第72話 歩き出す日
カフェ・ラフォーレ リーブルスのグランドオープンは、3日間にわたるオープンフェアとともに、ひとまずの幕を下ろした。
9月6日、土曜日の本開店を皮切りに、7日・8日も続けて行われたフェアは、全メニュー半額という太っ腹な設定に加え、ブックカフェとしては珍しい『完全入れ替え制・1日3部構成』。
それぞれの部でお客さんが入れ替わるスタイルは、はじめての試みにもかかわらず、事前予約だけで席はほぼ埋まり、加えてテイクアウトの注文も相次いだ。
忙しい、という言葉では追いつかないほどの三日間だった。
メイの担当する展示エリアでも、読み聞かせイベントが全9回──1日3部×3日間、すべて行われた。
朗読の声が、会場全体に静かに広がり、小さな子どもから年配のお客さんまで、耳を傾ける人の姿はさまざまだった。
初日のノベルティは本革製の栞。
2日目以降は紙製に変わったが、それでも手に取るお客さんの顔は、どこか嬉しそうだった。
市の読書文化推進事業としてのバックアップ、葛城書店の全面協力、そして何より、ル ポ ドゥ レヴ社の情熱と覚悟。それに応えるように集まったスタッフたちの手によって、この場所は──ただの新しいカフェではなく、“誰かの想いが、形になった場所”として、静かにその第一歩を踏み出したのだった。
◇◇◇
——カランコロン。
「ありがとうございましたー!」
3日間にわたるオープンフェアの最終日。
最後のお客さんを見送った店内に、拍手とともに「お疲れさま!」の声があちこちから響いた。ふっと肩の力が抜けて、ようやく静かな空気が戻ってくる。
その雰囲気を感じ取って、美智子が「サクッと片付け、しちゃおうか」と声をかけようとしたまさにそのとき——
「さあー! 一気に片付けちゃおー!!」
詩音の威勢のいい声が響き渡った。
「おーっ!」
若手スタッフたちも元気よく応じる。
(……詩音のやつ)
美智子は思わず心の中でつぶやいて、ふっと笑った。
全員で一気に片付けを終わらせると、そのままカフェフロアの中央に集まり、簡単な打ち上げミーティングが始まった。
鈴原店長を囲むように、スタッフたちが集合して輪になった。
「みんな、ほんとによく頑張ってくれたわ。最高のスタートだったと思う。ありがとう」
店長のひと言に、またしても拍手が湧く。
「じゃあ、詩音ちゃん。副主任として、ひと言お願いね」
「はいっ!」
元気よく返事をして、詩音が一歩前へ。
少しの間をおいて、ゆっくり口を開いた。
「みなさん、本当にお疲れさまでした。この三日間、めちゃくちゃ忙しかったけど……でも、チームワークで乗り越えられたと思います」
まっすぐな言葉に、スタッフたちは自然と頷いた。
「だから……これからも、スタッフ一丸となって! 砕け散りましょうっ!!」
詩音、突然の大号令。
「砕け散ってどうすんだよ!!」
沙織の見事なツッコミに、場は大爆笑。
詩音も「えっ、アレ?」と首をかしげながら笑っている。
その詩音のテンポ感と、ちょっとズレた明るさが、どこか場の空気をやわらかくしていた。
(詩音は、やっぱり詩音だな……)
メイは笑いながら、そんなふうに思っていた。
◇◇◇
メイと詩音が私服に着替えて外に出ると、あたりはすっかり夜の気配に包まれていた。
背後では、店の灯りが静かに揺れている。
矢鞠駅まで、二人で並んで歩く。
メイの家は駅とは反対方向だけれど、足は自然と同じ方へ向かっていた。
もう少しだけ、この余韻の中にいたくて。
駅前のスーパーの灯りを見つけると、
「何か温かいものでも買って帰ろうか」──そんな気分になった。
「……ほんとに、終わったんだね」
メイがぽつりとつぶやくと、隣を歩く詩音がふわっと笑った。
「ね。あっという間だったけど……でも、すっごく濃かったよね」
少し感傷を含んだ声。
ふたりの足音が、夜道にやさしく響いていく。
「そういえばさ、前に美智子さんから、少しずつ仕事引き継いでいくかもって言われたじゃん?」
「うん」
「……あれからね、ちょっと思うようになったんだ。私が、みんなを引っ張っていかなきゃなって。美智子さんみたいにはうまくできないけどさ」
詩音は、ふっと視線を落とし、節目がちに言った。
「……ちゃんとできてると思うよ」
メイは、穏やかにそう返す。
「そうかなあ」
「うん。実務のことはこれから教わるとしても……詩音なりにやっていけば、きっと大丈夫」
「……ありがと。でも、もっと頑張らなきゃだね」
ふっと風が吹いた。少し涼しい夜風だった。
「任されるって、なんか……大きいことだよね」
メイがぽつりと口にする。
「文学館から展示エリア任されたとき、最初は本当にどうしようって思ったけど……でも、自分で言うのも変だけど、ちょっとだけ、成長できた気がする」
「うんうん、分かる! なんか、任されるって、すごいことだよね!」
詩音が満面の笑みで言った。
「すごいこと……そうだね」
詩音はにんまり笑うと、両手を天高く突き上げて、
「すごいと、大きくなるぞー!」
「なんだそれ?」
メイが吹き出す。
ふたりで顔を見合わせて笑った。
疲労感と満足感が入り混じった、少しおかしなテンション。でも、それが妙に心地いい。
そんな時、詩音が急に立ち止まる。
「そうだ!」
何か思い出したかのように、メイを見る。
「そういえば、キャンプ行く話、どうなったんだっけ?」
「あっ……」
メイは一瞬、目を丸くしてから、少しだけ苦笑いを浮かべた。
「そうだ!なんか……バタバタしてて、すっかり忘れてた」
そして、ぽつりと付け加える。
「……涼しくなったら、って言ってたよね?」
詩音はすかさず、にぱっと笑う。
「もうすぐじゃん!」
まっすぐメイを見ながら、嬉しそうに言うと、
「そろそろ、計画立てようよ」
「うん……いいかも」
言ってみて、自分でもちょっとびっくりした。
なんだか、思ったより楽しみになってきていた。
詩音はうれしそうにスキップでもしそうな足取りで、ちょっと前を歩きながら言った。
「……ねえ、梓ちゃんも、一緒に行ってくれるかな?」
ふいに出たその言葉に、メイはふと詩音を見る。その顔には、無邪気な期待がにじんでいた。
「……そうだね」
ぽつりと返すと、またどちらからともなく笑いがこぼれた。
秋の夜風が、少しだけ心地よく感じた。
◇◇◇
その夜。
部屋に戻ったメイは、ゆっくりとベッドの端に腰を下ろした。
鞄からスマホを取り出し、画面をタップする。
さっき、詩音とキャンプの話をしたせいか、ふと、あの焚き火動画が見たくなった。
思い出しながら、検索してみる。
けれど、やっぱり見つからない。
あの動画は、もう消されてしまったのかもしれない。
少しだけ肩を落としながらも、代わりに別の焚き火動画を再生してみた。
画面の中で、静かに薪がはぜ、赤い火がゆらゆらと揺れている。
……なんか違う。けれど、悪くない。
火の音を聞いていると、不思議と心が落ち着いていった。
ふと視線を上げると、棚の上に置いてあるランタンが目に入った。
西伊豆のおばあちゃんの家で見つけた、あの古いランタン。
譲り受けてから、普段はこの棚に飾ってある。
たった二ヶ月前のことなのに、なんだかずいぶん昔のような気がした。
「……あの頃から比べたら、少しは変われたのかな」
ぽつりとつぶやいた声は、自分に向けてのものだった。
「ほんの少しだけど、前より自分のことが……嫌いじゃなくなってきた」
ランタンの丸いガラスの奥に、小さく反射したスマホの光が、ぼんやりと揺れていた。
◇◇◇
梓の自宅マンション。
長かったテレワークを終え、コーヒーを片手に、ベランダからの風を感じながらひと息ついていると、スマホからRainの着信音が鳴った。
画面には、詩音からのメッセージ。
『ミッション完了!フェア後の更衣室にて』
添えられていたのは、制服姿のメイとのツーショット。
はっちゃけた笑顔の詩音と、ちょっと照れくさそうに笑うメイ。
「ふたりとも、いい顔してるな……」
けれどよく見ると、写真の背景には──
「……さすがにこれはアウトだろ」
着替え中のスタッフの姿が、ややギリギリの状態で写り込んでいた。
思わず口元がゆるみ、コーヒーを一口すする。
「ラフォーレがらみで、ほんと、いろいろあったな……」
コーヒーの香りの向こう、夜風が静かに流れた。
ふぅ、と小さく息を吐いた先、視線の先には、ラックにきれいに並んだキャンプギアたち。
タープ、バーナー、クッカー──その中に、メイが「いいね」と言っていたワンポールテントの姿もあった。
「……近いうちに、行くかな」
ぽつりと、そんなひとことをこぼした。
◇◇◇
グランドオープンフェアの翌日。
カフェ・ラフォーレ リーブルスは、いよいよ通常営業の一日目を迎えていた。
店内は、フェア期間のような慌ただしさはないものの、客足はまずまず。
スタッフも交代制で、それぞれの持ち場につきながら、少しずつ通常営業のペースに慣れていこうとしている。
「副主任、これお願いします!」
レジ横から呼びかけられる声に、詩音は振り向いて、明るく手を上げた。
「あいよー!」
慌てず、でも軽快に応じるその姿は、どこか背中がしっかりして見える。
(やるときゃ、やるのです!)
心の中で気合いを入れながら、詩音はコーヒーを淹れる準備に取りかかった。
その様子を、展示エリアから出てきたメイがそっと見ていた。
詩音の横顔を見つめながら、ふと思った。
──なんだか、前よりも頼もしくなったな。
コーヒーの香り、カップの音、柔らかな音楽。
そのすべてが、“いつもの日常”として流れ始めていた。
メイはそっと息をつく。
「……私も、進んでいかなくちゃ」
声にならない小さな決意が、胸の奥で静かに灯っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
「第6章 グランドオープン編」、これにてひと区切りとなります。
それぞれの想いが交わり、夢が形になったカフェ・ラフォーレ リーヴルス。
そこには、かつて“できなかったこと”を受け継いでいく人たちの姿がありました。
メイ、詩音、梓、そして草薙麗佳社長──
みんなが少しずつ、自分の歩幅で「前に進む」姿を見せてくれた気がします。
次章では、また新しい時間が動き出します。
彼女たちを待つのは、少し切なく、でも確かに温かい“次の季節”。
それぞれが何を手放し、何を見つけるのか──
そんな物語を、ゆっくりと描いていけたらと思います。
これからもお付き合いいただけたら嬉しいです。
いつも読んでくださって、本当にありがとうございます。




