第78話 ふたりのキャンプ計画帳
広瀬梓は、久しぶりのキャンプに来ていた。
場所は、山梨県の杜志の森キャンプ場。
川沿いの林間にサイトが広がる、静かなキャンプ場だ。
平日ということもあり、人はまばら。
梓が選んだのは、川を見下ろすような木立のサイト。隣の区画とは木々が自然に区切りになっていて、プライベート感もある。
ローチェアに腰を下ろし、川のせせらぎを聞きながら、ただゆっくりとした時間を過ごす。
風が気持ちよくて、読書をするでもなく、何かを考えるでもなく…。
「やっぱ、林間はいいよな。落ち着く」
ぽつりとひとりごとをこぼす。
空気も景色も、いつもと変わらない。時間の流れも、今までと同じ……
でも、ほんの少しだけ、違うことがあった。
ポケットの中で、スマホがブッと小さく震える。
普段なら電源を切っているはずのスマホを、今日はなぜか持ち出していた。
梓は少し迷ってから、画面をのぞき込む。
グループチャット《Rain》──メイからのメッセージだった。
メイ:「キャンプはどう?」
あずさ:「楽しんでるよ」
キャンプ中にグループRainが来るなんて、今までなかったことだ。
メイ:「今日はどこのキャンプ場?」
あずさ:「杜志の森キャンプ場ってとこ。静かでいいよ」
送信した直後、もうひとつの通知が飛び込んできた。
しおん:「明日の夜、キャンプ作戦会議やるよ!」
その文面から、詩音のテンションがビシビシ伝わってくる。
(げ……明日って、帰ったばっかで後片付けもあるのに)
あずさ:「行けない」
間を置かずに返ってきた。
しおん:「えー!あずさちゃんのいけずー!」
思わず笑ってしまう。頭の中に、口を尖らせる詩音の顔が浮かんだ。
メイ:「無理しなくていいから。これたら来てね」
メイのやさしさが、画面越しにふわっと伝わる。
梓は、ひと言だけ返した。
あずさ:「はいよ」
スマホをポケットにしまい、深くローチェアにもたれる。
目を上げれば、木々の向こうに星がにじんでいた。
ひとりの時間を楽しむために来たはずのキャンプ。
でも、こうして誰かと繋がっている感覚も──
「……こんなキャンプも、悪くないな」
静かにそう呟いて、夜空を見上げた。
◇◇◇
翌日。
キャンプ作戦会議の当日。
会場は、メイの自宅だった。
夕方、仕事を終えた詩音は、ふれあい文学館の近くにある小さなベンチでメイを待っていた。
そこへ、メイが少し足早にやってくる。
「ごめんね、待った?」
「ううん、そんなに。じゃあ行こうか」
「……あ、その前にちょっと寄りたいとこあるんだけど」
メイが言うと、詩音は「おっけ〜」と軽く返して、二人は大通りの先にある、葛城書店へ向かった。
店内では、いつものように店長の柳森さん──淳子が、おすすめ書籍コーナーで本を並べていた。
顔を上げた彼女は、すぐに二人に気づいて、にこっと笑う。
「あら、メイちゃん、詩音ちゃん。いらっしゃい」
その柔らかな声と笑顔に、詩音が思わず「おつかれさまです〜」と返す。
メイもほっとしたように「おつかれさまです、淳子さん」と挨拶した。
つい数ヶ月前までは「柳森さん」と呼び、会うたびに緊張していたのが、今では嘘のようだった。
「あ、そうだ。メイちゃん、アレ取りに来たんだったわね?」
「はい」
淳子の言葉にうなずくと、メイはレジカウンターへ向かう。
詩音も横から顔を覗かせるように、メイについていった。
「アレって何〜?」
「はい、これね」
カウンターの下から出されたのは、取り置きしていた二冊の雑誌。
「月刊ミューと……月刊キャンプ・スタイラーズね。今月号はコーデ特集らしいわよ」
「うぉー、キャンプ雑誌!オシャレなやつだー!あとで見せてね!」
詩音の目がキラキラと輝く。
メイが会計を済ませている間、淳子はにこやかに言った。
「最初はキャンプのこと、内緒にしてたものね、メイちゃん」
「……あ、はい。あのときは、私がキャンプなんて、おこがましいというか……できるか自信なかったし」
「ふふっ。じゃあ今は、本格的なキャンプ女子、誕生かしら」
「え、そんな大層な……!」
メイはちょっと照れながら、頬をかいた。
「ありがとうございました〜!」
詩音が元気よく手を振る。
「早く行けるといいわね、キャンプ」
帰り際、淳子がそう声をかけてくれた。
「はい」
メイが軽く会釈し、詩音はピースサインでにっこり笑う。
店を出ると、詩音はさっそくメイの袋を覗き込みながら、「あ〜もう楽しみ〜」と笑っている。
メイはその横顔を見ながら、ふっと微笑んだ。
キャンプのことを誰かと話すのが、こんなに自然になっていることが、ちょっと不思議に思えた。
葛城書店を出たあと、二人は近くのスーパーに立ち寄った。
お弁当を選んでいるメイの横で、詩音がいつの間にかカゴにお菓子をどっさり入れてくる。
「会議にお菓子は必須でしょ!あとジュースもね!」
「わかった、わかった」
思わず笑ってしまうメイ。楽しそうな詩音を見て、気持ちが少し和らいだ。
◇◇◇
スーパーでの買い物を終えて歩くうちに、メイの自宅が見えてくる。
「あれだよ」
メイが指をさすと、詩音は「おおっ」と声をあげる。
「メイちゃんち、ホントにラフォーレから近いんだね〜」
そんなことを話しながら、玄関前へ。メイが鍵を開けて、電気を点ける。
「おじゃましまーす」
詩音はちょっと背筋を伸ばし気味に、玄関をまたいだ。
「ようこそ〜」
冗談っぽく言いながら、メイはスリッパを出す。
「広いねぇ」
「詩音のとこほどじゃないよ」
「うちは二世帯だからね〜」
詩音はきょろきょろと家の中を見回しながら、メイの後に続く。
「なんか静かだね。うちだったら、チワワの洗礼に遭うから、玄関開けた瞬間から大騒ぎだよ」
「チワワ、無駄に元気だもんね」
ふふっと笑いながら、メイは詩音をリビングへ案内する。
キッチンとつながったリビングは、整然としていて、どこか静かな空気が漂っている。
「……うわ、綺麗にしてるねぇ」
詩音は感心したように部屋を見渡し、キッチンにも目を向けた。
「っていうか、キッチン。……綺麗すぎない?あんまり使ってないとか?」
「……あれ?バレてる?」
ちょっと照れたように笑うメイ。
「まぁ、適当に座ってて。お弁当、少し温めるね」
メイはテレビをつけて、手際よく買ってきた夕食を並べていく。
音のない部屋に、テレビのBGMがふわっと流れた。
食事をしながら、ふと詩音が口を開いた。
「これだけ広いと、寂しくない?」
メイは箸を止めて、少し考えるように言った。
「うーん……あまり、かな。っていうか、慣れたのかも。それに、ひとりでいるの嫌いじゃないし」
「そっかー。私だったら、すぐ誰かに電話しちゃうな」
「それ、詩音らしいね」
メイは、ちょっとだけ笑った。
◇◇◇
ご飯も食べ終わり、ダイニングのテーブルには、ジュースとお菓子がずらりと並んでいる。
いよいよ、キャンプ作戦会議がスタート。
「ジャジャーン!」
詩音がバッグから大学ノートを取り出す。
表紙には、マジックで太く『キャンプ計画帳』と書かれていた。
「お、アナログだね」
メイが笑うと、詩音は得意げにうなずく。
「なんとなく、ノートのほうが気分出るかなって」
そう言って、ボールペンを手にノートを開く。
「で、何から決めよっか?」
「まずは日程かな。合わせて行くってなると、休みが問題だよね。私たち、土日固定じゃないし」
「だよね〜。ラフォーレの10月のシフト、前半はもう決まっちゃってるし……今からだと、10月後半か11月くらいかなぁ」
「展示エリアの変更、11月からだよね? だったら10月後半に連休取るのは、ちょっと難しいかも」
「そっか……じゃあ、11月入ってからかぁ……」
一瞬、詩音の声がトーンダウンする。
「でも逆にいいんじゃない? 暑くないし、虫も少なくなってそうだし」
メイのひと言に、詩音の表情がぱっと明るくなる。
「それもそうだね! じゃあ仮にだけど、11月の第二週、火曜と水曜にしとこっか」
「うん、まだ先だし、変更もできるしね」
「じゃあ、暫定だけど──決まりっ!」
ふたりの間に、軽く手を打ち合わせるような空気が流れる。
キャンプの第一歩が、静かに踏み出された。
詩音がノートに日程を書き込む。
「よし、じゃあ次は?」
「次は……どこに行くか、だね」
メイが言うと、詩音は間髪入れずに叫んだ。
「富士山ドーンがいい!」
「意義、なーし!」
メイも笑いながら乗っかる。
「前に、梓ちゃんが言ってたよね。富士山見えるとこなら、朝霧高原あたりがいいって」
メイの言葉に、詩音はさっそくスマホを取り出して、ゴーグルマップを開く。
「このへんだったと思うんだけど……あの広〜いキャンプ場、なんだっけ……」
「あ、多分ここだよ。麓高原キャンプ場」
メイが画面を覗き込みながら指差した。
ふたりでスマホの画面に映った写真を眺める。
一面の芝生に、どーんと構える富士山。遮るものは何もない。
「わぁ、富士山、いいねー!」
詩音の声がはずむ。
「トイレも綺麗そうだし、ここ良さそうだね」
メイも納得の様子でうなずく。
「じゃあ──賛成多数により、麓高原キャンプ場に決定しまーす!」
詩音が勝手に採決して、ノートに『麓高原キャンプ場』と書き込んだ。
場所、決定。
「……あ、ここって予約とか必要なんじゃない?」
詩音がスマホをいじりながら言った。
「たぶん必要だと思う」
メイもスマホをのぞきこむ。
「日にち、本決定したら、早めに予約しちゃおうか」
「うんうん、そうしよ。もうなんか、ワクワクしてきたよね……」
メイは、ふと笑みを浮かべる。
「目の前に富士山ドーンのキャンプ……早く行きたいなぁ」
ジュースのグラスを持ったまま、ふたりはなんとなく“その景色”を想像する。
まだ見ぬキャンプ場の風が、部屋の中をかすかに通り抜けたような気がした。
「……あ、続きやらなくちゃ」
詩音が我に返ったように言う。
「持ち物とかチェックするの、まだ早いかな?」
「でも、必要なものは早めに揃えておいたほうがいいかもね」
「だよね、大雑把でもいいからチェックしてみようよ!」
詩音はノートの次のページを開き、上に大きく“持ち物チェック表”と書いた。
「えっと、詩音も私も、今持ってるのって──テントと寝袋……」
「シェラフ、だよ!」
「……え?」
「寝袋じゃなくて、シェ・ラ・フ!最近覚えたんだから!」
メイは思わず笑ってしまう。
「はいはい、わかったよ、シェラフね」
ちょっと苦笑いしながら、メイは続けた。
「で、他には何か持ってる?」
「……それだけ、かな」
「そっか。じゃあ──寝袋……じゃなくて、シェラフの話が出たし、まず寝床まわりからいこうか」
「うん、行ってみて!」
詩音はノートに「テント」「シェラフ」と書き込みながら、楽しそうにうなずく。
「枕は、着替えを丸めて代用すればいいとして……マット。これ、あったほうがいいと思うよ」
「マット?」
「うん。シェラフの下に敷くやつ。地面がでこぼこだと体痛くなるし、冬キャンだと下からの冷えも防いでくれるから」
「なるほど〜。じゃあ、マットと……」
詩音がノートに書き足す。
「寒さ対策だと、湯たんぽとか使い捨てカイロもあると安心かな」
「へぇ〜……」
詩音は感心しつつ、真剣な顔で書き込んでいく。
「寝るとこは……そんなもんかな?」
メイが言うと、詩音は大きくうなずいた。
「眠るところ以外だと……他に何が必要かな?」
メイが言うと、少し考えてから続けた。
「二人で行くなら、タープとか焚き火台は私のでいいとして……あとは、チェアとか?」
「おっ、椅子ね!」
「……そこは日本語なんだ」
メイがツッコミを入れると、詩音は“やっちゃった”という顔で笑った。
「デヘヘ。えーと……チェアっと」
ノートにカタカナで“チェア”と書き込みながら、顔を上げる。
「チェアって、いろんな種類あるよね?どんなのがいいのかな」
「うーん、好みだけど……私はローチェアにしたよ。地面に近いから落ち着く感じで」
「使ってみてどう?」
「……デイキャンプの時は忘れてっちゃったからなぁ」
メイはちょっと苦笑いする。
「でもね、座り心地はいいんだよ」
「へぇ〜〜……」
詩音が何か思いついたように、パッと顔を上げた。
「あ、ここメイちゃんちじゃん!チェア、あるよね?」
「うん、あるよ」
「メイちゃんのチェア、座らせてもらっていい?」
「そうだね、実際に座ってみたほうがわかりやすいよね。隣の和室に置いてあるんだ」
そう言って、メイが立ち上がると、詩音もノートを抱えたまま、ぱっと立ち上がった。
「行く行く!現地視察〜!」
笑いながら、二人はそのまま隣の和室へと向かった。
リビングの襖を開けると、隣の和室には、メイのキャンプギアがきれいに並べて置かれていた。
テントや調理道具、ギアケースなどが、整然とまとめられている。
「ここに置いてあるんだ。ちょっと待ってね」
メイが縁側の窓を開けると、少し涼しい風が入り込んできた。
踵を返してキャンプギアの前に行き、ローチェアを引っ張り出す。
「広くていいよね、ここ……」
詩音は和室の中をゆっくり見渡す。
ふと目に入った仏壇に近づき、立てかけられた遺影をそっと見つめた。
「……これって、メイちゃんのお父さんとお母さんだよね」
「うん、そうだよ。その隣が、おじいちゃんとおばあちゃん」
チェアを組み立てながら、メイが答える。
声のトーンはいつもと変わらないけれど、その手つきはどこか丁寧だった。
「メイちゃんのお母さん、目元がメイちゃんとそっくりだね」
「そうかなぁ。昔、そんなふうに言われたこと、あったかも」
「お母さんも……美人さんだったんだね」
感慨深くつぶやく詩音に、メイは少しだけ照れたように笑った。
「それって私、褒められてる?」
「もちろんでしょ」
そのとき、チェアがカチッと音を立てて完成した。
「はい、できたよ」
メイが誇らしげに言う。
詩音の目の前に現れたのは、背もたれが低くて、どこか“ちょこん”とした感じのローチェア。
軽そうなフレームに張られた座面は、オレンジやネイビーが組み合わさった三角模様のデザイン。
山の夕暮れみたいな色味で、どこかあたたかくて、おしゃれだった。
「うわ〜、かわいい! 座っていいの?」
「どーぞ」
詩音がそっと腰を下ろす。
お尻がふわっと沈み込む感触に、思わず声が出る。
「わー、なんかいいかも。雰囲気、わかるわ〜」
「でしょ。ロースタイルの方が落ち着く気がして、私もこれにしたんだ」
「やっぱ、座ってみないとわかんないもんだね。……私もローチェア買おう!」
詩音はそのままノートを膝に乗せて、チェアの横に『ローチェア』と書き込んだ。
書き終えた詩音が、また何かを思いついたように、ぱっと顔を上げてニコッと笑った。
「そういえばさー、メイちゃん。ランタン持ってるって言ってたよね?」
「うん。オイルランタンね」
「それさ……つけてみない?」
遠慮がちだけど、明らかに期待がにじんだ目で、詩音はメイを見つめた。
「あ、それいいかも!」
「うぁーい!」
期待が叶って、詩音はチェアに座ったまま小さく拍手をする。
「二階にあるから、ちょっと取ってくるね」
メイはそう言って、二階の自室へと向かった。
一人残された詩音は、和室のキャンプギアをぐるりと見渡す。
(メイちゃん、いろいろ調べながら、ひとつひとつ揃えたんだろうな……
私も、もっとキャンプ詳しくなりたいな)
そんなことを考えているうちに、メイがランタンを手に戻ってきた。
「このランタンだけは、自分の部屋に置いてあったんだね」
「うん。西伊豆のおばあちゃんからもらったやつだから……なんとなく、近くに置いておきたくてさ」
「……大切なランタンなんだね」
詩音が、ぽつりとつぶやく。
メイは何も言わず、ミニテーブルをさっと組み立てて、詩音の前に置いた。
そして、持ってきたランタンをそっとその上にのせる。
「今、火をつけるね」
メイがライターを使って、オイルランタンに火を灯す。
ぽっ──と、柔らかい灯りが点った。
「……電気、消してみようか」
「うん」
メイが部屋の明かりを消すと、ランタンの揺れる炎が、和室の空気をそっと染めていく。
縁側の向こうに見える住宅街の景色は、いつもと変わらないはずなのに、不思議と趣があるように見えた。
メイが詩音の横に静かに座る。
しばらく無言で眺めていた詩音が、ぽつんとつぶやいた。
「……私も、こんなランタンほしくなっちゃった」
「今度また、マウントワンに行ってみよっか」
ふと、秋の風がそっと部屋に吹き込んできた気がした。
「なんか、いいね……」
「うん。早く行きたいな、キャンプ」
そうつぶやいたふたりの顔を、ランタンのやさしい灯りが、静かに照らしていた。
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