表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/141

第79話 その子がいた風景


土曜日の朝。カフェ・ラフォーレ リーヴルスの更衣室。


「おっはよー!」


ドアが開くなり、詩音が元気よく飛び込んできた。


ちょうど着替えていた沙織が、ちらりと振り返る。


「今日も元気だねぇ」


「そうかな〜?」


鼻歌まじりにそう返しながら、詩音は沙織の隣のロッカーを開ける。


「なんかいいことあった?」


「えー、ひ・み・つ・だよ〜」


──昨日、キャンプの計画立てたなんて、言えないよ。


にこにこ顔でそう言う詩音を見て、沙織がニヤッとする。


「へぇ〜、キャンプ、行くことにしたんだ」


「えー!? なんで知ってるの!? 沙織ちゃん、エスパー!?」


真顔で驚く詩音。


「いや、今、そう言ったじゃん」


「えー! うそ!?」


顔を見合わせるふたり。


…ユキがすっと登場し、ぽつりと一言。


「詩音さん、隠し事は苦手なタイプです……」


そのまま、更衣室を出ていく。


「ユキ、いたんだ……」


沙織がぽつりとつぶやいた。


◇◇◇


土曜日の店内は、朝から賑わっていた。


平日は一人でコーヒーを飲みながら本を読むお客さんが多いけれど、週末になると様子が変わる。

友人同士と見られるグループや若いカップル、年配のご夫婦など、客層がぐっと幅広くなるのだ。


さらに店は、大きな公園の入り口に面した立地。テイクアウトの注文も多い。

この日はどうやら、公園でイベントがあるらしく、朝からテイクアウトのお客さんが次々とやって来た。


かなりドタバタはしたものの、スタッフみんなでなんとか切り抜けた。


グランドオープンから数えて、二回目の週末。

少しずつだけど、応援スタッフがいなくても様になってきていた。


◇◇◇


午後1時半を過ぎたころ。


ひと息ついた詩音は、返却ワゴンの本を元の棚に戻していた。


ふと、本棚エリアの奥に目をやる。

一人の女の子が、じっと写真集を見つめていた。年の近そうな、白いストライプのふわっとしたワンピースにブラウンのグルカサンダル。

小柄でほっそりしているのに、輪郭はやわらかくて──空気みたいな雰囲気のある子だった。


「……ふわっとしてる子だなあ」

そんな言葉が、ふいに頭に浮かんだ。


彼女が手にしていたのは、「風のあとを、歩く」。


──あ。


詩音の胸が、軽く跳ねた。

大好きな一冊。たった一枚の写真で、一日の気持ちが救われるような、そんな本。


その子は、ページを一枚ずつゆっくりめくっていた。

ときどき、かすかに笑っているようにも見える。


(……わぁ、なんか、嬉しい)


声をかけたい。どのページが好きか聞いてみたい。でも──


(ダメダメ、今はきっと“ひとりの時間”だもん)


詩音は小さく肩をすくめて、本棚に向き直った。



他の本棚への整理もひと段落して、再びさっきの場所を通ると、あの子は、まだ同じ場所にいた。

(あ、さっきのふわっとした子、まだ見てるんだ…)


同じページを、しばらく見つめたまま…少し笑みを浮かべてるようにみえる。


(あの、ふわっとちゃん……ただの写真集好きってわけじゃないのかも)


そんなふうに感じたのは、気のせいじゃなかった気がする。


◇◇◇


夕方。

ようやく店内に、ゆったりとした空気が戻ってきた。


返却カウンターのあたりで、沙織と詩音が話している。


「沙織ちゃん、休憩取った?」


「取ったよ。今はユキが休憩中かな」


「そっか。今日は忙しかったしね。バイトちゃんたち、大丈夫だったかなぁ」


「かなりしんどかったみたい。くるみなんか、『泡、吹きそうです…』って言ってたし」


そう言って、沙織がクスッと笑う。


「頑張ってたもんね、くるみちゃん。今度会ったら、褒めてしんぜよう」


詩音も笑顔で言う。


「それよりさ、詩音。あのS1のソファ席の子、いるじゃん?」


言われて詩音がちらっと振り返る。


あの写真集を見ていた"ふわっとちゃん"が、ソファにすっと腰を下ろし、膝に文庫本をのせている。きれいな姿勢で、指先だけが静かにページをめくっていた。


「あ、さっきの子……どうかした?」


「朝からずっといるみたいなんだよ」


「朝から? コーヒー一杯で?」


「ううん、いろいろ注文はしてくれてる。でも、開店からずっとだって。ユキが言ってた」


「へぇ……」


再び"ふわっとちゃん"に視線を戻す詩音。

彼女は、文庫の文字を追いながら、ほんの少し口元をゆるめていた。


沙織がぽつりと言う。


「楽しそうに読んでるよね。本、好きなんだろうなあ」


「楽しそう……なのかなぁ」


詩音の口からこぼれたひと言に、自分でも少し驚く。

そう言ったあとで、もう一度、表情を見た。


たしかに微笑んでいる。でもそれが、本の内容によるものなのか、それともただの癖のようなものなのか、うまくつかめない。


──あの笑顔、なんだろう。楽しそう、に見えて……なんか、ちょっとだけ、遠い。


その"ふわっとちゃん"は、午後5時すぎに店をあとにした。

「ありがとうございました」というスタッフの声に、変わらずにこにこと笑って、軽く会釈し、ゆっくりとエントランスを出ていく。


詩音も、その背中に向かって言った。


「ありがとうございました……」


でもその言葉は、どこか宙に浮いたまま。


──不思議な感じの子だな。


言葉にならない何かが、まだ胸のどこかに残っている。

カランコロン……

ドアのベルの音が、なんとなく寂しく聞こえた。



ここまで読んでくださってありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ