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第69話 グランドオープン その②


カフェ・ラフォーレ リーヴルスの駐車場の特設ステージでは、すっかり準備が整っていた。

さっきまで忙しそうだったスタッフたちも、今はどこか落ち着いた様子で動いている。


視線を店の横に向けると、公園側のスペースに白いテーブルとチェアがいくつか並んでいた。まるで、森の縁にできた小さなカフェテラスのようだった。

入店予約をしていないお客さんにもテイクアウトで楽しんでもらえるように──そんな思いで急遽用意された、ちょっとした『ひと息スポット』になっている。


その先、特設ステージ前の広場には、セレモニーを見ようと、ぽつぽつと人が集まりはじめていた。



そのころ、矢鞠駅の改札を抜けてきたのは、詩音の母・裕子と、姉の歌音だった。


「思ったより暑くなくて助かるわね」

空を見上げながら、裕子がのんびりと言う。


「お母さん、早くしないとセレモニー始まっちゃうよ」

「大丈夫よ、そんなに慌てなくても」


ふたりは、駅前の人の流れにまじって、ラフォーレの方へと歩いていった。


梓は、ステージから少し離れた駐輪場にバイクを停めると、そのすぐ横にあるベンチに腰を下ろした。ベンチの向こうには特設ステージが見える。腕を組んで前かがみになりながら、開演を待っている。


カフェ・ラフォーレ リーヴルスの店内では、すべての準備が整っていた。

エントランス脇のテーブルには、ノベルティを入れた深緑の手提げ袋がずらりと並んでいる。袋の中には、きれいな本革の栞が一枚ずつ入っていた。


スタッフたちは、ガラス越しに駐車場の様子を見ながら、カウンター席まわりに自然と集まっていた。席に座っている子もいれば、立ったまま話している子もいる。誰もが、これから始まるセレモニーをちょっとそわそわしたような面持ちで見つめていた。


店内から見える駐車場の奥には、特設ステージがどんと構えられていた。

全体はゆるやかなL字型。正面のステージ背後には、朝の日差しを受けて、木目のパネルがやわらかく光っていた。まるで小さなログハウスのようなデザインになっている。

パネルには、矢鞠市のシンボルマークと並んで、カフェ・ラフォーレ リーヴルス、ふれあい文学館、葛城書店のロゴが整然と配置されていた。

その向こうに広がる公園の緑が重なって、観客席から見ると、本当に森の中にある舞台みたいに見える。


「なんか……ステージ、すごく本格的だね」

明美が思わずつぶやくと、

「アイドルでも来そうな感じ」

くるみが肩をすくめながら笑った。


ステージの右手側には、椅子と譜面台がずらりと並んでいる。どうやらここにブラスバンドが入るらしい。


さらにその右奥には、ダークグレーのシェルターテントが張られていた。キャンプ場で見かけるような大型のものだ。その中には、来賓席と関係者席が設けられていて、矢鞠市長の姿も見える。


カウンター席に座っていた沙織が、ふと窓の外を指さした。

「あれ、店長と……柳森さんじゃない?」

指の先には、草薙社長に挨拶をしている鈴原店長と柳森さんの姿があった。


「セレモニーに出るって言ってた……」

ユキが隣からぼそりと補足する。


「いい顔してるわね、麗佳社長」

京子がぽつりと言った。

その隣で美智子も、「うん、ほんとに」と静かにうなずいた。


ステージ前には、パイプ椅子がざっと50席ほど並べられていた。

背もたれには、緑の葉っぱをモチーフにしたリボン付きのカバーが丁寧に掛けられていて、来賓用のいくつかを除いて、すでにお客さんたちでびっしりと埋まっている。

その後ろには、ちょっと立ち止まってみた…というような通りすがりの人たちもちらほら。肩越しに覗き込むように、ステージの様子をうかがっていた。


やがて、ステージ左手の椅子に制服姿の中学生たちが現れ、それぞれ手にした楽器と譜面を持って席についていく。

さらにそのあとを追うように、水色のシャツで揃えた小学生たちも、ちょっと緊張した表情で楽器を抱えて列に加わった。


「やっぱり、ブラスバンドだ」

「ちびっこ、かわいい〜」

アルバイトの子たちが、窓の向こうに目を向けながら小さくざわついた。


駐輪場近くのベンチでは、梓がひとり腰を下ろしていた。

膝に肘を置き、前かがみになったまま、黙ってステージの向こうをじっと見据えていた。


ステージ正面の後方、街路樹の陰になったあたりに、裕子と歌音の姿があった。

立ち見席の最後方よりも少し離れた場所。それでも視界は十分開けている。


「座らなくていいの?」

歌音が振り返ると、裕子は軽く笑って答えた。

「ここで、じゅうぶんよ」


来賓のすべてが席につき、ブラスバンドの子どもたちも準備を終えたようだった。

ステージ脇に、マイクを持った女性司会者が立つ。


「……いよいよだね」

カウンター席の近くに立っていた詩音が、声をひそめて言った。

「うん、なんかワクワクする」

メイが、小さく頷く。


そのとき、ステージ上で中学生たちがファンファーレのような軽やかなジングルを奏でた。

その音に呼応するように、司会者の声がマイクを通して場内に響く。


「皆さま、お待たせいたしました。

ただ今より、『カフェ・ラフォーレ リーヴルス』のオープニングセレモニーを開催いたします」


再びジングルが鳴り響き、タイミングを合わせるようにして、店内のスピーカーからも同じ音が流れてくる。


「……ある意味、ここ特等席じゃない?」

沙織がふと呟くと、カウンターにいたスタッフたちがふっと笑った。


「それではまず初めに、矢鞠市長・田原光太郎様より、ご祝辞をいただきます」


司会の声に促されて、市長がステージ中央に上がり、マイクの高さを少し調整すると、軽く会釈をして話し始めた。


「本日は、お日柄もよく……」


よくある式典の定型句が、ややゆったりとした口調で続く。スタッフの間から、小さくため息混じりの笑いが漏れた。


「田原市長、ありがとうございました」


司会がマイクを引き取り、次のアナウンスを始める。


「続きましては、光里中学校吹奏楽部と矢鞠児童ブラスバンドによる、お祝いの演奏をお届けします。中学生と小学生が、この日のために一緒に練習を重ねてきたそうです。

ちなみに、この光里中学校は、カフェ・ラフォーレ リーヴルスの草薙麗佳社長の母校でもあり、社長ご自身も吹奏楽部に所属されていたそうですよ。今日は、そんな後輩たちからの心のこもった演奏になります」


「えっ、麗佳社長って矢鞠出身なんだ?」

バイトのミホが、ぽつりと声を上げる。

「知らなかったんだ」

沙織が微笑んで言った。


司会の声が重なる。


「演奏曲は『となりのトトロ』でお馴染みの “さんぽ” です。

どうぞ、お聴きください」


ステージ上、指揮者の先生が静かにタクトを掲げた。

辺りに一瞬、ぴんと張りつめた空気が漂う。

タクトが振り下ろされると、子どもたちの奏でる「さんぽ」の前奏が、9月の空にふわりと広がった。


最初の数小節は全員で。そこから、児童ブラスバンドだけのパートへと移る。

ところどころ不安定な音が混じるものの、中学生のお兄さん・お姉さんたちがそっと寄り添うようにメロディを支える。

その温度感に、会場のあちこちから柔らかな笑みがこぼれる。


その音に耳を傾けながら──

草薙麗佳は、ふと遠い記憶を手繰っていた。


(私も、小四のときだったっけ……お父さんの影響で、サックスを始めたんだ)


目を細める麗佳の横顔に、懐かしさと、少しだけ誇らしげな色が浮かんでいた。


一番の演奏が終わり、間奏に入ると、中学生たちの音がぐっと力強くなる。

二番では、さすが吹奏楽の強豪校・光里中学校。

中学生らしからぬ迫力のあるアンサンブルが、駐車場の空気を一気に包み込んだ。


その音の厚みが、草薙麗佳の胸にふいに波紋のように広がっていく。

記憶の扉が、音の力でそっと開いた。


◇◇◇


「草薙さん、サックスやってるんだ」


中学一年の春。

入学して最初のホームルームが終わった直後の休み時間。

前の席の、ツインテールの女の子が振り向いて話しかけてきた。


「……うん、そうだけど」


急な言葉に少し戸惑いながら、麗佳は答える。

照れくささと、どこか温かい感覚が同時に押し寄せてくる。


「私も、中学入ったら楽器やりたいなって思ってたんだ。部活、入るの?」


「うん、そのつもりだけど……」


「そっか。私も入ろっかなぁ。あ、私、喜多原奏恵」


「私は……草薙麗佳」


「よろしくね、麗佳ちゃん!」


まっすぐな笑顔。

あっけに取られるほど、まぶしかった。


───


「私、オーボエやろうかな」


「オーボエって難しいんじゃない?」


「でも、音かわいいじゃん」


(そんな理由で楽器、決めるんだ……)

またしても、拍子抜けした記憶が蘇る。


───


現実の演奏は、繰り返しのパートに入っていた。

だが、麗佳の意識はもう完全に、あの頃のまま──


───


「おい、オーボエ!なんだそりゃ!やる気あるのか!」


顧問の先生の怒鳴り声が飛んだ、ある日の放課後。

校舎の裏手、日が傾き始めて影が長く伸びたころ。

奏恵がひとり、譜面と向き合って練習を続けていたのを──私は、知っている。


何度も、何度も。

同じフレーズを、かすれそうな音で、繰り返し繰り返し吹いていた。


次の日も、そのまた次の日も。

頑固なまでに、同じ練習を続けていた。


───


一週間ほど経ったある日の放課後、部活前。


「麗佳ちゃん、聞いてみてくれる?」


そう言って、奏恵がオーボエを手にした。

音が鳴った瞬間、世界が澄んだ空気に包まれた。

堂々たるソロパート。先輩にだって引けを取らない、美しい旋律。


「……どうだった?」


「すごいよ、喜多原さん!」


「えへへ。麗佳ちゃんに褒められると、うれしいかも〜」


───


あのときの笑顔。

今も、脳裏にはっきり残ってる。


中学生と児童による演奏が終わり、会場は大きな拍手に包まれた。

子どもたちは一斉に立ち上がり、指揮をしていた先生が深々と頭を下げる。


「ありがとうございました〜。素敵な演奏でしたね」


司会の女性がそう締めると、少し間をおいて言葉を続けた。


「それでは次に、カフェ・ラフォーレ リーヴルスの運営会社、ル ポ ドゥ レヴ コーポレーション代表取締役社長、草薙麗佳様よりご挨拶をいただきます。草薙社長、どうぞステージへお進みください」


促されるまま、麗佳はゆっくりとステージに上がった。

壇上に立ち、目の前に広がる客席をひととおり見渡す。

たくさんの視線が、こちらに向いていた。


スーツの胸ポケットから小さく折りたたまれた原稿を取り出す。

そして、そっとひと呼吸おいてから、口を開いた。


「本日はお暑い中、カフェ・ラフォーレ リーヴルスのオープニングイベントにお越しいただき、誠にありがとうございます。」


そこまで原稿を読んだところで、ふと何かを思い出したように言葉を止めた。

ほんの少しの間のあと、手にしていた原稿を静かに下ろす。


麗佳は正面を見ながら話し出した。



「私には夢がありました。


本が、人と人をつなげる、そんな場所をつくりたいという夢です。


誰もがふらっと立ち寄れて、思い思いに過ごせる。


読書が好きな人も、そうでない人も。

子どもも、大人も。


本がたくさんあって、空間にゆとりがあって、

それぞれがそれぞれの時間を見つけられるような、そんな“自由な場所”です。


その夢は、いま、私たちの会社の夢にもなりました。


『カフェ・ラフォーレ リーヴルス』は、

本と人とが、自然に出会える場所であってほしい。


出会いには、不思議な力があります。

ふとした言葉や、何気ない時間が、

心の中にそっと居場所をつくってくれる。


人は、本によって、

人は、人によって、

少しだけでも、前に進めると私は信じています。


この場所が、誰かにとっての小さなきっかけになりますように。


そんな想いを込めて、

本日、カフェ・ラフォーレ リーヴルスの扉を開きます。


どうぞ、よろしくお願いいたします」


その瞬間、今日一番の拍手が会場を包んだ。


店内のカウンターから見守っていた詩音とメイが、そっと目を合わせる。


「……素敵だったね」

「うん、胸に残るよ」


公園のベンチに座っていた梓は、膝の上で組んだ指を見つめたまま、ぽつりとつぶやいた。


「誰かにとってのきっかけ……か」


その少し離れた木陰で、裕子は──

あの頃の想いがにじんだ麗佳のスピーチに、懐かしさと、不器用なまっすぐさが胸に広がった。

裕子は微笑みながら心の中でつぶやく。


(まったく、麗佳ったら……素直じゃないわね)



麗佳は、もう一度深く頭を下げると、ステージを下りて関係者席に戻った。


「草薙社長、ありがとうございました。続きましては──」

司会の声が、プログラムを次へと進めていく。


席に戻った麗佳は、隣に座っていた秘書の浜岡理子に声をかけた。


「せっかく原稿を書いてくれたのに、すまない」


「いえ、本当に素敵でした。原稿通りでは、あの深みまでは届きませんから」


麗佳は目を伏せ、わずかに口元をゆるめた。

「……ありがとう」


そうして、小さく息を吐くと、テントの隙間から見える空を見上げた。

テントの隙間から見える空は、夏と秋のあいだで、静かにゆらめいていた。


ここまで読んでくださってありがとうございます!

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