第60話 晴れのち曇り
9月1日、朝。
カフェ・ラフォーレ リーヴルスの更衣室には、緊張と高揚がふわりと混ざっていた。
「ねえ聞いて。矢鞠駅にさ、グランドオープンのポスター、めっちゃ貼ってあったの!」
アルバイトの虹香が、ロッカーのドアをぱたんと閉めながら、少し弾んだ声で言った。
「何枚も何枚も続いてて……なんか、嬉しかったかな」
その言葉に、アルバイトとのくるみが、うんうんと勢いよくうなずく。
「わかる〜!私も見た! なんかさ、自分が関わってるお店だと思うと、ちょっと誇らしいっていうか」
制服に袖を通しながら、沙織と明美もその話題に加わった。
「公式ホームページも公開されたし、オンスタグラムも立ち上がったって、昨日聞いたよ」
沙織が言うと、明美も頷く。
「それ、私も見ました。すごく綺麗に仕上がってて……なんか、いよいよなんだなって感じがしました」
盛り上がる更衣室の空気の中、パタン、とロッカーの閉まる音が響く。
その音に続いて、志麻がやわらかく声をかけた。
「そろそろ時間よ。行きましょ」
そのひと言にうながされて、スタッフたちは身支度を整え、次々と更衣室を後にする。
グランドオープンまで、あとわずか。
カフェ・ラフォーレ リーヴルスの空気は、少しずつ、確かに熱を帯びていっていた。
◇◇◇
午前中。
カフェスタッフたちは、明後日のソフトオープンに向けて、実践形式の確認と練習に入っていた。
でも、どこかそわそわと落ち着かない空気に満ちている。
原因はひとつ。午後1時過ぎからの、地元テレビ局の生中継のせい。
お昼の情報番組内のコーナーで、カフェ・ラフォーレ リーヴルスが紹介されることになっているからだ。
一方で、メイは別の持ち場で慌ただしく動いていた。
ソフトオープンとグランドオープンの両日で開催される絵本の読み聞かせイベント。
今日はその打ち合わせとリハーサルの日である。
展示エリアの片隅で、メイは参加者たちに笑顔で挨拶を交わしていった。
「今日は、よろしくお願いします」
絵本『森のうたうきつね』の読み聞かせを担当するのは、声優の槙原すみれさん。
穏やかな物腰で、現場の空気をなごませるタイプだった。
進行と音響面で支援に来てくれているのは、ふれあい文学館の太田さん。
物静かだが、的確なフォローに定評がある。
そして当日、“本との出逢い”をテーマにしたセミナー『最高の一冊と出逢うために』を担当する柳森さん。
お客さんの整理や誘導には、明美ちゃんとアルバイトのミホちゃんが入ってくれる。
自分は司会進行。もともとは、その進行補助と、準備サポートを担当することになっていたが、いろいろ調整が効かずに、司会進行役となってしまっていた。
初めての司会。マイクの受け渡し、タイミング、動線確認。ひとつひとつが気を抜けない。
「……やっぱり、この通しのリハーサル、ちゃんとスケジュールに入れおいてよかったかも」
資料に目を通しながら、メイは小さく息をついた。
これは単なるプレイベントではない。
グランドオープン当日の“本番”と同じ内容であり、同じ進行であり、同じメンバーで挑む。
つまり――これは本番のための、本番だ。
背中に、うっすらと緊張の汗がにじんでくる。
「よし……がんばろう」
心の中で小さく気合いを入れ直し、リハーサルに入っていった。
◇◇◇
時刻が、午後1時を少しまわった頃。
「そろそろ来まーす!」
番組クルーのひとりがそう声をかけると、店内のあちこちで肩がぴくっと動いた。
カフェスタッフたちもレジカウンターの奥やキッチンの影から、息を凝らして見守っていた。
空気がほんの少し、ピンと張り詰める。まるで冷蔵庫の扉がゆっくり閉まるような、じわじわとした緊張感。
誰かがごくんとつばを飲んだ音が聞こえた気がした。
そんな様子を、展示エリアの端からメイたちもうかがっていた。
店内のスピーカーから、テレビ番組のMCの声が明るく響く。
「今日はどこに行ってるのかな? マミコちゃーん!」
「はーい! 今日は今月6日にグランドオープンするブックカフェ、ラフォーレ リーヴルスさんにおじゃましていまーす!」
レポーターのマミコが、カメラを引き連れて店内を歩き出す。笑顔で案内しながら、店内のあちこちを紹介していくレポーター。
「では、こちらの店長・鈴森敦子さんにお話をうかがってみましょう!」
と、マイクを向けられた鈴森店長が、ごく自然に、しかしきっちりとした口調で答えていく。
前回のラジオ出演と同じく、堂々たる受け答え。誰もが思った――さすがは、安定の鈴原店長だ。
続いて、スタッフ紹介のコーナーへ。
カメラが詩音、沙織、ユキの並ぶ姿を映し出した。
「では最後に、スタッフを代表して、視聴者の皆さんにメッセージをお願いします!」
マイクが詩音に向けられる。
「はいっ!」
パッと顔を輝かせて、詩音は元気いっぱいに言った。
「カフェ・ラフォーレ リーヴルスは、迷子の物語が、ぎゅっとハグする、コーヒーです!!」
店内が一瞬、静まり返った。
「……?」
レポーターのマミコの眉が、ほんのり曇る。その横で、ユキがごく当たり前のように口を開いた。
「誰でも気軽に本とコーヒーを楽しめる空間なので、みなさんのお越しをお待ちしてます。という意味かと思われます」
「なるほど〜」と苦笑いを浮かべるレポーター。その横で、詩音は満足げにうなずいていた。
「……息のあったスタッフさんでした!こちらからは以上です!」
番組が終わった瞬間、店内からドッと笑いがあふれた。
「なにあれ〜」
「ぎゅっとハグするって何!?」
「でも詩音さんらしいよね〜!」
笑いの渦の中、メイはそっと息をつく。
(……それにしても、あのレポーターさん。すごいな)
詩音の“あれ”が飛んでも、動じず笑顔でまとめちゃうなんて、さすがプロだ。
少しばかりの尊敬と、自分も展示エリアのイベントで、そうなれたらという淡い憧れが、胸の奥で小さく灯った。
◇◇◇
生中継が終わり、番組クルーが機材を片付けて撤収していくと、店内にはふっと安堵の空気が広がった。
スタッフたちもひと息つき、思い思いに休憩へと向かっていく。
そんな中――
「詩音、ちょっといい?」
美智子の声が飛ぶ。
(ヤバッ……!やっぱアレ、マズかったかな……)
心当たりは大ありだ。さっきの“詩音ワールド”が脳裏をよぎる。
「い、いま行きます……」
肩をすくめながら、すごすごと鈴原店長と美智子のもとへ向かった。
ビビった顔のまま固まっている詩音。
鈴原店長が、口を開く。
「詩音ちゃん、よかったわよー、あれ」
意外にも鈴原店長が満面の笑顔で言った。
「ほんと。ウケてたしな」
美智子も、まさかの賛同。
(え、褒められてる……?)
一瞬ぽかんとしたあと、じわっとご満悦モード。
「い、いや〜、それほどでも〜」
「いや、その話じゃなくてな……」
ぴしゃりと美智子が切り返す。
「店長とも話してたんだけど、そろそろ詩音にも、オペレーションコントロールを少しずつ引き継いでいってほしいんだ。もちろん、すぐってわけじゃない。まずは心の準備からな」
(……オペレーション……コントロール……)
聞き慣れたような、でも遠い存在のような言葉。
そうだーー
美智子さんたち“応援部隊”は、グランドオープン後、一週間ほどでそれぞれの店舗に戻ってしまう。
(分かってたけど……やっぱり、本当に“任される”んだ)
詩音の背筋がぴんと伸びる。
こみあげてくるのは、不安よりも、ほんの少しの自覚と責任感。
副主任としての、本当の第一歩。
「はい……がんばります!」
少しだけ気合の入った声が、自分でも意外だった。
◇◇◇
その日の帰り道。
詩音は、美智子に言われたことをメイに話した。
「そっか。そんな話、してたんだ」
メイはうつむき加減に言った。
「うん。なんか改めて言われるとさ、なんだか寂しくなってきたよ」
「だよね……二ヶ月も一緒にやってきたんだもんね」
「うん……」
しばらく黙って歩くふたり。
ふいに詩音がメイの方を向いて、大きな声で叫んだ。
「メイちゃんは、いなくなったりしないよね?」
その声に驚いて詩音を見ると、目を潤ませ不安気にメイを見つめていた。
メイは落ち着いた笑顔を浮かべて答える。
「うん。今みたいに頻繁には来られないかもだけど、展示エリアの運営は当分、文学館が担当だし……」
「だから、私が異動にでもならない限り、また一緒に仕事できるよ」
「そっか!よかったよ〜〜!!」
詩音がぱっと笑顔を取り戻す。
その様子につられて、メイもつい笑ってしまった。
夕方の風が頬を撫で、遠くの空に、うっすら秋の雲がにじんでいた。
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