぽつぽつと話すうちに、いくつかのことが分かった。


——フルネームは、伊藤凛々花。

——南前田に住んでいること。

——東湘大学の芸術学部に通う、3年生。

——写真を撮るのが好きで、ふらっとカメラを持って出かけることも多いらしい。

——最初にラフォーレに来たのは、「なんとなく」だったってこと。


たったそれだけの会話。けれど、その中に彼女の人となりが、少しだけ垣間見えた気がした。


……はずなのに。


「いろいろ聞けたのに、まだ“わからない”気がするな」


つぶやいた自分の声が、控え室に小さく響いた。


学生さんだから、今日は来ないかな……。


詩音は、手にしたサンドイッチを見つめながら、小さくため息をついた。


◇◇◇


月曜日は、お客さんの引けが早い。


週のはじまりということもあってか、この日も、午後七時半のラストオーダーを待たずに、店内はすっかり静かになっていた。


テーブルを拭く手も、カウンターに並ぶ姿も、どこかゆったりしている。静かに流れるBGMだけが、カフェの空気をさらさらと揺らしていた。


そんなとき。


──カランコロン。


入り口のベルが鳴り、小さな靴音とともに扉が開く。


「いらっしゃいませ」


反射的に声をかけた詩音の視線の先に、ふわっとした空気をまとった女の子が、静かに立っていた。


「凛々花ちゃん……」


詩音がカウンターから歩み寄る。


「ごめんね、今日はもうラストオーダーが――」


「ううん。これ」


そう言って、凛々花はトートバッグの中から、少し大きめの白い封筒を取り出した。両手でそっと抱えるようにしながら、詩音に差し出す。


「え? なに?」


「これ、作ってたら遅くなっちゃった」


「開けても……いい?」


詩音の問いかけに、凛々花はやわらかく笑って、こくんと頷いた。


封筒の中には、2L判サイズの写真が何枚も入っていた。


「もしかして、これって……昨日の?」


そう尋ねると、凛々花はニコニコとしたまま、何も言わずに首を傾げた。


詩音はそっと写真を取り出してみる。


写っていたのは、コーヒーの乗ったテーブルと、その奥に広がる静まり返ったカフェの空間。整然と並んだ本棚、雨粒の伝う窓ガラス、誰もいないカウンター席の風景――。


昨日、カメラのモニター越しに見た写真と同じはずなのに、こうして紙にすると、まるで別の風景のように感じられた。


「うわー……なんか、いい!」


そのとき、後ろからもうひとつの声が重なる。


「あら、これ……銀塩プリントじゃない?」


敦子店長が写真をのぞき込みながら言った。


「ぎんえん……?」


詩音が首をかしげると、敦子はにこりと微笑んで答えた。


「銀塩っていうのはね、薬剤を使って印画紙に焼きつけるプリント方法なの。昔のフィルム写真なんかは、だいたいこれなのよ。

やっぱり、仕上がりの雰囲気がぜんぜん違うの」


「へぇ……なんか、たしかに、普通のプリントとちょっと違う気がする」


詩音はもう一枚を手に取りながら、写真の表面をそっとなぞる。

インクの平滑さじゃない、微かな粒立ちが、ゆっくりと指先に伝わってきた。


「どうしたんですか〜?」


奥のキッチンから、アルバイトのくるみとミホがひょこっと顔を出す。

2人は写真を囲むように集まり、声を揃えて言った。


「うわぁー、昨日のお店の写真だ!」


「なんかオシャレ〜〜!」


その声に釣られるように、ほかのスタッフもちらほらと持ち場を離れ、写真の周りに集まりはじめる。


それを見た沙織が、ちょっと困った顔で敦子の方に近づき、ひそひそとささやく。


「……敦子さん、いいんですか? みんな持ち場離れちゃって」


敦子はふっと笑って、小さくうなずいた。


「まあ……お客さんもいないし。たまには、ね」


写真を囲んで賑わう輪の半歩外で、凛々花は静かに笑っていた。

みんなの反応を、嬉しそうに、でもどこか距離を保ちながら見つめている。


そして——ひと通り様子を見届けると、ふわりと会釈し、そっとエントランスの方へ歩き出す。


「凛々花ちゃん」


それに気づいた詩音が、慌てて駆け寄る。

凛々花は立ち止まり、ふわっと振り返った。


「ステキな写真、ありがとう」


詩音の言葉に、凛々花は小さく首を振って微笑む。


「もう帰っちゃうの?」


そう尋ねる詩音に、凛々花は静かに頷いた。


「うん。もう返せたから」


「……返せた?」


詩音が少しだけ首を傾げる。

凛々花は、まっすぐ詩音を見つめた。


「だって、見させてもらったもの、返しにきただけだから」


それだけを言うと、またニコッと笑って、エントランスのドアをそっと押した。


「ありがとうね、凛々花ちゃん!」


その背中に、詩音の声が届く。


——返せた、かぁ。


ぽつりと口にして、詩音はふっと笑った。


凛々花の言葉が、なぜか心に残った。

ちゃんとは説明できないけど……

少しだけ、わかった気がした。


エントランスのドアが閉まる。

雨上がりの匂いが、ほんの少し店内に流れ込んできた。



ここまで読んでくださってありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ