第73話 新しい一歩の、はじまり
グランドオープンフェアが終わって、二日目の午後。
九月になってしばらく経つけど、外はまだまだ夏の暑さが残っていた。
メイはネイビーの夏スーツに身を包み、大きめのトートバッグを肩にかけて、公園の中を歩いていた。
午前中はふれあい文学館でいつもの仕事。午後からは、カフェ・ラフォーレ リーヴルスに向かう予定になっている。
スーツは少しだけカジュアル寄り。職場には違いないけれど、カフェの空気にはそのくらいのゆるさがちょうどよかった。
スタッフ用の通用口から「おはようございます」と声をかけて中に入ると、ちょうど沙織が休憩中だった。手にしたおにぎりを、もぐもぐと頬張っている。
「──あ、沙織さん。お疲れさまです」
「メイちゃん、おはよう。今日はこれからこっち?」
「はい。グランドオープンフェアの報告書を書かないといけなくて」
「それはそれで、また大変ねぇ」
「お昼、まかないじゃなかったんですか?」
「うん。たまにはお米、食べたくなるのよ」
そう言って、おにぎりにもうひと口。メイはなんとなく見とれてしまう。
「おいしそう……中身、なんですか?」
「ミートボール」
「へぇ〜!ボリュームありますね」
「ふふ。カフェスタッフは体力勝負よ!」
そんなやりとりを交わしながら、メイは「じゃあ、失礼します」と軽く会釈して、店内へと向かっていった。
店内に入ると、ちょうどお昼の混雑がひと段落したところらしく、ほんの少しだけ空気がゆるんでいた。
ホールには静かな会話とコーヒーの香りだけが残っている。
ふと視線を向けると、店の奥。詩音が、美智子さんと向かい合っていた。
美智子さんはタブレット片手に、店内を指差しながら何か説明している。詩音は、真剣な顔でそれを聞いていた。
──頑張ってるな、詩音も。
そう思いながら、メイは静かに奥の展示エリアへと向かっていった。
展示エリアは、グランドオープン仕様の華やかさから、いつもの静かな展示スタイルに戻っていた。
メイは奥のパーテーションで仕切られた小さなスペースに入り、椅子に腰を下ろす。
ここは、スタッフ用の控え室ではないけれど、メイが作業をするときによく使っている“ひとりの場所”だ。
バッグからノートパソコンを取り出し、引き出しの中から必要な資料を引っぱり出す。
役所や文学館との連携もある関係で、報告書の作成は地味だけど欠かせない仕事のひとつ。
──めんどうだけど、ちゃんとやらなきゃ。
そう思いながら、パソコンに向かってキーボードを叩き始めたそのとき。
「お疲れさま〜」
ひょこっとパーテーションの上から詩音が顔をのぞかせた。
「あ、詩音。お疲れさま」
「今、大丈夫?」
「うん。詩音は休憩?」
詩音はニコニコしながら、するりと中に入ってくる。
「うん。美智子さんに、こってり搾られてるよ〜」
「そんな感じだったね。さっき、見てたよ」
「あら、見てたのね〜」
おどけた口調で言いながらも、詩音は少しだけ真面目な顔になる。
「でもさ、話を聞いてると──美智子さんとか、本当に大変だったんだなって」
「うん。あの人、ほとんど全部仕切ってたもんね」
「うん。だけど、来週にはいなくなっちゃうんだよね。
ーー美智子さんも、京子さんも……」
そう言ったあと、詩音はふと視線を落とした。
いつもはにぎやかな彼女の顔に、ほんの少しだけ影が差す。
「そっか。オープンまでの応援スタッフだったもんね」
「うん。残るのは、沙織さんと、ユキちゃんと、わたしの三人だけ」
「今日も半分しかいなかったもんね」
「うん……なんか、ちょっと寂しくなるな〜」
ぽろっとこぼれたその一言。
しんとした空気が、ふわっとメイの胸にも入ってきた──と思ったら。
「──そこでね!メイちゃん!!」
「うわ、どうしたの?」
急にぱっと顔を上げた詩音。
突然のテンションに驚くメイに、満面の笑みで迫ってくる。
「送別会、開こうと思うんだ!」
さっきまでのしんみりした空気はどこへやら。ドヤ顔でこちらをじっと見つめてる。
──そのドヤ顔はすごいけど…
「送別会かぁ。いいね、それ」
「でしょでしょ!あとで店長に相談してみようかと思って!」
「でも、いつやるの?」
「来週の月曜!あのAIシステムなんとかの関係でさ、午後は半日営業になるじゃん?」
「ああ、なるほど。そこなら時間取れそうだね」
「でしょー!」
すっかりウキウキモードの詩音。
「あ、ごめんごめん。仕事中に。
メイちゃん、今日って何時まで?」
「えっと…… 五時までかな」
「わたしも早番だから、どこか寄ってかない?ご飯でもいいし」
「うん、いいよ」
「やったー!じゃあ、またあとでね!」
言うが早いか、詩音はスキップでもしそうな勢いで去っていった。
メイはその背中を見送りながら、ふっと小さく笑う。
──送別会かぁ。なんか、ちょっと楽しみだな。
◇◇◇
夕方。
ラフォーレを出た二人は、並んで矢鞠駅の方へと歩いていた。
風が少し涼しくなってきて、ほんのり秋の気配が混じっている。
「店長に話したらさぁ、『ふふ、ラフォーレ主催じゃなくて、個人の集まりってことでしょ? それなら全然かまわないわよ』って言ってたよ〜」
詩音は、柔らかく優しげな口調で、鈴原店長のモノマネをしながら話す。
「……似てないなぁ」
クスッと笑いながら、メイがつっこむ。
「まあでも、会社が主催ってなると、いろいろ面倒だからね」
「そうそう。美智子さんにも話したんだよ。そしたら、『分かった。ありがとう。京子さんたちにも伝えておくよ』って」
今度は美智子のつもりで、やや低めの声と表情で再現してみせる詩音。
……が、あまりの似てなさに、メイは思わず吹き出す。
「詩音、モノマネ、下手すぎ」
「およよ。そうかなぁ〜?」
二人で笑いながら、ゆっくりと歩く。
ひとしきり笑ったあと、メイがふと聞いた。
「……で、場所はどうするの?」
「店長がね、知り合いのお店に聞いてくれるって。でね、そのお店がすごいの! 飲み放題で、しかも──」
勢いよく語り始める詩音。
メイは「それはすごい!」と相づちを打ちながら聞いていた。
夕暮れの街に、楽しげな二人の声がやわらかく響いていた。
◇◇◇
翌日の朝。
ラフォーレ・リーヴルスの更衣室。
壁に、一枚の手書きポスターが貼られていた。
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\ 送別会のお知らせ /
9月16日(火)16:00から
場所:アメリカンバー PARO(貸し切りだよ!)
会費:5000円(飲み放題で時間無制限なり!)
幹事:沙織ちゃん
会計:ユキちゃん
総監督:わたし
自由参加でーす。希望者は、わたしまで!
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「……いつのまに、幹事になってるのよ」
ポスターを見つめながら、沙織がぼそりとつぶやく。
その隣でユキも、「会計……知らなかった」と小声でつぶやいた。
「“わたし”って、すぐ分かりますよね」
と、明美が苦笑まじりに言うと、沙織が返す。
「こんなテンションで書くの、詩音しかいないでしょ……」
思わず三人、吹き出してしまう。
「でも、なんか……うれしいです〜」
明美がちょっと照れくさそうに笑った。
そこへ、「おはよー!」「おはようございます」「なになに? これ〜?」
と、次々にアルバイトの子たちがやってきて、
更衣室は朝からにぎやかな空気に包まれていった。
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