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第67話 前夜、心は静かに揺れて


グランドオープン前日の朝。


スタッフたちの笑い声が、フロアにやわらかく広がっていた。

それぞれが、明日に向けた空気を少しずつまとい始めていた。


メイも制服姿で、フロアの奥へと歩いていった。

ふと視線の先に、小さく身を縮めるように座っている詩音の姿が目に入る。


「おはよう、詩音」


声をかけると、詩音は少しだけ肩を揺らしながら、顔を上げた。


「……あ、メイちゃん。おはよう」


どこか落ち着かない表情。

その理由は、メイにもなんとなく察しがついた。


「……栞のこと、気になってるの?」


そう聞くと、詩音は目を伏せて、こくんと頷いた。


「うん。昨日のメールで確認はしたんだけど……ちょっと心配で」


「今日の夜だったよね、届くの」


「うん。夕方には着くように発送したっていう連絡はもらってるんだけどさ……」


「夕方だったら、封筒に入れる時間もちゃんと取れそうだよね」


そう言いながら、メイはできるだけ軽やかな声を心がけた。

けれど、詩音の表情はふっと曇ったまま。


「……そうなんだけどね」


手元をいじるようにしながらつぶやく声には、まだ不安が残っていた。


そんなふうに話していると、鈴原店長がカフェフロアに姿を見せた。

変わらない穏やかな笑顔で、声をかける。


「そろそろ、ミーティング始めましょうか」


スタッフたちはそれぞれの席につき、店内にゆるやかな静けさが戻る。


「いよいよ明日がグランドオープンです」

鈴原店長の声がやさしく響く。


「ここまで皆さんが積み重ねてきたことが、ひとつの形になる日。丁寧に、でも自信を持ってのぞみましょう。……じゃあ、美智子ちゃん、お願いね」


美智子はすっと立ち上がり、手元のタイムテーブルを一瞥してから、簡潔に口を開いた。


「はい。じゃあ、事前に配った当日のタイムテーブルに沿って確認します。手元にある人、出して」


スタッフたちが紙をがさごそと広げる音がする。


「集合は朝の7時。早いけど、本番に寝坊は許されません。体調管理も含めて、しっかり準備しておいて」


場が少しざわついたが、美智子は構わず進めた。


「オープニングセレモニーは本社スタッフが主導します。カフェスタッフは通常通り、お客さま対応に集中してください」


そこまで言うと一拍置き、紙を軽く指先で弾いた。


「営業は3部制。1部は来賓と、事前招待の関係者。2部と3部は事前にご予約いただいた方のみとなります。つまり、知らずに当日来店された方の入店をお断りする可能性があります。その際の対応は、全員、慎重に。言葉遣いも含めて、丁寧にお願いします」


わずかに空気が引き締まり、何人かが顔を見合わせた。


「入口には案内ボードを出します。設置場所は決めてあるので、あとで確認しておくように。次──」


以降も、美智子の口調に乱れはなく、必要な情報を次々と投げていく。

彼女の言葉に合わせて、スタッフの表情には徐々に緊張感が宿っていった。


「……というわけで、営業終了は20時。質問があれば、今のうちに」


沈黙。


その静けさを見届けてから、美智子は書類を手元に戻し、淡々と締めくくった。


「じゃ、以上です」


そのあとを、鈴原店長が穏やかな声で受け継ぐ。


「ありがとう、美智子ちゃん。では、作業を始めましょう」


「よろしくお願いします!」


少し緊張感が増したスタッフたちはそれぞれの場所へと散っていった。


窓際のカウンター席。

沙織とユキが並んで、掃除用のクロスとモップを手に作業していた。


「明日さ、あの駐車場のとこにステージができるんだよね」

窓の外を見ながら、沙織がぽつりとつぶやく。


「……どのくらい、人が来るんだろう」


「かなり来る。人数だけで見ると、内覧会以上……」

ユキは手を止めず、淡々と返す。


「そりゃ大変だわ。忙しすぎて、吹っ飛ばされそう」


「大丈夫。吹っ飛ばされる前に、潰れる」


沙織はモップを持ったまま、一瞬固まった。


「ユキ……怖いことをサラッと言わないで」

その背中を、じっと見つめながらつぶやいた。



カフェ・ラフォーレ リーヴルスの店内は、着々とグランドオープンに向けて整えられていた。

ポップや案内表示、細かな装飾までが一つずつ丁寧に仕上げられていく。


展示エリアでは、メイが静かに明日の準備を進めていた。

お昼を過ぎたころ、太田さんが合流し、音響とプロジェクターの最終チェックに取りかかる。


「こっちは、これで大丈夫ですね」


「はい。あとは本番を待つだけです」

メイはケーブルを確認しながら答えた。


太田さんは、満足そうに小さく頷く。

「前回のソフトオープンの時よりはタイムテーブルに余裕あるし、きっと大丈夫でしょう」


展示エリアは、これでひとまず完成。

あとは、明日を迎えるだけだった。


◇◇◇


夕方。

街は少しずつ、週末の気配を帯びはじめていた。


その頃、広瀬梓は自宅でひと息ついていた。

日中のテレワークを終え、ベッドに腰を下ろしながら、スマホに届いていた電子招待状を改めて開いてみる。


カレンダーの予定を確認し、着ていく服もラックの上に並べてある。

少し迷っていたけれど――やっぱり、行こうと決めていた。


詩音のRainにあった言葉。

『私の晴れ姿、見てほしいー』……

その文面を思い出し、思わず口元がゆるむ。


メイも詩音も、グランドオープンの話になると、いい顔してたからな。

それに──

「美智子さんにも、ちゃんと挨拶しとかないとな」


うちの会社にまで来て、何かを伝えようとしてくれた美智子さん。その顔は、以前よりも少しだけ穏やかだったような気がしてた。


ゴロンとベッドの上に転がる。


思い浮かぶのは、レセプションの日、駐車場からガラス越しに見た美智子さんの姿。


そのあと、逃げるように公園に行ったっけ…


公園のベンチから見た緑豊かな風景。

やさしいく揺れる木漏れ日。

おだやかに通り抜ける風の音。


まるで林間キャンプ場のようなその景色。


結局、店には入れなかったけど、その公園の景色は、ざわざわした気持ちを静かに癒してくれた。


ーーもう一度見てみたい。

そう思った。


「少し早く行ってみるか……」


なんだかんだ言って、ちょっと楽しみなんだよな。……ほんと、自分でも単純だと思う。


そう思いながら、天井をぼんやりと見上げた。


◇◇◇


そして、午後6時。


ひと通り明日の準備を終えたカフェ・ラフォーレ リーヴルスの店内には、静かに、でも確かに、そわそわとした気配が漂っていた。


──ノベルティの栞が、まだ届かない。


「配送業者の名前とか、追跡番号とか、載ってなかった?」

カウンターを拭いていた沙織が、ふと顔を上げて訊いた。


「うん……いま、もう一度確認してるけど……」

詩音はレジ横のノートパソコンに向かいながら、眉をひそめる。


「……やっぱり。追跡番号も、配送業者の名前も……どこにも載ってない」


レジ前に集まりはじめたスタッフたち。

その画面を覗き込むようにして、明美がぽつりと口を開く。


「昨日、電話で確認してましたもんね、詩音さん」


「うん。昨日は繋がったんだけど……今日は休みなのか、留守電になっちゃってて」

詩音の声は、少しだけ小さくなった。


「今日は平日なんだけどな……」

沙織が、どこかため息のように言った。


ざわめきも笑い声も消えた店内に、焦りだけがじわじわと濃くなっていく。


午後7時を少し過ぎた頃。

ついに、鈴原店長が静かに口を開いた。


「……明日は、引換券方式で対応しましょう。お客様には、後日、郵送という形で」


その一言に、詩音の肩がすっと落ちた。


「万が一のためにって、美智子ちゃんたちに準備してもらった引換券があるの。これを使いましょう」


「……間に合うって、言ってたのに……」


詩音はぽつりとつぶやき、肩を落とした。


「受注ミスのとき、店長が無理を通してくれて……私、今度こそちゃんとやらなきゃって……」


言葉がだんだん小さくなる。


「……なのに、また……」


詩音がうつむいたその横で、メイがそっと声をかけた。


「あれだけ確認してたじゃない。詩音は十分やったから」

「あとからでも、お渡し出来ればいいんだよ。大事なのは、気持ちだから」


沙織も隣に来て、少しだけ笑った。

「詩音が一番、この栞に思い入れあったからね」


詩音の手元には、一枚だけある試作品の栞。

深い緑の本革に、葉のかたちを模したやわらかな曲線。


表には、「La Forêt Livres」のロゴ。

裏には、英語の文字。


── Books carry silent dreams.

(本は静かな夢を運ぶ)


詩音は、ゆっくりそれを手に取り、しばらく黙って見つめていた。


みんなで相談して、形にした栞。

みんなで笑いながら、言葉を選んだ日。


「……やっぱり、これをちゃんと、渡したかったよ」


その声は、ほんのかすかに揺れていた。


◇◇◇


お通夜のような空気の中、引換券を封筒に入れる作業が続く。

だが、誰も文句は言わない。誰も責めない。ただ静かに、一緒に作業していた。


封入が終わったのは、夜の8時すぎ。

店長が最後に言った。


「今日は、遅くまでおつかれさま。明日が本番。しっかり休んで備えましょう」


「お疲れ様でした〜」


詩音も小さく頷き、無理に笑って言った。

「……おつかれさまでした」


小さく深呼吸して、胸の奥に残ったざらついた気持ちに、そっと蓋をする。


ちゃんと笑って、ちゃんと迎えなきゃ。あしたは、みんなの始まりの日だから。


静かな夜の気配が、店の中に沁み込んでいった。



ここまで読んでくださってありがとうございます!

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