第62話 笑顔がくれた、みんなの自信
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『おはようございまーす。
カフェ・ラフォーレ リーヴルスのスタッフ、高見沙織です。
……って、もうこのあたりじゃすっかり顔バレしてるかしらね。いや、ホントはね、ラフォーレに来たときは“しっとりおしとやか系女子”で通そうと思ってたのよ。でも、ほら、あの元気娘・詩音に付き合ってたら、すっかり地が出ちゃって……。無理なもんは無理よね。でも、まあ、毎日楽しいし、働きやすいし、ここが好きだから、結果オーライってやつかな。
さて、今日は9月3日。
いよいよ、ソフトオープンの日です!
ソフトオープンっていうのは、グランドオープンの前に、お店を一足早くお披露目するイベントのこと。普通はね、スタッフの練習を兼ねて……って感じなんだけど、うちの場合はもう、内覧会やら、レセプションやら、3回もやってるわけで。
だから今日の目的は、ずばり──宣伝!
今回は、午前・午後の二部制。
各回15組30名のお客さまをご招待して、ワンドリンク&ワンフードを無料で楽しんでもらいます。太っ腹でしょ? もちろん、追加オーダーは有料だけど、美味しいスイーツやサンドイッチもたくさん用意してあるから、映える写真をいっぱい撮って、SNSにバンバン上げてもらえたら最高。今どきの広報は、やっぱり“映え”が命!
さてさて、そろそろ朝のミーティングの時間みたい。
じゃあ、また後でねっ。』
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午前9時。
ソフトオープンに向けたミーティングのため、スタッフ全員がカフェフロアに集まった。
内覧会やレセプションを経験してきたメンバーには、どこか落ち着いた自信のようなものが漂っている。
今日は、鈴原店長をはじめ、いつものカフェスタッフに加えて、メイ、柳森、文学館の太田、そして声優の槙原すみれも顔を揃えていた。
「さて、今日はソフトオープン本番です」
鈴原店長が、いつもの穏やかな口調で切り出した。
「美智子ちゃん、スケジュールについてお願い」
美智子が前に出て、タイムテーブルや注意点について簡潔に説明する。
「ありがとう。展示エリアのほうは、メイちゃんに確認してください」
「はい、わかりました」
メイが軽く頭を下げた。
鈴原は話を続ける。
「カフェスタッフの皆さんには、ひとつだけお願いがあります。
これまで皆さんには“お客様の邪魔をしない”ことを意識して、いわば高級バーのバーテンダーのように振る舞ってもらってきました。
でも今日は、もう少しだけ積極的に声をかけてみてください」
スタッフたちの視線が自然と集まる。
「たとえば──自撮りをされている方がいたら、“お写真、お撮りしましょうか?”とひと声かける。
本棚の前で迷っていそうな方がいたら、“よかったら、お手伝いしますよ”と提案してみる。
そういう、ちょっとしたコミュニケーションを通して、“また来たい”と思っていただけるような対応を、今日は意識していきましょう」
うなずくスタッフたち。
その空気を感じ取って、鈴原がふわりと微笑む。
「じゃあ、最後に──詩音ちゃん、一言お願いできるかしら?」
「はいっ!」
詩音が元気よく返事をすると、周囲にふわっと笑いが広がる。
すでに“詩音砲”が炸裂するのではと、ちょっとした期待と緊張が空気を包む。
一呼吸おいて、詩音が真剣な表情で口を開いた。
「……楽しさって、きっと伝染すると思うんです。
だから今日は、私たちも思いきり、ソフトオープンを楽しみましょう!」
静かな間。
そして──
「詩音が……まともなこと言った……」
沙織がぽつりとつぶやく。
誰かが吹き出した。
それをきっかけに、あちこちからクスクスと笑い声がこぼれる。
「も〜、普通にしゃべっただけなのにっ」
詩音が頬を膨らませると、さらに笑いが広がり、彼女もつられて笑ってしまった。
「じゃあ、みんな手を出して!」
詩音が呼びかけると、スタッフたちが次々と輪の中心に手を重ねていく。
……その様子を、少し離れた場所から見つめていた太田と槙原。
そんな二人に、詩音がにこっと笑って手招きした。
「太田さんも、槙原さんも! こっちこっち!」
驚いたように顔を見合わせた二人だったが、少し照れた様子で輪に入り、手を重ねた。
「みんな、いくよ──ラフォーレ、ファイトーっ!」
「おーっ!!」
全員の声が響いたあと、自然と拍手がわき起こった。
◇◇◇
午前10時。
開店と同時に、外で並んでいたお客さんたちが一斉に入ってきた。
レジには早くも注文の列ができ、スタッフたちがそれぞれに声をかけながら、順番に席へと案内していく。
表情はどこか明るく、いつもより少し張り切っている様子だ。
展示エリアのイベントは、午前11時からの予定。
柳森さんのセミナーが30分、その後に槙原さんの絵本の読み聞かせが40分。
太田さんは機材の最終チェックを終えて、すでに控えていた。メイも台本を手に、何度も目を通しながら頭の中で進行のイメージを繰り返していた。
「平瀬ちゃん、緊張してる?」
柳森さんが声をかけてくれる。
「はい、ちょっとだけ……」とメイ。
「大丈夫よ。リハ通りでいけば全然オッケー。自信持って。楽しくいきましょ」
「はい、そうします」
笑顔で返したものの、メイの顔にはまだ少し硬さが残っていた。
一方のカフェフロアでは、さっきまでレジ前に行列を作っていたお客さんたちが、もう各席でくつろぎ始めていた。
厨房ではユキとアルバイトの虹香が中心となって、次々にオーダーをさばいていく。ユキは電光石火の早技でラテアートを描き、虹香は手際よくサンドイッチをカットしている。
「ずいぶん早くなってきたわね」
京子が隣の志麻にそっと声をかける。
「うん、練習の成果、出てるわ」
志麻が少し嬉しそうに目を細めた。
受け渡しカウンターでは、注文されたドリンクやスイーツがテンポよく準備され、取りに来たお客さんに笑顔で提供されていく。
何度も繰り返してきたオペレーション。彼女らの動きはとてもスムーズだった。
そのころ、鈴原店長は店内をまわりながら、お客さん一人ひとりに声を掛けていた。詩音と沙織はフロアをラウンドしながら、バイブベルの説明や本の扱い方、返却のルールなどを丁寧にレクチャーして回っている。
そんな中、若い女性の二人組が詩音に声をかけた。
「一緒に写真、撮ってもらってもいいですか?」
「もちろん喜んで!」
詩音は笑顔でそのリクエストを受け入れた。
お客さんと並んで、笑顔でピース。
「ありがとうございます。この制服もかわいいですね」
「ですよねー!……って、自分で言うのも変かな。でもこれ、スタッフみんなで決めたんですよ〜」
「なんか、みなさんも楽しそうで……。ここ、ぜったい流行ると思います!」
「めちゃめちゃ嬉しいです、ありがとうございます〜!」
詩音は少し照れながらも、心から嬉しそうに応えた。
一方の沙織は、お客さんと一緒にスイーツを写真に収めようとカメラマンさながらの動き。
「もうちょっとふたりともパフェに顔近づけてー……あ、そのペロッと舌出すの、それ最高!」
「はいチーズ〜!」
カシャッ。
写真を見てはしゃぐお客さんたちに、沙織も満面の笑顔で応える。
「楽しんでくださいね〜!」
スタッフの声かけに、お客さんの反応も自然と柔らかくなっていく。あちこちの席から、「かわいい〜」「おいしい〜」といった声が聞こえ始めていた。
そして午前11時。
展示エリアではいよいよイベントがスタートする。
カフェ来場者30名のうち、半分以上にあたる20名ほどが集まってくれた。明美とくるみがてきぱきと誘導し、すべての席がスムーズに埋まっていく。
最初にマイクの前に立ったのはメイ。
緊張した面持ちのまま、言葉を絞り出すようにして話し始めた。
「本日は、カフェ・ラフォーレ リーヴルスに、ようこそお越しくださいました。ただいまより、展示エリアでのイベントを始めたいと思います。進行は私、ふれあい文学館の平瀬メイが担当いたします。どうぞよろしくお願いします」
控えめな拍手の中で、少し噛みつつも無事に挨拶を終えたメイ。胸をなでおろしたその様子に、柳森さんが小さく頷いていた。
最初のプログラムは、柳森さんによるセミナー『最高の一冊と出逢うために』。いつもの穏やかでそっと寄り添うような語りは、二ヶ月前のスタッフ研修の時と同じように、聞く人を夢中にさせていた。
その後には槙原さんの絵本読み聞かせイベントが続く。
照明が落ち、スクリーンに絵本の挿絵が映し出され、情景に合わせたBGMが静かに流れはじめる。槙原さんの透き通った声が展示エリアに響き、お客さんたちは物語の世界へと自然に引き込まれていった。
「さすが、プロだなぁ……」
メイは思わず感心しながら、その光景を見守っていた。
イベントは滞りなく進み、すべてのプログラムが無事終了。
「以上でイベントは終了となります。このあとも、カフェ・ラフォーレ リーヴルスで、ゆっくりとお楽しみください。本日はありがとうございました」
拍手が起こり、展示エリアにいたお客さんたちはそれぞれのペースでカフェや本棚ゾーンへと散っていった。
「平瀬さん、進行、とても良かったですよ。初めてとは思えなかった」
太田さんが笑顔で言う。
「私も、すごく話しやすかったです」
槙原さんもにっこり。
「ありがとうございます……」
少し照れながらも、メイは心からの感謝を込めて頭を下げた。
柳森さんがそっと肩を叩く。
「午後もこの調子でいきましょ、ね」
そして午後1時近く、午前の部のお客さんたちが少しずつ帰り始めていた。
エントランスでは、鈴原店長と美智子が笑顔で一人ひとりを見送りながら、深緑の手提げ袋を手渡していく。袋の中には、コーヒーのドリップパックと、手書き風のメッセージカードがそっと入っていた。
「グランドオープンしたらまた来ます!今日は楽しかったです!」
「ありがとうございました!」
そんなやりとりがいくつも続き、午前の部はあっという間に幕を閉じた。
◇◇◇
午前のイベントがひと段落し、店内に少しだけ静けさが戻った。
このあとの午後の部まで、小一時間ほどの休憩時間。
とはいえ、フロアの片付けに、展示エリアの再チェック、本棚の整理、スタッフの昼食……やることは盛りだくさんだ。
けれど、心配はいらない。
今日はスタッフ総出の体制で、鈴原店長とメイを合わせて16人がそろっている。
人数は充分。誰かが指示しなくても、自然と役割分担が進んでいく。
「じゃあ、こっち終わったらあっち手伝うね」
「うん、私は先に食べてきちゃう!」
声を掛け合いながら、彼女らは手際よく、慌ただしく、でもどこか楽しげに動き回っていた。
そして、午後1時。再びオープンの時間がやってくる。
◇◇◇
午後の部のスタート。
エントランスのドアが開くと同時に、またもや外で列をなしていたお客さんたちが一斉に店内へと入ってくる。
けれど、スタッフたちは落ち着いた表情。
レジを済ませたお客さんから順に席へと案内していく。アルバイトの子たちも、午前中よりずっと自然な笑顔を見せていた。
展示エリアのそばで待機していた柳森さんは、その様子を見ながら小さくつぶやく。
「なんだか、余裕すら感じるわね……」
その言葉を、そばにいた太田さんが拾った。
「若い子は、成長が早いってことですかね」
「そうね……」
柳森さんは少し口元をゆるめながら、彼女たちの働く姿を見守っていた。
――そんな頃。
ホールをラウンドしていた詩音は、ふと一人のお客さんと目が合った。
店の奥の方にあるソファ席に座っていたのは、60代くらいの、品のある老紳士。
ネイビーの麻ジャケットに、淡いグレーのストール。肩の力が抜けたような、でも背筋はきちんと伸びていて、その空気感だけで思わず目を引かれる人だった。
テーブルには、読みかけの文庫本と、コーヒーカップ。その隣に小さく置かれた紙の栞。
笑顔で軽く会釈する詩音。老紳士も穏やかに返した。
「楽しんでいただけてますか?」
ふと、そんな言葉が詩音の口からこぼれた。
「あぁ……」老紳士はあたりを見回しながら続けた。
「すごくいい空間だよ。蔵書の種類も、なかなかに面白いね」
「わっ、ありがとうございます」
思わず声が弾んだ。
「静かで、でも堅苦しくなくて……こういう場所、ありそうでなかったよ。落ち着くね」
「ほんとですか? うれしいです!」
詩音は目を輝かせながら頷く。
「……本ってのは、いいもんだよ。君は本を読むのかい?」
そう言って微笑むその表情に、詩音は少し照れくさそうに笑い返した。
「恥ずかしながら、私もここに来るまでは本なんて全然で……でも、最近は好きになってきたんです。本って、あったかいんだなって」
「うん、それは素敵なことだ。本は、人生のいろんなところにそっと寄り添ってくれる」
「……なんとなく、わかります、それ……」
老紳士は、ふと遠くを見るように言った。
「昔はよく、本を読んで救われたもんだ。特別なことが書いてあるわけじゃない。でも……」
少し間を置いて、ゆっくりと続ける。
「たった一行でもね、人の心を少しだけ前に向かせる……そんな力があるんだよ、本には」
詩音はその言葉を胸に刻むように、小さく頷いた。
老紳士はふっと微笑み、目を細めた。
「……オープンしたら、またお邪魔するよ」
「……はい、お待ちしてます」
そう言ってぺこりと頭を下げる詩音に、老紳士は軽く手を振って、また本の世界へと視線を戻した。
◇◇◇
本棚エリアの奥。
メガネをかけた、おとなしそうな高校生風の女の子がふたり、並んで棚の本を眺めていた。
その隣で、ユキがなにやら静かに説明をしている。
普段のユキは、無表情で淡々と話すタイプ。
だけど仕事となると、まるで別人格が現れたかのように、誰もが驚くほどの笑顔と明るい声のトーンに変わる。
……はずだったのに。
その高校生たちの前では、思いきり“いつものユキ”になっていた。
真顔で、抑揚のない口調。本の紹介というより、授業みたいな説明の仕方──。
その様子を見た沙織は、思わず顔をしかめる。
(ちょ、ユキ……あんな接客で大丈夫か?)
心配になるほどのテンションの低さ。
けれど──
女の子たちは、まったく気にした様子もなく、うんうんと頷きながら話を聞いていた。
ユキも、同じトーンで淡々と返す。
時おり、3人のあいだにふっと、小さな笑みがこぼれる。
その空間だけが、ぽっかりと別の時間の中にあるようだった。
(……あれはあれで、アリなんだな)
沙織は小さく肩の力を抜いた。
◇◇◇
一方、展示エリアでは午後のイベントが佳境に入っていた。
柳森さんと槙原さんの軽妙なトークで、終始にぎやかな雰囲気が続いている。
進行役のメイも、午前とは違い、落ち着いた表情だった。もう一度台本を確認しなくても、流れが体に入っているのがわかる。
合図のタイミングも、言葉のトーンも、自然と整っていた。
そして──
イベントは、盛況のうちに幕を閉じた。
拍手の中、マイクを置いたメイは、そっと深呼吸をする。
(……よかった。これで、グランドオープンも、行けそうだ)
肩の力が抜けた瞬間。
同時に、胸の奥にほんの少しの自信が芽生えた気がした。
◇◇◇
午後の部の3時間は、あっという間だった。
時計が16時半を過ぎたあたりから、店内ではちらほらと帰るお客さんの姿が見え始める。
エントランスでは、詩音、沙織、ユキの3人が並び、ノベルティを手渡しながら、笑顔で声をかけていた。
「楽しかったわ」
「また来るわね」
帰っていくお客さんは、みんな口々に思い思いの言葉を残していく。
そのひと言ひと言がスタッフたちの胸に、じんわりと沁みていった。
「ありがとうございました。またお待ちしてます」
──そして、最後のお客さんを見送ると、詩音がそっとドアを閉める。
「……終わったぁ」
その余韻を破ったのは、いつものあの声だった。
「片付けまでがソフトオープンだぞーっ!」
美智子の檄に、みんなで「はいっ!」と声を揃える。
まだやるべきことは残っている。でも、どこかにじみ出る、満ち足りた空気。
スタッフたちはそのまま手分けして、後片付けに取りかかった。
◇◇◇
ひと通りの片付けを終えたあと、スタッフたちは再びカフェフロアに集まった。
メイ、柳森さん、太田さん、槙原さんも顔をそろえている。
みんな一様に、少し疲れの残る表情の中に、どこか誇らしげな笑みを浮かべていた。
鈴原店長が一歩前に出て、ゆっくりと話し始める。
「皆さん、本当にお疲れさまでした。
あれだけのお客様を、あのスムーズさでお迎えできたのは、本当にすごいことだと思います」
少し間を置いて、店長は続けた。
「展示エリアのイベントも大盛況でしたね。
今日のこの一日は、きっとみんなの自信になったと思います」
そして、やさしく微笑む。
「ゆっくり休んでください。今日は、いい一日でした」
「おつかれさまでしたー!」
拍手とともに、スタッフたちの間に笑顔が広がった。
ゆるやかな安堵と、やわらかな空気が、フロアをそっと包んでいた。
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『お疲れさまでした〜!
カフェ・ラフォーレ リーヴルスの高見沙織です。
いや〜今日はほんと、盛りだくさんの一日だったわ。午前も午後も、お客さんたちがすごく楽しんでくれて、うれしかったなぁ。スイーツもコーヒーも、ばっちり映えてたでしょ?
SNSにも、たくさん投稿してもらえたら、うれしいかな〜よろしくね!
それにしても、詩音がまともなこと言うとはびっくりしたわ。いつもミーティングのひと言はぶっとんでたのにね。
でも、こうしてみんなで乗り切れて、本当に良かった。
グランドオープンまで、あと少し。この調子で、最後まで走りきるわよ〜!
じゃあ今日はこのへんで。またね!』
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ここまで読んでくださってありがとうございます!




