第81話 月曜日の出来事
翌日の月曜日。
カフェ・ラフォーレリーヴルスのランチメニューは、ブックカフェらしく控えめだ。
サンドイッチやキッシュのプレートが中心で、がっつり食べたい人には少し物足りないかもしれない。それでも、平日のお昼どきには多くのお客さんがやってきて、満席になる日も少なくない。
この日も、お昼のピークはにぎやかだった。
午後1時半を過ぎるころには、ランチ目当てのお客さんがひと段落して、入れ代わるように、静かに午後の時間を楽しみに来た人たちが、ゆったりとした足取りで入店してくる。
カフェ・ラフォーレリーヴルスは、いつものように、静かで心地よい賑わいに包まれていた。
◇◇◇
控え室では、沙織がまかないのサンドイッチを頬張っていた。
そこへ詩音が、同じくまかないを手に入ってくる。
「お疲れ〜」
沙織が軽く手を振る。
「あ、沙織ちゃん休憩中だったんだ。どうりで静かだと思った」
詩音がそう言って、にこっと笑う。
「その言葉、そのまんまお返ししますわ」
沙織も笑って、ひと口サンドイッチをかじる。
「しかしまあ、月曜日だっていうのに、お昼は忙しかったね」
「でも、前にいた馬車道のルルポのほうが忙しかったかな」
詩音が椅子に腰を下ろすと、サンドイッチの包みを開ける。
「ルルポの周りはオフィスも多いからなぁ。それに普通の喫茶店だから、フードメニューもがっつり系でしょ。確かに、私も下北のジャンヌにいたときのほうが忙しかったなぁ」
「……ってことは、まだまだ余力があるってことだよ」
詩音は力こぶをつくってドヤ顔をする。
「あんたのスタミナには驚かされるわ」
呆れたように言いつつ、沙織もくすっと笑う。
少しだけ、のんびりとした時間が流れる。
「そういえば、沙織ちゃん聞いた?週末のこと」
「あぁ、なんとなくね。ほんとにやるの?」
「うん。敦子さんは『期待しないほうがいいわよ』って言ってたけどね……」
「そっか。まあ、“手間は掛けさせない”って言ってるんだから、適当でいいんじゃない?」
そう言って時計に目をやる沙織。
「あ、もう行かなきゃ。じゃあまた後で! ごゆっくり〜」
「頑張ってー」
手を振って詩音が見送ると、控え室には再び静けさが戻った。
まかないのサンドウィッチに手を伸ばしながら、詩音は昨日のことを思い出していた。
週末のことも気になるけれど——
詩音の心に引っかかっていたのは、昨日の凛々花のことだった。
昨日、ラフォーレから矢鞠駅までの帰り道。
ぽつぽつと話すうちに、いくつかのことが分かった。
——フルネームは、伊藤凛々花。
——南前田に住んでいること。
——東湘大学の芸術学部に通う、3年生。
——写真を撮るのが好きで、ふらっとカメラを持って出かけることも多いらしい。
——最初にラフォーレに来たのは、「なんとなく」だったってこと。
たったそれだけの会話。けれど、その中に彼女の人となりが、少しだけ垣間見えた気がした。
……はずなのに。
「いろいろ聞けたのに、まだ“わからない”気がするな」
つぶやいた自分の声が、控え室に小さく響いた。
学生さんだから、今日は来ないかな……。
詩音は、手にしたサンドイッチを見つめながら、小さくため息をついた。
◇◇◇
月曜日は、お客さんの引けが早い。
週のはじまりということもあってか、この日も、午後七時半のラストオーダーを待たずに、店内はすっかり静かになっていた。
テーブルを拭く手も、カウンターに並ぶ姿も、どこかゆったりしている。静かに流れるBGMだけが、カフェの空気をさらさらと揺らしていた。
そんなとき。
──カランコロン。
入り口のベルが鳴り、小さな靴音とともに扉が開く。
「いらっしゃいませ」
反射的に声をかけた詩音の視線の先に、ふわっとした空気をまとった女の子が、静かに立っていた。
「凛々花ちゃん……」
詩音がカウンターから歩み寄る。
「ごめんね、今日はもうラストオーダーが――」
「ううん。これ」
そう言って、凛々花はトートバッグの中から、少し大きめの白い封筒を取り出した。両手でそっと抱えるようにしながら、詩音に差し出す。
「え? なに?」
「これ、作ってたら遅くなっちゃった」
「開けても……いい?」
詩音の問いかけに、凛々花はやわらかく笑って、こくんと頷いた。
封筒の中には、2L判サイズの写真が何枚も入っていた。
「もしかして、これって……昨日の?」
そう尋ねると、凛々花はニコニコとしたまま、何も言わずに首を傾げた。
詩音はそっと写真を取り出してみる。
写っていたのは、コーヒーの乗ったテーブルと、その奥に広がる静まり返ったカフェの空間。整然と並んだ本棚、雨粒の伝う窓ガラス、誰もいないカウンター席の風景――。
昨日、カメラのモニター越しに見た写真と同じはずなのに、こうして紙にすると、まるで別の風景のように感じられた。
「うわー……なんか、いい!」
そのとき、後ろからもうひとつの声が重なる。
「あら、これ……銀塩プリントじゃない?」
敦子店長が写真をのぞき込みながら言った。
「ぎんえん……?」
詩音が首をかしげると、敦子はにこりと微笑んで答えた。
「銀塩っていうのはね、薬剤を使って印画紙に焼きつけるプリント方法なの。昔のフィルム写真なんかは、だいたいこれなのよ。
やっぱり、仕上がりの雰囲気がぜんぜん違うの」
「へぇ……なんか、たしかに、普通のプリントとちょっと違う気がする」
詩音はもう一枚を手に取りながら、写真の表面をそっとなぞる。
インクの平滑さじゃない、微かな粒立ちが、ゆっくりと指先に伝わってきた。
「どうしたんですか〜?」
奥のキッチンから、アルバイトのくるみとミホがひょこっと顔を出す。
2人は写真を囲むように集まり、声を揃えて言った。
「うわぁー、昨日のお店の写真だ!」
「なんかオシャレ〜〜!」
その声に釣られるように、ほかのスタッフもちらほらと持ち場を離れ、写真の周りに集まりはじめる。
それを見た沙織が、ちょっと困った顔で敦子の方に近づき、ひそひそとささやく。
「……敦子さん、いいんですか? みんな持ち場離れちゃって」
敦子はふっと笑って、小さくうなずいた。
「まあ……お客さんもいないし。たまには、ね」
写真を囲んで賑わう輪の半歩外で、凛々花は静かに笑っていた。
みんなの反応を、嬉しそうに、でもどこか距離を保ちながら見つめている。
そして——ひと通り様子を見届けると、ふわりと会釈し、そっとエントランスの方へ歩き出す。
「凛々花ちゃん」
それに気づいた詩音が、慌てて駆け寄る。
凛々花は立ち止まり、ふわっと振り返った。
「ステキな写真、ありがとう」
詩音の言葉に、凛々花は小さく首を振って微笑む。
「もう帰っちゃうの?」
そう尋ねる詩音に、凛々花は静かに頷いた。
「うん。もう返せたから」
「……返せた?」
詩音が少しだけ首を傾げる。
凛々花は、まっすぐ詩音を見つめた。
「だって、見させてもらったもの、返しにきただけだから」
それだけを言うと、またニコッと笑って、エントランスのドアをそっと押した。
「ありがとうね、凛々花ちゃん!」
その背中に、詩音の声が届く。
——返せた、かぁ。
ぽつりと口にして、詩音はふっと笑った。
凛々花の言葉が、なぜか心に残った。
ちゃんとは説明できないけど……
少しだけ、わかった気がした。
エントランスのドアが閉まる。
雨上がりの匂いが、ほんの少し店内に流れ込んできた。
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