第75話 ラフォーレ送別会 〜ありがとうをこめて〜
American Bar PAROの店内では、Philip BaileyとPhil Collinsの「Easy Lover」が陽気に流れている。
カフェ・ラフォーレ リーヴルス送別会は、その軽快なリズムに乗せて、ますます賑やかさを増していた。
その一角、L字形に並べられたテーブルの左手前。
アルバイトチームのミホ、虹香、亜里沙、陽菜の四人が、空になったローストビーフの皿を前に、身を寄せ合って話し込んでいた。
「そういえばさ、応援チームの人たちって、今日までなんだよね?」
ミホが言うと、虹香が頷いた。
「うん。ラフォーレに残るのは、敦子店長と、詩音さん、沙織さん、ユキさんだけだもん」
「そっか……。美智子さんと、京子さんと、志麻さんと、明美ちゃんは、もう明日から別の店舗に戻っちゃうんだ……」
「だから“送別会”ってわけだけどさ……」と亜里沙がつぶやくと、
「なんか、寂しいよね」陽菜の言葉に、ほかの三人も、ふっと顔を曇らせた。
──その時だった。
ジャカーン!!
いきなり響き渡った大音量のエレキギターの音に、店内が一瞬静まり返る。
みんなが驚いて振り返ると、音の主は……肩から赤茶色のレスポールを下げた、どや顔の詩音だった。
「詩音、勝手に触っちゃダメだろ」
沙織がすかさずツッコミを入れる。
「だって、チーフがいいって言ったんだもん!」
ちらりとカウンターに目を向けると、料理をしていたPAROのチーフが、笑いながら片手でOKサインを出していた。
「あのギターって、ただの飾りかと思ってたけど……ちゃんと音が出るのね」
京子が感心したように敦子に言うと、
「ここね、月イチくらいでライブやってるのよ。プロとかアマとか、いろんなミュージシャンが来て……」
敦子の説明が始まったその時、詩音がまた、ジャカーン!と派手に一発鳴らした。
マイクの音はやや割れていたが、本人はまったく気にしていない。
「みなさん、注目でーす! これから、席替えをしまーす!」
「席替えって……学生か」
沙織が苦笑する。
「だってさ、せっかくの機会なんだし、いろんな人と話したいじゃん?」
ギターを丁寧に肩から下ろし、「ありがとうございました〜」とスタッフに返しながら、詩音は沙織の方へ顔を向けて、いたずらっぽく笑った。
「じゃあ、お誕生日順で並びまーす!もちろん“年はナシ”ね。生まれた“月日”だけで!」
大人チームが目を合わせて、思わず苦笑い。
「えーと、1月生まれの人はその辺ね、からの、順番に時計回りで〜!」
詩音が一番奥の席を指さしながら、にこにこしている。
「みんな、飲み物とお箸とお皿を持って移動でーす!」
詩音の号令とともに、「君の瞳に恋してる(Can’t Take My Eyes Off You)」がスピーカーから流れ出す。軽快なビートに合わせて、それぞれがグラスとお皿を手に立ち上がった。
「わたし、1月12日生まれでーす!」
アルバイトチームの亜里沙が、まわりを見渡しながら一番目の席に着く。
「2月生まれ、誰かいる〜?」
「私、3月2日でーす!」
そんな声が飛び交いながら、順番に席が埋まっていく。
5月14日生まれのメイは3番目。その横にくるみ、明美と続いて座る。
「私は6月21日だから、ここかな?」
詩音がその隣に腰を下ろし、にっこり笑った。声を掛け合いながら、みんなの席が自然と決まっていく。
12月28日生まれの志麻が最後に座って、新しい席順が完成した。
「私、メイさんと1日違いなんですね!」
くるみがうれしそうに話しかけると、
「じゃあ、くるみちゃんも牡牛座だぁ」
メイが柔らかく微笑んで返す。
12月生まれの淳子と志麻は、クリスマスとか年末年始のイベントで誕生日が霞んじゃう話題で盛り上がり、ユキと虹香は蠍座の習性について、なぜか熱く語り合っていた。
新しい席になっても、おしゃべりは止まらない。
グラスの音と笑い声が、PAROの空間に心地よく響いていた。
七品目 ミートソース パスタ
大皿にたっぷり盛られて出てきたのは、知る人ぞ知る――PAROの名物・ミートソースパスタ。
濃厚なのにくどさがなくて、ひと口食べたらもう止まらない。
どこか懐かしい香りが、テーブルの上にふわっと広がっていく。
「料理、これで最後ね〜」
カウンターの奥から、PAROのチーフが声をかけてくる。
ちょうどそのタイミングで、スピーカーからNatalie Imbrugliaの「Torn」が流れ始めた。
まるで今夜のラストメニューを演出しているかのようだった。
「ミートソース、キター!」
誰よりも早く反応したのは敦子。
「チーフのミートソース、メチャ美味しいのよ」
弾んだ声に、向かいの席の亜里沙が笑いながら応じた。
「とってもいい匂いですね〜」
取り分けながらうれしそうに話す亜里沙の隣で、志麻がふとつぶやく。
「なんか品数、すごくないですか?」
「絶対、チーフ、サービスしてくれてるわ」
敦子が目を細めてカウンターを見やると、チーフがにこやかに笑いながら返してきた。
「いやいや。でも、食べきれなかったらテイクアウトしてもいいからね。もちろん自己責任で」
最後の一品も、ほぼ完食。
お皿の中に名残惜しそうなソースが少し残るだけ。
横に並んだミホと美優は、そっと椅子に背中を預けながらため息をつく。
「いや〜、お腹いっぱい……」とミホ。
「食べすぎちゃった。ヤバいかも……」と美優がお腹をさする。
ちょうどそのとき、店のスタッフのお姉さんが、大きなお皿をカウンター横のテーブルに並べ始めた。
「デザートビュッフェ、こちらに置きますね〜。ご自由にお取りくださいね」
その言葉に、ミホと美優が顔を見合わせる。
「今日は……チートデーだね!」
「うん、明日からダイエット頑張ろう!」
そう言って笑いながら、ふたりは軽やかにデザートのテーブルへと向かっていった。
八品目 ビュッフェ風 三種のデザート
店内に流れはじめたのは、Norah Jonesの「Don’t Know Why」。
しっとりとしたメロディが、にぎやかだった空間に、少しだけ落ち着いた空気をもたらす。
カウンター横のテーブルには、気取らないスイーツビュッフェが用意されていた。
まずは、ふわっと軽いシフォンケーキ。
横にはホイップクリームとベリーソースが並び、好みでトッピングできるスタイル。
その隣には、大きなボウルに入ったフルーツポンチ。ナタデココ入りで、白ワインソーダやラムネで割れば、オリジナルドリンクに早変わり。
氷のバケツにはアイスキャンディーが差してあって、自由に飾れるちょっとした遊び心も楽しい。
最後は、串に刺さった三色団子。
木のトレイに整然と並べられていて、どこか懐かしく、素朴な甘さにほっとする。
ミホはさっそく、フルーツポンチをレードルですくって白ワインソーダを注ぎ、キウイ味のアイスバーを飾る。
「これ、どう?かわいくない?」
得意げに差し出すミホに、美優も負けじと手を伸ばす。
未成年らしくラムネソーダを注ぎ、パイン味のバーを刺して完成。
「わ、きれい〜」
そこへ沙織がやってきて、自分好みの組み合わせを真剣に考えはじめる。
その横では志麻が、ふんわり微笑んで三色団子をお皿に取っていた。
「デザートは、別腹よね」
そんなふうにして――
それぞれのお皿に、小さな甘さが少しずつ重ねられていく。
にぎやかなテーブルに、静かで優しい余韻が広がっていた。
スイーツで盛り上がる一方、テーブルの端では詩音と明美が肩を寄せ合っていた。
「明美ちゃん、明日から自分のお店に戻っちゃうんだよね……」
「ええ……」
詩音がぽつりとつぶやくと、明美も少し声を落とす。
「……なんかさ、寂しいよ」
「私もです」
そう言って明美は、詩音の顔を見ながら優しく微笑んだ。
「でも……ラフォーレでの仕事、すごく楽しかったです。ここに来れて、本当に良かったです」
その笑顔を見た瞬間、詩音の目に涙がたまる。
「うぅ……明美ちゃん……」
そう言いかけた次の瞬間、
「うぇーん……」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、詩音は思いきり声をあげて泣き出した。
「詩音さん、泣かないで……私も……」
明美の瞳にも、うるっと光るものが浮かんでくる。
「おやおや、二人とも泣き上戸かしら?」
前の席で三色団子をつまんでいた淳子が、あっけらかんと笑いながら言った。
「おーい詩音、泣くのはまだ早いぞー」
遠くの席から沙織のツッコミが飛んでくるが、詩音の涙は止まらない。
その場の空気が少ししんみりしはじめた、ちょうどそのとき。
詩音の背後に立っていたユキが、静かに声をかけた。
「詩音さん、シフォンケーキ、美味しいから食べて」
フォークにひと口分刺したケーキを、そっと差し出す。
「だって、だって……」
泣きじゃくりながら、詩音は小さく首を横に振って抵抗する。
「いいから。はい、あーん」
仕方なく、ユキに促されるまま、あーんと口を開けた詩音に、ふわっと甘いケーキが運ばれる。
「……ん? なにこれ、美味しい!」
涙目のまま、もぐもぐと噛みしめているうちに、顔がぱっと明るくなっていく。
「これ、取ってくるわ!」
そう言って席を立つと、シフォンケーキのもとへと駆けていった。
「泣いて笑って走って……おまえ、劇団か?」
沙織のひとことで、笑いが広がる。
さっきまで潤んでいた場の空気が、嘘みたいに明るくなった。
デザートビュッフェが始まると、店内を歩き回る人たちが増え、あちこちで記念写真を撮る姿もちらほら。
さっきの席替えの効果か、あちこちで人の輪ができていて、店内は軽いざわめきに包まれていた。
メイがトイレから戻ろうとすると、ふと、カウンターの端に一人座っている美智子の姿が目に入る。
ジントニックのグラスを手に、どこか遠くを見つめるようにしていた。
メイはすっとその横に立った。
「美智子さん……」
「あ、メイ。楽しんでるか?」
そう言って微笑んだ美智子だったが、その顔には、どこか小さな翳りがあった。
「美智子さん。あの……いろいろ、ありがとうございました」
「なに、改まってんだよ。……まあ、座りな」
少し照れくさそうにしながら、隣の席を手で示す。
「はい……」
メイは軽く会釈して、隣のカウンターチェアに腰を下ろした。
「メイも、ラフォーレのためにありがとな」
「……いえ、そんな」
しばし沈黙が流れる。
ざわつく店内の声が、妙に近くに聞こえた。
「こうやって話すの、あの店以来だな……Bar Phase」
「はい。そうですね」
「……梓、ずいぶん変わったよ」
グラスを揺らしながら、美智子がぽつりと言った。
「グランドオープンのとき、久しぶりに会ったけどさ。少しだけ……心、開いた気がしてた」
「そうですか……」
メイは、ふと自分の胸の奥にも同じ感覚があったことを思い出す。
「私もなんか、そんな気がしてました」
美智子は一呼吸置いてから、ふっと微笑んだ。
「私が言うのも変だけどさ。嬉しかったんだよ、正直」
「メイが、梓のことを気にかけてくれて……ありがとな」
「……いいえ」
声は小さくても、その気持ちはちゃんと伝わっていた。
「明日からはもう、ラフォーレ勤務じゃなくなるけどさ。代官山の店にも、遊びに来いよ?」
「はい。行かせてもらいます。……詩音と梓ちゃんと一緒に」
そう言ってメイが視線を送った先には、「このシフォン、メチャ美味しい〜!」と無邪気にガツガツ食べている詩音の姿。
思わず二人とも、くすっと笑ってしまった。
「あー、詩音のツッコミ、肩凝るわ〜」
笑いながら沙織がこぼすと、隣に座っていたユキがぽつりと返す。
「詩音さん、ガチ天然ですから。……タイミング、難しい…」
そのとき、「ユキさん、一緒に写真撮りましょう!」と、バイトチームの誰かに腕を引かれ、ユキはそのまま立ち上がった。
「ユキ、いってら〜」
沙織はにこやかに手を振ると、ふっと肩の力を抜くように一息ついた。
そのタイミングで、横に京子が腰を下ろす。
「沙織ちゃん、お疲れさま」
「あ、京子さん……」
少し姿勢を正して、沙織はぺこりと軽く頭を下げた。
「ほんと、お世話になりました」
「いやだ〜、やめて。泣いちゃうから」
京子は手をひらひらさせながら、笑ってそれを制した。
そんな二人の会話に被さるように、にぎやかな声が聞こえてくる。
「志麻さーん、明日もラフォーレ来て〜!」
詩音が志麻のブラウスの裾をつかんで、またもやぽろぽろ涙をこぼしている。
「ユキー! 詩音の口に、またケーキ突っ込んどいてー!」
沙織が笑いながら声を張ると、店内に軽く笑いが広がった。
「まったく……あいつ、そんなに飲んでないんだけどなぁ」
泣きじゃくる詩音を見やりながら、沙織は肩をすくめて笑う。
それを見て、京子がやさしくつぶやいた。
「ああ見えて、詩音ちゃん、繊細だから」
「……ですね」
沙織も少しだけ視線を落として、やわらかく微笑む。
「沙織ちゃん……詩音ちゃんのこと、これからも支えてあげてね」
京子の声は、静かであたたかかった。
「はい。……まあ、もう腐れ縁ですからね」
沙織は少し照れたように言いながら、それでもどこか嬉しそうだった。
二人の視線の先では、ユキにシフォンケーキを突っ込まれた詩音が、もぐもぐしながら笑っている。
「やっぱ美味しい〜!」
そんな様子に、明美がぽそっとつぶやいた。
「シフォンケーキって……泣き止め薬なんですか〜?」
そのひと言で、また店内に笑いがふわっと広がった。
午後4時に始まった送別会は、すでに4時間半をゆうに超えていた。
カウンターの近くで、淳子がそっと敦子に目くばせする。それに気づいてうなずくと、敦子は席を立ち、詩音のもとへ向かう。
「気づけばもうこんな時間ね……」と小さく呟き、詩音に顔を向けて一言。
「そろそろ……ね」
詩音は小さくうなずき、最後のシフォンケーキをゴクリと飲み込むと、楽器やアンプが置かれている広めのスペースへと移動した。
「えーと、みなさん! 宴、たきなわではございますが……」
「“たけなわ”だろー」と、すかさず沙織のツッコミが飛ぶ。
「そう、それ……なんですが、そろそろお開きの時間となりました。えーと……えーと……なんか、寂しいです……」
案の定、目が潤んできた詩音に、横から敦子が軽く肩を叩いて助け舟を出す。
「はいはい、詩音ちゃんありがとう。もうシフォンケーキもないから、ここは私からひと言、いいかしら?」
笑いが起こる中、敦子が立ち上がったその瞬間、店内の照明がふっと落ちる。代わりに、柔らかなスポットライトが彼女に当たった。
BGMは、Jason Mraz の “I’m Yours”。
「ちょっと、チーフ? 私、主役じゃないんだけど」
カウンターのチーフに向かってそう言うと、マスターはサムズアップして、にこりと笑う。
そのスポットライトをよく見ると――お店のスタッフの男の子が、台の上で大きなライトを手で持っていた。照明というより、手作り感満載の“手持ちライト”。
「ありがとう、チーフ」
敦子は軽く頭を下げ、明かりの先で手を振る。
「じゃあ、こっちに出てきてもらっていい?」
京子や美智子、明美、志麻が呼ばれて、敦子の横に並ぶ。アンプの前、まるで即席のライブステージのような雰囲気。
「沙織ちゃん、お願いね」
敦子の声に、沙織がうなずき、カウンター奥に隠してあった紙袋を取り出す。中から出てきたのは、ラッピングされたかわいい花束が四つ。
ガーベラにカスミソウ、ふわっと香るハーブ。
色とりどりなのに、どこか落ち着いた雰囲気――
それは、まるでラフォーレ・リーヴルスそのものだった。
詩音、沙織、ユキ、メイが、それぞれの手で、応援スタッフ一人ひとりに花束を手渡していく。
「ありがとう」
「きれいねぇ」
柔らかな声と、自然な拍手が、店内に広がっていった。
敦子が前に進み出て、マイクを手にした。
「志麻ちゃん、京子ちゃん、美智子ちゃん、明美ちゃん。二ヶ月ちょっとだったかしらね。本当にありがとうございました」
一人ひとりの顔を見渡しながら、やさしく続ける。
「これからは、それぞれのお店で、ラフォーレで得た経験を活かして、また頑張ってくださいね。本当にお疲れ様でした」
「ありがとうございました!」
送られる4人が、口をそろえるようにお辞儀すると、店内からは大きな拍手が沸き起こる。
「じゃあ、一人ずつひと言いただこうかしら。まずは志麻ちゃんから」
マイクが志麻に手渡されると、手作りのスポットライトがふわっと彼女を照らす。
志麻は一呼吸おいて、穏やかな声で話し出した。
「今日は、こんな素敵な会を開いてくれてありがとう。あっという間だったけど、本当にいい時間でした。みんなも、これから頑張ってくださいね」
静かな言葉に、自然と拍手が起こる。
続いて、京子。
「毎日、楽しかったわ。特に……詩音ちゃんと沙織ちゃんとユキちゃんのコントが」
「コントちゃいますわ〜!」と、すかさず沙織が突っ込み、どっと笑いが起きた。
三番手、美智子。
「みんなの成長、すごかったよ。ほんとに。一人ひとりがちゃんと前に進んでて……その姿、ちゃんと見てたからね。これからもその調子で!」
重みのある言葉に、スタッフたちがうなずく。
最後に、明美。
「えっと……ほんとに、ラフォーレのみんな、大好きです! また絶対遊びに来ます!」
元気いっぱいの言葉に、大きな拍手と、何人かの「待ってるよー!」の声が重なる。
敦子がマイクを持ったまま、もう一度前に出る。
「それから……」
一瞬の間を置いて、会場全体を見回しながら、声のトーンを少し上げた。
「今夜は、ここにいる全員に――サプライズがあります!」
「え、なに!?」
「サプライズ!?」
店内が一気にざわつく。ざわ…ざわ……!
そんな中、敦子はカウンターの脇から、やや大きめの紙袋を抱えて戻ってくる。
「麗佳社長から、ラフォーレのオープンに尽力してくれた皆さんへのお礼ということで……
なんと!ポケットマネーでプレゼントをいただきました〜!」
紙袋を高く掲げると、店内からは歓声と拍手がどっと沸く。
「ひとりずつ呼ぶから、取りに来てね。まずは……明美ちゃん!」
「はいっ!」と勢いよく手を挙げて、明美が前に出る。
敦子から手渡されたのは、細長く、丁寧に包装された小さな箱。
「何だろ、これ……?」と明美が不思議そうに見ていると、すかさず詩音とくるみが近寄ってくる。
「ちょっと!あけよあけよ!」
「じゃあ、開けるね……」
包装紙をはがし、そっと箱を開けると、中から出てきたのは――上品なツヤを放つ、革製のしおり。
「うわ〜!かわいい!!」
くるみが思わず声を上げる。
すぐにバイトチームもわらわらと集まり、箱の中を覗き込むように輪ができる。
それは、オーブグリーンの本革で作られた栞だった。
木洩れ日を思わせる丸穴やリーフ型の透かし模様があしらわれ、まるで上から光が差し込んでいるようなデザイン。下の方には、小さなコーヒーカップのシルエットとともに、「Café Laforêt Livres」の焼印が入っていた。
そして、縁を縫うように走るワインレッドのステッチが、落ち着いた中にも華やかさを添えている。
明美がそっと裏返すと、そこには淡いサンドベージュのレザー。
その中心に、「Akemi Matsuoka」の筆記体が、エンボス加工で浮かび上がっていた。
「すごーい!名前入ってる!!」
明美が目を丸くすると、くるみや他の子たちも「ホントだ!」「オリジナルだ〜」「めっちゃおしゃれ!」と声を上げる。
その声に耳を傾けながら、敦子がふと笑って言った。
「なるほど、だから包装紙に名前が書いてあったのね」
敦子がぽつりとつぶやいて、再び袋の中をのぞく。
「さてと……これは、淳子ちゃん」
「えっ、私のもあるの?」
「うん、ちゃんと名前が書いてあるわ」
「あはは、麗佳さん、ぬかりないなぁ……」
淳子は少し照れくさそうに笑いながら、包みを受け取った。
その後も、ひとりずつ名前が呼ばれていく。
アルバイトの子たちの分にも、それぞれの名前入りの包装紙。
「あっ、ほんとに私の名前だ……」
「すごーい」
あちこちでそんな声があがって、店内はふわりとあたたかい空気に包まれる。
「で、これが……私のね」
敦子がひとつ、手元の包みを持ち上げる。
「敦子先輩のもあるんですね」
「うん。そのへんは――麗佳さんだからね」
そう言って、敦子はやさしく笑った。
「えーと、これが……メイちゃんね」
「ありがとうございます」
メイも静かに受け取り、箱を開けてみる。中には、やさしい色合いのしおり。表には、カフェ・ラフォーレ・リーヴルスのロゴが刻まれていた。
(……うれしいな)
そっと微笑むメイの横に、詩音がひょいと顔をのぞかせる。
「ねぇ、メイちゃんのも見せて!」
「いいよ」
くるりとひっくり返すと、裏には “Mei Hirase” の刻印。
「名入りなんて、ホント素敵だよね」
メイがそっとつぶやいたとき――
「あれ、なんか入ってるよ」
詩音が箱の底を指差す。
しおりの下には、印刷された一枚の紙が入っていた。
『一枚一枚、心を込めて作りました。手にとってもらえて、うれしいです。
──埼玉県草加市:加輪隅産』
「手作りだったんだ……」とメイ。
詩音はじっと社名を見つめてから、ぽつりとつぶやいた。
「……あ、この会社、知ってるよ」
「え、そうなの?」
メイが聞き返したそのとき――
「みんな、行き渡ったかしら?」
敦子の声が届いて、ふたりの会話はふっと途切れた。
「はーい」とスタッフたちの声が返る。
「じゃあ最後に……総監督だったっけ?詩音ちゃん、締めのひと言、お願いね」
「はいっ!」と詩音が元気に手を挙げて、応援スタッフたちの横に並ぶ。
今度は詩音にスポットライトが当たった。
「えーと……」
下を向いた詩音。
会場の視線が集まり、期待と不安が入り混じるその空気の中で——
顔をパッと上げると、真顔で言い放った。
「我がラフォーレは、永久に不滅です!!」
「詩音、またパクりかよー!」
沙織の鋭いツッコミが炸裂して、店内は笑いの渦に包まれた。
そのあと、全員で記念撮影。
スマホを構えたPAROのチーフが、なぜか得意げに言った。
「撮るよー、ハイ、バター!」
……くだらない親父ギャグなのに、なぜかそれがみんなのツボに入る。
笑いすぎてフレームに収まらないほど、みんなのテンションは最高潮だった。
◇◇◇
PAROの店を出たあとも、すぐには解散せず、
ラフォーレの面々は店の前で名残を惜しむように集まっていた。
ガヤガヤと交わされる、最後の挨拶。
半泣きのくるみの頭を優しくなでる志麻。
敦子としっかり握手を交わす美智子。
明美は沙織に「青山のお店にも来てくださいね〜」と笑いながら軽くハグ。
そんな光景の中にいた詩音のもとに、京子がそっと寄ってくる。
「詩音ちゃん、素敵な送別会をありがとうね」
そこへ志麻も、明美も加わり、それぞれに温かな言葉をかけてくれた。
美智子は最後に、ポンと詩音の肩を叩く。
「…あとは頼んだぞ」
「はい!みんな、ありがとーでした!」
詩音の顔には、もう涙はない。
ちゃんと送り出せたという、晴れやかな笑顔だけが残っていた。
「そろそろ、帰るわよ〜」
敦子のひと言で、それぞれ自然に動き出す。
小さなかたまりになって、矢鞠駅のほうへと歩いていく。
夜の風が、火照った身体を優しく冷ましてくれる。
あたたかくて、ちょっぴり寂しい、送別の夜だった。
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