第54話 ドキドキ レセプション
カフェ・ラフォーレ リーヴルスの朝。
レセプション二日目が、静かに始まろうとしていた。
まだ開店前のフロアに、今日のホスト役のスタッフたちが集まりはじめた。
制服姿のメイも、その輪の中にいた。
今日はスタッフの半分がゲストとして来店する予定。
そのせいか、昨日より少し、場の空気がゆったりとしている。
(半分になると……さすがに空くな)
見慣れた景色に、ぽっかり空いた空間。
ちょっとだけ、心の中に風が吹くような感覚があった。
鈴原店長が、ふっと一呼吸おいてから口を開く。
「今日からは、ご家族・ご友人向けのレセプションになります。基本は通常営業のイメージで、丁寧にご案内していきましょう」
そのあと、美智子がスタッフリストを手に、今日の段取りを軽やかに説明していく。
「……では、こんな感じで進めていきましょう」
「よろしくお願いします!」
一同の声が、ピリッとした緊張感のなかに優しい気合を含んで響いた。
レセプションの開始は正午から。
午前中は、それぞれの持ち場で準備が進められる。
メイは展示エリアと本棚エリアの担当。
サポート役として、アルバイトのくるみと虹香が交代で入ることになっている。
この時間は、くるみと二人で展示周りを整理していた。
「くるみちゃん、最初はここで一緒で……そのあとは?」
「虹香ちゃんと交代で、カフェに入ります。……ちょっと緊張してますけど」
「大丈夫。昨日、あれだけしっかり動けてたんだから」
くすっと笑いながら、メイはそう言って展示台の上を整えた。
窓の外は、今日も少しだけ夏の残り香が残っている。
静かだけど、ほんのり期待と不安の混ざった時間が流れていた。
◇◇◇
正午ちょうど。
「オープンしまーす!」
沙織の明るい声が店内に響いた。
カフェ・ラフォーレ リーヴルスのエントランスが、ゆっくりと解放される。
まだ暑さの残る午後の日差しが、フロアの床に細く射しこんだ。
開店の余韻とともに流れるのは、控えめなクラシックのBGM。
でも、その音すら少し浮いて感じるほど、どこか店内は落ち着かない。
(はじまった……)
そんな空気が、スタッフたちの胸の内をそっとざわつかせていた。
——カランコロン。
風鈴のようなドアベルの音が、静けさをやわらかく破った。
「一番乗りかしら?」
入ってきたのは、京子だった。
「いらっしゃいませ」
レジに立っていた沙織が、少し声を落として丁寧に応じる。
「なんか照れますね」
と、ちょっと気恥ずかしそうに沙織が笑う。
京子も「そうね」と笑い返した。
ふと目線を移して、沙織の横にいた鈴原店長に声をかけた。
「あ、店長。こちら、うちの主人です」
沙織の横にいた鈴原店長へ、京子が紹介する。
「はじめまして。いつもお世話になっています、野上と申します」
「こちらこそ。京子さんには本当に助けられています。今日はお忙しいところ、ありがとうございます」
にこやかに挨拶を交わす二人。
その後ろから、ちょこんと顔を出したのは、小さな双子の男の子。
お父さんの足に隠れるように立っている。
「こっちが双子のレイとユウ。小1なんです。……さぁ、挨拶して?」
促されて、ふたりは照れくさそうに小さな声で「こんにちは」と言った。
「あら、かわいい。こんにちは。ようこそ、ラフォーレ リーヴルスへ」
鈴原店長が笑顔で迎える。
店の空気が、少しやわらかくなった。
◇◇◇
カフェ・ラフォーレ リーヴルスの店先。
建物の外壁には、大きな看板。
そこには赤い文字でこう書かれていた。
『9月6日 グランドオープン』
その下、入口近くにはA型の立て看板。
「本日レセプションにつき、関係者以外のご入店はご遠慮ください」――そう丁寧に案内されている。
静かに流れる、正午過ぎ。
その駐車場に、真っ赤なフォルクスワーゲン・ポロが、ゆっくりとバックで入ってきた。
運転席には、詩音の姉・歌音。
助手席に詩音。
後部座席には、詩音の祖父母の姿があった。
詩音が後ろのドアを開けながら、声をかける。
「おばあちゃん、頭、気をつけてね」
その向かい側――
「ゴンッ」と小さな音がした。
どうやら、おじいちゃんが頭をぶつけたようだった。
「おじいちゃん、大丈夫?」
運転席から顔をのぞかせた歌音が、少し心配そうに言う。
「ははは、大丈夫、大丈夫」
と、笑って誤魔化すおじいちゃん。
ゆっくりと、家族の足がカフェへと向かいはじめた。
——カランコロン。
ドアベルの音が、再び店内に響いた。
「いらっしゃいませ〜」
レジカウンターから、沙織の明るい声。
「沙織ちゃん、お疲れさま〜!」
詩音がひょいっと手を上げて、カウンターに顔を見せる。
「おはようございまーす、店長!」
詩音は、フロアにいた鈴原店長にも声をかけた。
「うちのおじいちゃんと、おばあちゃんと、お姉ちゃんでーす! こちら、鈴原店長!」
ちょっとだけ背筋を伸ばして、詩音が紹介する。
「孫が、いつもお世話になってます」
おばあちゃんが大きく頭を下げる。
「はじめまして。詩音ちゃん、いつも頑張ってくれてますよ」
店長はにこやかにそう返した。
おばあちゃんが、そのまま、ふらりと席の方へ歩き出そうとしたところで――
「あっ、おばあちゃん、先に注文するんだよ〜!」
詩音が慌てて呼び止めた。
レジ横の大きなメニューを指さして、
「ここ、ここ! ここ見て〜、全部のってるから!」
おばあちゃんとおじいちゃんが顔を近づけて、じーっとメニューをのぞき込む。
「こっちにもあるよー」と、今度は歌音に紙のメニューを手渡す詩音。
そのまま祖父母の間に割り込んで、
「あ、これはね、ベジサンド。こっちは飲み物ね。あ、スイーツはあとで頼んでも大丈夫だよ!」
と、まるでツアーガイドのように解説を始める。
周囲のスタッフたちが微笑ましそうにその様子を見ていた。
◇◇◇
「お決まりですか?」
レジ前にやってきた詩音たちに、沙織がにこやかに声をかける。
「沙織ちゃん、なんかおすまししてる〜」
すかさず茶化す詩音。
「ちょっ、やめてよ。……早く言いなよっ」
沙織が苦笑いで応じる。
「えーっとね、リーヴルスブレンドのホットがふたつと、アイスカフェラテ。あ、お姉ちゃんは……カフェモカ・ノワール、だったよね?」
そのとき、隣で財布を取り出しかけたおばあちゃんが言った。
「いくらだい?」
「今日はお金、大丈夫なんだよ。招待だから」
詩音が慌てて手を添えて止める。
「あら、ま……ありがとうございますねえ」
おばあちゃんは、ふたたび鈴原店長に小さく頭を下げた。
「いえいえ。今日はごゆっくりしていってください」
店長も、変わらぬ穏やかな声で返す。
「あとね、キッシュ・ド・リーヴルスもひとつ追加で〜」
「かしこまりました。ご注文のお品ができましたら、こちらのベルが震えます。それと同時に、この番号が掲示板にも表示されますので、ご確認のうえ、カウンターまでお越しください」
そう言って、沙織は詩音に液晶モニター付きバイブベルを手渡した。
「席はご自由にお使いください」
「お〜、沙織ちゃん、完っ璧!」
詩音は指で丸を作って、ちゃかすように言う。
「もう、ホント調子狂うんだから……いいから、早く行って!」
「ごめん、ごめん〜」
笑いながら、詩音は家族を引き連れて席のほうへ向かった。
レジの横で、それを見送っていた鈴原店長が、ぽつりとつぶやく。
「詩音ちゃんが来ると、パッと明るくなるわね」
「明るすぎて……そのうち目をやられますよ」
沙織は、呆れたように言いながら、でもどこか楽しそうだった。
カフェフロア中央のテーブル席に、詩音たちが腰を下ろした。
「お姉ちゃん、それね、音じゃなくてブルブルって震えるの。で、あそこのカウンターまで持ってくと、スタッフの人が確認してくれて、飲み物とか渡してくれるんだよ」
「ベルってそのとき返しちゃうの?」
「ううん、全部できてない時は、そのままベル持って戻るの。スタッフが教えてくれるから、言われた通りにすれば大丈夫」
「そっか。全部そろったら、最後にベルを返すってことね」
「そうそう!」
「で、この小さい液晶、何なの?」
歌音がベルの画面をのぞき込む。
「あ、そこにね、出来上がった注文が表示されるの」
「ふ〜ん」
ちょうどそのとき――
ブルッ。
テーブルの上のベルが、断続的に震えた。
「わ、きたきた!」
詩音が反射的にベルを手に取る。
小さな液晶画面に注文が表示されている。
『リーヴルスブレンドHOT×2、カフェモカICE×1――』
その画面を指差して、詩音は言う。
「ほら、いま出来上がったのはこれですよって、ここに表示されてるの」
「なんだか、ハイカラだねぇ」
おばあちゃんが目をまるくする。
「で、あっちの掲示板にも、このベルと同じ番号が点滅して、教えてくれるんだよ」
見ると、カウンター上の掲示板に、ベルと同じ番号“02”の数字が点滅している。
「私、取ってくるわ」
歌音がベルを受け取り、すっと席を立った。
「……本も読めるんじゃろ?」
ぽつりと、おじいちゃんが言う。
目線の先には、店内奥の本棚が広がっている。
「うん。食べたら行ってみよ、おじいちゃん」
詩音がにっこり笑って答えた。
◇◇◇
詩音たちが来店した後くらいから、カフェ・ラフォーレ リーヴルスの店内は、いよいよにぎやかさを増していた。
土曜日ということもあり、スタッフの家族や友人、本社の社員とそのご家族、さらに小さな子どもたちの姿もちらほら。
レセプション二日目の空気は、昨日とはまるで違う、やわらかくて、華やいだ熱気に包まれていた。
カフェフロアの窓際の席では、明美が友人ふたりと向かい合っていた。
テーブルの中央には、「カスクート・デ・リーヴルス」。断面の美しいサンドとサラダが、まるで本のページのように丁寧に盛られている。
「うわ〜、これ美味しそう!」
「見て、めっちゃ映える!」
スマホを取り出した友人たちが、パシャパシャと何枚も写真を撮っている。
「それ、うちの看板メニューだよ〜」
明美はちょっと得意そうに笑った。
その顔は、少しだけ誇らしげに見えた。
一方、カフェフロアの奥の二人席では、ユキとその友人がコーヒーを前に黙々と読書中。
言葉はなくても、心地よい静けさがそこにはあった。
それは、にぎわう店内の中で、ひときわ異質な“島”のようにも見えたけれど、二人にはきっとそれがちょうどいいのだろう。
カウンターの内側も、にわかに忙しくなってきた。
「はい、これ9番と11番。札、間違えないようにね」
志麻が、ふわたまサンドと森のベジサンドを並べながら、落ち着いた声で指示を出す。
「は、はいっ……えーっと……」
虹香が慌てて番号札を手に取るが、目が泳いでいる。
「落ち着いて、虹香ちゃん。急ぐより、正確にね」
沙織がふっと笑いながら声をかけると、虹香は深くうなずいて、商品を慎重にカウンターに並べた。
レジ前では、アルバイトの亜里沙が接客中。緊張のせいか、やや早口になっている。
「ご、ご注文は……えっと、アイスリーヴルスぶ……、あ、ブレンド……、ホットですか? アイスですかっ……?」
相手は本社から招かれた女性社員グループの一人。
困り顔になりかけたところで、美智子がすっと背後からフォローに入った。
「大丈夫よ、もう一回ゆっくり言ってみようか」
「う、うん……」
亜里沙は一度深呼吸して、笑顔を作り直す。
「ご注文は、リーヴルスブレンドですね。ホットとアイス、お選びいただけます」
「ゆっくりで大丈夫ですよ〜」
招待客の女性も、にっこりと返してくれた。
一方そのころ、展示エリア。
「ねえねえ、お姉ちゃん! きつねとたぬき、どっちがつよいの〜?」
「たぬきだよ!」
「えー、きつねでしょ!」
「ぼく、きつね派ー!」
小さな子どもたちに囲まれて、メイは軽くパニックになっていた。
「え……えっと……どっち……?」
しどろもどろになりながらも、なんとか場をつなごうとする。
そのすぐ横では、ベソをかきはじめた女の子。これまた、なだめるのに四苦八苦。
展示解説どころではない。
(ええと……ええと……)
メイは視線で助けを求めるが、近くで別の来客に説明していたアルバイトのくるみも、気まずそうに目を逸らした。
(こ、こどもって、自由……)
おろおろしながら、今日いちばんの難敵と向き合うメイだった。
午後1時半をまわる頃――
フロアの空気に、少しだけ落ち着きが戻ってきていた。
あれだけ慌ただしかったカウンターにも、ようやく隙間ができはじめ、スタッフたちもほっと一息ついている。
そんな中、窓際の二人席で、静かにページをめくっていたユキとその友人が、ほぼ同時に本を閉じた。
カタリ、とテーブルに置かれるハードカバーの音。
ユキが、ごく自然に立ち上がり、手に持った本を返却ワゴンへ運ぶ。
友人も後を追うように立ち上がった。
「……本、ここでいい」
「うん、……分かった」
返却ワゴンの前で二人は無言のまま、各々の本を静かに置く。
目が合う。
こくり、と小さくうなずき合うと、そのままくるりと方向を変え、次の本を探しに本棚の方へと歩き出した。
言葉よりもずっと確かに通じ合っている“似たもの同士”——
そんな言葉がぴったりのふたり。
店内のざわめきの中で、そこだけ別の時間が流れているような――静かな、午後のひとコマだった。
◇◇◇
本棚エリアでは、数人のゲストが思い思いに本を選び、立ち読みをしたり、席に持ち帰ったりしている。
その中に、詩音とおじいちゃんの姿があった。
「おじいちゃん、これ!」
詩音が棚から抜き取った一冊を手に、ぱっと笑顔になる。
それは、お気に入りの写真集『風のあとを、歩く』。
山の稜線や、霧の森、小さな沢……美しい自然の風景が静かに並ぶ一冊。
「おぉ……これ、いいなあ」
おじいちゃんはページをめくりながら、静かに目を細めた。
「学生の頃、こんなとこ登ってたんだぞ、じいちゃんは」
「えっ、ほんとに?」
詩音が思わず身を乗り出す。
「ああ。ワンダーフォーゲル部ってな。山に登ったり、沢を歩いたり、テント担いで何泊もしたり。今じゃ考えられんくらい、重たい装備でなあ」
「へぇ〜……なんか想像つかないかも」
詩音がくすっと笑うと、
「テントだって、この前の“あれ”とは比べもんにならんのを使ってたよ」
と、おじいちゃんが苦笑いする。
「“あれ”って……雨漏りテント?」
詩音もつられて笑った。
「当時は、雨にも風にも強い、ちゃんとした山岳用のテントを使ってたなぁ」……
指先でページをなぞりながら、おじいちゃんの口調がゆっくりになる。
「朝早くに目が覚めて、テントの外に出ると、風が肌を通り抜けていく。誰もいない山道を歩いて、川の音が聞こえてきたときのあの気持ち……今でもはっきり思い出せる」
「……へぇ」
「自然の中って、何もないようで、いっぱいあるんだ。音も、匂いも、空気の重さも。なぜかそれが、嬉しいんだ…」
詩音は静かにうなずいた。
「……なんか、いいね。そういうの」
しばらく黙って写真を見ていたおじいちゃんが、ふと詩音の顔をのぞき込んだ。
「そういえば……詩音はキャンプやってるのかい?」
「あ、ううん。まだやったことない」
少し笑って言った。
「でも、やってみたいなって思ってて。……浩太おじちゃんからテントもらったの。いつか行きたいなーって思ってたんだけど、お店が始まったばっかりでね」
「そうか。じゃあ、落ち着いたら行ってみるといい」
おじいちゃんは、ゆっくりと写真集を置いて、言った。
「キャンプはいいぞ。風の音、火の匂い、夜空の明るさ……自然の中にいるだけで、クヨクヨしてる自分がちっぽけに思えてくる。……不思議と前向きになれるんだよ」
「……そんな気持ちになるんだ」
心のどこかでしまっていた“やりたい気持ち”が、ちょっとだけ顔をだす。
詩音は写真集をもう一度手に取り、パラパラとめくった。
探していたのは、あの『草原の歩く少女』の写真。
キャプションには
──歩いていれば、風が背中を押してくれる。
(……早くキャンプ、行ってみたいな)
そんなことを考えながら、詩音はそっと写真集を閉じた。
◇◇◇
「子供って……発想がすごいなあ……」
本棚の前にしゃがみこんで、メイは静かにため息をついた。
きつねとたぬき、どっちが強いかの大論争に巻き込まれて、思った以上に体力を持っていかれていた。
シフト表の予定通り、展示エリアから、本棚エリアに移ってきたばかり。
気持ちを切り替えるように、返却された本を整理していると――
「平瀬ちゃん」
後ろから、聞き慣れた声がかかった。
振り向いた瞬間、ぱっと視界が明るくなったような気がした。
私服姿の柳森さん。
いつもの落ち着いた雰囲気に、柔らかい色味のブラウスがよく似合っていて、メイは一瞬、言葉を忘れた。
その隣には、初対面の男性がひとり。
年齢は三十代後半くらい。
すっと通った鼻筋に、涼しげな目元。ダンディ、という言葉がぴったりの人だった。
(え……この人…まさか…柳森さんの恋人?旦…那さん?…そもそも柳森さんって結婚してたっけ?……えっ!?)
混乱のワードが頭の中でぐるぐるし始めたそのタイミングで、柳森さんがにこやかに言った。
「あ、うちの兄。葛城書店の社長、柳森進次郎」
「……!」
一気に体の力が抜けて、メイは思わず背筋を伸ばした。
「はじめまして、平瀬さん」
進次郎さんは優しげなまなざしで、ふわっと微笑んだ。
「淳子から、君のこと聞いてるよ。――僕も、『ミュー』読んでるんだ」
「えっ、あ、そうなんですか?」
慌てて言いながら、視線が彼の手元に移る。
進次郎さんの腕には、『月刊ミュー』と、さらに二冊の書籍。
——『UFO実録・FBI事件簿』
——『超常現象と宇宙のしくみ』
どちらも、メイが蔵書選定で強く推した本だった。
「平瀬ちゃん、これ絶対置きたいって言ってたよね」
柳森さんが笑いながら添えるように言うと、メイは一気に頬が熱くなった。
「そ、それは……その……」
うまく言葉が出てこなくて、うつむき加減にペコリと頭を下げた。
「この本、僕も読んだことがあるけど……いいチョイスだと思うよ」
進次郎さんのまなざしは真っ直ぐで、どこかあたたかかった。
メイは思わず、もう一度深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「それじゃあ、また後でね」
柳森さんが言って、ふたりはゆっくりとその場を離れようとした。
でも、メイは思わず――声をかけていた。
「あの……!」
ふたりが振り向く。
少しだけ息を整えてから、メイは口を開いた。
「私、本が大好きで……葛城書店さんも、応援してます。……頑張ってください」
進次郎さんは一瞬目を見開いて、それからふっと、穏やかに笑った。
「ありがとう」
そのひとことに、胸がじんわりとあたたまる。
「ご、ごゆっくりどうぞっ!」
慌てて言いながら、ぺこりとお辞儀するメイ。
ふたりの背中が見えなくなるまで、なんだか胸のあたりが、そわそわして仕方なかった。
——でも。
(……なんか……うれしい)
ふわっと、そんな気持ちが浮かんだ。
さっきまでの疲れが、ほんの少しだけ、和らいだ気がした。
◇◇◇
午後4時が近づくころ。
ひと組、またひと組と、ゲストたちが帰っていく。
エントランスでは、革製の本のしおりがひとつずつ手渡されていた。
「ささやかですが、お土産です」
沙織とアルバイトが、ひとりひとりに声をかけながら、丁寧に手渡していく。
その横を、詩音たちの一家が通りかかる。
「メイちゃん、明日は私がおもてなしするからねー!」
そう言って、手を振りながら、詩音はおじいちゃんとおばあちゃんの手を引いて扉の外へと消えていった。
メイは、笑顔で手を振りながら、その背中を見送る。
(……明日、か)
ぽつりと、心の中でつぶやいた。
最後のひと組が出て行ったのを見届けて、ラフォーレ リーヴルスの扉が、静かに閉まる。
「お疲れさまでした」
鈴原店長の声が、穏やかにフロアに響いた。
「さぁ、片付けるよ」
美智子が腕まくりをしながら、後ろを振り返る。
さっきまでにぎやかだった店内が、ゆっくりと、静かな時間へと戻っていく。
読みかけの本。
飲み干されたカップ。
小さな名残たちが、そこにあった誰かの時間を、そっと物語っていた。
メイはその一つひとつに目を留めながら、本棚の奥へと足を運んだ。
ここまで読んでくださってありがとうございます!




